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孤独な僕を泣かせた4つの旋律。――頸損50歳、動かない指で、夜の静寂をなぞる。

    この歳になると、音楽をじっくり聴く機会なんてほとんどなくなる。

    若い頃はあんなに熱狂していたのに。CDショップで何時間も粘り、借りてきた8センチのCDをカセットやMDにダビングし、お気に入りのライブに通い詰めた。中学のときはバンドブームにあやかって、必死でギターをかき鳴らしてた。カラオケBOXに行けば、マイクの取り扱いや曲順の差配を仕切るのが僕の役目だった。

    それが今、深夜の病院で天井のシミを見つめるだけの時間や、退院後の静まり返ったリビングで一人座っている時に、ふと音楽が降りてくる。

    押し殺していた感情が、音と共に決壊する。

    理屈でも、強がりでもない。

    ただ、いまの僕の魂を震わせ、止まっていた涙を流させる「4つの旋律」があった。




    1. #深夜高速 (フラワーカンパニーズ)


    リハビリ病院に転院して2ヶ月が経過したころのことだ。

    その日の理学療法(PT)の担当は、初めましての方だった。その人はリハビリ部門の全責任者、いわば組織のトップだった。見た目はコワモテな、街であったら道を避けちゃうような人。

    現場には多くの先生がいる。少なからず医療に関わる私は、「偉い人だから」と身構えることはなかった。

    けれど、冒頭の挨拶代わりの一言に、僕は言葉を失った。

    「生きててよかったね」

    その先生は、事前に僕のカルテを隅々まで読み込み、普段の担当セラピストから、僕がどういう男で、どんな葛藤を抱えているかを徹底的に聞き出した上で、僕の前に現れたのだ。

    「生きていてよかった 生きていてよかった」

    曲のサビが脳内でリフレインする。自分なりに必死に頑張ってきた、折れそうな心を繋ぎ止めてきたという自負。それがその一言で一気に解(ほど)けてしまった。

    責任者とかって、忙しいだろうからから、何となく時間を消化するリハビリになるんだろうな、という僕の勝手な想像は壊された。

    広いリハビリ室の真ん中で、50歳のおじさんの涙が止まらなくなった。部屋には他にも30人くらいの患者がいるにもかかわらず、泣いた。

    生きていていいんだと、初めて許可をもらったような気がした。


    2. #歌うたいのバラッド (斉藤和義)


    「歩き出すことは難しいことじゃない」心で書き換える、僕のバラッド。

    ありがとう、妻に。そして頑張れ、自分に。

    深夜、一人でこの曲を聴くとき、僕は頭の中でひとつの「コード」を書き換えている。

    「歌うことは難しいことじゃない」という歌詞を、「歩き出すことは難しいことじゃない」と。

    かつては無意識のルーチンだった「歩行」という動作。それが今の僕には、膨大な計算とリハビリを積み重ねてもエラーを繰り返す、あまりに高負荷なタスクだ。

    ギターの弦を弾くことさえ叶わないこの不自由な指で、夫として一体何ができるのか。

    情けなくて、申し訳なくて。「ありがとう」「愛してる」という言葉さえ、支えられてばかりの今の自分には不釣り合いな気がして、いつも喉の奥に隠してしまう。

    そんな時、ふとYouTube の画面に流れる、近しい境遇の人たちのコメントが目に留まる。

    「自分も頑張ります」「一緒に歩きましょう」。
    ハッピーエンドもあれば、悲しい結末のものもある。

    けれど、見ず知らずの誰かが、同じ空の下で、同じように震える足で立ち上がろうとしている。
    その一言一言に、僕はどれほどの勇気をもらっただろう。

    「独りじゃない。僕も、もう一度頑張ってみよう」

    そして、「鼻歌まじりでいいんだ」と掠れた声で歌う斉藤和義さんの声が、強張った僕の足に、少しだけの柔軟性をくれる気がする。

    完璧なデバッグなんていらな。不格好な歩行でも、それが今の僕の精一杯のバラッドなんだ。

    隠してきた想いを、いつか自分の足でしっかりと立った時、妻に真っ直ぐ伝えられるように。僕は今日も、この歌を心で書き換えながら前を向く。

    「ありがとう」を妻に。「頑張れ」を自分に。


    3. #アンマー (かりゆし58)

    「ごめんね」と「ありがとう」の通信エラー。

    母へ。

    50歳にもなって、いまさらだけど。
    本当に、ごめん。そして、ありがとう。

    社会人になって以来、僕は親に迷惑をかけていないつもりだった。仕事に励み、自分の家庭を築き、たまに帰省しては孫の顔を見せる。2年に一度の、そんな「義務」を果たしている自分は、親孝行とまではいかなくても、合格点の息子だと思い込んでいた。

    けれど、動かない身体で天井を見つめる日々の中で気づいた。

    「迷惑をかけていない」と思っていたのは、単に関係が希薄だっただけではないのか。

    自分の人生を回すことに必死で、親という存在を、バックグラウンドで動く風景のようにしか捉えていなかったのではないか。

    いま、この不自由な身体になって、僕は再び親に「心配」という名の、最大級の迷惑をかけている。

    これから先、僕は親に何をしてやれるだろうか。

    老いていく親の世話を焼くどころか、またしても自分のことで精一杯になり、相手のことを考えられない自分に戻ってしまうのではないか。

    「アンマー」という響きが、麻痺した身体の奥底に、熱い塊となって溶け込んでいく。

    動かない身体という、あまりに高い授業料を払って、僕は今、ようやく「自分のことしか見えていなかった」という大きなバグをデバッグしている最中だ。

    4. #繋げ !(三阪咲)

    「笛の音が鳴り響くまで」

    元ミニバスの指導者として、僕は教え子たちに何度この言葉を投げかけただろうか。

    この曲は、僕の娘がプレイヤーだった頃によく聴いていた、思い出の詰まった一曲だ。

    コートを駆け抜け、泥臭くルーズボールを追い、次の仲間へとパスを繋ぐ。

    そのひたむきな姿を応援していた親としての自分。そして今、応援される側に回ってしまった自分。

    「泥臭くたって 不格好だって 繋いでいこう」

    人生の笛の音は、まだ鳴り響いていない。
    病院の仲間たち、家族、近所の人たち。みんなが必死に繋いでくれた僕の命のパス。それをここで止めるわけにはいかない。

    不恰好でも、一本杖をつきながらでもいい。次は僕が、この経験を言葉にして、誰かへ繋ぐ番だ。


    エピローグ:第2クォーターのプレイリスト


    指は動かない。けれど、魂はまだ揺さぶることができる。
    この4曲は、僕の人生の「第2クォーター」を戦い抜くための、最強のベンチメンバーだ。

    今夜も、静かなリビングで一人。
    止まらない涙をそのままに、僕はまた、次の「一歩」へのパスを受け取るのだ。



    ここまで読んでいただきありがとうございます。
    人それぞれとは思いますが、自分と同じ感覚を持った方の役に立てれば幸いです。

     
     
    頸髄損傷の絶望から奇跡的に立ち上がり、現在は一本杖での歩行と日々の不自由さに向き合っています。障害やリハビリ、社会復帰のリアルな葛藤を当事者の視点から発信中。同じ悩みを持つ方の灯台になれれば幸いです。※Amazonアソシエイトとして、適格販売により収入を得ています。

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