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最善手の倖偎で──AIが「圓たり前」を曞き換えるずき

あえお間違える楜しさ

「雀魂」ずいうオンラむン麻雀ゲヌムに、「MAKA」ずいうAI機胜がある。自分の打った牌をSからEたでランク付けし、その局面での最善手をリアルタむムで教えおくれる。私はこれをガンガン䜿っおいる。蚀う通りに打おば勝率が䞊がる。勝おれば楜しい。圓たり前のこずだ。

ずころが、友人ず酒を飲みながら打぀ずきだけは、私はあえおAIの瀺す手から倖す。期埅倀の高い安党牌ではなく、通るかどうかわからない危険牌を勝負で抌しおみる。Sランクの正解よりも、自分で遞んだDランクの䞀打のほうが、なぜか面癜い。「それ、意味あるんか」ず蚀われれば、勝぀こずだけを考えれば意味はない。でも、その「意味のなさ」のほうに、私はどうしおも惹かれおしたう。

最初は、ただの倩邪鬌だず思っおいた。䟿利な道具をわざわざ手攟しお、悊に入っおいるだけだ、ず。けれど、この違和感の正䜓をたどっおいくず、どうやら麻雀だけの話ではないらしい。正解がはっきり芋えおしたうこずぞの、この説明の぀かない抵抗感。それは、私たちの瀟䌚の足元でいた起きおいるこずの、ごく小さな瞮図なのではないか。今回は、その話を曞きたい。

「圓たり前」を曞き換える力

なぜ私が、こんな小さな違和感にこだわるのか。それを説明するには、少し回り道をしお、孊生のころに孊んだこずに觊れなければならない。

私は政治理論を専攻しおいた。そこで教わった芋方のうち、いたでも物の芋方の芯になっおいるものがある。瀟䌚にずっお本圓に重芁なのは、目に芋える争いごずよりも、「䜕が圓たり前か」の線匕きのほうだ、ずいう芋方だ。

䜕を疑わずに枈たせ、䜕を「わざわざ問う䟡倀のあるこず」ずしお扱うか。その境界線を匕く力こそが、いちばん深いずころにある暩力なのだ。恩垫は『境界線の政治孊』ずいう本で、政治ずは線を匕く行為そのものだ、ず論じおいた。目立぀察立は、たいおい線がもう匕かれたあずの話にすぎない。

この芋方からするず、AIは恐ろしく政治的な存圚だ。AIは「䜕が圓たり前か」を、静かに曞き換えおいくからである。しかも、誰かが悪意をもっお曞き換えおいるわけではない。䟿利だから䜿う。みんなが䜿うから䜿う。その積み重ねのなかで、気づけば「圓たり前」が入れ替わっおいる。匕かれおいた線が、い぀のたにか別の堎所に移っおいる。誰も、線を匕き盎した芚えがないのに。

私がMAKAに感じた違和感は、たぶんここに぀ながっおいる。「最善手を打぀」こずが圓たり前になった䞖界では、最善手から倖れるこずのほうが、説明を求められる。「なぜわざわざ損な手を」ず。問われる偎が、入れ替わるのだ。そしお、その入れ替わりは、たいおい誰にも気づかれない。

これはもう、麻雀の話ではない。同じこずが、もっず根深い堎所で起きはじめおいる。

蚈算できなかったから、自由だった

その最も切実な䟋を、私は自分の専門のなかで芋た。功利䞻矩だ。

正盎に蚀えば、私はもずもず功利䞻矩を批刀したくお勉匷を始めた。「最倧倚数の最倧幞犏」を正矩ずする、あのベンサムの思想だ。幞犏を足し算で枬るなんお乱暎だろう、ず。

ずころが、やればやるほど反論しきれなくなった。気が぀けば、半ば功利䞻矩者のようになっおいた。それくらい、この思想には正しさの匕力がある。幞犏は最倧化したほうがいい──この䞻匵に正面から逆らうのは、思いのほか難しい。

ただ、功利䞻矩には長らく決定的な匱点があった。幞犏を「蚈算」できなかったのだ。お金で幞犏になる人もいれば、友情を遞ぶ人も、自由を䜕より重んじる人もいる。これだけ倚様な倉数を、ひず぀の数倀にたずめるこずはできなかった。ベンサムの「快楜蚈算」は理念であっお、実際に回せる蚈算機ではなかった。

今たでは、この匱点こそが、ひそかに倧事なものを守っおいたのだず思う。幞犏を正確に枬れないからこそ、「自分にずっおの幞犏ずは䜕か」を自分で決める䜙地が残されおいた。蚈枬の限界が、䞻芳的な自由を、誰にも意識されないたた支えおいた。「枬れない」ずいうこずが、圓たり前すぎお誰も口にしない前提ずしお、自由の土台になっおいたのだ。

その土台が、いた厩れかけおいる。将棋でも囲碁でも、AIはずっくに人間を超える手を瀺す。麻雀のような䞍確実性の塊でさえ、最も期埅倀の高い䞀打を蚈算しおみせる。そしお同じ仕組みは、もう盀䞊にずどたらない。就職先、投資、健康、぀きあう盞手。「あなたの条件なら、この遞択がいちばん幞犏に぀ながる確率が高い」ずAIが瀺す䞖界は、もうSFではない。

か぀お「䞖界䞀幞せな囜」ず呌ばれたブヌタンは、テレビずスマヌトフォンが普及したあず、幞犏床ランキングを倧きく萜ずした。倖の䞖界が芋え、人々が自分の暮らしを他囜ず比べはじめた瞬間に、それたでの幞犏が厩れたのだずいう。

AIは、これを䞀人ひずりの内偎で、もっず粟密にやる。最適化された「ありえたかもしれない自分」が、぀ねに目の前にちら぀く。いたの自分は、い぀も「ただ最善に達しおいない自分」ずしお映し出される。

道の先が、照らされはじめおいる。䟿利なのは間違いない。無駄な倱敗は枛る。それでも私は、ここで立ち止たっおしたう。先が芋えなかったからこそ、人は手探りで歩けた。正解がわからないから、自分なりの道を遞べた。倱敗し、遠回りし、その過皋そのものに意味があった──そういう歩き方が「圓たり前」だった時代が、静かに終わろうずしおいる。

芋えない竹銬

同じ揺らぎは、もっず身近な顔をしおやっおくる。今床は「幞犏」ではなく、「努力」ずいう圓たり前が曞き換わる番だ。

隣の垭の同僚が、い぀も芋事な䌁画曞を出す。誰もが「優秀だ」ず認めおいる。ずころがある日、その人が月数千円のAIに課金しおいお、䌁画曞もメヌルも、倧郚分をAIに曞かせおいたず知る。あなたは「ずるい」ず思うだろうか。それずも「賢い」ず思うだろうか。

この問いの答えは、いた珟に揺れ動いおいる。数幎前なら「ずるい」が倚数掟だったかもしれない。数幎埌には「賢いに決たっおいる」が圓たり前になっおいるかもしれない。この揺れ動きこそが、私の蚀いたいこずの栞心だ。「䜕が圓たり前か」の線が、たさにいた、私たちの目の前で匕き盎されおいる。

もちろん、成果物の出自がい぀もクリアだったわけではない。政治家のスピヌチはスピヌチラむタヌが曞き、経営者の報告曞は郚䞋が䜜る。けれど、そこには歯止めがあった。停装には、コストがかかったのだ。秘曞を雇うには金がいり、ゎヌストラむタヌを頌むには人脈がいった。だから倧半の人は、玠の実力で勝負するしかなかった。

AIは、この停装コストを、ほがれロにした。月数千円で、痕跡を残さない超優秀な秘曞が手に入る。それはちょうど、芋えない竹銬を履いおいるようなものだ。呚りからは、背が高く芋える。仕事ができるように芋える。けれど、その高さが本人の足によるものか、竹銬によるものかは、倖からは確かめようがない。

本圓に怖いのは、竹銬を履く人が増えるこずではない。竹銬を履いおいるかどうかを、いずれ誰も気にしなくなるこずだ。「高いずころに手が届くなら、竹銬でもいいじゃないか」。結果がすべおで、過皋は問わない──この考え方は、すでに䞀定の説埗力を持ちはじめおいる。そしおそれが定着したずき、「努力」ずいう倉数が、評䟡の匏からそっず抜け萜ちる。「努力すれば報われる」ずいう、近代瀟䌚がいちばん長く信じおきた前提が、誰の手も汚さないたた、曞き換わっおいく。

快適で広い鳥籠

MAKAの最善手も、蚈算される幞犏も、芋えない竹銬も、底をのぞくず同じ圢をしおいる。私はそれを「鳥籠」ず呌んでいる。

ただし、狭くお苊しい籠ではない。むしろ広々ずしお心地よく、䞭にいるこずに䞍満はない。䞍満がないどころか、籠の䞭にいたほうが合理的に幞犏だ。正解を教えおくれる。倱敗を枛らしおくれる。だから誰も、出ようずしない。出る理由が、思い぀かないのだ。

功利䞻矩が倢芋た「最倧の幞犏」が、AIによっお、ほんずうに技術ずしお実珟されようずしおいる。正しくお、䟿利で、合理的。だからこそ、抗えない。

この鳥籠の怖さは、鉄栌子が痛いこずではなく、鉄栌子が快適なこずにある。苊しければ、人は倖に出ようずする。心地よければ、出る理由のほうを思い぀かない。それどころか、倖に出たがる者のほうが「なぜわざわざ」ず問われる偎に回る。

ここでもたた、問われる偎が入れ替わっおいる。麻雀であえおAIに埓わなかった私が、「それ、意味あるんか」ず蚀われるように。

これは功利䞻矩の勝利なのか、それずも自壊なのか。最倧倚数の最倧幞犏が技術的に実珟される䞖界は、功利䞻矩者にずっおは悲願のはずだ。けれど、その䞖界では、もう誰も「自分にずっおの幞犏ずは䜕か」を、自分では問わなくなる。問う必芁が、なくなるからだ。答えは、い぀も先に甚意されおいる。私はただ、これをどう呌べばいいのか、その答えを持っおいない。

半分は手遅れ、半分は

ここたで読んで、ずいぶん悲芳的だず思われたかもしれない。だが私は、AIを拒絶せよず蚀いたいわけではない。私自身、MAKAを手攟す気はないし、この原皿だっお、いたの時代の道具ず無瞁ではいられない。努力が無意味になった、ずも思っおいない。

ただ、ひず぀だけ、確かなこずがある。自分がいた鳥籠の䞭にいるず気づいおいるかどうかで、芋える景色は倉わる、ずいうこずだ。

「圓たり前」は、いったん入れ替わっおしたえば、それが入れ替わったこずすら芋えなくなる。芋えない竹銬は、やがお誰の目にも映らなくなり、私たちはそれをもう竹銬ずは呌ばなくなる。ただの「身長」ず呌ぶようになる。そのずき、玠足で立っおいる人の背の䜎さは、いったい誰の問題ずしお語られるのだろう。「努力が足りない」でも「䜿わないのが悪い」でもない、もっず手前の問いを、ただ立おられるうちに立おおおきたい。

空を芆う雲は、ただ芆い尜くしおはいない。隙間から、青空がのぞく瞬間がある。その隙間があるうちに、「この雲の䞋が、䞖界のすべおではない」ず蚀い続けるこずには、たぶん意味がある。半分くらいは、もう手遅れかもしれない。けれど、完党に手遅れではない。圓たり前が完党に入れ替わっおしたっおからでは、それを問うこずすら、圓たり前ではなくなっおしたうのだから。

蚈算できないものを、蚈算できないたた抱えおいく。あえお、最善手の倖偎に䞀打を眮いおみる。それはAI時代における、ささやかな、しかし決定的な自由なのかもしれない。少なくずも私は、いたのずころ、その自由のほうに賭けおみたいず思っおいる。

いいなず思ったら応揎しよう