
第35話 「落穴慕情」
漫画や遠隔受像器などの劇中において悪戯者を懲らしめたり、忍者屋敷の如き唐繰りで明智探偵を床下に落下せしめたり、ショッカーの一味がライダーを捕獲したりと色々な場面で噫っと言わせてくれるのが落し穴である。のっけから関係ないが、何よりも吃驚するのは「からくり」が「空庫裡」と一発変換されて「それは言いえて妙だが中国語かも」と、思って調べてみると「機関」もからくりと読めるという事を今知って驚くのだが、これも或る種の落し穴だといえる。変換されるからといって盲信してはならないのである。何故なら変換辞書は人の手による編集物だからで、珍妙な変換候補を書き入れて白眼を剥き乍ら「うへうへ」などとやられていては堪ったものではない。雑文書きにはプログラマが多い様なので油断は禁物である。え?私は別にプロのグラマーではない。
扨、そんな楽しくてスリル満点の落し穴を自分でも掘ってみたいと思うのは、悪戯好きの児童には当然の欲求であり憧憬の的であり男の浪漫であったりする。だが折角掘ってはみたもののその顛末はというと、翌朝に誰か穴に嵌まっていないかと登校前にワクワクし乍ら覘いてみても大抵は何事もなかったかの如く整然としているのであり、下校時に誰かを誘って「あ、百円が落ちとる。其処其処。いやもっと右。三歩前」とか言って穴の付近に立たせようとしても大分時間が経っているので中央部分が明らさまに窪んでいるため「落し穴だ」と直ぐに見破られてしまって「いち、にい、さあーん」と三歩目だけ歩幅を大きく躱されてしまうのであり、「手が滑った」とか言い乍ら体当りして何とか落そうとするも巧に躱されるのであり、犬を捕まえて来て落そうとすると飼い主に見付かって咎められたり、仕方が無いので削り節を置いて猫を誘ってみるも身軽なので無駄に持って行かれるのであり、御蔭で翌朝の御飯には出汁抜きの不味い味噌汁が供されるのであり、そんなこんなで仕舞いには自分で嵌まってみたりする始末である。
どうせ自分で嵌るなら不意に嵌った時のあのフワっとした感覚、即ち、暗闇の中で階段を一段だけ踏み外した感じ、又は、段差に気付かなくてちょっと吃驚して膝カックンみたいになるあの感じを味わいたいところである。意識しない様にするのがポイントだがそんな事は所詮無理なのであり、せいぜい「穴があったら入りたい」という時の対策として、自ら嵌っている間抜けな姿を想起して逃避機制の実践に役立てるくらいが関の山である。かなり駄目である。
人を嵌めるのに苦労する一方で、完成した端から自ら志願して嵌まってみたがる奇特な者もいたりする。完成の翌朝に見てみると、誰か嵌った形跡があって「やったあ」と思っても、大抵は弟の仕業である場合が多い。折角のできたてホヤホヤで竣工式も未だ済ませてない作品を製作者の一味である洟垂れの弟に嵌ってもらっても迷惑なのであり、製作者でない者を落とす事にこそ落し穴の、アッ喜びが、アッ夢が、アッ希望があるのである。ハア、コリャコリャ。
そこでと或る日、小さな弟が嵌ったら最後、脱出の出来ぬ様な巨大落し穴作戦を計画す。
国語の授業中に記されたと思われる実家秘蔵の帳面を開くと「落とし穴ショッカーマル秘けいかく」と題された頁があり、有志の手による数々の絵が盛大に寄稿されている。ベトコンと思しき人物が地中から飛び出して米兵を吃驚させているかと思うと、その上空ではゼロ戦九九型が飛行し、マジンガーZやライダーも一緒になって闘っていたりして、とんでもない光景が展開されている。それにしても九九型とは一体。而も何時から爆撃機になったのだ。だがそんな事にはお構いなく、計画内容の記載は次頁へと容赦無く続く。
仕様、直径一メートル、深さ二メートルくらい。入れるもの、「鉄条網、竹槍、犬のうんこ、鼻くそ、てがみ、かんぱん、武田のパンツ」
生き物の排泄物を入れるのは常套手段であるが、鉄条網に竹槍。そこまで徹底してどうするのだ。そして武田のパンツ。一体どういう事だ。残りの手紙と乾麺麭の意味は、運悪く夜に嵌った人への持て成しであり、救助隊が来るまで退屈しない様に手紙で励まし、ポリ塩化ビニルの袋に入れた乾麺麭を非常食として提供する。噫、何と心優しき少年か。にも拘らず武田のパンツ。夜は寒いので穿きなさいという心尽くしであろうか。それとも退屈凌ぎにそれで遊びなさいと仰せであるか。実に興味深いが先を急ぐ。
先ずは重要課題として、掘り起した大量の土をどう処理するかを考えねばならぬ。そこら辺にこれ見よがしに山積みしてあるのもちょっと問題なので、チャールズ武論尊やスチーブ幕胤の登場する映画「大脱走」に倣って、皆でちょっとずつズボンのポッケに入れて見付からない様に余所の空地へ捨てて来る。怪しまれてはいけないので、「やーれ、休憩するか」とか「ちょっと散歩に行ってくる」とか態とらしい科白も忘れない。散歩って目の前の空地なんだけど。
お次は蓋である。近くの臟器林、否、雑木林から木の枝をポキッと折ってきて穴の上に被せてから、適当な大きさに分割した段ボールを敷き詰めて土を冠せる。穴の場所だけ土の色が違うので、辺りの乾いた砂を掻き集めて散布する。それでも未だ不自然なので、小石を少々撤き、草を根こそぎ抜いて来て植えてみたり、苔をワンポイントに置いてみたり、あと囮にビー玉とか菓子の喰いかすを置いてみる。これで完璧。と思いきや、欲張って色々な物を置き過ぎてその空間だけが妙に浮いて見えるのである。而も重みでちょっと窪んでしまっている。これでは人を嵌める事など到底出来る筈もなく、穴の運命は結局「皆で順番に一歩だけ足で空中タッチしてからすれすれでジャンプして逃げる」ごっこをやった後で埋めてしまうという末路を辿るのであった。
一年後、そんな過去があったとは露知らず、穴の上には家が建つ。神主さんもウンコ穴の上で地鎮祭をやっていたけれども、果して効き目はあったのであろうか。そして基礎を施工したおっちゃん達は、マジックで「たけだ」と書かれたパンツや、ウンコまみれの錆びた鉄条網や、証拠湮滅に埋設した赤点答案用紙とかエッチな雑誌とかを見事に発掘したのであろうか。嗚呼、かの床下ぞ如何にあらん。貴方の床下、大丈夫?
【前を読む】 【目次へ戻る】 【次を読む】