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一人称迷子

    かわあき

    これを読まれてるあなたは、一人称に何を使っていますか?
    「私」「わたし」「わたくし」
    「俺」「おれ」「オレ」
    「僕」「ぼく」「ボク」
    「ウチ」「うち」
    「あたし」「アタシ」「あたい」
    「ワシ」「わし」「オイラ」「おいら」
    「おら」「小生」「拙者」「吾輩」「自分の名前」、、、
    何故こんな質問をするかというと、この文章を書いてる筆者は一人称迷子だからです。

    今回この文章を書く発端となったのは、
    小説で使われてる一人称は何が多いのか?
    と友達と話してる時に、
    「そういえば〇〇って、俺って使うことあんまりないよね」と指摘を受けた出来事です。
    たしかに「私」「僕」「俺」のどれも日常生活(仕事は除いて)では意図的に使っておらず、ただそれを見抜かれたこともなく、そこまでおかしいことでもないと考えていましたが、友達曰く「結構衝撃を受けてる。俺って言えない人生なんてハードモードだ。」とのことだったので、なぜ一人称迷子になってしまったのかを改めて振り返り考えてみるとともに、文章にまとめてみたいと思います。

    記憶にはあまりないですが、小学生低学年までは「ぼく」「おれ」と何の気もなしに使っていたはずです。
    小学生の高学年になった頃でしょうか、何かにつけて格好つけたい男子は「オレ」をごく普通に使うようになっていったのだと思います。
    「ぼく」を使うのは何だかおぼっちゃまくさい、子どもっぽいという風潮があったのも記憶にあります。
    (埼玉県北部で過ごした同年代の方にもこんな風潮があったか、もしくはそんな風潮はなかったのか確認してみたいところです。)

    そんな中、家で「オレ」を使うと家族に囃し立てられ、学校で「ぼく」を使うと馬鹿にされ、そんな切り替えにうんざりし面倒くさくなってしまい、どちらも使わないという選択肢を選び生活してきました。
    特に「おれ」のイントネーションにも注意が必要で、「おれ↗︎」になると田舎感が満載になってしまったり、誰々=「おれ↗︎」という印象になってしまいます。
    ※これは考えすぎかも

    似たような小学生のエピソードがあり、これは友達の呼び方に関してです。
    幼い頃から一緒に遊んでた友達「こうちゃん」のことを、家族に話す時は「こうちゃんの家に遊びにいってくる!」と「こうちゃん」呼びをしつつ、学校や友達の前では恥ずかしくて「こうちゃん」とは呼べずに周りの友達に合わせて「こーへー」と呼び分けていた時に、たまたまこうちゃん本人と筆者の父親と三人で車に乗る機会があり、ご飯を一緒に食べて帰ろう!となり、それを携帯電話で家に伝えてという任務を言い渡され
    「こうちゃんも一緒にご飯を食べて帰ることになった」
    「こーへーも一緒にご飯を食べて帰ることになった」
    のどっちも言えず「こうへいくんも一緒に」というような逃げ方をしたのを覚えてます。

    「オレ、ぼく」
    「こうちゃん、こーへー」
    のどっちも思春期・反抗期をちゃんと乗り越えた人は気にも留めない話な気がしてます。
    むしろ家で「オレ」と言うことで恥ずかしさの殻を破り自分というアイデンティティを確立し自立していくのではないかとさえ、この文章を書いてて感じた次第です。

    社会人になって「自分」という一人称を手に入れたと思っていた時期もありました。
    「〇〇はどう思う?」と聞かれた時に「自分は〜〜だと思うよ」というふうにとても便利な言葉だなと重宝してました。
    ただ、転機が訪れたのが数年前の関西への転勤です。
    職場のゴタゴタで本社が関西にある会社に在籍することになり、関西出身の方と接し実際に関西に住みはじめ、関西では「自分」という言葉が一人称ではなく、「あなた」という二人称の言葉として機能すると理解した時、もう使えない。となりました。
    なので関西で友達と会話をしていて「〇〇はどう?」と話を振られた時には1、2秒ほど間隔を空けたり、うーんと相槌をうったり、〇〇ね〜と意味もなく復唱してみたり、、
    一人称を使わなくても違和感がないように取り繕ってます。
    子どもの頃は恥ずかしかったから使えなかった、じゃあ今は何で「オレ」「ぼく」とスッと言えないんだろうか?と考えてみと、使う勇気がないとか、変じゃないか?と考えすぎてるとか、いろいろ出てきますが、使わなかった30年弱の何月がそういう身体(口)にしてしまったということが1番大きい気がしてます。
    LINE、メールなどの文章でのやり取りでも「オレ」「ぼく」を使うのを躊躇してしまいます。
    一人称が無くて困ったことはほぼ無いですが、改めて文章にしてみると何だか不思議で、一人称が無いことが逆に自分のアイデンティティになってる気さえもします。
    歳を取り今の気持ちなどをどういうふうに捉えるかは見当もつきませんが(もしかしたらとても後悔するかも)、しばらくこの一人称迷子の生活は続きそうです。

    #一人称
    #エッセイ
    #創作大賞2026
    #エッセイ部門








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