
母という役割を演じているだけ
私はまだ、母という役割を演じているに過ぎない。
小さくてか弱くて、でも力強い、あの愛しい命を守る責任があるのだ、という認識はある。
でもまだ、「ママ」や「母」という単語を使われるとそわそわしてしまう。自分を表す言葉としてしっくりきていないからである。
わが家では、夫婦二人で協力して赤ちゃんをお風呂に入れている。基本的には夫が体を洗う係で、お風呂上がりの保湿や着替えを私が担当している。
お風呂上がりに毎回夫が「お母さんですよー」「ママが来ましたよー」などと赤ちゃんに声をかける。それから私は赤ちゃんを受け取って、「今日もお風呂がんばったね!」と言いながら保湿を始める。
「ママだよ」と夫が言うとき、いつも「私はママなのか」と心の中でその言葉を反芻する。聞き流せないくらい新鮮なのだ、自分がママであるという事実が。
赤ちゃんが私たちの家族なんだ、ということが腑に落ちたのは生まれて一ヶ月を過ぎてからだった。
一ヶ月健診が終わり、大人と同じ浴槽に入れるようになってから数日。いつものごとく夫と赤ちゃんが一番風呂に入り、お風呂上がりの赤ちゃんを私が受け取り、保湿をして、授乳して、寝かせて。
それから自分の夕飯を食べて、ようやくお風呂に入った。すこし冷えたお風呂を温めながら、浴槽を眺めていたそのときに、「さっきまでこのお風呂に赤ちゃんが入っていたんだなあ」と思った。
そして、彼は私たちの家族なのだ、となぜかその瞬間に実感したのである。
これまでは沐浴をしていて、大人のお風呂とは別。大人のような食事はできないので、栄養は母乳やミルクから摂るしかない。自分の意思は泣くことでしか伝えられない。
自分たちとは違う生活をしている、違う生き物のような。特別扱いをしていたとも言えるかもしれない。どこかお客様のような気持ちがあったのだと思う。やわやわで、大切に扱ってあげなきゃいけない存在。だってまだこの世界に出てきて一ヶ月なんだもの。
でも、これからは同じお風呂に入る。もっと成長したら、同じ食事をとるようになる。言葉で意思を伝えるようになる。なんとなく、別の生き物であるような感じがしていたけど、どんどん自分と同じ生き物になっていく(今も同じなんだけどさ)。
そうなったときには、彼はもうお客様ではない。私も、自分のことを当たり前のように「ママ」と呼べるようになっているのだろう。
彼は、私たち夫婦が与えたものを受け取るしかないのだ。私たち夫婦が彼の最初の世界になる。なんて責任だろうと思う。
母としての自覚は、あるような、ないような。まだ「ママですよ」となんの恥じらいもなく言える自分ではない。
それでも、彼のことを大切に思っている。愛おしい存在。たった一度の笑顔で、自分の声が一オクターブ上がってしまうくらいには。
自分を表す言葉として、「ママ」「母」という単語がしっくりくるようになるのは、いつのことだろう。
ある日のお風呂で彼が家族であるのだと腹落ちしたときのように、突然得心がいくのだろうか。それとも、彼が「ママ」なんて呼んでくれた日にようやく納得するのだろうか。
それとも、こんなそわそわした気持ちをずっと抱えながら、一つの役割として、母であることを受け入れていくのだろうか。もしかしたらそのほうが、彼を個別の人間として認識できていていいのかもしれない。
これからの自分の変化は想像がつかない。でも、その日その日の彼に向き合っていくその過程が私を母にしていくような、そんな予感がしている。
母としての役割は、きっと今もできているはず。ゆっくり母になっていけばいい。