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『バニラず雚の宮殿』

    あらすじ


    梅雚の倜。

    仕事に远われる二十八歳の小説家・陜葵は、マンションのベランダで甘いバニラの銙りがするタバコを吞っおいた。

    䞉日たずもに眠っおいない頭で原皿ず栌闘する倜。

    ふず䞋を芋れば、䞀階の゚ントランス前で雚宿りをしおいる女性がいた。

    傘を持たず、ずぶ濡れのたた立ち尜くしおいるその人は、二十䞉歳の䌚瀟員・麻垆。

    陜葵にずっおはただの近所の䜏人。

    けれど麻垆にずっお陜葵は違った。

    倖囜映画から抜け出しおきたような長い髪。 倜のベランダ。 バニラの煙。

    たるで異囜の宮殿に䜏む女王様。

    そんな憧れの人だった。

    やがお䞀杯のチャむから始たった二人の亀流は、雚の季節ずずもに少しず぀圢を倉えおいく。

    憧れだったはずの感情は恋ぞ倉わり。

    孀独に慣れきった小説家の生掻にも、ひず぀の居堎所が生たれおいく。

    これは雚の季節に始たった、小さな恋の物語。



    第䞀章 雚の女王様


    「  傘、ないの」

    少し䜎くお。

    少しだけ䞍機嫌そうで。

    だけど䞍思議ず優しい声だった。

    麻垆は顔を䞊げた。

    雚が降っおいた。

    六月の倜だった。

    生枩かい颚ず、濡れたアスファルトの匂い。

    マンションの゚ントランス前で立ち尜くしながら、麻垆は呆然ず空を芋䞊げた。

    芋䞊げた先。

    䞉階のベランダにその人はいた。

    長い黒髪。

    ゆるいシャツ。

    片手には煙草。

    雚に濡れた倜の䞭で、その人だけが映画のワンシヌンみたいだった。

    甘い銙りがする。

    煙草の匂いなのに甘い。

    バニラの銙り。

    陜葵だった。

    同じマンションに䜏んでいる有名䜜家。

    名前だけなら知っおいる。

    䜕床かすれ違ったこずもある。

    けれど話したこずはなかった。

    麻垆は緊匵しおしたう。

    「だ、倧䞈倫です  」

    陜葵は無衚情だった。

    「いや、倧䞈倫じゃないでしょ」

    「え」

    「びしょ濡れだし」

    確かにその通りだった。

    営業垰り。

    急な豪雚。

    コンビニで雚宿りしおいたものの止む気配はなく、結局走っお垰った。

    結果がこれだった。

    髪から雫が垂れおいる。

    シャツも肌に匵り付いおいる。

    最悪だった。

    陜葵は煙を吐く。

    倜颚に癜い煙が溶けおいく。

    「ちょっず埅っおお」

    「え」

    「今、䞋りるから」

    そう蚀っお。

    煙草を灰皿に抌し付けた。

    五分埌。

    麻垆は陜葵の郚屋にいた。

    意味が分からなかった。

    本圓に意味が分からない。

    目の前には本棚。

    壁䞀面の本棚。

    掋曞。

    日本の小説。

    画集。

    写真集。

    知らない囜の蚀葉で曞かれた分厚い本。

    どこを芋おも本。

    たるで図曞通だった。

    いや。

    違う。

    宮殿だ。

    知性の宮殿。

    女王様の城。

    「はい」

    ぜすん。

    頭の䞊から䜕かが萜ちおきた。

    芋るず巚倧なスりェットだった。

    海倖ブランドらしい。

    サむズが倧きい。

    「着替えお」

    「え」

    「颚邪匕く」

    「で、でも」

    「脱衣所そこ」

    陜葵はもう興味を倱ったように冷蔵庫を開けおいる。

    麻垆はおずおずず着替えた。

    ぶかぶかだった。

    袖が長い。

    裟も長い。

    たるで子䟛が倧人の服を着おいるみたいだった。

    けれど。

    甘い匂いがした。

    バニラ。

    玙の匂い。

    少しだけ柔軟剀。

    そしお陜葵。

    心臓が跳ねる。

    死ぬ。

    これは死ぬ。

    「飲む」

    差し出されたのはマグカップだった。

    癜い湯気が立っおいる。

    「チャむ」

    「チャむですか」

    「奜きだから垞備しおる」

    麻垆は䞀口飲んだ。

    枩かかった。

    甘かった。

    少しだけスパむスが効いおいた。

    身䜓の奥たで熱が広がる。

    涙が出そうになる。

    疲れおいたのかもしれない。

    思ったよりずっず。

    「おいしいです」

    「そう」

    陜葵は満足そうでもなく。

    䞍満そうでもなく。

    ただ頷いた。

    そのたたノヌトパ゜コンを開く。

    原皿画面が衚瀺される。

    「仕事ですか」

    「締切」

    「今䜕時ですか」

    「午前䞀時」

    「え」

    「䞉日寝おない」

    「寝おください」

    思わず叫んでしたった。

    陜葵は初めお少し笑った。

    ほんの少しだけ。

    「みんなそう蚀う」

    「圓たり前です」

    「でも締切は埅っおくれない」

    「線集さん鬌ですね」

    「鬌」

    くすり。

    たた笑った。

    今床は少しだけ長く。

    その瞬間。

    麻垆は思った。

    綺麗だ。

    女王様じゃない。

    もっず近い。

    もっず人間らしい。

    でも。

    だからこそ。

    綺麗だった。

    「私は仕事するから」

    陜葵は画面を芋たたた蚀った。

    「適圓に寝おお」

    「えっ」

    「゜ファ䜿っおいい」

    「そんな」

    「気にしない」

    そしお少し考えお。

    付け加えた。

    「倒れられる方が困る」

    それだけだった。

    優しい蚀葉ではない。

    慰めでもない。

    けれど。

    嘘がなかった。

    麻垆は胞の奥が少しだけ熱くなるのを感じた。

    窓の倖では雚が降っおいる。

    キヌボヌドを打぀音。

    チャむの銙り。

    本の匂い。

    そしお埮かに残るバニラの煙。

    気付けば瞌が重くなっおいた。

    眠気が抌し寄せる。

    最埌に芋えたのは。

    パ゜コンの光に照らされた陜葵の暪顔だった。

    その姿はやっぱり少しだけ。

    宮殿に䜏む女王様みたいだった。



    第二章 『犬みたいな女の子』


    麻垆が目を芚たした時。

    窓の倖は明るくなっおいた。

    雚は止んでいる。

    カヌテンの隙間から差し蟌む朝の光が、郚屋の本棚を淡く照らしおいた。

    䞀瞬、自分がどこにいるのか分からなくなる。

    芋慣れない倩井。

    芋慣れない匂い。

    柔らかな毛垃。

    そしお――

    昚倜の蚘憶。

    「っ  」

    飛び起きた。

    陜葵の郚屋だった。

    死ぬ。

    恥ずかしさで死ぬ。

    思わず顔を芆う。

    ゜ファの暪にはきれいに畳たれた自分の服。

    テヌブルにはメモが眮かれおいた。

    冷蔵庫のプリン食べるな

    チャむは勝手に飲んでいい

    鍵閉めお出おね

    陜葵

    「プリン  」

    そこなんだ。

    思わず笑っおしたった。

    ◇

    その日の倜。

    陜葵は電話をしおいた。

    原皿を䞀本送り終えた盎埌だった。

    ベランダ。

    雚䞊がりの倜颚。

    バニラの煙。

    スマホの向こうから呆れた声が聞こえる。

    『で』

    「昚日、犬が迷い蟌んできた」

    『は』

    「ずぶ濡れだったから保護した」

    『お前なに蚀っおんの』

    「スりェット貞しおチャむ飲たせた」

    『女の子だろそれ』

    「女の子だった」

    『だったじゃねえんだよ』

    陜葵は煙を吐いた。

    友人は䜜家仲間だった。

    十幎来の付き合い。

    陜葵の数少ない理解者。

    そしお被害者でもある。

    『それで』

    「ずっず尻尟振っおた」

    『ないだろ』

    「比喩」

    『分かるわ』

    「私のこず女王様か䜕かだず思っおる」

    『あヌ』

    「なんだその反応」

    『その子、たぶん面食いだよ』

    「倱瀌な」

    『いやお前そこそこ顔いいからな』

    「知らん」

    『で、その犬どうするの』

    陜葵は少し考えた。

    そしお。

    ぜ぀りず蚀った。

    「たた来る気がする」

    『ぞえ』

    「なんずなく」

    『お前がそういうこず蚀うの珍しいな』

    陜葵は答えなかった。

    なぜだろう。

    確信に近かった。

    あの子はたた来る。

    きっず。

    ◇

    䞉日埌。

    残業だった。

    麻垆はぐったりしながら駅を出る。

    瀟䌚人二幎目。

    期埅される幎霢。

    任される仕事。

    増えおいく責任。

    倱敗できない空気。

    疲れた。

    䜕もかも。

    ため息を぀きながらマンションぞ向かう。

    その時だった。

    ふわり。

    甘い匂いがした。

    足が止たる。

    芋䞊げる。

    䞉階。

    ベランダ。

    そこには陜葵がいた。

    煙草をくわえおいる。

    バニラの銙りが倜颚に乗っお流れおくる。

    䞍思議だった。

    それだけで少し安心する。

    䌚瀟ではずっず肩に力が入っおいたのに。

    胞の奥がゆるむ。

    陜葵もこちらに気付いた。

    目が合う。

    数秒。

    沈黙。

    そしお。

    麻垆は思い切り手を振った。

    「陜葵さヌん」

    子犬だった。

    完党に。

    陜葵はそう思った。

    倧型犬。

    人懐っこい。

    たぶんゎヌルデンレトリバヌ。

    「うるさい」

    「こんばんは」

    「聞こえおる」

    「今日もお仕事ですか」

    「締切」

    「寝おください」

    「無理」

    い぀ものやり取りだった。

    ただ二回しか䌚っおいないのに。

    なぜか。

    昔から知っおいるみたいな䌚話だった。

    それから。

    雚の日になるたび。

    麻垆は陜葵の郚屋を蚪れるようになった。

    チャむを飲み。

    本棚を眺め。

    陜葵が原皿を曞く暪で本を読む。

    䌚話がある日もあれば。

    ない日もある。

    けれど䞍思議ず居心地がよかった。

    ある倜。

    麻垆はぜ぀りず呟いた。

    「私、向いおないのかな」

    キヌボヌドを叩いおいた陜葵の手が止たる。

    「なにが」

    「仕事です」

    麻垆は笑った。

    笑おうずしお倱敗した。

    「同期はどんどん成瞟䞊がるのに」

    窓の倖では雚が降っおいる。

    静かな音だった。

    「私だけ眮いおいかれおる気がしお」

    陜葵は䜕も蚀わない。

    励たさない。

    頑匵れずも蚀わない。

    ただ聞いおいる。

    だから麻垆は続けおしたう。

    「私、たぶん普通なんです」

    沈黙。

    数秒。

    やがお陜葵は画面から目を離さずに蚀った。

    「普通ならいいじゃん」

    「え」

    「普通は案倖難しい」

    麻垆は瞬きをする。

    陜葵は続けた。

    「私は普通じゃないから」

    「  」

    「昌倜逆転しおるし」

    「しおたすね」

    「締切に远われおるし」

    「远われおたすね」

    「プリンも守らなきゃいけない」

    「食べたせんよ」

    少し笑う。

    陜葵も少しだけ笑った。

    「だから普通は結構すごい」

    その蚀葉は。

    䞍思議なくらい胞に残った。



    第3章『雚の居堎所』


    雚が降っおいた。

    六月の終わり。

    窓ガラスを叩く雚粒は现静かで、どこか眠たげだった。

    麻垆は䌚瀟垰りのコンビニで買ったプリンを片手に、䞉階ぞ向かっおいた。

    陜葵の郚屋の前。

    むンタヌホンの前で少しだけ迷う。

    たった数秒。

    それだけなのに胞がうるさい。

    䌚いたかった。

    その事実を認めるのが少し怖い。

    だから今日も蚀い蚳を甚意する。

    プリンを芋䞋ろす。

    うん。

    差し入れ。

    ただの差し入れ。

    そういうこずにしおおこう。

    ピンポヌン。

    数秒埌。

    ガチャリず扉が開いた。

    「  どうした」

    「プリンです」

    「賄賂」

    「違いたす」

    「怪しい」

    陜葵は眠そうな顔で麻垆を芋䞋ろした。

    髪は少し乱れおいお。

    倧きなシャツ姿。

    いかにも培倜明けだった。

    それなのに綺麗なのだから反則だず思う。

    「入る」

    「いいんですか」

    「来たのそっちでしょ」

    「そうでした」

    麻垆は笑う。

    陜葵も少しだけ笑った。

    最近。

    こういう時間が増えおいた。

    チャむを飲みながら本を読む。

    陜葵は仕事。

    麻垆は゜ファ。

    それだけ。

    それだけなのに心地いい。

    沈黙が苊にならない。

    無理に話さなくおいい。

    そんな盞手は初めおだった。

    「陜葵さん」

    「ん」

    「私、邪魔じゃないですか」

    キヌボヌドを打぀音が止たる。

    陜葵は振り返った。

    「なんで」

    「だっお仕事䞭ですし」

    「邪魔なら远い出しおる」

    「それもそうですね」

    「うん」

    短い䌚話。

    でも胞が少し枩かくなる。

    その倜。

    麻垆は゜ファで本を読んでいた。

    陜葵はベランダにいる。

    ふわり。

    甘い銙りが挂った。

    バニラ。

    もう芚えおしたった匂い。

    その銙りを嗅ぐだけで安心する自分に気付いお、麻垆は少しだけ苊笑した。

    完党に重症だ。

    陜葵さんが奜き。

    その蚀葉を口には出さない。

    出せるはずもない。

    だっお盞手は陜葵だ。

    綺麗で。

    頭が良くお。

    優しくお。

    少し倉で。

    どこか遠い人。

    自分なんかが隣にいおいい人じゃない。

    そう思っおいた。

    けれど。

    ベランダで煙草を吞う陜葵もたた。

    珍しく原皿が進たない倜だった。

    カヌ゜ルが点滅しおいる。

    文字が出おこない。

    理由は分かっおいた。

    ゜ファが空だったからだ。

    本を読む音も。

    ペヌゞをめくる音も。

    ない。

    静かだった。

    静かすぎた。

    煙を吐く。

    倜空に溶けおいく。

    そしおふず思う。

    今日は来ないな。

    思った瞬間。

    陜葵は眉をひそめた。

    「  重症だな」

    誰もいないベランダで呟く。

    犬だず思っおいた。

    ただ懐いおくるだけの。

    隒がしい子犬。

    なのに。

    今は違う。

    来ないず気になる。

    声が聞こえないず静かすぎる。

    それはもう。

    ただの近所の子じゃない。

    その時だった。

    スマホが鳎る。

    画面には麻垆の名前。

    陜葵は少しだけ驚いた。

    そしお電話に出る。

    「もしもし」

    返事はなかった。

    代わりに聞こえたのは。

    小さな嗚咜だった。

    「陜葵さん  」

    泣いおいた。

    麻垆が。



    第四章『雚の倜』


    「陜葵さん  」

    電話の向こうで。

    麻垆は泣いおいた。

    陜葵はしばらく黙った。

    驚いおいた。

    麻垆はよく笑う。

    嬉しそうに笑う。

    困ったように笑う。

    照れながら笑う。

    でも。

    泣くずころは芋たこずがなかった。

    「どこ」

    短く聞く。

    返事の代わりに錻をすする音がした。

    『䌚瀟の近くです』

    「駅」

    『はい  』

    「動ける」

    沈黙。

    それだけで十分だった。

    動けないのだろう。

    陜葵はため息を぀く。

    「そこにいお」

    『でも』

    「いお」

    『  はい』

    電話を切る。

    財垃。

    鍵。

    傘。

    そしお玄関。

    原皿は開いたたただった。

    けれど今はどうでもよかった。

    䞀時間埌。

    麻垆は陜葵の郚屋の゜ファに座っおいた。

    髪は濡れおいる。

    目は真っ赀だった。

    チャむの湯気だけが静かに揺れおいる。

    陜葵は向かいに座っおいた。

    䜕を蚀えばいいのか分からない。

    励たす蚀葉も。

    慰める蚀葉も。

    䞊手く出おこない。

    だから埅぀。

    麻垆が話し始めるのを。

    やがお。

    ぜ぀りず。

    声が萜ちた。

    「倱敗したんです」

    「うん」

    「倧きい案件で」

    雚の音が窓を叩く。

    「私が確認した数字が違っおお」

    陜葵は黙っお聞く。

    「先茩がフォロヌしおくれたした」

    麻垆は笑った。

    ひどく匱い笑顔だった。

    「でも、みんな優しいから䜙蚈に぀らくお」

    「  」

    「怒られた方が楜だった」

    声が震える。

    「私だけができなくお」

    たた涙が萜ちた。

    「私だけが足を匕っ匵っお」

    陜葵は䜕も蚀えなかった。

    それはきっず。

    蚀葉で片付く話じゃない。

    頑匵れず蚀われおも。

    倧䞈倫ず蚀われおも。

    今の麻垆は救われない。

    分かっおいた。

    だから。

    ただ隣に座る。

    少しだけ近く。

    肩が觊れない距離。

    それだけ。

    麻垆は泣いおいた。

    声を抌し殺しながら。

    必死に。

    子䟛みたいに。

    陜葵は倩井を芋䞊げる。

    困った。

    本圓に困った。

    締切なら分かる。

    線集なら分かる。

    プロットなら分かる。

    でも。

    泣いおいる人間は分からない。

    「陜葵さん」

    「ん」

    「私、向いおないのかな」

    小さな声。

    陜葵は少し考えた。

    そしお。

    正盎に蚀った。

    「知らない」

    麻垆が顔を䞊げる。

    少しだけ驚いおいた。

    「知らない」

    「私、人の適性ずか分からない」

    「そうですか」

    「うん」

    沈黙。

    でも。

    陜葵は続ける。

    「でも」

    窓の倖で雷が鳎った。

    遠くで。

    小さく。

    「向いおない人は」

    麻垆がこちらを芋る。

    「こんなに悩たないず思う」

    郚屋が静かになる。

    雚の音だけ。

    聞こえる。

    「向いおないなら」

    陜葵は続ける。

    「たぶん、ずっくに蟞めおる」

    麻垆の目からたた涙が萜ちた。

    「  ずるいです」

    「なにが」

    「そういうこず蚀うの」

    「知らん」

    本圓に知らない。

    思ったこずを蚀っただけだ。

    しばらくしお。

    麻垆は泣き疲れたように黙り蟌んだ。

    チャむは冷めおいた。

    時蚈を芋る。

    午埌九時。

    陜葵は立ち䞊がる。

    そしお冷蔵庫を開いた。

    䞭を芋る。

    癜菜。

    ネギ。

    豆腐。

    豚肉。

    きのこ。

    原皿䞭なので買い物に行っおいなかったが、最䜎限はあった。

    陜葵は考える。

    考える。

    考える。

    そしお。

    結論が出た。

    蚀葉は分からない。

    慰め方も分からない。

    でも。

    䞀぀だけ分かるこずがある。

    腹が枛っおいる時は。

    だいたいろくなこずを考えない。

    陜葵は振り返った。

    泣き疲れおがんやりしおいる麻垆。

    その姿を芋お。

    真顔で宣蚀する。

    「  よし」

    麻垆が顔を䞊げる。

    「飯にしよう」

    「え」

    「鍋だ」

    麻垆は数秒固たった。

    そしお。

    涙でぐしゃぐしゃの顔のたた。

    ぜかんず口を開けた。

    「なんで今、鍋なんですか  」

    陜葵は冷蔵庫から癜菜を取り出しながら答える。

    「知らん」

    そしお包䞁を握った。

    たるで䞖界の真理に蟿り着いたみたいな顔で。

    「でも今日は鍋の日だ」

    雚はただ降り続いおいた。

    けれど。

    郚屋の空気は少しだけ倉わり始めおいた。




    第五章『鍋ず通蚳』



    「でも今日は鍋の日だ」

    そう蚀い切った陜葵は、本圓に鍋の準備を始めた。

    麻垆は゜ファに座ったたた瞬きを繰り返す。

    さっきたで泣いおいた。

    人生終わったみたいな顔で泣いおいた。

    なのに今は。

    目の前で陜葵が癜菜を切っおいる。

    しかも。

    やたら倚い。

    「陜葵さん」

    「ん」

    「癜菜倚くないですか」

    「鍋だから」

    「半玉ありたすよね」

    「ある」

    「二人ですよね」

    「二人だな」

    䌚話が成立しおいない。

    麻垆は頭を抱えた。

    泣いおいた気持ちが少しだけどこかぞ行く。

    陜葵は真剣な顔で癜菜を切り続けおいる。

    たるで重芁な儀匏のように。

    その時だった。

    スマホが鳎る。

    陜葵が画面を芋る。

    そしお通話ボタンを抌した。

    「もしもし」

    『どうした』

    「犬が泣いおる」

    数秒の沈黙。

    『は』

    「犬が泣いおる」

    『お前その呌び方やめろ』

    「でも泣いおる」

    『人間だろ』

    「そうずも蚀う」

    『そうずしか蚀わねえよ』

    麻垆は恥ずかしくなっお毛垃を被った。

    陜葵は気にしおいない。

    「どうしたらいい」

    『知らねえよ』

    「泣いおる」

    『だから知らねえっお』

    「鍋にするこずにした」

    『もっず他にあるだろ』

    「ある」

    『分からん』

    陜葵は少し考えた。

    そしお。

    「来る」

    ず蚀った。

    『嫌な予感しかしねえ』

    「癜菜ある」

    『具材足りねえだろ』

    「そうかも」

    『埅っおろ』

    通話が切れる。

    麻垆はゆっくり顔を䞊げた。

    「来るんですか」

    「来るらしい」

    「そうですか  」

    「うん」

    䞉十分埌。

    むンタヌホンが鳎った。

    ドアを開けた瞬間。

    「はいはい、保護者が来たしたよ」

    玙袋を倧量に抱えた女性が立っおいた。

    䞉十代前半。

    短めの髪。

    ラフな栌奜。

    そしお疲れた顔。

    䜜家仲間の矎琎だった。

    「こんばんは」

    麻垆が慌おお頭を䞋げる。

    「こんばんは。ごめんね、この倉人が」

    「おい」

    「倉人じゃなかったら倜九時に『犬が泣いおる』なんお連絡しおこないの」

    矎琎はずかずか郚屋ぞ入る。

    そしおキッチンを芋る。

    癜菜の山。

    ネギ。

    豆腐。

    以䞊。

    「お前本圓に鍋しか考えおなかったな」

    「鍋だから」

    「肉少なっ」

    「買い忘れた」

    「はぁ  」

    矎琎は深いため息を吐いた。

    慣れおいる。

    完党に慣れおいる。

    その埌。

    鍋は矎琎の手によっお正垞化された。

    远加の肉。

    きのこ。

    春雚。

    ぀みれ。

    い぀の間にか豪華になっおいる。

    「すごい  」

    麻垆が呟く。

    「この人攟っずくず癜菜鍋になるから」

    「癜菜鍋も悪くない」

    「黙れ」

    即答だった。

    やがお鍋が煮える。

    ぐ぀ぐ぀。

    ぐ぀ぐ぀。

    郚屋に湯気が満ちる。

    雚の音が遠くなる。

    「ほら食べな」

    矎琎が取り皿を枡した。

    麻垆は䞀口食べる。

    熱い。

    けれど。

    矎味しい。

    泣いた埌だからだろうか。

    胞の奥たで枩たる。

    思わず笑顔になる。

    「矎味しいです」

    「だろ」

    「うん」

    陜葵も頷く。

    なぜか少し誇らしげだった。

    「お前䜕もしおないだろ」

    「堎所は提䟛した」

    「倧家か」

    気付けば。

    麻垆は笑っおいた。

    さっきたで泣いおいたのに。

    仕事のこずも。

    倱敗のこずも。

    完党には消えおいない。

    でも。

    今だけは少し遠い。

    鍋の湯気の向こうで。

    陜葵ず矎琎が蚀い合いをしおいる。

    その光景がおかしくお。

    枩かくお。

    麻垆は胞の奥がじんわりするのを感じた。

    食事が終わる頃には。

    時蚈は十䞀時を回っおいた。

    鍋は綺麗になくなっおいる。

    「食ったな」

    「食べたしたね」

    「犬だから」

    「犬じゃないです」

    「元気になったじゃん」

    「  」

    図星だった。

    麻垆は少しだけ笑う。

    陜葵も小さく笑った。

    それだけで嬉しい。

    そんな自分に気付いおしたう。

    「じゃ、私は垰るわ」

    矎琎が立ち䞊がる。

    バッグを肩に掛ける。

    玄関ぞ向かい。

    靎を履く。

    そしお振り返った。

    「陜葵」

    「ん」

    「あずで連絡する」

    「なんで」

    「いいから」

    嫌な予感しかしない。

    そんな顔を陜葵がする。

    矎琎は無芖した。

    玄関の倖。

    ドアが閉たる。

    静かな廊䞋。

    矎琎はスマホを取り出した。

    そしお昔からの共通の友人ぞメッセヌゞを送る。

    『終わった』

    『どうだった』

    『重症』

    『どっちが』

    『䞡方』

    すぐに返信が来る。

    『あヌ』

    矎琎は思わず笑った。

    郚屋の䞭では。

    あの二人はただ気付いおいない。

    けれど。

    もう時間の問題だった。

    䞀方その頃。

    郚屋の䞭では。

    急に静かになった空間に。

    麻垆ず陜葵だけが残されおいた。

    窓の倖。

    雚はい぀の間にか小降りになっおいる。

    テヌブルの䞊には空になった鍋。

    埮かな湯気。

    そしお。

    二人きりの沈黙。

    さっきたでは賑やかだったのに。

    急に。

    心臓の音が聞こえそうなくらい静かだった。

    陜葵は䜕ずなくベランダぞ芖線を向ける。

    麻垆はその暪顔を芋぀める。

    雚䞊がりの匂い。

    バニラの銙り。

    倜の気配。

    物語は静かに。

    最埌の堎面ぞ向かい始めおいた。



    第六章『甘い銙りの行方』


    湯気はもう消えかけおいた。

    郚屋は静かだった。

    さっきたで賑やかだったはずなのに。

    友人達が垰った途端、急に広くなった気がする。

    雚音だけが聞こえおいた。

    窓の倖ではただ小さな雚が降っおいる。

    陜葵は立ち䞊がった。

    䜕ずなく。

    い぀もの癖で。

    ベランダぞ向かう。

    テヌブルの端に眮いおあった煙草の箱を手に取る。

    䞀本取り出し。

    唇に咥える。

    ラむタヌを探そうずしお。

    ふず手が止たった。

    埌ろから芖線を感じた。

    振り返る。

    麻垆がこちらを芋おいた。

    少し赀い目。

    泣いた名残。

    けれど衚情は穏やかだった。

    安心した子䟛みたいな顔。

    陜葵は思わず笑いそうになる。

    「どうした」

    麻垆は少し迷ったあず。

    ぜ぀りず聞いた。

    「その煙草」

    「ん」

    「どんな味がするんですか」

    陜葵は瞬きをした。

    煙草を芋䞋ろす。

    そしお麻垆を芋る。

    たた煙草を芋る。

    しばらく考える。

    数秒。

    あるいは十秒くらい。

    沈黙が萜ちる。

    麻垆は銖を傟げた。

    「陜葵さん」

    「  気になる」

    「え」

    「味」

    「たぁ  ちょっず」

    陜葵は煙草を箱ぞ戻した。

    そしおベランダぞ行くのをやめる。

    麻垆が䞍思議そうな顔をした。

    「吞わないんですか」

    「やめた」

    「珍しいですね」

    「そうかも」

    そう蚀いながら。

    陜葵は゜ファぞ戻る。

    麻垆の隣ぞ。

    近い。

    普段より少しだけ。

    近い。

    麻垆が緊匵したのが分かった。

    肩が固たる。

    分かりやすい。

    本圓に犬みたいだ。

    陜葵は少しだけ笑う。

    「麻垆」

    「は、はい」

    「そんなに固くならなくおも」

    「なっおたせん」

    「なっおる」

    「なっおたせん」

    なっおいる。

    ものすごく。

    陜葵は困ったように息を吐いた。

    それから。

    ほんの少しだけ身を寄せる。

    麻垆の呌吞が止たる。

    距離が近い。

    近すぎる。

    心臓の音が聞こえそうだった。

    陜葵はその顔を芋お。

    少しだけ意地悪く笑った。

    普段は芋せない顔。

    幎䞊のお姉さんみたいな顔。

    「教えおあげようか」

    「え  」

    「バニラの味」

    麻垆の思考が止たる。

    理解が远い぀かない。

    远い぀く前に。

    陜葵の手がそっず頬に觊れた。

    優しい手だった。

    萜ち着かせるみたいに。

    逃がさないみたいに。

    そしお。

    ほんの䞀瞬だけ。

    唇が重なる。

    雚音より静かに。

    觊れるだけのキス。

    それだけ。

    本圓にそれだけだった。

    なのに。

    麻垆の頭は真っ癜になった。

    離れたあずも。

    䜕も蚀えない。

    陜葵はそんな様子を芋お。

    少しだけ困ったように笑う。

    さっきたでの䜙裕が少し厩れおいる。

    それでも。

    最埌だけは幎䞊らしく。

    少しだけ意地悪に。

    囁いた。

    「  バニラの味、した」

    窓の倖では。

    雚が静かに降り続いおいた。

    けれど麻垆にはもう。

    雚の音も。

    自分の錓動も。

    どちらが倧きいのか分からなかった。



    終章『朝の光』


    雚の匂いが残る廊䞋。

    閉たったはずのドア。

    少しだけ開いた隙間。

    芗く陜葵の顔。

    そしお。

    「そういえば」

    振り返る麻垆。

    少し意地悪そうに笑う陜葵。

    「  バニラの味、した」

    ドアが閉たる。

    麻垆の心臓だけがうるさい。

    雚はもう止んでいる。

    それでも。

    あの倜の音は、きっずしばらく消えない。

    『バニラず雚の宮殿』 終





    #創䜜倧賞2026
    #恋愛小説郚門



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    二人ず䞀食。合わせれば䞖界遺産。 思い぀いた物語を、ゞャンルを問わず自由に執筆しおいたす。 ほがケむの゚ッセむ 恋愛、ファンタゞヌ、コメディ、神話など、毎回違う䞖界をお届け。 モチの旅ログも曎新䞭。気軜にコメントしおいただけるず嬉しいです

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