エッセイ 目を見て話すのが好き
※性被害についてや性的な描写があります。閲覧にはご注意ください。
目を見て話すのが好き。目のなかの色、瞳の輝き、まつげの動き、目尻に現れる表情。それらにその人自身が現れると思うから。でもそれは後からつけた理由で、ただそういうふうに、相手の目を見て話すように育てられたからなだけな気もする。
目を見て話せない時もある。2人で並んで歩いているとき、大切な人に大切すぎる話をするとき。
大学1年生の初夏、痴漢と性被害の間のような暴力を受けた数日後、わたしはわたしのパートナーにそのことを話した。掴まれたところがアザになっていること、自分が汚く穢れた存在に思えること、もうセックスはできないかもしれないこと。
私服の高校で、自転車通学という性被害を受ける可能性が少なかった高校生の頃のわたしは、先輩などから性的な眼差しを向けられると、気持ち悪いとどこかで少し思いながらも、わくわくしていた気がする。だから性被害を受けて初めて、性的な眼差しや行動を取られる/取ることと、コンビニのグラビアの表紙やネット広告など性的な表現があふれる日常に、恐怖感を持ってしかるべきなんだと腹の底から理解できた。
目を合わすことができないまま、身を削るようにしか話せない大切すぎる話をすると、一緒に落ち込んでいる様子で、まずわたしと体が触れない程度の、でも遠すぎない親密な距離を取ってくれながら、こう言った。
「あなたと居るのにセックスもキスもなくていいよ。いつかできるようになったら嬉しい気持ちもあるけど、一生なくても構わないし。でもハグはしたいな、それはできるようになるまで待たせてもらってもいい?」
それまで必死に堪えていた涙を堰を切ったようにぼろぼろと落としながら、ハグは今しても良いことを伝えた。本当はいつかセックスをしたい気持ちもちょっとはあった。でも今すぐはできないし、できる未来も見えなくて、そのことは伝えられなかった。本当はわたしとのセックスが大好きで、裸でハグするのが大好きなのに。その優しさに甘えたくなった。
嘘。本当はこんなこと言ってくれなかった。「大丈夫だよ」と言って、セックスを始めた。そこはラブホテルだったからかもしれない。確かに「大丈夫」だった。気持ちいいのはあった。でも良くはなかった。わたしたちは2人とも実家ぐらしだったから、2人きりになれて、自分が泣く可能性がある話はラブホテルくらいでしかできなかった。でも「良くはなかった」っていうのは、時間が経ったあとから思ったことで、ラブホテルでこの話をしたその時のわたしは少しセックスしたい気持ちがあったのかもしれない。でも、、だとしたら、わたしも間違っていた。泣くのなんて恥ずかしくないからカフェとか公園で話せばよかったんだ。相手のせいではない。だけど、ただ時々このことを思い出す。わたしがやって欲しかったのは、言ってほしかったのはこういうことだったんだって、最近わかった。
どうしようもないことがたくさんある。だれも正しいことを教えてくれないことがたくさんある。間違えることがたくさんありすぎる。でももっとわがままになりたい。ほんのちょっとわがままになれば解決することが恋人たちのあいだにはたくさんあるのかもしれない。
わたしは相変わらず相手の目を見て話すのが好きだ。そこまで回復した、とも言える。目にはたくさんの表情が映るから、好きだ。これからはまっすぐ目を見て、わがままを言おう。
