
ー光に照らされ、影に堕ちていくー【静子のその後】第二章
ー光に照らされるほど、彼女の影は深く沈んでいった。
写真家 久方健一郎 写真集

『妻 佐野静子』 大重版出来!!!
その文言が、各書店に踊っている。 その写真集は初版からすでに完売したらしく第3版まで、版を重ねていた。
そして女性誌 『CLARITY(クラリティ)』『MIGNON(ミニョン)』などの特集記事にも、静子のインタビューや、久方健一郎のコラムが載っている。
母として、妻として、モデルとして。その生き方は多くの女性たちに支持され、共感され、あるいは崇拝された。強い光が静子を照らしていた。
だが、そこにはまた、ありありと暗く落とす影があった。 光が強まれば、自然に影も強くなる。
静子はエゴサーチというものをしない。
決して好意的な文言ばかりではないそれを目にすることで、心のどこかが壊れてしまう可能性があったからだ。
「大好き、可愛いだけじゃなくて女性として生き方が魅力的!」といった声だけではなく、静子の社会的ステータスや、静子の持っているあらゆるものを妬む声もやはり編集部に寄せられる事もあった。
「あまり調子に乗らない方が身のためだと思います。」
そんな冷や水をかけるような言葉を綴った手紙もあったが、静子はそれを破り捨てた。
動揺している暇などなかった。
母子ともにグラビア撮影してもらう予定が今日も入っている。 最高の笑顔で、幸せを演じ切るのが、自分の仕事だ。
翳りなどがあってはならない。
そして、そんな静子の写真集を、一冊、また一人の男が買っていった。
野崎英次だ。
静子がどう暮らしているのか。
そして、幸せに生きているのか。
彼は深く心にかけながらも、それを直接、あるいは間接的に確かめる事はしなかった。
ただ、書店で見つけた、華やかな、静子の笑顔を見た時、心が痛んだ。
その笑顔は、自分といた時の柔らかな、心からリラックスした笑顔ではなかった。
どこか、張り詰めていて、どこか、負けまいとしている、戦闘的なものを感じさせる笑顔だった。
まるでそれは、大気圏で燃え落ちる彗星の輝きのように見えた。
燃え落ちてしまわないで。
輝かなくていいから。
泣きたいときには、泣いてくれ。
その言葉を飲み込み、祈りながら、写真集のページを繰る。
そして、その、輝きの必死な美しさを、芸術として撮影している久方を思った。
「こいつ…愉しんでいるんじゃないのか…?」
だが、何が出来る…? 俺に、いったい何が…。 英次の心のヒビが大きく軋んだ。
ふさがっていたはずの傷跡が、開いてゆく…。
英次は部屋で、独り動揺する。
呼吸が荒々しく乱れる、そして床に手をつき、 うずくまった。
「なぜ、なぜこんなものを俺は買ってしまったんだ!」
閉じられた写真集が、机の上で重たげな存在感を放っていた。
「あいつは…いつかこれを俺に…見せるために…?!」
追い詰められた英次の瞳が小刻みに揺れている。
乱れた視界が、全ての輪郭を崩している。
部屋は奇妙なまでに静まり返っていた。
その中で鼓動だけが、英次の中に轟いていた。
夜の闇が、部屋の窓の向こうで、雪崩れ込む時を待ち構えている。
灯りを消せなかった。心までも、闇に呑まれるような気がしたからだ。
久方は、実際に英次に見せたかったのか。
――見せたかった。久方は、愉しんでいた。
久方はとうの昔に気付いていたのだ。
妻の心が、未だに野崎英次に囚われている事を。 妻の日記を見た時、妻は、見られても構わないような文章しか綴らなかった。それがかえって不自然だった。リンゴの果汁で描いた絵をろうそくの火で焙り出した時の事を思い出す。
「今日も、撮影が楽しい! 愛する家族、愛する健一郎さんと過ごせて幸せ!」
「あんまり幸せなので泣いてしまった。いいのかな、こんなに、満たされて。」
「今日も撮影頑張る!! みんなに最高の自分を見せるぞ!!」
ふふ、と笑みが漏れる。
「…強がる女が俺は好きだ。」
久方の撮影現場に来ていた、アルバイトの野崎英次を思い出す。
久方は思う。
(あれは、妻が結婚前、よく話をしていた青年だ。)
(あんな顔で笑うのか。)
カメラの前では見せない、柔らかな笑顔だった。
(俺はそんな笑顔をさせているだろうか。)
当時から、痛みを覚えた。
(俺の技量不足か。いや、違うな。 そういう性質のものではない…。)
(この女は、この男を愛している。)
ぞくりとした。
(俺は今までただの一度も、女に愛されたことはない。だからこそ、そんな眼差しの意味を知るには、外側から観察するしかなかったわけだ。こんな風にな…。)
ほどなくしての事だ。静子が、 久方に近づいてきたのは。 久方は、静子を拒まなかった。
何も知らないふりをしながら、 愛の言葉を交わし、何も知らないふりを しながら、共に宝石商の元で 婚約指輪を買った。
騙されたふりをしてやったのは、 復讐心からではない。 とんでもなく良い被写体を 見つけた時の興奮が 久方を動かしたのだ。
そこにはカメラマンとしての愉悦があった。
もう野崎英次はGOTHMAGAZINEの現場には来なくなった。 アルバイトをただ辞めただけの事だと周りは見做した。
だが、その現場に来た妻の眼の動きは、明らかに誰かの影を追っていた。
野崎英次だ。そこにいたはずの位置で視線が止まる。 いつも入ってくる時間帯、撮影している最中も扉に目が行く。
その一瞬の視線の揺らぎも、久方は見逃さなかった。
そしてシャッターを切る。
久方の元には、その揺らぐ瞬間の妻の写真が大量にあった。
美しいと、彼は思った。
「女は、他の男の影に支配されながら、光を浴びる時が一番美しい。 俺はそんな女でなければ、全く心をそそられない。」
静子。お前は最高の被写体だ。
もっと、俺の愛の前に、歪んで見せてくれ。
写真の中の静子は、籠の中の美しい鳥だった。
久方はその美しさを愛した。
男として、俺は野崎に嫉妬心を抱かないわけではない。 静子が、俺に身体を預けながら、野崎の事を思っている事を感じると、俺は はらわたが食い破られるような気持ちになる。この痛みは、静子を愛しているがためだろう。だが、そうであるからこそ、俺は撮らなければならない。
――この、生き地獄というものを。
俺は愛する方法を知らない。ただ、この瞬間を切り取る…そこにのみ………俺の存在理由がある…!!
そして静子は自らの炎のために少しずつ、燃え落ち、壊れて行くのだった。
「今日も…笑えたわ…きっと、幸せに…見てもらえた…。」
これでいいのよね。
英次君。
「明日も…明日も笑うから…。きっと、笑って見せるから…。」
静子は娘の多香子を抱きしめながら、そう呟いた。
多香子は母の胸の裡の震えを感じて、泣き出した。
まるで、静子の身代わりのように、彼女は泣き続けていた。
「やめて…泣かないで…いい子だから…。」
多香子はなお、火が付いたように泣いた。
そして、静子の何かがぷつりと切れた。
「お母さんだって…本当はもう笑いたくない…!」
多香子を両手で持ち上げる。
(このまま、この子を床に叩き落したら私は、全てを終わらせることが出来る…!!)
しかし、出来なかった。
娘に罪はない。
あるのは自分自身だ。
(ごめんなさい、多香子、あなた…あなたは何も悪くないのよ。)
多香子を抱きしめる。強く、強く。そして、
言葉が、口から零れた。
「誰か……助けて……。」
そして初めて、静子の眼から涙が零れた。
シャッター音がする。
ーー振り向くと久方がカメラを構えていた…。
🎵 英次が静子に捧げた曲【気付かぬ光】はこちら
静子に捧げるラブソング【気付かぬ光】|関口直子