
最高の引っ越し屋に出会った話
去年、愛知県から静岡県へ引っ越したときに、思いがけず最高の引っ越し屋に出会った。
そのときの話をしたいと思う。
見積もり
引っ越し会社を選ぶにあたって、まずはネットで一括見積もりをした。大量のメールが殺到し、はち切れそうになる受信ボックス。
その中から、割と明確に料金が書いてあったハート引っ越しセンターで訪問見積もりを頼んでみる。
予定の日時になり、ダブルヒガシの襟足が長いほうに似た小太りの男が現れた。
襟足は家に入るなり、近寄ってくる猫には目もくれずにちゃっちゃと歩き出し、運び出す予定の荷物をチェックしていった。
ざっと見終わったところで、彼の出した見積もりが約20万円。僕は眉をしかめた。メールには5万円〜みたいな金額が書かれていたからだ。
「それは混載便っすね。荷物が少ない単身の方とかが使う、まあ安いプランっていうか」と襟足。
大型の家具とか家電だけなら混載便でいけるかと訊くと、全然いけるっすよのことだった。
あらためて出された見積もりが7万円弱。最初の20万はなんだったのかと思いつつ、内心喜んで契約を決めた。細々したものは自分たちで運べばよいのだ。
荷物の搬入は搬出の数日後になるなど、混載便の注意点を説明する襟足の足元に、そろそろと近づく愛猫。
するとそれまで完全に猫の存在を無視していた襟足が、ぐしゃぐしゃと猫の頭を撫でながら「うちも猫飼ってるんすよ」と思いがけない告白。
てっきり冷血漢だと思っていたが、猫好きなのに仕事中は顧客対応に集中するというプロ意識の塊だったのだ。僕は脱帽した。
襟足は、何十万も支払うのであろう上客たちに渡したダンボールの余りを、サービスだと言って提供してくれた。混載便などを使う低い客は、本当は最低限のダンボールしかもらえないのである。
色々とありがとう、襟足。しかし申し訳ないが、「最高の引っ越し屋」の称号をそう簡単に授けるわけにはいかない。
搬出(さようなら愛知県)
混載便は時間指定ができない。搬出の当日、早起きして待ち構えていると朝一で引っ越し屋が来た。
3人組で、リーダーは若い。映画『宮本から君へ』に出ていたときの一ノ瀬ワタル風。学生ラガーマンに違いないと僕は決めつけた。
もう1人もおそらく学生で、ラガーマンとタメ口で喋っている。筋肉質だが小柄で足が早そうだ。残りの1人は引っ越し会社の制服を着たおじさんだった。
ラガーマンと家の中を巡回し、運び出す荷物を確認したあと、引っ越し屋たちはテキパキ働きはじめた。
ラガーマンが荷物を梱包しつつ、俊足やおじさんに大声で指示を出していた。僕は邪魔にならないよう作業を眺めつつ、隔離しておいた猫をときどき愛でたりして時間を潰した。
しばらくして、「お客様!お客様!!」とラガーマンが騒ぎ出した。何事かと見にいくと、キッチンの床に大量の水がこぼれている。
「冷蔵庫のトレーに水がたまってて」とラガーマンは言った。
これはたぶん、事前にこっちで捨てておくべき水だったのだ。ラガーマンの言い方には「そっちの落ち度ですよ」という含みが感じられた。
タオルを持ってきて床の水を拭いていると、俊足とおじさんが淡々と冷蔵庫を運んでいった。あとから見ると、彼らが通り道にした和室の畳も濡れているではないか。僕はうんざりしながらそちらも拭いた。
2階から家具をおろすときに土壁を削ったりしつつ、搬出作業は速やかに終わった。「さっさと終わらせて早く帰りたい」という彼らの気持ちがよく伝わってくる、効率的な仕事ぶりだった。
ラガーマン御一行が荷物とともに去り、かつて祖父が住んでいた山の上の家はがらんと寂しくなった。馴染みの家具が消えた室内を、猫たちが慎重に調べている。
まだ10時前だというのに、若者の活気にあてられて僕は疲労困憊していた。 料金が料金なので、作業が雑でも文句をつけようとは思わないが、なんとなく虚しい気分にはなるものである。
搬入(こんにちは静岡県)
荷物搬入の前日、僕と妻は猫たちを連れて静岡県の新居へ移動した。新居といっても、外壁をなぞると指先に白い粉が付くような、築35年のくたびれた一軒家である。
搬入の日、例によって時間指定はできないので待っていたら夕方になった。僕と妻は、どうせ搬出のときみたいな荒っぽいスタッフが来るのだろうと思い、長く待たされてイラついていた。
辺りが薄暗くなった頃、ようやくトラックが細い道の先に見えた。我が家は車1台通れるかという道の奥にあり、トラックは入ってくるのに難儀していた。
挨拶に来たのは、肉体労働専門のミッキー・カーチスといった風体の、くたくたのTシャツを着たおじいさんだった。
学生らしい爽やかな青年と、搬出の時にいたようなおじさんを連れており、スタッフはこちらも3人である。
ミッキーは飄々と家にあがりこみ、何をどこに配置するのかひと通り確認してから、僕に紙とペンを手渡した。荷物に番号が振ってあるので、それを運び込むごとにチェックしてほしいとのことだった。
いいともミッキー、と僕は思った。
ミッキーたち3人は作業をはじめた。急ぐでもなく、しかしのんびりしているわけでもなく、食器棚をキッチンに、ソファを2階の居室に、それぞれの荷物を定められた場所へ着実に運んでいく。
ミッキーは重い物を最小限の力で持ち上げる技を知っているらしく、細い体で軽々と荷物を運ぶ様は、柔よく剛を制す拳法使いのようである。
流れるように作業をしながら、素直だがまだ未熟な青年のほうにときどき目をやり、一言だけアドバイスを与えたりするミッキー。
洗面所にドラム式洗濯機を運んでもらうとき、洗面台のほうに洗濯機の扉が開く向きで置いてほしいと僕が頼むと、ミッキーはうーんと首をかしげた。
「これ、洗濯機のドアは右開きですよね?」
「そうですね」
「だったら正面に開く向きで置いたほうが、使いやすいんじゃないかな」
「ああ、そうすかね」
「洗面所向きにすると、ほら、スペースもあんまりないし。使いにくいと思うなあ」
「たしかに。じゃあ正面向きでお願いします」
「これ、排水のホースはどこに?」
「あ、外してあります」
「ああそうですか。えーと、排水口がこっちなんで、ちょっと変えときますね」
ミッキーは工具を持ってきて、洗濯機を傾けて裏側をちゃちゃっといじり、ホースが顔を出す向きを変えた。これは本来、業者に頼むとお金がかかる作業なのである。
洗濯機をいい感じに設置したミッキーは、食器棚の引き違い戸を取り付けている青年のところにひょこひょこ歩いていき、彼の隣にしゃがみこんだ。
「こういうのはさ、こういう順番で付けるって、一応決まりがあってね。まあ、どっちでもいいんだけど…」などと、もごもご喋りながら戸をつけ直すミッキー。
青年は真面目な顔で聞いており、「老害のうんちくウゼエ」みたいな雰囲気はまったくない。2人の背中が妙に微笑ましく見える。
そのあいだにもおじさんは一人せっせと段ボールを運び、これは何番ですね、これは何番ですねと律儀に報告してくる。
このおじさんだけ引っ越し会社の制服を着ている割に身分が低そうだが、一体どういう立ち場の人なのだろうと、余計なことを考えたりする。
すべての荷物の搬入が終わり、壁などに傷が付いていないことを一緒に確認すると、ミッキーたちは「それじゃ、ありがとうございました」とあっさり引き上げていった。僕と妻は、なんとなく外へ出て彼らを見送ることにする。
トラックはお隣さんの家の前の道に停まっていた。青年が「最後にお礼言ったほうがいいですかね?」とミッキーに聞く。
特にお隣さんの駐車場などを借りていたわけではないが、トラックを家の前に停めていいか、ということを事前に断っていたのだ。
ミッキーは「ん?行きたいなら行けばいいよ」と答え、青年は玄関のベルを押してお隣さんにお礼を言った。青年が戻ってくるのを待ち、トラックは出発した。
辺りはもう真っ暗だった。その日最後の仕事で疲れていたはずなのに、あれだけ丁寧な仕事をしてくれたのだ。たぶん、その日にまわった各家で丁寧な仕事をしてきたから、うちに来るのも遅くなったのだろう。
愛知県での搬出作業との落差もあって、僕はミッキーたちの仕事ぶりに感激してしまった。同じ引っ越し会社だというのに、これはもしかして、静岡と愛知の県民性の違いなのだろうか。
もちろんそれだけではないと思う。しかしミッキーたちのおかげで、「のんびり屋」と言われることが多い静岡県民に、僕はとても良い印象を抱いてしまったのだ。
