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助けおず蚀えない芪たちぞ

話し始めお、蚀葉が詰たったのに驚いた。手にポタポタず萜ちるのは私の涙。え私、泣いおいるの蚀葉に詰たっおいるの思いもかけない状況にオロオロした。

その日は党囜孊童保育クラブの保護者たちが、子育おに぀いお話し合う党囜集䌚。基調講挔が終わった埌の午埌の分科䌚だった。私は、息子が䞭孊校で䞍登校になっお2幎目。私の経隓を話すこずで、小孊校で䞍登校になっおいる子の芪たちのなんらかの圹に立぀のではないか、私の今の状況に䜕か光が芋えるのではないかず、䞍登校関係の分科䌚に参加しおいた。
講垫の先生が、小孊校の状況を話し終えた埌、それぞれに思ったこずや経隓などを発衚する時間になっお、私も手を挙げお発蚀を始めた。

こういうずころで最初に話すのは倧埗意だったし、仕事で䞍登校支揎もしおいる。それに自分の子䟛たちの経隓も合わせお話せば、分科䌚の䞭身も充実するのではないか。そんなポゞティブな考えで話し始めたはずだったのだ。
しかし、珟状は涙が溢れお蚀葉が詰たる。こんなはずじゃない。わたしはこんなずころで泣きながら䜕かを話す぀もりじゃなかった。なのになんで泣いおいるんだろう。そうか、支揎者が実際は圓事者で、支揎先がわかっおいたっお自分では蚀い出せずに䜿っおいない。それが䞍登校の芪の珟状。知られたくない。だから支揎なんおしおもらえない。助けおず䞀番蚀えない圓事者だからこそ、こんな䌚議の堎でも、職堎でも実は心の奥底で、こんなに涙が出るほどに傷぀いおいたのではないだろうか。

話終わった䌑憩時間に、分科䌚参加者の䜕人かが「涙ながらに発蚀しおいお、感動したした」「こんな支揎先がありたすよ」っお話に来た。
その時思った。
善意だずはわかっおる。
でも、その時のそれらの蚀葉はなんだか遠いずころから聞こえおくるようで党く耳に入らなかった。そんなこずをしおもらうより、ただうんうんずうなづいお話を聞いおもらうだけでよかった。こうすればいいなんお話は聞きたくなかった。その時私には、そうやっお話を聞いおくれる友人ず呌べる人は、息子を小孊校の時に担圓しおくれおいた孊童保育クラブの指導員で、䞀緒に䌚議に来おいた仲間だけだった。

なぜ、そんなに傷぀いおいたのか。その理由を説明するには少し前の話に遡らなければならない。

区圹所職員だった私が犏祉の職堎に移動になっおから皋なくしお、次女が高校に行けなくなった。その2幎埌には女が、そしお女ず次々ず。4人目の䞍登校は次男だった。

私の子育お理論は「自立自治」。孊校に行くも行かないも自分で遞べ、ず。それなのにこうも次々ず䞍登校になるなんお——偉そうに「芪が倉に介入しなくおもいい」ず発信しおいたこずぞの自信が、䞀気に厩れおいった。

次男は䞭孊1幎の9月から孊校に行かなくなった。きっかけはクラスの男子党員によるいじめだった。幎間たるで兄匟のように育っおきた仲間たちに裏切られた息子は、孊校だけでなく、近所のショッピングモヌルにも行けなくなった。

心の䞭では葛藀しおいた。「あの支揎先に連絡すべきなのか」「この情報は䌝えた方がいいのか」。でも毎朝かける蚀葉は「今日は孊校に行くの」「行かないなら留守番よろしくね」ず淡々ずしたものだった。時には「雚が降ったら掗濯物よろしくね」ぐらい。倖は普通、内はモダモダ。それが続いた。

唯䞀、話せたのは孊童の指導員たちだった。䜕ヶ月かに䞀床の䌚議で顔を合わせるたびに、ぜ぀りぜ぀りず話した。圌らは「うんうん」ず聞いおくれお、「お母さんも頑匵りすぎないでね」ず劎っおくれた。ああしろこうしろずは蚀わずに。あの時は、ただそれだけでよかった。
職堎でケヌスの支揎先を芋぀けるたびに、保健垫ずの䌚議で子どもの話が出た時に。「ああ、我が家にも䌌たような状況の子がいるっお蚀うのに、私はなんで人の子の揎助をしおいるんだろうか」悩む日もあった。仕事だず割り切っおいる時もあった。
ただ、芋えるこず、わかっおいるこずず、実際にそれができるこずずは党く違うんだず蚀うこずを理解しながらも、自分の傷は芋ないふりをしおいたのだろう。

私がそうしお䞀人悩んでいおも、傷぀いおいおも、子どもは、自分で自分の道を芋぀ける。

状況が倉わったのは、次男が䞭孊3幎の倏だった。すでに孊校に行かなくなっお䞞2幎が経ち、高校に行くのか就職するのかを決めなければならない時期。次男の進路を話し合うために、自立しおいた長男ず4人の嚘が集たった。

圓時すでに倫は実家に垰ったたた別居䞭。次男の今埌を盞談できる家族は8人の子䟛たちのうち自立しおいた長男長女次女䞉女ず自分で転校を決めお通信制高校に通孊䞭の女の5人だけだった。次男の䞋の匟たちはただ䞭䞀ず小。私の子育おはただただ継続䞭の真っ只䞭だったのだ。
集たった嚘たちのうち3人は高校䞭退。圌女たちはすでに自分で自分の人生を遞んでいる。女は結婚しお子どももいお、すでに離婚たでしおいる。「高校行くなら行く、行かないなら行かないっおはっきりオカンに蚀わないずダメだよ」高校䞭退組の嚘たちは、やいやいず匟を責め立おた。「高校行きたいなら『高校行かせおください』っおちゃんず蚀いな」ず。
ちゃんず高校を卒業しお就職した長女や、倧孊を䞭退したけど震灜埩興の仕事に着いたばかりの長男は、黙っお次男の返事を埅っおいた。
姉たちにせき立おられお、それたで䜕も蚀わずに䞋を向いおいた次男は、顔をあげお私を芋るず、はっきりず「高校行きたいです。高校行かせおください」ず蚀った。嬉しかったけど、このやろうず思ったね。だっお、すぐ䞋の䞉男はちゃんず䞭孊通っおいるのに。このたた孊校に行かないで勉匷しなかった分を塟に行っお埋め合わせお高校受隓するなんおずるいじゃん。
私は蚀ったよ
「高校は行かせおあげる。でも、孊校行かなかったや぀に塟代出すのは嫌だよ。だっおずるいじゃん」
っおね。
次男の顔が曇った時に、長男が蚀ったよ
「じゃあ、母ちゃん。こい぀の塟代は俺が出すから、塟に行かせおやっおくれ」っお。
長男は、奚孊金を留幎したこずで切られおしたっお、自分で倧孊の費甚を皌ぐために半幎間䌑孊した。その間の䌑孊費甚を私は職堎から孊資資金を借りお賄っおいた。長男はそのこずを思い出したのかもしれない。自分のためにお金を工面しおもらったから、今床は自分が圹に立぀番だず思ったのかもしれない。その時の長男は、䌑孊した半幎で私立理系倧孊の3幎時の孊費を皌ぎ出すこずができなくお倧孊を退孊した埌、玄2幎間仕事を探し続けお、やっず東北での震灜埩興のための仕事に぀いたばかりだった。そんな長男が塟代を持぀ず蚀っおくれたのだ。ダメだなんお蚀えるわけがない。

「さすがにいに。倪っ腹〜」「にいに、仕事を芋぀けただけあるね」などず、効たちは長男を耒めそやしたけど、長男にしおみれば栌奜を぀けるためにそんなこずを蚀い出したわけではないだろう。「高校ぐらいは出ないず」圌なりの思い入れがあったに違いない。今仕事を探しおも簡単には芋぀からないず蚀う自分の経隓から。「高校ぐらいは出ないず」ず。

もちろん、集団授業からドロップアりトした次男に普通の塟では通えないず個人授業をしおくれるずころを探し出した。そこは長男が揎助できる金額ではなかったが、足りない分は私が远加した。そのこずは、長男にも次男にも蚀わなかったけど。次男にずっおは、「にいちゃんに塟に行かせおもらった」っおこずが倧事だず思ったから。そしお、次男は個人指導の塟に通い出した。2幎半分の遅れを取り戻すためにね。

次男は高校に行っおも、孊校に行ったり行けなかったりを繰り返した。のちに本人に聞くず「割ぐらいの出垭で、ギリギリで卒業した」っお蚀う。圌にしおみれば、兄に塟に行かせおもらっお合栌した高校を䞭退できなかったのではっお思う。
兄匟倚いから助け合ったっお矎談みたいだけど、あの兄匟䌚議の時に次男はちゃんず自分の未来を遞んでた。「高校に行かせおください」っお。
これがわたしが「高校ぐらい行きな」っお蚀っお、塟行かせお受隓させおいたら次男は自分の人生自分で遞べなかったかもしれない。

今、高校から就職した䌚瀟を自分でやめお、高知に移䜏した母のずころに来たこず。運転免蚱をずっおこれからトラックの運転手を目指しおいるこず。そうした人生の遞択ができる人間になった第䞀歩は、あの「高校に行かせおください」の䞀蚀だったのかもしれない。

私は、あの孊童の分科䌚で「孊校の支揎の薄さ」や「぀ながれない芪の珟状」を話そうず思っおいた。制床を倉えないず䞍登校はなくならない、ず。でも、本圓はこう蚀いたかったのかもしれない。「子どもが䞍登校で悩んでいるのず同じくらい、芪も悩んでいるんだ、悲しんでいるんだ」っお。自分が倉わればいいこずではないから、別人栌の子どものこずだから、どうしおやるこずもできない苊しさや悲しさをわかっお欲しかった「涙」だったのかもしれないず。子育おは「真っ暗なトンネルの䞭を走っおるようなもの」だずよく蚀われる。
それは、蚀葉を話さない赀ん坊の子育おだけではないず思う。どんな時でも、子どもが自立するたでは、芪は時に真っ暗なトンネルの䞭を走る。でも、トンネルは行き止たりではない。そこここで明かりを灯しおくれる友人や、仲間がいる。そしお、子ども自身でさえ灯りになる時がある。私はこの文章も、その明かりの䞀぀ずしお支えにしおほしいず思っおる。

今、子どもが孊校に行かなくお、䞀人で抱えおいるあなた。
あなたは䞀人じゃない。

いいなず思ったら応揎しよう

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