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Photo bytrend_jpn

下半身の「排出OS」が応答しません。――尿閉、導尿、YouTubeの犬。おしっこを巡る僕の再起動戦記。 


    この記事を、今まさに病院のベッドで「明日のトイレ」を不安に思っている戦友たちへ。

    そして、日々私たちの最もデリケートな部分に寄り添い、共に歩んでくれる看護師を中心とした医療従事者の皆さんに届けたいと思います。

    一般的には、あまり触れない内容だと思いますが、応援いただけると幸いです。

    1. 身体の管理権を委ねたあの日


    怪我をした直後、急性期病院での僕は、ベッドの上で自分の身体の主導権を完全に失っていました。


    そこでは「バルーン(尿道留置カテーテル)」という管が僕の下半身の相棒でした。尿は自分の意志とは関係なく、ただ自動的に袋へと溜まっていく。

    当時の僕は、過酷なリハビリの最中もバルーンをつけたまま。というより、自分がそれを装着しているという事実さえ、ぼんやりとしか認識していませんでした。

    当時、首から下がピクリとも動かせない僕にとっては、「出す」ことも「溜める」ことも、自分とは無関係な場所で行われているオートメーションな事務作業のような感覚でした。
     

    2. 「排尿ケアチーム」という心強い味方


    回復期リハビリ病院へ転院した際、「排尿ケアチーム」という専門部隊が動き出しました。

    そこで医師、専門看護師、理学療法士、作業療法士……多職種が連携し、「1日でも早くカテーテルを抜き、自立した排尿を取り戻す」ための包括的な支援が始まりました。

    「Sunlovelさん、今日でバルーンを外しましょう。自力排尿(じりきはいにょう)に挑戦です」

    彼らの力強い言葉に背中を押され、僕は当時の中では高難度ミッションに挑むことになりました。

    3. 多床室の壁、「しびん」という難題


    まずは「しびん(尿瓶)」での排泄を促されました。

    しびん‥‥‥‥。

    これが想像以上に難しいのです。


    僕は多床室(相部屋)にいました。カーテン一枚隔てたすぐ隣には、別の患者さんがいます。しんと静まり返った部屋で、どうしても音が響いてしまうのではないかという羞恥心が、僕の身体を強張らせます。

    さらに、寝たままの姿勢では、腹筋に力を入れて「踏ん張る」ことができない。身体が排出の仕方を思い出そうとしても、物理的な姿勢がそれを拒むのです。

    「出ない‥‥‥」


    「立ってやらせてもらえませんか?」

    何とかお願いして、看護師さんに支えられ、トイレに移動し、元来のスタイルで挑もうと立ち上がった瞬間、視界がぐにゃりと歪みました。急激な血圧の低下。めまいがして、そのまま崩れそうになる自分。

    実は、この時僕の身体の中では、ある重大な「機能停止」が起きていたのですが、その正体はまた次回以降の記事で詳しくお話しします。

    4. 導尿という現実と、微かな「ツーン」


    それから1ヶ月間は、「出ない」、との戦いの日々でした。


    なんということでしょう、人生50年間で、おしっこが出ないことをこれほどまでに深刻に、かつ切実に心配したことなんて一度もありません。

    水分をたっぷり摂れば、膀胱に溜まっている感覚はある。不快感もある。なのに、肝心の「排出コマンド」が末端まで届かない。


    そして、どうしても自力で出せない時は、「導尿(どうにょう)」という処置を受けることになります。

    カテーテルという主に4.0〜5.0mmの細い管を尿道から通し、溜まった尿を強制的に排出させるものです。

    看護師さんによって、淡々とオートマチックに管を差し込まれ、排出のオペレーションが進められます。

    「カテーテルは痛い」というイメージがありましたが、僕の場合は、挿入時と抜去時に、普段おしっこが通過する時に感じる「ツーン」とした、あの独特の違和感がある程度でした。一度中に入ってしまえば、それ以上の不快感はありません。

    ただ、その微かな違和感だけが、僕の身体がまだ「通り道」を忘れていないという、唯一の証拠のようにも思えたのです。

    5. YouTubeの犬、そして「シーーーー」の記憶


    おしっこを出すのに、藁をも縋る思いで、あらゆる方法を試しました。


    子供の頃、親に促された「シーーーー」という音の記憶を呼び起こしてみる。

    ・・・・出ない。


    しまいにはYouTubeで、犬が軽快におしっこをするシーンを検索して眺め、イメージトレーニングを繰り返す。

    けれど、僕の身体は一向に「排出コマンド」を思い出してはくれませんでした。


    また排泄自立に向けた管理が始まると、看護師さんによって、数時間おきに膀胱の尿量をエコーでチェックされます。

    22時の消灯後、ようやく眠りについた深夜0時過ぎ。

    「Sunlovelさん、規定量を超えています。トイレに行きましょう」

    看護師さんに起こされ、静まり返ったトイレの個室へ。そこで僕は一人、必死に踏ん張ります。

    「なかなか出ないですねぇ……」

    トイレのカーテン越しに聞こえる看護師さんの声。申し訳なさと、もどかしさ。
     
    深夜のトイレで、自分自身の身体とこれほどまでに向き合ったことはありませんでした。

    医療従事者の皆さんへ、そして戦友たちへ


    看護師さんやケアチームの皆さん、いつも本当にありがとうございます。皆さんの献身的な支えが、孤独な夜の戦いを支えてくれています。

    おかげさまで、僕の場合、1ヶ月も経たない頃、排尿を促す薬の効果もあって、自力で何とかすることができるようになりました。

    ただ、どうか知ってほしいのです。トイレでの格闘は、僕たちにとって単なる排泄ではありません。「自分を取り戻すための、魂の再起動」なのです。

    職場や自宅でもトイレで考え事をしたり、アイデアをまとめたりすることがあるじゃないですか!

    だからこそ、あと数分だけ、僕たちが一人の男として集中できる時間を、静かに見守っていただけたら嬉しいです。


    そして、今まさに夜中のトイレで自分を責めている戦友たちへ。

    安心してください。僕たちは今、自分の身体をより深く理解し、もう一度動かそうと必死に学んでいる最中なのです。



    ここまで読んでいただきありがとうございます。
    人それぞれとは言いますが、自分と同じ感覚を持った方の少しでもお役に立てれば幸いです。

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    頸髄損傷の絶望から奇跡的に立ち上がり、現在は一本杖での歩行と日々の不自由さに向き合っています。障害やリハビリ、社会復帰のリアルな葛藤を当事者の視点から発信中。同じ悩みを持つ方の灯台になれれば幸いです。※Amazonアソシエイトとして、適格販売により収入を得ています。

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