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【詩】83『平和の灯をともす』

 『平和の灯をともす』

陽が昇る
大地を照らす
地球が存在してから
人類が存在していない頃から
 
いつしか
人が誕生し
進化を続け
社会をつくってきた
 
科学と技術の進歩
便利で快適
暮らしやすい
平和な社会を作ってきた
 
今日も陽が昇る
大地を照らす
人間社会を照らし続ける
平和な社会をあぶり出している
 
浮き上がった場所は
平和なのか
 
浮き上がった人々は
平和なのか
 
 
平和という言葉
 
平
ひとしく
おだやか
 
和
なごむ
やわらぐ
 
 
平和という言葉
 
静かに語ろう
語り続けよう
いつまでも
 
今一度
社会に灯をともそう
平和の灯をともそう
 
先行き見通せない道にも
私たちの手で灯そう
私たちの言葉で灯そう
 
平和であるために
 
平和を守るために
 
平和を創るために


+ - =  + - =

平和とは、どのようなものでしょうか。
わたしにとって、平和とは、どのようなものなのだろうか。

病気のある生徒たちが学ぶ特別支援学校での、ある日の日本史の授業を私は振り返りました。

もう20年近く前のことですが、当時NIEという教育実践に取り組んでいました。NIEとは、*Newspaper in Education(教育に新聞を)*の略で、学校などで新聞を教材として活用する教育活動のことです。

とある新聞社の1枚の白黒写真と記事を5人の生徒たちと見ながら授業を進めました。その写真は、大きな駅へと続く大通りを遺影を抱えながら歩く何人もの女性の姿でした。

現在、その大通りは橋の名前の付く「〇〇橋通り」と呼ばれています。
私が高校生の頃(昭和50年代)は、「平和通り」と呼ばれていました。
そして、その新聞記事では、さらにその前には「凱旋通り」と呼ばれていたと紹介されていました。

戦後の昭和時代に「平和通り」と呼ばれていた(表示もされていた)大通りは、同じ道なのですが「凱旋通り」と呼ばれていたということです。

生徒たちは、凱旋という言葉からオリンピック選手が地元に帰ってきた様子、プロ野球の優勝パレードのような雰囲気を思い描いたようでした。

凱旋という言葉が、平和という言葉に変わった。
凱旋の意味は、重く、苦しく、大きな痛みのあるものだった。

授業のその後の流れはもう忘れてしまいましたが、
白黒写真を一緒に見て、
何か言おうとするけれど言葉にならないような
遠くを見つめるようにして思考を探っているような
彼らの姿が思い出されます。

その内の二人は、病気と生を全うしてすでに天に旅立っています。
一緒に見て、考えた平和をどのように見ていてくれるかなと思います。
そして、今なお地上にいるわたしは、平和をどう捉えて、どう表していこうかと考えているところです。

すべての人々が、平和な日々を過ごせますように

皆さんの暮らす町にも、「平和」の付く通りや町名などがありますでしょうか。何かしら歴史や過去と関係のあるところなのかもしれません。


かなさん、ひっそりと灯り続ける画像を使わせていただきました。
最後まで読んでくださり、ありがとうございました。

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