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課題の分離 ~そこに愛はあるんか?

     アドラー心理学の代名詞ともいえる「課題の分離」。皆さんはどこまで理解していますか?
     
     日本において「課題の分離」とは、

     自分の課題と相手の課題を明確に分けて、相手の課題には一切干渉しない。“嫌われる勇気”をもち、他人の課題に踏み込むようなことはせずに、自分の課題だけを淡々とこなしていくだけ。

     のような冷たい印象を抱かせるかも知れません。実際に『嫌われる勇気』(岸見一郎著)にも

    他者の課題には介入せず、自分の課題には誰一人として介入させない

    『嫌われる勇気』(岸見一郎著)

     とかなり印象的な記述があります。
     
     『嫌われる勇気』のこの記述を読んで、

     なるほど、今まで自分は「他人の課題」に振り回されて生きてきたんだ!
     “嫌われる勇気”をもって他者の課題に干渉することはやめよう!
     そして「自分の課題」だけに向き合って、自分の人生を生きていこう!

     と思った人が多いと思います。またそう考えることで、他者とのしがらみから開放されて、本当の自分の人生を生きられるようになった!と感じた人も多いと思います。
     
     相手を尊重し、相手の課題には一切介入・干渉しない。それはそれでいいと思います。
     
     
     しかし、アドラー心理学の代表的な側面である『共同体感覚』に照らし合わせると、課題を分離しただけの“課題の分離”は、そもそもアドラーの思想なのでしょうか?
     
     
     『共同体感覚』は、アドラー心理学における重要概念・価値観で、「他とのつながりの感覚、つながっている他へと向けられる関心」のことであり、この大前提の上に「課題の分離」は成り立つわけです。
     
     そのことから考えると、“課題の分離”とは、

    『誰にとっての課題であるかを考え、課題に対する責任の所在を明確にして自分の課題と相手の課題を分離する。そして相手を信頼し、相手の課題には介入・干渉しない。
     
     ただし相手がその課題を克服することが困難だと判断したときは、相手からの依頼や相談によって相手と自分の“共同の課題”としても良い』
     

     ものだと考えます。
     
     ただしその都度相手の課題を共同の課題にして介入・干渉してしまうと、相手が依存体質になったり、相手の成長の機会を奪ってしまうことになるので、“共同の課題”にするのもほどほどに。
     
     そして“共同の課題”として引き受けたら、責任を持って課題に取り組みましょう。その場合でももちろん課題を解決するのは協力者であるあなたではなく、課題の持ち主である相手です。
     
     コーチングやカウンセリングなどにもこの考えは応用できそうですね!

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