メインコンテンツへスキップ
見出し画像

何度目の、君だろう 第七話 「逃げてきた理由」

    📖 初めて読む方はこちら
    登場人物紹介・相関図(ネタバレなし)


    あらすじ
    親友・翔太の結婚式で、かつて同じ会社の後輩だった橘冬子と再会した井上朝陽は、「大丈夫じゃないのに、大丈夫って言うよね」という冬子の一言に言葉を失い、諦めようと思った瞬間に結婚式の朝へ戻された。何度繰り返しても、翔太の大学の友人・藤原健が冬子のそばに現れてはタイミングを奪い、彼女・麻衣への罪悪感が朝陽の足を止め続ける。一方冬子も同じ日を繰り返しながら、健と自分自身に向き合おうとしていた。百合の香りをきっかけに、朝陽の中で幼い頃の記憶がよみがえり始める。病院の中庭、黒髪の女の子——あれは冬子ではないか、と。六度目の周回、ついに二人きりで話せた二人は、互いに「昔どこかで会った気がする」と言葉を交わす。

    一

     七度目の十一月十四日だった。

     冬子はベッドの中で、しばらく天井を見つめていた。

     また、この朝。

     でも今日は、いつもと違う感覚があった。

     昨日——何度目かわからないけれど、昨日の周回で、朝陽が言った言葉が頭から離れなかった。

     昔、どこかで会ったことがある気がするんですよ、俺。

     病院の話もした。中庭の話もした。
    百合の話も。

     全部、覚えている。なのに——朝陽は覚えていないはずだ。今日はまた最初からだから。

     冬子は布団の中で、小さく息を吐いた。

     この感覚を、誰にも説明できない。同じ日を繰り返している。井上くんと、少しずつ近づいている気がする。でも毎回、朝になればすべてリセットされる。

     覚えているのは、自分だけ。

     ——いや。

     冬子は、ふと思った。

     もしかしたら、井上くんも。

     あの人も時々、何かを思い出すような顔をしていた。あれは——

     考えすぎだ、と冬子は頭を振った。

     スマートフォンを確認する。

     十一月十四日。さくらの結婚式の日。

     冬子は起き上がった。



    二

     式場に向かう道すがら、冬子は自分の中の変化に気づいていた。

     最初のころは、ただ混乱していた。なぜ同じ日を繰り返すのか、わからなかった。

     でも繰り返すうちに、気づいたことがある。

     諦めようとすると、戻される。

     最初は健のことだと思っていた。
    健とちゃんと向き合おうと決めた夜、
    戻された。
    だから「健と向き合えていないからだ」と
    思っていた。

     でも——本当にそうだろうか。

     冬子は電車の窓に映る自分の顔を見た。

     健と向き合うことと、
    朝陽のことを考えることは、別の話のはずだった。
    なのに、いつも同時に頭に浮かぶ。

     なぜ。

     冬子は目を閉じた。

     答えは、もう薄々わかっている気がした。
    ただ——まだ、ちゃんと言葉にする勇気が
    なかった。


    三

     式場に着くと、さくらが控室から飛んできた。

    「冬子!」

    「綺麗だよ、さくら」冬子は笑った。
    「何度見ても、同じこと言っちゃう」

    「何度見てもって?」さくらが首を傾けた。

    「あ——いや、何度でも言いたくなるってこと」

     冬子は慌てて言い直した。

     さくらに、本当のことは言えない。同じ日を何度も繰り返していることを話したところで、誰も信じてくれないだろう。それに——もし信じてもらえたとしても、なんと説明すればいいかわからない。

     なぜ繰り返しているのか、自分でも理由がわからないのだから。

    「冬子、なんか今日変だよ」さくらが言った。「ぼーっとしてる」

    「そう?」

    「うん。何か考えてる顔」

     冬子は笑ってごまかした。

    「結婚式だから、ちょっと感慨深くて」

    「私が泣くやつじゃん、それ」さくらは笑った。「先に泣かないでよ」

     二人で笑い合った。

     いつもの冬子だった。明るくて、何も考えていないように見える、いつもの冬子。

     でも内側では、ずっと違うことを考えていた。


    四

     披露宴が始まる前、健が来た。

    「冬子、久しぶり」

    「久しぶり」

     健の顔を見るたびに、胸の奥が少し重くなる。

     いい人だった。今もいい人だ。優しくて、誠実で、安心できる人。あの頃、付き合えたらきっと幸せだったと思う。

     なのに、逃げた。

     理由を、健にちゃんと話したことは一度もない。

    「元気だった?」健が聞いた。

    「元気だよ」

     いつもの会話だった。何度も繰り返してきた、同じやりとり。

     でも今日、冬子の中で何かが違っていた。

     このやりとりを、もう何回繰り返しただろう。

     毎回、健は「元気だった?」と聞いて、冬子は「元気だよ」と答える。それだけで終わる周回もあった。健が復縁を迫ってくる周回もあった。

     でも——本当の自分の気持ちを、健にちゃんと話したことは、一度もなかった気がする。

     毎回、どこかでごまかしてきた。


    五

     披露宴の途中、翔太のスピーチがあった。

    「好きな人に、ちゃんと向き合えよ」

     七度目の、同じ言葉。

     冬子はその言葉を聞きながら、自分の手のひらを見た。

     向き合う。

     健にも、朝陽にも、自分にも——冬子は、ずっと向き合ってこなかった。

     明るく笑っていれば、誰も中を見ようとしない。それでずっと、やり過ごしてきた。

     でも、いつまで。

     拍手の音の中で、冬子は静かに息を吸った。



    六

     歓談の時間、朝陽がさくらのテーブルに来た。

     冬子は、また会話に加わった。

     今日の朝陽は、いつもより落ち着いて見えた。何かを決めたような、静かな目をしていた。

    「橘さん」朝陽が言った。「今日、少し時間ありますか」

     冬子の胸が、小さく跳ねた。

    「うん。あるよ」

     それだけのやりとりだったのに、いつもと違う重みがあった。

     さくらが何か言いたげに冬子を見たが、何も言わなかった。


    七

     二次会の途中、健が冬子の隣に来た。

    「少し話せる?」

     冬子は健の顔を見た。

     また、この場面だ。何度目だろう。

     今までは、ここでうまくかわしてきた。笑って、誰かを呼んで、話題を変えて。

     今日は——違った。

    「うん。話そう」

     冬子は自分の声に、少し驚いた。今までと違う声だった。

     健も、少し驚いた顔をした。

     二人で、廊下の端に向かった。


    八

     健はしばらく、何も言わなかった。

     冬子も、待った。

    「俺、まだ気持ちが残ってる」健は言った。
    「冬子のこと」

     冬子は黙って聞いていた。

    「急に距離を置かれて、理由もわからなくて——ずっとモヤモヤしてた。でも今日また会って、やっぱりそう思った」

     健の声は、静かだった。

    「付き合ってほしいとか、そういうんじゃない。ただ——友達から、もう一度やり直せないかな、と思って」

     冬子は健を見た。

     今までの周回で、何度もこの言葉を聞いた。何度も「考えさせて」とだけ言って、答えを保留にしてきた。

     でも今日は——違う気がした。

    「健くん」冬子は言った。「ちゃんと、話してもいい?」

     健が頷いた。

    「私、ずっと同じことを繰り返してる気がする」

    「同じこと?」

     冬子は、少し言葉を選びながら続けた。

    「誰かといい感じになるたびに、どこかで怖くなって、自分から逃げてきた。健くんのときも、そうだった」

    「……怖くなったって、何が」

    「本当の自分を見せたら、引かれると思って」冬子は息を吸った。「健くんが好きなのは、明るくて楽しい私だって。そっちじゃない私を見せたら、終わると思って——先に逃げた」

     健は、黙って聞いていた。

    「健くんのせいじゃない。全部、私の問題だった」


    九

     健はしばらく、何も言わなかった。

    「そっか」健はゆっくり言った。「ずっと、そうだったんだな」

    「うん」

    「他の人にも?」

    「……うん」冬子は頷いた。「たぶん、ずっと」

     健は小さく息を吐いた。怒りでも悲しみでもない、何かを受け入れるような音だった。

    「俺と仲良くしてたときも、本当の冬子を見せてくれてなかったってこと?」

     冬子は、その質問に答えられなかった。

     でも——答えなければいけない気がした。

    「……たぶん」冬子は言った。「ずっと、いい子でいようとしてた。健くんの前でも」

    「それって、しんどかったんじゃないか」

     冬子は、健の顔を見た。

     責めていなかった。ただ、心配しているような目だった。

    「しんどかった、のかもしれない」冬子は言った。「自分でも気づいてなかった」


    十

     長い沈黙の後、健が言った。

    「好きな人、いるんだろ」

     冬子は、答えられなかった。

    「誰か、ずっと気になってる人がいるんだろうなって——今日見てて、思った」

     冬子は視線を落とした。

    「ごめん」

    「謝らなくていい」健は笑った。少し寂しそうだったけれど、無理をしている笑い方ではなかった。「ただ——今度はちゃんと向き合えよ。逃げたら、相手もわからないままだから」

     冬子は、顔を上げた。

     健の目が、真っ直ぐだった。

    「……ありがとう」冬子は言った。「ちゃんと聞いてくれて」

    「俺こそ」健は言った。「話してくれて、よかった」

    画像

    十一

     二次会が終わって、外に出た。

     十一月の夜風が冷たかった。

     さくらが「大丈夫?」と隣に来た。

    「大丈夫」冬子は言った。

    「健くんと、何かあった?」

    「うん」冬子は小さく頷いた。「ちゃんと話せた」

     さくらはそれ以上聞かなかった。ただ「そっか」とだけ言って、隣を歩いた。

     冬子は夜空を見上げた。

     健に話せた。ずっと言えなかったことを、言葉にできた。

     でも——胸の奥にある問いは、まだ残っていた。

     好きな人、いるんだろ。

     いる。

     もう、わかっている。

     朝陽のことを考えるたびに、笑う必要を感じない。素のままでいられる。

     でも——朝陽には麻衣がいる。

     自分が答えを出したところで、何も変わらないかもしれない。

     それでも。

     冬子は、健の言葉を思い出した。

     今度はちゃんと向き合えよ。

     誰に対して。

     朝陽に、だろうか。それとも——自分自身に。


    十二

     部屋に帰ると、静かだった。

     コートを脱いで、窓際に座った。

     今日は、健にちゃんと話せた。逃げてきた自分のパターンを、初めて言葉にできた。

     それは大きな一歩だった気がする。

     でも——朝陽のことは、まだ何も解決していない。

     朝陽には麻衣がいる。冬子がどれだけ気持ちを自覚しても、それは変えられない事実だ。

     冬子は膝を抱えた。

     また、同じことをしようとしてるのかもしれない。

     今度は「健と向き合う」という形で逃げようとしているんじゃないか。本当に向き合うべきなのは、もっと別の——自分の気持ちそのものなんじゃないか。

     怖い。

     認めてしまったら、苦しくなる。朝陽には麻衣がいるのに、好きだと自覚することに、何の意味があるのか。

     でも。

     逃げたら、相手もわからないままだから。

     健の言葉が、また鳴った。

     冬子は目を閉じた。

     向き合おう。

     健にじゃない。自分の気持ちに。

     その瞬間——

     頭の奥が、ふっと軽くなった。

     目が覚めたら、朝だった。

     見覚えのある天井。

     スマートフォンを手に取る。

     十一月十四日。土曜日。

     また、戻っていた。

     冬子はしばらく天井を見つめたまま、動かなかった。

     今日は、健にちゃんと話せた。自分の気持ちにも、向き合おうとした。

     それでも——戻ってきた。

     なぜ。

     冬子は静かに息を吐いた。

     窓の外で、鳥が鳴いた。

     十一月十四日。

     また、さくらが結婚する朝。

     でも今日は、これまでと違う確信があった。

     向き合うべき相手は、もう一人いる。

     冬子はゆっくりと、起き上がった。

    第七話・了

     
     
    言葉で紡ぐ、切なくも温かい物語。 大人の恋と、日常に隠れた微かな揺らぎを書いています。 ​連載中:「何度目の、君だろう」

    あなたへのおすすめ