見出し画像

(ほぼ日記)6月の鎌倉に行きたくて震える

新緑が深まり、京都では真夏日の気温を超える日もちらほら。
でも日陰に入ればまだ涼しくて、本格的な梅雨&夏を迎える前の、カラッとした風が心地いい。
こんな日は、鎌倉に行きたい!

鎌倉インターから山をひとつかふたつ超えて、大鳥居に沿った目抜き通りを先へ先へと進むと、由比ヶ浜の波打ち際を真正面に構える交差点が見えてくる。

休日の大渋滞に悪態をつきながら、かたつむりのようなスピードで車で海沿いを進み、のっぺりとした江ノ島がようやく姿を現す。あの瞬間、渋滞で燻っていた時間が少しは報われた気になるのよね。

ぷかぷか所在なさげに浮いている缶類とか、衛生面は脇に置いておくにしても、まだ夏前なのにずらりと横一列に並ぶサーファー達が「海に来た!」
という実感を盛り立ててくれる。

混じりたいとはあんまり思わないけれど(海黒っぽいし)、湘南の風景を形作る一員として、末長く波に乗っていてほしいものだ。

私はというと、湘南にいるときにだけ頭を出す人格(関東民としての血かな?)が頭を出し、サザンなんかをBGMで流し出す。だいたい江ノ島が見え出してからだ。

これは誰に言えばいいのか分からないが、Apple musicを開くと、サザンと一緒に『TSUNAMIのジョニー』がサジェストされるのはちょっとやめてほしい。これは過去の私が悪いけど、だいたい波乗りジョニーと交互に聴いてしまうからこんなことになる。金爆の微妙に薄っぺらい歌詞になぜか中毒性があるのが悪い。

海沿いの大渋滞を避けるのでも、鎌倉は充分に楽しめる。というより、6月の鎌倉ときたら、紫陽花を見なくては話にならないではないか。
そうだ、海は後回しにして山側のルートを攻めよう。

満開でなくてもいい。長谷寺や明月院で、まだ4分咲き程度の紫陽花を眺めるのはいいものだ。
6月後半にもなれば芋洗い状態で、押せや押せやで落ち着いて紫陽花を楽しむ暇がないので、私はその手前の時期が個人的に好きだ。

咲き始めから半ばくらいまでなら、長谷寺の高台から湘南の海を見下ろす余裕もある。
眼下に広がる相模湾と、それを額縁のように彩る紫陽花を目にして、松風や、あゝ松風や…と一首詠みたくなる気持ちも分かるよ。
私もこの瞬間だけは、自認が清少納言か明石の君あたりになる。(明石の君といえば竜王への身投げ、竜王といえば海の神、海といえば相模湾…という無理やりな理屈づけ)

京都にも紫陽花寺はあるけれど、やっぱり鎌倉には敵わない、と思う。雅文化の京都では感じられない、野武士のような無骨さとしぶみのある雰囲気は、鎌倉の寺ならではだと思う。

なにしろ、海があるのがいい。

湘南の海でぼんやりと寝てる(サザンの「夏をあきらめて」を聴いてからそうとしか見えなくなった)江ノ島を眺めれば、湘南に流れるゆったりとした時間にいつの間にか取り込まれ、怠惰な私でさえも許されているような気がしてくる。何者かに。

閑話休題。

海を見て、紫陽花を拝んだら、小腹が空く。
鎌倉は意外なほどにスイーツの名店が揃っている。
最近オープンしたばかりのメゾン・カカオしかり、気鋭のパティシエが腕を振るうラ・ブティック・ド・ユキノシタ・カマクラであったり。

もしも懐とお腹に余裕があれば、ジェラテリア・イル・ブルガンテのジェラートは必ず食したい。イタリア人の素敵なオヤジさんが産地から直輸入してつくるピスタチオのジェラートは、ちょっと真似できないくらいの濃厚さだから、食後のアイスコーヒーも頼まなければならない。

甘いもので口が満たされたら、しょっぱいものが欲しくなるのが人間の性。そんな時は小町通りできゅうりの一本漬けを買おう。
ボリボリ、ボリボリと、誰にも気兼ねせずにかじってしまう。どうせ皆んな鎌倉に来ているんだもの、誰もそんなこと気にしたりはしない。

歩き疲れた頃には、夕暮れを背負った富士山が頭を出して見送ってくれる。

この景色に遭遇するたび、ああ、私はこれを見るために鎌倉に来たんだなぁ、と思わされる。

鎌倉に行きたいなあ

いいなと思ったら応援しよう!