「何のために生きてるのか分からないですよね」と高円寺駅のホームで言ってみた
「死なないでよ?」
カツセさんが私の目を見て言う。普段は、人の話を半分しか聞いてなさそうな、どこかふわふわと漂っていそうな人なのに、今はその目に、ちょっと真剣な色が浮かんでいるのが面白い。
「死にませんよ」
私は半分笑って答える。
酔いを頭のてっぺんから革靴の中のつま先まで回し、この時間は現実から離れているおじさんたちの喧騒。ガハハと笑い合う彼らは、今この瞬間もスーツ姿だ。少し湿度を含んで重みの出た空気が、生ぬるく、ちょうど肌の体温くらいで、どこかに吹き抜けるでもなく漂っている夜の感触。金曜の、中央線高円寺駅。高尾方面に散り散りに帰っていく人たちの群れは、明朝再び都心方面に向かっているのだろう、という脳に染み付いた意識から今日だけは解放されているに違いなく見えた。他の曜日とは異なり、今夜の駅のホームは、きっと薄っすらピンク色がかっている。私たち二人の会話は、そんな中に吸収されていく。
こんな喧騒だから、私たちの声は誰にも届かなくて、カツセさんだけが今、私の声を聞いてくれている。
「なんか、何のために生きてるのかよく分からないですよね」
単純に素朴な疑問として口にしたその言葉に、
「エッ」
と驚いたカツセさんに驚く。なるほど、こういう疑問を抱かずに生きている人もいるのか。
二、三ヶ月に一回、どちらともなくふらっと連絡し合い、近況を報告しながら飲んで、また別々の暮らしに戻っていくくらいの関係性。知り合い。
そんな日々の中のちょっとしたイベントが楽しくて、そんなことを他の二、三人の友達ともやっていて、だから人生は結構定期的に楽しい。
そして、だから何?
何事にも結びつかない、その瞬間だけの喜びは、何のためにあるのだろう?
人生に意味なんてないんだよとカツセさんは言う。
そうなんだろうなと私は案外すんなり、思考ではない本能的な部分で腑に落ちる。私のこの発する声が今、目の前のカツセさんの耳にしか届かないように。そこには理由なんてなくて、ただ物理的な空気の振動しかないように。人生に意味がないのは、それと同じようなことなのだろうなと。全く違う事象なのに、ただ、そうなんだよと私の中の、生物としての人間が言っている。
何のために生きているのか分からないけれど、死ぬつもりはない私と。そんなことは考えないけれど、もし寿命というものがあるなら今すぐにでも全うし終えたいと思っているカツセさん。
私が反対方面の電車に乗り込み、先に去るのをカツセさんが見送る。二人が別々の地でこの世に存在しているということ。二、三ヶ月後にまた連絡がふっと湧いて会うかもしれないし、もう会わないかもしれないということ。それまで生活し続けるということ。
