
自動化が消しているのは、仕事ではない。仕事の跡だ 🍊
街角で、オレンジジュースの自販機が開けられていました。
最近よく見かける、オレンジをその場で搾ってくれるタイプの自販機です。お金を入れると、機械の中でオレンジが転がり、搾られ、カップにジュースが注がれる。
無人。
自動。
効率的。
でも、その日見た光景は少し違っていました。
自販機の前に作業員の方が立ち、機械の内部を開けていました。オレンジの補充か、搾りかすの回収か、内部の清掃だったのだと思います。
面白かったのは、作業中の自販機全体が、白いネットのようなカバーで覆われていたことでした。
理由はすぐに想像がつきます。
オレンジは虫を呼びます。果汁の匂いも、皮も、搾りかすもある。しかもそこは店の奥ではなく、通りに面した場所でした。通行人の目もある。誰かが近づきすぎるかもしれない。
だから、カバーをかける。
作業員の方にとっては、当たり前の手順なのだと思います。
ここまでは、衛生管理として説明できます。
けれど私が立ち止まったのは、そのカバーが虫やほこりだけでなく、作業そのものの気配まで、街の風景から少し遠ざけているように見えたからでした。
普段、私たちはこの自販機を「無人サービス」として見ています。
機械がオレンジを搾り、機械がお金を受け取り、機械がジュースを渡してくれる。そこには人がいないように見える。でも、機械の内部が開かれた瞬間、その前提は少し崩れます。
補充する人がいる。
掃除する人がいる。
搾りかすを回収する人がいる。
通行人に不安を与えないように、気を配る人がいる。
そのとき思い出したのが、「黒子」という言葉でした。
黒子は、いないわけではありません。舞台の上に確かにいます。道具を運び、着物の裾を直し、時には役者を支える。でも黒子は、見えないことによって仕事を全うします。
自分が前に出ないことで、全体を成立させる。
自分の存在を消すことで、場を壊さない。
仕事の跡を残さないところまでが、仕事になる。
私は、あの白いカバーにその感覚を見たのだと思います。私たちは、効率化を「進歩」だと呼びます。摩擦がなく、待ち時間がなく、人の手が見えない状態を、洗練だと信じています。
でもそれは同時に、人の努力そのものが見えなくなることに、私たちが慣れていく過程でもあります。
見えない仕事に、私たちはちゃんと敬意を払えているでしょうか。それとも、見えないのだから存在しない、と考え始めているのでしょうか。
見えないから、存在しないのではありません。
見えないほど、うまくやっているのです。
一杯のオレンジジュースの向こうには、機械だけでなく、姿を消すことに長けた、人の仕事がありました。
その仕事に、まだ気づける側でいたいと思いました。◾️
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