
クリーム色
グツ、グツ、グツ、グツ、グツ
うっすら夕陽のさす台所から、スープを煮る音が聞こえる。
かすかなクリームの香り。
これはあれだ!大好きなコーンクリームスープだ!!
母の十八番。
この時だけ食卓に登場する、薄い青色で貴婦人が描かれた、真っ白のお皿がセットされている。
浅くて口の広い、たっぷりとした陶器のお皿。うちの“一張羅”の食器。
銀色の大きなスプーンでしゃくって食べるスープは、僕の一番のお気に入りだった。
グツグツの音と、鍋の中で踊っているコーンを想像する時間が好きだった。
薄い湯気の向こうに、缶切りで開けられた大きな2つの缶詰が見える。
缶の底に残ったコーンクリームをなめるのも僕の大切な仕事だ。
母がこちらを向く。
逆光でまるで表情はわからないはずなのに、僕の脳がちょっと得意げに微笑んでいる母の表情を映し出す。
しばらくすると火を止めて、一層湯気が大きくなった。
ああ、寒い冬だった。冬は本当に冷え込んだ。
チン、という音とともに、お皿から湯気が立ち昇る。
うちの母はちょっと不器用で、一張羅のお皿の扱いを子供にうるさく言ったけれど、自分は注ぐときにたいていお玉をぶつけていた。
大きくて白いお皿が僕の目の前に滑り込んでくる。
少し黄身がかって、コーンの粒粒で陰影のついた、柔らかく白いコーンスープが目の前で湯気と香りを立ち昇らせる。
そうだ。僕にとって「クリーム色」の定義はこれだった。
家の蛍光灯で鈍く光る銀色のスプーン。あれはステンレスだったっけ?
スプーンをくぐらせる。
どろっとした、液体と固体の中間のような、粒粒のような、トロトロのような、クリーム色がスプーンに「乗っかって」くる。
そうだ、思い出した。父はこういうのを「しゃくう」という人だった。
脳がクリームとコーンと玉ねぎの味わいの再生を始める。
僕はいつもあわててスプーンを口に放り込む。
歯に当たるガチッという音とともに、クリームのコクがほほをキュッとすぼませる。
両ほほの奥まで響く筋肉の収縮だ。
少し遅れて、ベロからじゅわり、コーンと玉ねぎの甘さが包み込む。
クリームとコーンと玉ねぎと湯気とが混ぜ合わさった、甘とろっとした香りがかすかに鼻に伝う。
蓄膿気味だった僕は香りの記憶は少ないのだけれど、これだけは経験として刻まれている(気がする)。
そして最後に必ず、違和感が残る。
口のあちこちにひっかかる、コーンの薄皮だ。
そう、このスープは最後、しっかりと咀嚼しなければならない。育ちのよい液体ではない。
母がちょっと申し訳なさそうな顔をする。逆光だけど、やっぱりわかる。
「皮をこせばよかったのにね。そういうのしなかったね」という声が聞こえてくる。
透明な薄皮が、オブラートのように広く広がって、白い光とともに僕を包み込む。
深く、深く。
記憶を打ち込んでおくための最後の仕上げ。
一番覚えているのがこの薄皮なのだから、不思議なものだ。
薄く朝日が差し込むベッドで僕は目を覚ます。
母は認知症になり、表情がめっきり少なくなった。
料理ももう、しない。
薄皮。僕の口は、しばらく勝手に動いていた。もごもごと。