どうせ過食嘔吐をやめられないのなら、儚い人になりたかった
選ばれなかった痛み
浮気をされた。
その一文だけなら、よくある話なのかもしれない。
世の中にはもっと酷い裏切りもあるだろうし、もっと辛い経験をした人もいるだろう。
でも当時のおいらにとって、それは人生を大きく変える出来事だった。
それは、今振り返ってみてのことだが。
浮気が発覚した瞬間よりも、その後の方がはるかに苦しかった。
塞がらない傷口に、かさぶたになろうとする前に、それをえぐるような毎日の繰り返し。
別れなかった。
別れられなかった、と言った方が正しいかもしれない。
周りから見たら不思議だったと思う。
どうして別れないの?
どうしてまだ一緒にいるの?
そんな風に思われても仕方がない。
おいらだって頭では分かっていた。
離れた方がいいことくらい。
このまま一緒にいても、またさらに傷付くことくらい。
何度も考えた。
何度も悩んだ。
でも、決められなかった。
というか、もはやどうでも良かった。
お前が離れたくないのなら勝手にしてくれ、とも思っていた。
おいらは、他に行くあても無いから。
興味がなかった。
というか
絶望し、期待もしたくないし他の人とまた恋をしたところで同じ痛みをまた味わうだけと思った。
浮気をした恋人は、生活を支えてくれていた部分もあった。
安心できる場所でもあった。
情もあった。
嫌いになれなかった。
そしてもう一つ。
人には言いにくい理由があった。
過食嘔吐だ。
当時のおいらは、すでに過食嘔吐中心の生活を送っていた。
食べること。
吐くこと。
そのための時間。
そのためのお金。
そのための環境。
人生の中心にそれがあった。
だから、怖かった。
もし別れたら。
もし環境が変わったら。
おいらはどうなるんだろう。
過食嘔吐すらできなくなるんじゃないか。
そんな恐怖があった。
今振り返ると異常だと思う。
でも当時は本気だった。
人生を立て直すことよりも、過食嘔吐を失うことの方が怖かった。
それくらい、恋人にではなく、過食嘔吐に依存していた。
身体を消したかった
浮気をされたあと、一番苦しかったのは嫉妬ではなかった。
怒りでもなかった。
触れられることだった。
好きだった人に触れられること。
それが苦痛だった。
以前と同じように見られることが嫌だった。
以前と同じように求められることが嫌だった。
自分以外の誰かにも向けられていた視線。
自分以外の誰かにも向けられていた欲情。
その事実を知ってしまったあとでは、何もかもが違って見えた。
性的な目で見られることが、とても耐えられなかった。
見られたくない。
触れられたくない。
女性として扱われたくない。
そんな感情がずっとあった。
目を合わせることも苦痛だった。
そもそも、同じ空間にいることも。
会う頻度を極力避けたが、ずっとそういうわけにはいかない。
体を求められることに、つよいストレスを抱えていた。
浮気をした恋人の、それでもおいらを求めてくる視線に
とてつもない嫌悪をおぼえた。
行為を拒むと、拗ねる姿が心底憎かった。
だから、痩せようとした。
もっと綺麗になりたかったからではない。
もっとモテたかったからでもない。
消えたかった。
身体の存在感をなくしたかった。
女性らしさを失くしてしまいたかった。
細くなれば、守られる気がした。(何になのだろうね)
細くなれば傷付かない気がした。(逃げられるような気がした)
細くなれば何かが変わる気がした。(女として見られなくなることを望んだ)
もちろん、そんなことはなかった。
どれだけ痩せても、浮気された事実は消えなかった。
それなのに、おいらを求めてくるその手は
おいらを地獄へ導いていたように思う。
儚さへの憧れ
おいらは、儚い人になりたかった。
冷静に考えると変な話だ。
でも本当にそうだ。
細くて。
繊細で。
壊れそうで。
誰にも理解されない孤独を抱えながら生きる人。
ふと消えてしまいそうな面影があること。
憧れていた。
どうせ過食嘔吐を手放せないのなら、
消えたいと思う毎日から抜け出せないのなら、
常に支配されているような苦しさから解き放たれないのなら。
でも、現実は違った。
過食嘔吐は儚くない。
綺麗でもない。
美しくもない。
“生活”だ。
コンビニを何軒も回る。
スーパーをはしごする。
レシートを見る。
残高を確認する。
食べる。
吐く。
疲れ果てる。
横になる。
また食べる。
儚さなんてどこにもない。
あるのは生活感だけだった。
それは、健常者からすれば普段のおいらはただの“人間”でしかないということ。
すれ違う人。
こんなおいらも、同じただの人間なのだ。
それでもおいらは儚さを追い続けた。
きっと、選ばれなかった痛みを埋めたかったから。
誰かの“特別”になってみたかった。
過食嘔吐という逃げ場
苦しかった。
本当に苦しかった。
でも誰かに話すことは少なかった。
話しても変わらない気がした。というか、変わらなかった。
親さえも、甘えだと言う。
上手く言葉にできなかった。
だから、一人で抱えた。
そして食べた。
悲しい時も。
苦しい時も。
悔しい時も。
食べて食べて食べつづけた。
泣く代わりに食べた。
怒る代わりに食べた。
忘れるために食べた。
そして、吐いた。
それを繰り返した。
過食嘔吐は何も解決しない。
そんなことは分かっていた。
でも、一瞬だけおいらの中に静けさが宿る。
頭の中が止まる。
さっきまでうるさかった頭の中が、真っ白になる。
何も考えなくて済む。
その時間だけが救いだった。
だからやめられなかった。
やめたいのに手放せない
過食嘔吐をやめたい。
そう思ったことは何度もある。
お金もなくなる。
時間もなくなる。
体も壊れる。
人付き合いも減る。
失ったものなんて、もう数え切れない。
それでも戻ってしまう。
なぜなのか。
最近になって思う。
おいらは過食嘔吐が好きだったわけじゃない。
楽しかったわけでもない。
ただ、それ以外を知らなかった。
苦しい時にどうしたらいいのか。
傷付いた時にどうしたらいいのか。
孤独な時にどうしたらいいのか。
分からなかった。
過食嘔吐だけは知っていた。
食べればどうなるか。
吐けばどうなるか。
その後どんな気持ちになるか。
全部知っていた。
過食嘔吐だけが、おいらを救ってくれていた。
何も言わずに、そばにいてくれた。
だから戻ってしまう。
やめたいのに。
本当はやめたいのに。
普通になりたいと、何度も願った。
それでも縋り付く先がそこしかなかった。
いや、正確には違う。
そこしか知らなかった。
終わりに
もし浮気されなかったら。
もしあの時別れていたら。
もし過食嘔吐に出会わなかったら。
そんなことを考える。
でも人生に「もし」はない。
残ったのは、今のおいらだけだ。
過食嘔吐を抱えたまま生きている自分。
やめたいと思いながら、まだ手放せない自分。
それでも、一つだけ分かったことがある。
おいらは儚くなりたかったんじゃない。
本当はただ、傷付いた自分を守りたかっただけなんだと思う。
吐かなく、なりたかった。
