
借り物のだいじょぶ
「大丈夫」だけは、ずっと不純物が混じっていたように思う。
思っていないことは言わない。自分がやってないことは、人にやれと言わない。私が意地でも手放さなかった掟は、たぶんその二つだけ。なのに、その一番強い反例が「大丈夫」だった。大丈夫じゃない時ほど、大丈夫って言った。笑って、手を振って、平気な顔をして。
別に、「大丈夫?」って聞かれたかったわけじゃない。心配される側に回るのはもっと苦手だ。自分が本当に大丈夫じゃないんじゃないかと、揺らいでしまうから。ただ、子供の頃、言葉が拙くてうまくしっくりくるものを見つけられなかった私が、ずっと思っていたのは、たぶん「労って」でも「気づいて」でもなかった。
信じて、だった。私は大丈夫だって、信じて。
たぶん一番は、母に言いたかったことだ。お母さん、わたしはだいじょぶだから。そんなに心配しなくても、ちゃんとだいじょぶだよ、って。
でも、漢字から考えて、子供が大丈夫なわけがない。大の、丈夫な男——昔の一丈ぶんの背丈をもった、ひとり立ちの男のことなんだから。小人の私に、その背丈はまだなかった。だから私のは、ひらがなの「だいじょぶ」だった。中身が足りないぶんを、大丈夫の力で埋めてた。借りてた、というより、背伸びだ。爪先立ちで、自分にはまだ大きすぎる背丈に、届いたふりをしてた。
この話をすると決まって思い出すのが、小学6年生の時の真っ白なパーカーだ。ティンカーベルが線画で描かれていて、一目惚れした。母に見せると、当然のように一蹴。「白なんて汚れが目立つでしょ」。汚したら洗うのは母で、私もインドア派ってわけじゃなかったから、今思えばそりゃそう、なのだけど。大丈夫だもん、気をつけられるよ。そう思っていたのに、うまく口には出せなかった。
だけどその日は、服屋に来ることもファッションへの興味もカケラもない父が、珍しく一緒にいて、珍しく口を出した。「もう6年生なんだし、買ってやったら。汚したら自分で洗えるだろ」。父は基本的に「心配」をしない人だった。放任とも違って、やりたいことは、できる範囲で、やってみさせてくれる。納屋の万力とノコギリで、その辺の木を切るのが好きだったのも、夏休みの貯金箱をメリーゴーランドにしたいと言った時も、「危ないからやめなさい」と言わない父のおかげで、私は自分の「やってみたい」を、心配には殺させずに済んだ。
そのパーカーをどのくらい汚さずに着られたのかは覚えてないけれど、いまだに真っ白い服を「かわいい」と思うと、反射的に躊躇してしまう。

この間、洗練された雰囲気の、憧れのお姉さんから、白いワイドパンツをもらった。ちょっといいシルクっぽいやつ。自分でもびっくりするくらい似合って、すごく気に入って、ウッキウキで履いて出かけた。なのに頭の隅では、ずっと母の、あの声がしてた。「白は汚れが目立つから」。
だから、というべきか、案の定、渋谷の坂道で正面から転んだ。土と砂利で汚れて、膝も擦りむいて、パンツに血までついた。
それでも、そこで止まらずに、すぐコンビニに駆け込んで、除菌シートと絆創膏を買って、これ以上被害が広がらないように手を打って、おしぼりで血をできるだけ落として、そのまま友達との食事に向かった。汚したまま、約束には行った。
帰ってからウタマロで洗ったら、本当になかったみたいに落ちた。布が良かったのもあるんだけど。やらかしても、意外と大丈夫なのだ。片手に収まるデバイスでなんでも調べられる時代に、方法なんていくらでもある。
あるアニメで、選手がコーチに向かって「僕が勝つって僕より信じてよ」と叫ぶシーンがある。ああ、これ私だ、と思った。同時に、この「信じて」は believe より trust だな、と英語の先生の職業病も出た。誰かが「清香は大丈夫」って信じてくれてたら、私はその分だけ大丈夫でいられる。そういう仕組みで、長いこと立っていた。
どこまで行っても、誰かの大丈夫を借りて、支えてもらって立ってるだけなんだよね、それって。植えられたばかりの街路樹が支柱でやっと立っているようなもの。だから必死で、信じてもらえる自分でいようとする。期待に応える。いい子をやる。だいじょぶ、って背伸びをする。バレエのレッスンで使うバーに両手で捕まって、なんとかつま先で立っているような、そんな安定も何もない背伸びだった。なんなら、バーにぶら下がっているようにしか、見えない頃もあったのかもしれない。嘘、ではない。体幹がしっかりしてなかっただけだ。まだ。
長いこと"先生"という衣を着っぱなしだったから、ここらで天日干しでもしようか、とケアンズまで来て、やっとそこに気がついた。そこで、大丈夫を借りるのをやめて、思い切って買うことにした。
ケアンズで師匠に出会って、この人は絶対に大丈夫だ、と思った。だからお金も払って、しばらくの間の「絶対大丈夫」を買った。痛い思いも、ツケも、成長痛も払った。借りた大丈夫はずっと相手のもので、返さなきゃいけない。でも、買ったものは自分のものになるはず。——で、蓋を開けたら、師匠は全然「絶対大丈夫」じゃなかった。笑っちゃうくらいに。
おまけに、いつだったか、面と向かって言われた。I'm not your daddy. お前の父親役を引き受けた覚えはない、って。その時はムッとしたけど、後で考えて、図星だったと気づいた。私はしばらくの間の掴まっていられる支柱を買っただけなのに、また、寄りかかれる大丈夫を探してた。
思えば、初めてじゃない。大学の卒論の頃にも、教授に「僕を言語学者として見てくれ」と言われたことがある。全知の何かじゃなく、全てを受け止めてくれる大丈夫ではなく、一人の専門家として関われ、と。あの時も私は、同じ大丈夫を相手に押し付けてた。あの時は、何を言われているのかよくわからなくて、でも、私が何か、盛大に勘違いをしていたんだということだけはわかって、苦しかった。そして、またやっちゃったのかな、と思った。
それでも、大丈夫だったんだよね。
人って、思ったより大丈夫なんだ。ガッカリする方の「思ったより」も、ホッとする方の「思ったより」もあるけれど、どっちにしても私の見積もりはだいたい外れている。だったら、「もうダメだ」っていう私の見積もりも、同じくらい外れているはずで。「ダメかもしれない」が、合ってないんだとしたら、それはもう、どうせ大丈夫しかなくなる。
——そもそも、脳ってわりと簡単に騙せるらしいのだ。
いつだったか、脳科学者の中野信子さんが、エアレースのパイロット・室屋義秀さんと話している番組を見た。本番で集中状態に——ゾーンに意図的に入るにはどうするか、と室屋さんが聞いて、中野さんが、体の使い方の話を答えてた、そんな文脈だったと思う。割り箸を咥えたまま作業をすると、不思議と楽しかった気がしてしまう、なんて実験も聞いたことがある。
小さくエンディングテーマが流れ始めた頃に、そんな話になり、そこで、室屋さんが急にやったのだ。両手をぐっと握って、ガッツポーズしながら、「ダメかもしれないって思ったら、こうやって言えばいいんですね!」と。中野さんが吹き出して、つられて二人で、エンドロールに重ねてガッツポーズしてた。本編が終わって、力が抜けたところで、一番大事なことを、ふざけながら手渡してた。
それを見てから、私もやってる。ガッツポーズしながら、ダメかもしれなーい!って。私がこうしながら職場に入っていくと、仲良しのお姉さんはいつも笑って、お菓子をくれた。深刻なまま握りつぶすより、体で茶化して握り直す方が、ずっと前に進める。

道は、たぶんふたつあった。大丈夫って言い張るのをやめて、「大丈夫じゃない人」として正直に生きる。実際、一丈って180cmくらいらしい。156センチの私では、限界まで背伸びをしたって、24センチは埋まらない。2つ目の選択肢は、嘘を、嘘じゃなくしてしまうこと。ケアンズで私が選んだのは、後者だった。大丈夫じゃない自分を許して踵を地面につける、じゃない。大丈夫なふりをやめずに、本当に大丈夫になるまで続ける。背伸びをやめて、大丈夫じゃない人になるんじゃなくて、体幹を鍛えて、背伸びしたまま平気で歩ける人、All good な人になる方を、選んだ。
そう決めたら、人に向ける言葉も変わっていった。「大丈夫?」って心配する側じゃなくて、「あなたは大丈夫」って言い切れる側に回ってた。
I don't worry. I care about you. ——師匠がくれた言葉だ。worry は、相手を信じきれてない時に出る。痛い目に遭わせたくない、という自分のエゴが、ちょっと混じってる。care は、信じた上で、ただ手を添える。心配は、しない。でも、転んでも、ちゃんとそばにいる。オーストラリアの人たちは、なんでもかんでも no worries って言う。ありがとうにも、ごめんにも、no worries。最初は口癖だと思ってた。今は、あれは思想だと思ってる。worry のない国で、立ち上がり方なら知っているだろ、と、私は care の仕方を覚えた。
ケアンズで知り合った、日本人の女の子がいる。ワーホリを反対されて、1年だけって説得してきた子。今度の一時帰国で、期間を伸ばしたいと親を説得しに行くんだと言う。2年前の私を見ているようで、言うかどうか迷ったけど、一文だけ渡した。これはお守りで、最終手段。劇薬だから、使わずに済むならその方がいい、と前置きして。
——私は、あなたたちのお葬式でちゃんと悲しみたいよ。お父さんとお母さんの言うことを聞いて、やりたいことを我慢して、親が死んで喜ぶ子になりたくない。「これでやっと私は自由になれる」なんて思う人間には、なりたくないんです。だから、私の人生を、私の自由にさせてください。
私の中で、親孝行とは、親が死ぬ時に「この子は大丈夫」と思って旅立てるように生きること。その条件は、親よりも大事なこと、夢中になれることがあることだと思っている。親を、自分の人生で一番大事なままにしないこと。その先の2番目以降で彼らをどうしたいかは、自分で決めたらいい。
私はあの頃、誰かにこんなことを言ってもらって、親孝行な娘じゃなくても大丈夫なんだ、とホッとしたかった。でも今は、自分でこれを書いて、自分の足で立って、その上で誰かに手渡せる側にいる。借りる側から、託す側に、いつの間にか回っていた。
Don't try to make the right decision. Make your decision right. 正しい決断をしようとしないで、あなたの決断を正しいものにしなさい。大好きな戒め。今大丈夫じゃないなら、大丈夫にすればいいだけだよ。手伝うよ。
とは言ったものの、誰かの人生の責任を、代わりに背負うことはできない。
借りた大丈夫を返せなかったのも、たぶん同じ理屈だ。私は師匠に「絶対大丈夫」をお願いしたつもりでいた。でも、預けられた方だって、本当は持ちきれない。だって、人が取れるのは自分の責任だけだから。師匠が「絶対大丈夫」じゃなかったのは、裏切りでも力不足でもなくて、ただ、他人の大丈夫は誰にも持てない、というだけのことだったんだと思う。だから私は、借りるのをやめて、自分の分を、自分に返した。自分の足で立つしかないことを、いい加減、認めた。
こう言うと、急に冷たく聞こえる。自己責任、っていう、あの突き放す響き。でも、責任が取れないことと、何もできないことは、違う。
責任は取れない。代わりに痛むこともできない。それでも、手形は残せる。あなたの代わりに歩くことはできないけど、あなたが歩く時に、ちょっとだけ背中に手を当てることはできる。何を引き受けるかは、あなたが決める。私にできるのは、その横で、押されたことにも気づかれないくらいの手形を、そっと残すことだけ。背負ってはあげられない。でも、一人にはしない。このふたつは、ちゃんと両立する。
押された手形の、ひとつひとつが、根なんだと思う。
仕掛けと物語を生活に織り込むのが天才的にうまかった母。女の子とか姉とか、枠にはめないでくれた父。甘える練習をさせてくれたお姉さん。表情は鍛えて使うものだと教えてくれた、もりのクマさんみたいな教職課程の先生。世界で一番嫌いで一番尊敬してる心配しない国の師匠。直接会ってなくたって、本や音楽や芸術を通して受けてきた手形もたくさんある。その人たちが残していった凹凸の、ぜんぶの集合体が、地面の上で一本の木の形をしてる。それが、私だ。自分ひとりで生えた木なんて、たぶんどこにもない。
私が誰かに押した手形が、正しかったかどうかは、たぶん私は知らないままだ。塾で教えてた頃から思ってた。あの子に渡したものが良かったのか、その答え合わせは、あの子が大人になって、親になって、その子が「うちの親ってさ」って——つまり昔の私の教え子を——語る。それくらい先まで行かないと、できない。私はその場に、もういない。言葉だってそう。その場では入らなくて、何年も経ってから「ああ、こういうことだったのか」って急にほどける言葉がある。師匠にもらった言葉も、まだ何個も、意味になりきらずに私の中で待機してる。配達を遠い未来に予約された小包みみたいに。
行動も、言葉も、その時いいと思ったことを選ぶしかない。感謝されたことが後で恨まれたり、怒らせたことが後で感謝されたり、何の気なしに言った言葉が、誰かをめちゃくちゃに傷つけていたり、救っていたりもする。因果は、あとからいくらでも引っくり返る。絶対はない、という事実だけが絶対。見積もりは外れる。だから、その時々のベストを、わからないまま選ぶ。それしかできない。
つまり、答え合わせは、たぶん一生来ない。強いて言うなら、その時々にやりたいことをやれるだけやることが、「あー楽しかった」で終わるヒントなのかもしれない。死ぬ直前に「もっとやりたいことやればよかった」という後悔を口にする人がたくさんいるから。樹木希林さんみたいに「平気で逝く」のは難しいかもしれないけど、「あーくそ時間が足りん!でもやれるだけやったわ!じゃーね!」くらいには、なりたい。
BUMP OF CHICKEN の「HAPPY」に、ずっと手放せない一節がある。
借り物の力で構わない そこに確かな鼓動があるなら
これだけはどうしても、原文を引きたかった。借りるのをやめて買ったつもりで、結局ぜんぶ借り物だった。寄りかかっていた。力も、勇気も、手形も。だけど、それでよかったんだ、と、この一節に肯定してもらった気がしている。何を懐に忍ばせて、誰の隣を歩くのか。選んだのも、これから選ぶのも、私だから。どうせなら、この鼓動が弾む方を選び続けたい。
私が誰かに押した手形を、その人はきっと、押されたことにも気づかないまま生きていく。私がそうだったみたいに。それでいい。根は、地面の下で見えない。答えも、ずっと先で見えない。
それでも、だいじょぶ、ともう一度、声に出してみる。確認できる日は、来ない。今だいじょぶじゃないと思ってても、だいじょぶになることもあるし、だいじょぶだったはずのことが、だいじょぶじゃなくなったりもする。来ないと知ってて、どうせ正しいかなんて確かめようがないから、私の大好きな国の人たちを見習って、無責任に言う。自分にも、他人にも。
だいじょぶ、だいじょぶ。だいじょぶになるか、だいじょぶにするか、この2つしかないから。
あの頃、母に言った「だいじょぶ」と、同じ音だ。同じ、ひらがな。あの時は、背丈に届かない背伸びだった。今のは、一度ちゃんと漢字の背丈まで伸びて、丈夫さを手に入れて、その上で、力を抜いて言える音。借り物の形のまま、中身だけ、もう違う。

この子たちを描いてくれたのは、私が18の頃からずっと私の隣にいてくれる、絵の上手なお姉さん。私の大事な、大きな手形のひとつです。