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『全財産を失った俺が、探偵の門を叩くまで』


この話は各駅停車する電車じゃない。
快速特急みたいな疾走感もない。
一人の人間が降りることのできない電車の話だ。
合わない人はここで降りていい。
それでも読むのならたぶん降りられないまま走っている。

小雨が降る夜の街で俺は一人対象者を尾行をしていた。

駅前を抜け商店街も流れるように通過して行く。

そして古びた雑居ビルに対象者は迷いなく入っていく。

足を止めビルのフロア案内板に目をやる。
ニ階には風俗店、三階四階は格安ホテル、五階はSMクラブ。

対象者が一人エレベーターに乗り込んだ。
ドアが閉まるのをひっそりと待つ。

エレベーターの数字は六階に止まった。
案内板には何も書いていない。

六階のテナントには何も店は入っていないのだ。

不用意に近づくのは危険だと判断し裏口が無いか確認。Googleマップで地形を調べる。

しばらく時間を空けてから路地裏で靴を脱ぎ脇に寄せた。
音を立てないよう非常階段で六階に上がる。
時間をかけ慎重に階段を登る。
靴下は雨で濡れ鉄の非常階段の冷たさが堪える。
通路は薄暗く蛍光灯がちらつき不気味なほど静かだ。
六階には部屋が三部屋あり対象者がどこに入ったか分からない。

何故だかこれ以上近づくなと俺の心臓が警告音を鳴らしている。
足が動かない。この先には近づけない。
近づきたくない。
ほんの数秒立ち止まる。
この数秒がやけに長く感じた。

我に返り自分の仕事に戻る。
静かにそして素早く壁際に小型カメラを仕掛ける。
そして音を立てないよう来た道を戻った。

靴を履き雑貨ビルが見える離れた場所で張り込む。

ネオンだけがやけに濃い。濡れた靴下は靴にも浸透する。
どれくらい時間が経ったのか分からない。

「刑事さんですか?」
ふいに背後から声をかけられた。
振り向くと一人の若い男が俺の顔を覗き込んできた。
距離が近すぎる。
一歩下がり男をよく見る。

安っぽい香水の匂いが鼻を突く爬虫類のような目をした男だ。

「違う。知り合いを待ってるだけだ」
自分でも驚くほど声は落ち着いていた。
男はニタつき鼻で笑いさらに顔を近づけてきた。
タバコに火をつけわざとらしく俺の顔に煙を吹きかけると肩を軽く叩いて去っていった。

その背中を見送った瞬間
嫌な予感がした。
数分後。男は戻ってきた。
今度は一人じゃなかった。

路地の奥から足音が重なって近づいてくる。一つや二つじゃない。
目をやると街灯の下に十五人ほど立っていた。
目が合った瞬間全員が一斉に動いた。
——逃げるしかない。
そう理解するより先に俺の足はもう地面を蹴っていた。

雑居ビルの階段を駆け上がる。
風俗店が並ぶ廊下を全力で走り、非常階段への扉を勢いよく開けた。
鉄の手すりが濡れていて掴みそこねそうになる。
二階。振り返る暇もなく俺は身を投げた。
着地の衝撃で息が詰まる。
立ち上がりながらふと思った。
——また逃げてる。

いつからだろうか。
こうやって逃げることに慣れたのは。


第1章 前兆

田舎の地域で育った俺はどこにでも必ずいる不良もどき。
その中の一人。

真面目に生きてきたわけではない。
かといって振り切って不良をやっていたわけでもない。
ただどちらにもなれず中途半端な学生。
部活や勉強をやる訳でもなくやっていた事といえばアルバイトと夜遊びくらいなものだ。

高校三年生十二月頃には周りの進路は決まりつつあった。

中学からの連れの博也は俺と同じで、まだ進路が決まっていない。

その日いつものように朝早くから博也は俺の家に勝手に上がり込んでいた。
目が覚めてリビングに行くと当たり前の顔でこたつに入り俺の朝飯を食っている。

俺に気づくと「おう、おはよー! お前も食う?」
眠い目をこすりながら聞いた。「今日はどこから入ってきたの?」

「今日は玄関。お母さんに入れてもらった」
博也はなぜか胸を張る。
博也はどこからでも俺の実家に入ってくる。
庭に隠してある合鍵の場所も俺の知らない裏口の鍵の場所も知っていた。
夜中には二階の俺の部屋の窓から入ってくる。
忍者みたいなやつだ。

俺もこたつに入り朝飯を食われた恨みを込めてデカい屁をかました。
博也が睨む。
俺は嫌味たらしくニヤついた。

博也が米をおかわりしたタイミングで、気になっていたことを聞いてみた。
「博也、専門学校行くの? それとも就職?」

博也は一度こたつに顔を突っ込み臭いものでも嗅いだような顔で
「まだ決まってねえけど、就職だな」
「…そうか」
少し、置いていかれた気がした。

「お前は?」
俺は朝のニュース番組をつけ、冷蔵庫からシュークリームを取り出し
「まだ決まってない。つーかやりたいこと無い」
博也は箸を置き「みんなそんなもんだろ」
「どうせ大学行ける頭もねえし、最初から就職しか選択肢ねえよ」
博也はそう言って笑いながら水を飲み干した。

本当にそうなのだろうか。
だとしたら人生の選択肢は少なすぎる。

子供の頃は野球選手、サッカー選手、宇宙飛行士、ウルトラマン。
誰だっていくつも夢があったはずなのに。
歳を重ねるうちに大半は夢のまま終わる。

返す言葉が見つからず代わりに、もう一度屁を喰らわせた。

飯を食べ終わった博也は「じゃあ、今日は学校行くから」そう言って家を飛び出していった。

博也が残していったきゅうりの酢漬けを眺める。
卒業後、どうするか。
これまで避けてきたことを少しだけ真面目に考えてみる。
きゅうりの酢漬けを一口食べる。
酸っぱかった。

――よし。アレ、やるか。
心の中にぼんやりと浮かんだ。
テレビを消しコタツから出て皿を片付け歯を磨きそしてまたベッドに潜った。

・十八歳の逃げ道。

卒業の日俺はまだ何も決まっていなかった。
同級生の大半は就職か進学に決まっていた。
俺は逃げるようにあの日思いついたことを実行に移した。

旅に出るという選択だ。

この日のためにバイトで金を貯め、
十五年落ちの軽自動車のオープンカーを購入した。
テントとガスコンロフライパンを揃え、
トランクに突っ込んで一人で家を出た。

とりあえず旅の気分を味わいたくて隣の県でテントを張る事にした。
人気の無い公園を見つけた。
新品のテントを袋から出し説明書を読みながらテントを何とか張った。
初めて張ったテントは今にも倒れそうなくらい不安定だったが何故か満足感があった。
コンビニに行き夜飯を買ってテントに入る。
これからの予定を考えてみた。
しばらく考えたが何も思いつかない。
そもそも何故旅をしようと思ったのかも思い出せない。
結局行き当たりばったりで行こうと決めた。

夜は、想像以上に寒い。
上着を羽織り、横になって体を丸める。
ろくに準備もしてこなかった俺は、ただ寒さと向き合っていた。
マットもなくテントの薄い生地を一枚挟んで、ほとんど地面の上で寝ているようなものだ。
体には小石が食い込む。
足ツボマットの上で寝ているようだ。
地面の冷たさがじわじわと体に染み体が冷えてくる。
暖かくて柔らかいベッドと湯気の立つ風呂が、やけに恋しい。
朝方目が覚めると不安定だったテントは倒れて、下敷きになっていた。
ここから俺の旅は始まったのだ。

旅に出て何日目だろうか。
大好物の焼きそばを作ろうとして
スーパーで袋麺もやし、ソース、四分の一のキャベツをカゴに入れる。
レジに行き財布を開けたら、小銭しか無かった。

なけなしの金で袋麺だけレジを通し残りは棚に戻した。
夜、海沿いにテントを張り具なし焼きそばを作る。
自分の居場所もなく金もない俺はただ空腹に耐えるばかりだ。
自由を求めて選んだ道だったが得たのは孤独だけだった。

旅と言えば聞こえはいいが実際はホームレスと言った方がしっくりくる。

何をしたら旅なのかも分からないまま俺はただ彷徨っていた。

金がなくまともに飯を食べれなかった俺はある日、目についた畑に夜中近づいた。
そして誰が育てたかも分からない野菜を盗んだ。
それを公園の水道で洗い口に入れる。
久しぶりに野菜を食べた気がする。
多少は腹も満たされたが何かを失った感覚が残った。
一言で言えば惨めな生活だ。

・旅での成長

山に囲まれた田舎で猟師と出会った。
「兄ちゃん、こんなとこで何しゅうが?」
突然声をかけられて俺は立ち止まった。
年季の入った軽トラの横に中年の猟師が立っている。「旅をしてるんですけど金がなくなって。食えるもんないかなって」
自分でもずいぶん正直な答えだと思った。
猟師は少し黙って俺を見てから「……ほいたら、えい所あるき。乗りや」
俺は自分のポンコツカーを路肩に停め、言われるがまま軽トラに乗る。
どこに連れて行かれるのかは分からなかったが
不思議と断る理由もなかった。
ふと運転席の背もたれを見るとそこには大きなナタが挟まっている。
車は山道を走り出す。
激しく揺れる車内でナタをじっと見つめる。
助手席シートの後ろをチラッと見るとロープが挟まっている。
身元不明な白骨死体が見つかったニュースが脳内再生される。
鼓動が早くなるのが分かった。
しばらくして止まった。
猟師は車から降りた。ナタには手を掛けず少し安心した。
「ついてきいや」猟師の背中を追ってしばらく歩くとそこには滝壺が見えてきた。
森の中から落ちてきた水が底の水と激しくぶつかり白いしぶきをあげ鈍い音が響く。
猟師は何か言ってきたが滝の音でかき消される。
猟師に近づき聞き返す。
「服、脱げ」
意味が分からなかった。
聞き返すべき言葉も浮かばない。
滝の音に思考を削られ気づけば手がシャツの裾を掴んでいた。
次の瞬間何も考えずに服を脱いだ。
猟師はニヤリと笑い穴だらけの歯を見せた。

猟師はカバンから自作の銛を俺に渡し服を脱ぎ始めた。

気がつけば初対面の二人が滝壺の前でパンイチになっていた。
「手本みせちゃるき水に入れや」
そう言って猟師は水の中に入って行く。
俺も猟師に続いて水に入った。
太ももくらいの水深でパンツも濡れた。

猟師は水中の石をじっと見つめそっと持ち上げて銛を突いた。
水面から引き上げた銛の先にテナガエビが刺さっている。
猟師はそれを虫かごに入れ俺に差し出した。
「これあげるちゃき。エビ取って食べてみいや」
そう言って猟師は銛と虫かごを渡すと、
服を手に取った。
何も言わず背を向け軽トラの方へ歩いていく。
その背中を見送ると張り詰めていた力が、少し抜けた。
俺は一人パンツ一枚で滝壺の前に立ち尽くしていた。

俺は猟師の真似をしてエビを探した。
猟師は簡単そうにやっていたのに自分でやると、これが案外難しい。
そう簡単にエビは見つからずに時間だけが過ぎていく。

静かな森の中で水を踏み分ける音だけが響き渡る。
何度も同じ石を見ている気がして足を止めた。
さっきもここを通ったはずだ。
——いや、通っていない。そう思いたかった。

ニ時間やって何とか五匹捕まえることができた。
虫かごを持ち森を抜ける。
感覚だけを頼りにポンコツカーが置いてある場所を目指し歩いた。

その日の夜エビをフライパンで焼き、醤油を垂らして食べた。
それほど美味くは無かった。
ただ、腹は満たせた。
それでも初めて自分で捕えた生き物を食べる事で生きてる実感を感じた。
これが自由って奴なのかもしれない。

ある日、たまたま行き着いた街でボランティアの募集チラシを見てボランティア活動に飛びついた。
善良な心で参加したわけじゃない。
ボランティアに参加するとおにぎりと塩飴が食べ放題だったからだ。しかも、ボランティアで知り合った人達にご飯や風呂、ソフトクリームまで買ってもらえる。
完全に下心だった。
参加者の中には夏休み中の高校生もいた。
俺はそいつと自然と話すようになった。
高校生は明るく作業中も真面目だった。
少し意外に思うかもしれないが、俺もこの高校生に負けないくらい真面目にやっていた。
理由は単純だ。
真面目にやると周りに気に入られそこから飯に連れていってもらえるからだ。
休憩中、俺たちはよく話した。
「今、何年生?」
「ニ年生です」
「ニ年の夏休みにボランティアか。すごいな」
そう言うと少し笑って「将来、公務員になりたくて。ボランティアに参加したら履歴書に書けるかなって思って」
目的は違うが下心があると知って少し安心した。
「将来のこと考えて行動してるんだから、すごいよ」嘘じゃない。素直にそう思った。
高校生を見ていたら俺は自分の学生時代を思い出した。
_________

あの頃の俺は、勉強も部活もせず毎日遊び歩いていた。
単車と女のことで頭がいっぱいの頭の悪いガキだ。
それでも何もしなかったわけじゃ無い。

高校二年の時将来が急に不安になり
少し先の未来を想像してみた。
その瞬間、自分の未来が見えた気がして
一気につまらなくなった。

俺は、変わりたかった。

悪友たちと縁を切り勉強を始めた。

夜中机に向かってノートを開いたが何を書けばいいのか分からなかった。
掛け算の問題で手が止まった。
九×七がすぐに出てこなかった。

その時、ああ俺は何も積み上げてこなかったんだと理解した。
小学一年生の算数から始めた。
昼過ぎの教室で俺は一人、掛け算を繰り返していた。

_______

そんなことを思い出していると、休憩が終わった。
俺は急いでおにぎりを口に頬張る。
「今日が最終日だから、気合い入れて頑張ろう!」
そう言って高校生に声をかけ立ち上がり作業に戻った。

ボランティアが終わり俺たちはバンに乗って集合場所へ戻った。
そこで知り合った人たちとご飯を食べに行き
その帰りにみんなで銭湯に寄り湯船に浸かった。

そして駐車場で別れを告げた。

バンのテールランプが見えなくなってから
俺はエンジンをかけ次の行き場を探す。

そんな生活が続き何とか食い繋いではいたが、金がなければガソリンすら入れられない。
ガソリンの警告灯はすでに点灯していた。

一晩中どうやってガソリン代を作るかを考えていた。

ふとテントの周りを見ると街灯に虫が群がっている。その下に立派な角を持つカブトムシが一匹落ちていた。
そいつを拾い上げた瞬間頭の中で何かが噛み合った。
「そうだ、カブトムシを売って金を作ろう」
安易な考えだ。
朝方四時半。眠たい目を擦りながらゴソゴソとテントを出て林に入った。
木を見上げながら歩いていると地上三メートルほどの高さに幹にしがみつく黒い影が見えた。
右足で木を蹴る。
もう一度蹴る。
何度目かでカブトムシが音もなく落ちてきた。

子供の頃、朝早くから虫取りによく出かけていた。
まさか大人になって同じことをしてガソリン代を稼ぐとは思わなかった。

あの頃の感覚を頼りに俺はまた次の木を探した。

「一匹五百円ですよー!」と道の駅にいる家族連れ、カップル、老夫婦、目に入る人すべてに声をかけた。
「今日のご飯代とガソリン代が欲しくて売ってます」「今朝捕まえた意気のいいカブトムシです。」
今思えばすごく勇気のいることをしていた。
でも当時の俺は今日を生きるのに必死でない頭を使った結果がそれだった。

結果、売れたか気になる?君なら買っただろうか?小汚い十八歳のガキが道の駅で生き物を売っている姿を想像してほしい。
なんと完売したのだ。
人は情に弱い生き物だとその時知った。

カブトムシを売っている時、大量の荷物を積んだ自転車に乗る同じ年くらいの男を見かけた。
服は汚れていて髪や髭は伸び放題。
荷台には使い古したバッグと、無理やり縛った寝袋。
男がこちらを見た気がしたがすぐに目を逸らされた。

行き先は分からない。
何を考えているのかも知らない。
ただ、俺と同じように現実から逃げているだけかもしれない。

男は蛇口を捻り水筒に水を入れ自転車に乗り走り去っていった。

小銭を握りしめた手が、やけに重く感じた。
誰にも頼らず、自分一人で稼いだ金だと思うと胸の奥が少し熱くなった。

道の駅を出て1番近くのガソリンスタンドを目指した。

走っている途中でポンコツカーのエンジン音が一瞬、途切れた。
アクセルを踏む。
反応がない。

もう一度踏み込んだところでようやく理解した。
ガソリンが完全に底を尽きた。
近くのガソリンスタンドまであと二キロ。
そこで車は動かなくなった。
ニュートラルに入れ車から降り押し始める。
太陽の熱が容赦なく俺の背中に差し込む。
車を押しながら俺はゆっくりとガソリンスタンドを目指した。

日が暮れた頃ようやくガソリンスタンドに着いた。
車を押している俺を見て、店員が一瞬だけ手を止めた。
「……ガス欠ですか?」
「はい」
それ以上、何も聞かれなかった。
店員はウォーターサーバーの水を一杯差し出してくれた。
水を一気に飲み干す。
乾いた体に染み渡る。
小銭を差し出し「これで入るだけ」
店員は無言で受け取り、メーターを見ながら給油した。
数字が止まったところで「これで、ちょっとは走れますよ」とだけ言った。

その日の夜も畑で野菜を盗んだ。
空腹は水では誤魔化せなかった。

いつもの様に人気のない場所でテントを張りガスコンロに火をつけ、フライパンに盗んだ野菜を入れ料理をしていた。
料理といってもただ炒めて唯一持っていた調味料醤油をかけるだけだった。
野菜を盗んだ罪悪感のせいか、不思議と誰かに見られてる気がした。
その場にテントを張ったのはいいが、徐々に視線が増え見張られてる様な感覚になった。
周りを見渡したら公衆トイレの前に黒猫が一匹。
俺の方をじっと見ていた。

妙に嫌な感覚になり俺は飯を食べ、フライパンとガスコンロをトランクに片付けその場を離れた。
テントを置いてその場を離れ近くの道の駅に逃げ込んだ。

その日は道の駅で車中泊をした。
普段から車中泊をすれば良いのでは?と思うかもしれないがポンコツカーはツーシーターでシートはほとんど後ろに倒れない。
車の中では中々寝付けないのだ。

朝になりテントを回収しに行くとそこには看板がある。
眠たい目を擦ってよく見ると戦争で亡くなった人のお墓がある墓地だった。
なぜかそれを見たら少しだけホッとした。
野菜泥棒の罪悪感が大きかったのだろう。

この生活をいつまで続けるつもりなのかも分からなかった。
ただこのまま同じ場所に留まる気はしなかった。
あの旅が俺の人生で一番自由だったのか
それともただの逃げだったのかは今でもはっきりしない。
でも一つだけ確かなのは旅の中で何かを得ようとしたわけじゃない、何かを失ったわけでもない
ただ生きていたということだ。
そして俺は旅を終わらせた。

・自由の代償

旅を終え地元に帰った。
やりたいこともない俺はいわゆるニートをしていた。
地元に帰ってきて久しぶりに連れの博也に会う事にした。
「ドッドッドッ」
重低音を響かせながらゴツいアメリカンバイクが俺の前に止まった。
「久しぶり」「旅はどうだった? 元気にしてた?」
黒い革ジャンを着た博也がにっと笑う。
「おう、いい単車だな」
そう言ってタンクを撫でると、博也は得意げに「ボロを買ってさ、自分で直したんだぜ」
心の底から嬉しそうだった。間違いなく自慢の愛車なのだろう。
「そういえば、博也、就職したんだよな」
「仕事はどうだ?」
博也は少しだけ顔を曇らせた。
「工場に入ったんだけどさ……」
「毎日一時間電車に揺られて、仕事行ってるよ」
「家と職場を行ったり来たりするだけで、もう疲れる」
「これが後、四十年以上続くと思うと、ゾッとするよ」
何かを諦めたような顔だった。
「でもさ金は稼げるだろ。欲しいもんも買えるし」そう言うと、博也は眉をひそめた。
「手取り十五万ちょっとだぜ」
「正直、バイトしてた頃の方がマシだよ」

俺は言葉に詰まった。
「……でも、それも含めて自分で選んだ道だろ?」
博也は少しムキになった。
「お前はいいよな。卒業してから、自由に生きててさ」
博也から見れば羨ましいく見えるようだ。
俺は何も手に入れていないのにだ。
「やりたい事をしただけだよ」
「お前はやりたい事ないの?」
博也は黙り込みしばらく考えてからポツリと言った。「俺も……旅してみたいな」
少しびっくりしたが、考えるよりも先に
「おお、いいじゃん! 一緒に行こうぜ」
「金ないとキツいからさ、半年くらい働いて貯金しよう」

それから俺の部屋で朝まで話した。
やりたいこと、行きたい場所。
俺が経験した話。
気づけば深夜を回っていた。

帰り際、博也はバイクに跨りながら真っ直ぐ見つめ「俺、今の職場辞めるわ」
「金のいいバイト掛け持ちして、金を貯めてる」
そう言ってエンジンをかけ、重低音を残して走り去っていった。
一人旅とは違う。
次は、同じ方向を向いた仲間がいる。
俺はその音を聞きながら不思議と嬉しくなっていた。

⸻
俺はすぐにアルバイトを始め、がむしゃらに働いた。
博也も本当に仕事を辞めて、バイトを始めたらしい。
仕事はなんでも良かった。日当がいい外仕事を選んだ。
体は悲鳴を上げ、職場の先輩には怒られる毎日だったがそれでも苦じゃ無かった。
俺たちの立てた小さな目標に胸が高鳴っていた。

四ヶ月が経つ頃には俺は月に四十万を超える金を稼ぎそのほとんどを貯金に回していた。
休みという感覚はとっくに無くなっていた。
寝る間も惜しんでがむしゃらに働いた。

夢があったわけじゃない。
ただ二人で決めた目標に向かって必死だった。
その日も仕事を終えクタクタの体でバイクに跨る。
セルを回すとマフラーから白い煙が勢いよく吐き出された。

時刻は二十三時。真冬の空気が骨に染みる。
車通りは少なく夜の国道に音だけが響く。

家に着きエンジンを切る。
ヘルメットを脱ぎミラーにかけ、久しぶりに博也に電話をかけた。
連絡を取っていなかったわけじゃない。
月に一度、連絡をする程度だった。
「もしもし、久しぶり」
電話の向こうはやけに騒がしかった。
「おー! どうした?」
博也の声は妙に陽気だった。
「あと二ヶ月で半年だろ。どんな感じかと思ってさ」
少し間があって博也は
「そうだな。早く旅に行きたいよ」
何かと何かがぶつかり合い、弾ける音が聞こえてくる。
「じゃあ今から、うち来て話そうぜ」
そう言うと、博也は少し間を置いた。
「悪い。今さ、連れとオールでボーリング来ててさ」電話の向こうで歓声が上がった。
嫌な予感がした。
「……博也、貯金はいくらできた?」

沈黙。
やけに長く感じた。
「八万ちょっとかな……」
「バイクの整備とか、遊びで金が飛んでさ」
考えるより先に言葉が出ていた。
「お前旅したいって言っただろ」
「仕事も辞めて」
バイクのエンジンからカチカチ音が鳴る。
「なのに何してたんだよ」
「四ヶ月だぞ」
「金貯めるってその過程すらできねぇのか?」
博也はしばらく黙り込み低い声で言った。
「……お前さ、全部が自分の思い通りになると思うなよ」
「お前中心で世界は回ってねぇんだよ」
俺は一瞬、言葉を探して――それでも
「思い通りになるなんて思ってねぇよ」
一呼吸置いて、続けた。
「ただ、お前が」
「俺の想像以下だっただけだ」

「そうかよ」
「期待に応えられなくて悪かったな」
プツンと通話が切れた。

二人で立てた旅の目標は跡形もなく消え去った。

あの時言い過ぎたとは思わなかった。
正しいことを言った自信もあった。
だが正しさだけで人は一緒にいられない。
そんな当たり前のことを俺はまだ知らなかった。


地元の連れと飯を食いに行き自分のやりたいことを話すと決まって笑われた。

「また夢みたいなこと言ってる」
そんな空気が言葉より先に伝わってくる。
周りの連中はどうでもいい話で盛り上がっている。
俺はそこに入れないし向こうも入ってきてはくれない。
共感したい。共感もされたい。
その思いだけが膨らんで、気づけば何も残らなくなっていた。
虚無感が静かに俺を包んでいく。
俺だけが取り残された気がして、自然と周りと距離を取るようになった。
これが自由を選んだ代償なのだろうか。

第二章 腐った自由

十九歳になる頃年上の知り合いに誘われあるセミナーに参加した。転売事業のセミナーだった。そこで聞いた話は、どれも簡単そうに聞こえた。
「やらない理由がない」
そう思わされるには十分だった。

後日、俺は五十万のコンサルティングを受けることにした。
金を払いコンサルティングが始まった。

待ち合わせの時間にコンサルティングの先生と駅で合流した。
年齢は二十八歳。
全身にブランド品を纏い髪は金髪のオールバック、色の薄いサングラス。
ブランド品に詳しくない俺でも相当な額だと分かった。

先生は笑顔で「購入ありがとう!俺が教えた通りにやれば絶対稼げるようになるから頑張ろう」
そう言って行き交うサラリーマンを一瞥し、鼻で笑った。「今は自分の力で稼ぐ時代だからさ。人の下で働いてたら、ダメだよ」
そう言って高級時計をチラつかせる。
その言い方に少しだけ引っかかりを覚えた。
だが、五十万円を払った俺にはもう引き返す選択肢はなかった。
俺は真剣な眼差しで先生を見て、「よろしくお願いします」と言った。
それが、どこに向かう道なのかも分からないまま。
先生が歩き出し俺は背中を追った。
向かった先は家電量販店だった。先生はブランド鞄からスマホを取り出し商品のバーコードを読み取って行く。
ネットで販売した時の差額を見るらしい。
俺はやり方を丁寧に説明して貰いながら自分でもやってみた。
「こんな感じでいろんなお店に行って利益が出る商品を探すんだよ」
「次はドンキホーテに行ってみよっか。」そう言い先生は歩き出した。
スマホを片手にドンキホーテを何軒も回り、商品を買い漁った。

三時間ほど店舗を周り駅前に戻ってきた。
「それじゃ今日はこのくらいにしとこうか」
「困った事があったらいつでも連絡しておいで」
俺はお礼を言って別れた。

最初はほとんど稼げなかった。
それでもその頃の俺には、なぜか希望があった。小遣い程度の収入を得ながら、昼間はガソリンスタンドでアルバイトをしていた。
転売を始めて半年ほど経つと先生の指導もあり仕入れのコツを掴みそこそこ稼げるようになった。
もう必要ないと思いアルバイトは辞めた。
世話になったにも関わらずあまりにもあっさりと辞めたのだ。
しばらくして転売だけでは売上の限界を感じ別のやり方が必要だと考えた。
メーカーや卸業者と取引が出来れば売上が安定させれる。そんな事を思いつきそれからひたすら企業に連絡をしまくった。
初めは断られる事が大半だったが、徐々にコツを掴み少しずつ取引先が増えていった。
これがなかなかうまくハマった。
転売よりも、リスクが少なく安定して利益を得ることができた。
定価よりも安く仕入れて、定価で販売する。
何も批判される様な事ではない。
その頃、世話になったポンコツカーを手放し
背伸びをし少しだけいいスポーツカーを購入した。
今思えばそれが地獄への一歩だった。

メーカー契約と言えば聞こえはいいが大したことはしていない。
一日数時間パソコンでメールをチェックしたり、在庫管理をするだけで残りの時間はテレビゲームをして過ごした。
生活できる程度の収入はあった。それが、俺を完全に腐らせた。
この辺りから、俺の考えは変わっていった気がする。いや、正確には――
心の奥にあった「楽をしたい」という本心が
表に出てきただけなのだと思う。
俺はどんどん堕落していった。
目標もなくただ時間を消費していたのだ。
生きていたというより死んでいなかっただけだ。

そんな時世界中でコロナウイルスが発生した。
それをきっかけに、そこそこ順調だった事業ごっこはあっさり崩れ落ちた。
立て直す力もなくなんとなく始めてたまたまうまくいっただけの俺は、努力の仕方すら分からない。
安定して成功してる人は俺には想像も出来ないくらい努力しているのだろうとこの時分かった。 

俺はただ時間が解決するのを静かに待った。
そんな時にどこからともなく投資の話が現れた。
自分の力で稼ぐ力もない俺は
その美味しい話に迷いなく飛びついた。

投資を始めた初月に聞いた通りに配当が入ってきた。
普通ならありえない還元率だ。
俺は味を占め全財産を投資に回した。
月に七十万ほど入ってきた。
投資で入った金のほとんどを更に運用に回した。
三ヶ月ほど配当が配られていたが四ヶ月目に何かと理由を付けて、配当が配られなかった。
それから、どれだけ待とうが配当は配られる事は無かった。

投資詐欺だ。
気づいた時にはどうする事もできない。
手遅れだ。初めて詐欺に遭い俺は全財産を失ったのだ。
俺は金が無くなるまで投資話を1ミリも疑いもしなかったのだ。
頭の悪い俺はいいカモだったのだろう。
仕事も失い貯金も失った俺はすべてを投げ出し俺は再びニートに戻った。
自然と周りからは人が居なくなり気がついた時には一人ぼっちになっていた。

・選択の先

三ヶ月が過ぎる頃には毎日求人サイトを眺めていた。
ニートのままじゃいられないことは分かっていた。
でも、普通に働けるほど心の傷は癒てない。
なにより元々まともな人間では無かった。

時計の針を見ることはほとんどなくなっていた。何時でもどうでもよかった。

ある日ソファに寝転びながら画面を眺めていると一つの求人が、目に留まった。

探偵の募集だった。
憧れがあったわけではない。
特別条件が良かったわけでも無い。
ただ、他に行く場所がなかった。
気づけば、俺は電話をかけていた。
面接をしてもらえることになり俺はスポーツカーで探偵事務所へ向かった。
事務所は俺の想像とは大きく違っていた。
古びた、汚いアパートの一室だった。
インターホンを鳴らすと一人の男がドアを開けた。
部屋は生活感が無く、机が一つ置いてあり、そこにはデスクトップと灰皿が置いてあり、タバコ臭い。
丁寧な挨拶をして男は自己紹介を始めた。
探偵会社の代表だと言い名刺を渡してきた。

代表は小柄な体格だが、体重は百キロは超えているだろう。
白い四角い額縁の胡散臭いメガネをかけ金髪のツーブロック。どう見ても胡散臭い男だった。
その男は田中と名乗った。
話を聞くうちにいくつか分かったことがある。
現在従業員は居らず大手探偵事務所とフランチャイズ契約をしているらしい。
雇用形態は正社員ではなく業務委託。
つまり個人事業主だ。
最初の三ヶ月は給料なし。
それどころか調査にかかる費用もすべて自腹。
調査は全国対応。
移動はすべて車でほぼ一年中ホテル暮らし。
――誰がこんな所で働くんだ?
当然そう思った。
それでも俺は断らなかった。
他に行く場所がなかったからだ。
断らなかった俺を見て田中は
ボロボロのビデオカメラと、モバイルバッテリー型のカメラを渡し
「本部に登録しとくから、どこで調査をするか連絡が来る」 そう言って、契約書を出して来た。

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