閑話休題コラム:『ミシンの音と色とりどりの糸。私の手仕事の宇宙と、ニューヨークへ続く一本の線』
これほどまでに私を狂わせ、画面越しに貪るほど惹きつけられた街、ニューヨーク。
思えば、私がこの街の『色彩』や『造形』にここまで執着するようになった原点は、幼い頃のあの光景にありました――。
来週の月曜日は敬老の日ですね。
この節目の日にあわせて、今回は私の創作の「最大の師」であり、手仕事の魅力を教えてくれた母にちなんだお話をさせてください。
我が家には、
母がこれまで手がけてきた様々な手仕事の欠片が、宝探しのようにあちこちに息づいていました。
引き出しを開ければ色鮮やかな刺繍糸の束があり、棚の奥には独特の匂いをまとった染めの染料、冬になれば温かい毛糸が転がっている。
そして、独特の風合いを持つ絵手紙の和紙……。
物心ついたときの私にとって、実家はまさに『手仕事の材料が詰まったワンダーランド』だったのです。
手先の器用さは、完全に母譲りでした。
母は洋裁の他にも、刺繍、染め物、かぎ針編み……と、とにかく手先を使う趣味をたくさん経験しており、年齢を重ねてからは和紙の絵手紙や七宝焼も習っていました。
そんな母の背中を見て育った私の、最も古い記憶は3歳の頃にさかのぼります。
当時の団地住まいとしては贅沢品だったと思いますが、今のように電子ピアノもない時代、私はピアノを習い始めました。
そしてお稽古に通い始めてすぐ、初めての発表会を迎えることになったのです。
記念すべき人生初の演奏曲は、童謡「おうま」(笑)。
この人生初の晴れ舞台を前に、母は私に特別なワンピースを作ってくれました。
今でも忘れもしません。黒地に赤、青、黄色、緑……色とりどりの小花が散りばめられた、別珍(ベロア)生地のワンピースでした。
その可愛らしいドレスを身にまとった3歳の私に、「緊張」なんていう言葉は微塵もありません。
お揃いで新調してもらったピカピカの黒いエナメル靴を履いて、舞台に向かって左の袖から意気揚々と歩み出しました。
生まれて初めて間近で見る、大きなグランドピアノ。
その横にたどり着き、ぽつんと立ち尽くす私。
(……あれ?お辞儀は?)
舞台の袖を見ると、その頃流行りだったミニスカートを履いた若き日の母が、必死に「お辞儀をするんだよ!」と身振り手振りでサインを送っていました。
それを見て、私が舞台の上でちょこんとお辞儀をした瞬間、客席からドッと温かい笑い声が起きたのを今でも鮮明に覚えています。
その後、自宅のピアノにはない大きな黒い椅子に、座るというよりは小さな体で「よじ登り」、「おうま」を無事に弾き終えました。
この日を皮切りに、小学校を卒業するまで、毎年ピアノの発表会の衣装はすべて母の手作りでした。
次に印象に残っているのは5歳の時。少し艶があって、触るとシャカシャカと音がする真っ白な生地でした。おそらくタフタという素材だったと思います。
その年は、父の弟の奥さん――
つまり母からすれば義理の妹、私からすればおばさんが我が家にやってきて、母と二人で並んでカタカタと楽しそうにミシンを踏んでいました。
ピアノの発表会と前後して、父の妹ー私には叔母の結婚式が控えていたのです。
3つ年上のいとこのお姉ちゃんと、同い年のいとこの女の子、そして私の3人でお揃いのドレスを、二人の母親が愛情を込めて作ってくれた思い出の衣装でした。
このようにして育った私は、
短大を卒業して社会人になった直後まで、ずっと母の手作りの服を着て過ごしていました。
そのため、大人になって既製品の服を買いに行った際、店員さんに「サイズはいくつですか?」と聞かれても、自分のサイズが分からなくて答えられなかったほどでした(笑)。
その頃になると母の洋裁の腕前もプロ顔負けになっていて、今で言うセットアップスーツのような本格的なものまで作ってくれるようになっていました。
大人になってからの私の一番の楽しみは、デザインブックを開いて母と一緒にあーだこーだとデザインを選び、次の休日に街の服地専門店へ出かけることでした。
表地、裏地、ボタンにファスナーまで、すべてを二人で一緒に選んで購入する時間は、何にも代えがたい豊かな時間でした。
その専門店には、ファッション関連の専門学校で学ぶ学生さんたちもたくさん通っており、彼らが手に取る奇抜な柄や、見たこともない素材の布地を見つめているだけで、私の胸はなんだかとてもキラキラ、ワクワクと躍ったものです。
母が広げてくれた「手仕事の宇宙」の影響で、私は本格的な洋裁こそ手はつけなかったものの、子供の頃から「私、やればきっと何でもできる子!」という根拠不明の自信だけは一丁前に持っていました。
そのワクワクとした初期衝動のまま、大人になってからも編み物、ビーズ、羊毛フェルト、さらには和紙やレジン……と、様々な素材を使ったアクセサリー作りに夢中になって手を出していきました。
――そんな風に、手仕事の糸を紡ぎ続けていた私
2023年、ある運命的な出会いが訪れます。
それが「JCAT」という、ニューヨークを拠点に活動する日本人アーティストを支援している団体でした。
ニューヨークが大好きな私は、どうしてもその存在が頭から離れなくなりました。
「どうしても、大好きなあの街と繋がっていたい」――その強い、狂おしいほどの想いが、私の背中を強く押したのです。
「そういえば、小学校の頃、学校の展覧会で特選とかもらったっけ?」と思い出すくらいの私が(笑)、本格的に「アート」の世界へ一歩を踏み出すことになった瞬間でした。
せっかく、日本の伝統的な素材である『水引』を扱っているのだから。
この優美な日本の伝統文化と、私が恋してやまない世界の最先端・ニューヨークという街のダイナミズムを融合させたら、一体どんな化学反応が起きるんだろう?
あの3歳の日に、母のミシンの隣で浴びた色とりどりの糸の記憶。素材を選んだときの高揚感。そして、マンハッタンの風。
かつてバラバラだった大切な思い出の「点」たちが、いま、水引という一本の細いコードとなって、私のキャンバスの上で美しく結ばれようとしています。
この、和と洋が優しく混ざり合うカオスな創作活動こそが、今の私を突き動かす、最高の表現手段なのです。
―― 母がくれた手仕事の記憶と、この街の風。いま、私のキャンバスで美しく結ばれていく。
Mariko.K 公式ホームページ(作品ギャラリー・活動情報)
JCAT NY
