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台南で公立小オヌケストラに迷い蟌んだ話

    ぜいんしあな

    台湟の公立小孊校にオヌケストラ郚があった。チェロを始めた小孊䞀幎生の息子ず音楜奜きの母による、日垞ず少しだけ非日垞が混ざったオヌケストラ䜓隓蚘。

    䌝説の匊楜噚がある町、台南

    䞖界䞀の匊楜噚コレクションを誇る博物通が、なぜか台湟南郚の郜垂・台南にある。

    初めおそれを聞いたずき、私は正盎「は」ず思った。

    台南ずいえば、牛肉湯、サバヒヌ、マンゎヌかき氷。ゆるい空気。叀い廟。バむクの波。歎史ある叀郜には違いないが、クラシック音楜の郜ずいうむメヌゞは正盎たったくない。

    ずころが、街を少し南ぞ倖れるず、突然おかしな颚景が珟れる。さっきたでスクヌタヌが瞫うように走っおいた道路だったのが、䞍意に芖界が開け、真っ癜い宮殿のような建物が姿を珟すのだ。

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    奇矎博物通

    湖にはガチョりが浮かび、広々ずした芝生にはピクニックシヌトを広げた家族連れ。子どもたちは駆け回り、カップルはのんびり写真を撮っおいる。そしおその奥に、ペヌロッパ颚の巚倧建築が䜇んでいる。

    奇矎博物通。台湟䌁業・奇矎グルヌプを率いた蚱文韍によっお創蚭された私蚭博物通だ。アクリル暹脂の生産で莫倧な富を築いた実業家であるず同時に、熱心な芞術コレクタヌずしおも知られおいた。その膚倧なコレクションの䞭でも、ずりわけ有名なのが匊楜噚だった。

    ストラディバリりス、グァルネリ、アマティ──名前だけは誰もが聞いたこずのある、䌝説玚の楜噚たち。 

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    通内の「楜噚ホヌル」

    だが、この博物通が面癜いのは、ただ保管するだけでは終わらないずころだった。音楜家ぞの貞し出しも積極的に行われおおり、生きたコレクションずしお機胜しおいる。ガラスケヌスの䞭で眠っおいるだけではなく、実際に挔奏され、今も音を鳎らしおいる。

    栌匏ばっお閉じるこずなく生掻の䞭に自然に混ざっおいる感じ。なんずなく、台南っぜいなず思った。

    そしお私は埌に知るこずになる。この土地には、自然に、オヌガニックに、音楜をやる子どもが育぀土壌が、確かに存圚しおいたのだ。

    攟課埌のオヌケストラ

    それは息子が小孊校に入孊した幎のこずだった。

    通うこずになったのは、台南垂内にあるごく普通の公立小孊校だった。攟課埌は孊童があり、子どもたちはそのたた校内の攟課埌クラブぞ参加できる。芪が習い事の送迎をする必芁はない。共働き家庭の倚い台湟らしい、なんずもありがたい仕組みである。

    配垃された案内には参加可胜なクラブの䞀芧がずらりず䞊んでいる。

    曞道。
    バドミントン。
    絵画。
    りクレレ。
    魔術。

    ──魔術。

    

.

    思わず二床芋したが、どうやら手品クラブのこずらしかった。

    「あぁ笑。なるほど、面癜そう。結構いろいろあるんだな」

    習い事カタログを芋るような気分で眺めおいたずころ、別玙でもう䞀枚、チラシが混ざっおいた。

    「オヌケストラクラブのご案内」

      ん

    思わず手に取り、目を通す。

    案内によるず、察象は初心者。音楜経隓は䞍芁ずのこずだ。新入生はたずバむオリン、ビオラ、チェロの䞭から楜噚を䞀぀遞び、孊校で基瀎から孊ぶらしい。週䞀回、倖郚講垫による個人レッスンたであるずいう。

    昭和から平成にかけお日本の地方郜垂で育った自分にずっお、子どもの音楜教育ずいえばたずピアノだった。バむオリンは少し特別な習い事であり、ビオラやチェロに至っおはどこで習えるのかすら意識したこずもなかった。

    それが今、台湟のごく普通の公立小孊校の音楜宀で、圓たり前のように匊楜噚の個人レッスンが行われおいるずいう。

    さらに読み進めるず、進玚制床に぀いお説明があった。䞀幎埌の進玚詊隓に合栌すれば正匏にオヌケストラの䞀員ずなれる。比范的ゆるやかに掻動するBオヌケストラを経お、さらに詊隓を通過すればAオヌケストラの団員ずなれる。こちらはコンクヌル出堎も芖野に入る本栌的な線成である。

    半信半疑のたた、ずりあえず説明䌚の申し蟌みを出しおみる。

    䞀方で圓の本人である息子のくた吉六歳はずいうず

    「ぞえ。」

    たるで他人事である。

    説明䌚は二週間埌の土曜日、孊校の芖聎教宀で行われるこずになっおいた。その日たでの間、私はひずりで劙にそわそわしながら過ごすこずになった。

    気が぀いたらチェロを遞んでいた

    土曜日の朝。おそるおそる扉をのぞくず、すでに䜕組かの芪子が垭に぀いおいた。前方では先生たちが準備に远われおいる。受付で名前ずクラスを曞き、資料を受け取っお垭に぀く。

    やがお前方に立ったのは、四十代くらいだろうか、くりっず倧きな目をした、元気でフレンドリヌな先生だった。少しかすれたハスキヌボむスに、䞉぀線みにたずめたポニヌテヌル。第䞀声から劙に堎慣れしおいる。

    「みんな、こんにちは〜孊校の孊務課でオケ担圓をしおいるりヌです。オケママっお呌んでね」

    は぀ら぀ず話す姿はたるで倧所垯の寮母さんのようだ。圌女はオケ郚の仕組みに぀いお手際よく説明したあず、「では次に楜噚玹介にう぀りたすね」ず蚀っお埌ろに控えおいた講垫たちを呌び蟌んだ。

    最初に目を匕いたのはチェロの先生だった。栗色の巻き髪を肩のあたりでゆるく揺らし、黒いドレッシヌな服をさらりず着こなしおいる。華やかな雰囲気の人である。私は勝手に「サロンのマダムみたいだな」ず思っおいた。

    ずころが口を開いた瞬間、その印象は芋事に裏切られた。

    「ハロヌチェロ担圓のゞャンでヌす」

    気取ったずころがたるでない、気さくで芪しみやすい先生だった。

    「チェロのいいずころはね、座っお匟けるずころ。バむオリンずビオラはずっず立ちっぱなしだから」

    劙なずころでマりントをずった圌女は、教宀前方のスクリヌンにペヌペヌ・マによるバッハの無䌎奏チェロ組曲を流した。蚀わずず知れた名挔奏に、子どもたちよりむしろ保護者の方が芋入っおいたような気がする。

    続いお登堎したのはビオラの先生だった。こちらはチェロの先生ずは察照的で、黒髪のショヌトカットに県鏡。控えめで真面目そうな雰囲気は、図曞宀の叞曞の先生を思わせる。

    「ビオラを担圓しおいたす、リャオです。どうぞよろしくお願いしたす」

    静かな話し方だった。

    「今日ここに来おいる皆さんの倚くは、ずりあえずバむオリン、ず考えおいるかもしれたせん。でもぜひ、他の楜噚の音も知っおみおください」

    実際、我が家もその皋床の認識だった。私自身ピアノず吹奏楜の経隓はあるものの、匊楜噚に぀いおは完党に門倖挢だった。匊楜噚ずいえばたずバむオリン。習い事ずしおも無難なのだろう、くらいに思っおいたのである。

    ただ、オヌケストラずいうものを考えれば、党員がバむオリンを遞ぶわけにはいかない。ビオラは、オヌケストラの䞭では決しお目立぀存圚ではない。けれどリャオ先生は、そんなビオラの魅力を静かに語った。

    「ビオラは掟手ではないです。でも、ずおも豊かな䞭間音を持っおいお、オヌケストラのハヌモニヌを支える倧切な楜噚なんです。」

    そう蚀っお、珍しいビオラ協奏曲の動画を流しおくれた。聎いおみるず、確かにバむオリンのきらびやかさずは違う。自然で、土臭い音がする。初めお意識しお聎いたビオラの音色は、思いのほか心地よかった。

    ふず手元の資料に目を萜ずすず、講垫陣の経歎が䞊んでいる。䜕気なく読んでいた私は䞀瞬目を疑った。

    アメリカ・ゞュリアヌド音楜院
    フランス・マルメゟン音楜院
    むギリス・バヌミンガム音楜院

    
..ええっ

    教宀の前で楜噚説明しおいるこの人たち、普通に海倖の名門音楜院出身者ばかりではないか。もしかしお音楜゚リヌトガチ勢なのかさっきたで「サロンのマダム」だの「図曞宀の先生」だのず思っおいた自分を、静かに反省した。

    次に、県鏡をかけた人の良さそうなおじさんがマむクを受け取った。

    「こちらのクラブず提携しおいる楜噚店のワンです。今日はレンタルに぀いおご説明したすね」

    匊楜噚はレンタル文化が発達しおいる。小孊校䞀幎生。身長110センチ前埌の小さな子どもたちは、それぞれの䜓栌に合わせおたずは八分の䞀や四分の䞀サむズの楜噚から始める。そしお成長するに぀れ、たるでダドカリが新しい殻ぞず䜏み替えるように、楜噚も少しず぀倧きくなっおいく。

    䞀幎か二幎でサむズアりトしおしたうものを毎回賌入しおいたら倧倉だ。そもそも、子どもが本圓に続けるかどうかもこの時点では誰にも分からない。レンタル料は半幎ごずの曎新制で、身長が䌞びればその郜床サむズ亀換もできるずいう。

    「たあ、ものは詊しです。皆さん前の方に来お実際に觊っおみおください」

    楜噚屋のワンさんがそう蚀うず、芪子たちがぞろぞろず前ぞ動き始めた。

    バむオリン、ビオラ、チェロ。

    ただ䜕も決めおいなかった。どこかで私は、楜噚ずの出䌚いずいうものに少しロマンチックな幻想を抱いおいたのかもしれない。『ハリヌ・ポッタヌ』でオリバンダヌ老人が、

    「杖が魔法䜿いを遞ぶのじゃ」

    ず蚀っおいたように、楜噚の方から「君はこれだ」ず語りかけおくる瞬間があるのではないか──そんな類の。

    ただ、䞀぀だけ気がかりがあった。くた吉は小柄だった。ずいうより、生たれた時からずっず成長曲線の䞋の方をぎりぎり蟿っおきたタむプである。クラスでも垞に䞀番前。䜓の倧きさだけを考えるなら、やはりバむオリンのような小さい楜噚の方が向いおいるのでは、ずいう気持ちがあった。

    ちなみに、匊楜噚玠人ではあるものの、私はチェロが奜きだ。普段は䜎音を響かせアンサンブルの土台を支える圹回りが倚いのだが、ずきどき曲の䞭盀でおもむろに䞻旋埋を立ち䞊げ、い぀の間にかおいしいずころを持っお行っおしたうこずがある。そんな瞬間に、぀いやられおしたう。

    栌奜いい。どこか高嶺の花のような、憧れにも近かった。

    「チェロ匟いおみる 座っお座っお」

    さっきのサロンのマダムこずゞャン先生がくた吉にチェロを抱えさせる。だが、そこに眮かれおいた四分の䞀サむズは少々圌には倧きすぎたようだ。楜噚の暪から倉な角床で頭が぀き出しおいお、明らかに䞍恰奜である。

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    頭の角床がおかしい

    先生はそんなこずお構いなしに、匓を持たせ、音を出させる。くた吉は䜕が起きおいるのかよく分からないたた、ずりあえず匓を前埌に動かしおいる。するず先生が匊を抌さえ、

    「ほら、『きらきら星』」

    ずメロディヌを䜜っおくれた。

    「そうそう 䞊手䞊手〜」

    実におだお䞊手である。くた吉はたんたずその気になり、なんずもいえない衚情でニダニダしおいた。その様子を私は嬉々ずしお動画に収めおいる。二人しお兞型的である。

    「チェロ、いいなず思うんですけど  この子、小柄で。それでも匟けるものなんですか」

    いかにも初心者らしい質問に、ゞャン先生は、あっけらかんず答えた。

    「あヌ、倧䞈倫倧䞈倫 八分の䞀サむズからあるから、党然問題ないですよ〜」

    それが経隓に裏打ちされた蚀葉なのか、それずも新芏チェロ勧誘の営業トヌクなのか、いたいち刀別が぀かない。

    その埌、バむオリンやビオラも詊させおもらった。ビオラは本来バむオリンより少し倧きいが、分数サむズになるずほずんど差が分からない。くた吉が匓を動かすず、

    ギギ  キヌ  

    蚊の鳎くような音が数秒鳎り響いた。


    ひず通り䜓隓が終わった頃、オケママこずりヌ先生が前に出おきた。

    「はい、説明䌚はここたでです 垰る前に、お名前ず、垌望する楜噚を曞いおいっおくださいね」

    私はそこで、はっずした。

    ──あ、そうか。ここで決めるのか。

    だいぶ軜い気持ちで説明䌚をのぞきに来ただけだったのに、気づけば楜噚遞びの段階にたで進んでしたっおいる。

    「ねぇ、くた吉。どの楜噚にしようか 。」

    少し緊匵しながら聞いおみる。

    「えヌずね、チェロ。」

    あたりにもあっけない即答にこっちが慌おおしたう。

    「あ、えそうなのチェロでいいのほんず倧䞈倫」

    私が勝手に高嶺の花だず思い蟌んでいた物を、息子はファミレスで奜きなメニュヌを泚文するぐらいの軜さで遞んでいた。

    改めお今日の説明䌚を振り返っおみれば、それも圓然かもしれない。蚊の鳎くような音でキヌキヌ鳎らしたバむオリンず、きれいな先生におだおられながら『きらきら星』を自分で匟いた぀もりになっおいるチェロずでは、どちらが小孊䞀幎生の心を掎むかは、考えるたでもなかった。

    かくしお、くた吉のチェリストぞの道がいずも簡単に決定したのである。

    海蟺の楜噚屋に響くおじさんの『癜鳥』

    「あヌ違う さっきのずころ。あれ、あそこ道あった」

    Googleマップを睚みながら、私ず倫は台南西郚の幹線道路、台17線を走っおいた。右手には海が広がっおいる。だだっ広い道路の呚囲にはほずんど䜕もなく、ずきおり叀びた建物や倉庫のようなものがぜ぀んず珟れおは、すぐに颚景の䞭ぞ溶けおいく。

    どうやら右折し損ねたらしい。だが、どこにもそのような道は芋圓たらなかったような気がする。

    オヌケストラの新入生説明䌚のあず、私たちは早速チェロをレンタルすべく楜噚店のワンさんに連絡を取っおいた。身長が115cmにも満たないくた吉には八分の䞀サむズがちょうど良いようだった。

    楜噚屋があるのは安平地区だった。台南が海に開かれた枯町ずしお栄えた歎史を色濃く残す゚リアである。17䞖玀にオランダ人がこの地に䞊陞し、貿易ず統治の拠点ずしお築いたのがれヌランディア城だ。珟圚の安平は、歎史建築ず海蟺の颚景が共存する人気の芳光地ずなっおおり、䌑日には倚くの人で賑わう。

    けれどその喧隒を暪目にさらに南ぞ䞋っおいくず、店も人も急速に気配を消し、ただ海沿いの道路だけがたっすぐどこたでも続いおいる。このたた走れば高雄たで行っおしたう。

    䞉床目くらいのUタヌンでようやく正しい脇道ぞ入る。狭い路地を進んでいくず、そこには倧きなお寺が䞀軒だけ建っおおり、あたりにはお銙の匂いが挂っおいた。その裏手に目的地があった。倉庫のように倧きな建物だった。入口に小さな看板が出おいお、匊楜噚の絵が描かれおいる。

    呌び鈎を鳎らし、半開きのドアをそっず抌しながら䞭を芗くず、奥からワンさんが出おきた。

    「今日予玄しおいた者ですが  」

    「ああ、チェロの受け取りね。ちょっず埅っおね」

    店の入口に䞊べられたシリコンのスリッパに履き替え、䞭ぞ入る。倧きなガラス窓からは光が差し蟌み、宀内党䜓をやわらかく照らしおいた。壁䞀面には、バむオリンからコントラバスたで、さたざたな匊楜噚がずらっず䞊んでいる。空いおいた゜ファに腰掛けるず、芖線の先の棚には叀びた写真やトロフィヌが食られおいた。十幎ほど前の写真には、コンクヌルで入賞したらしい女の子の笑顔が収められおいる。

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    人が良さそうな楜噚屋のワンさん

    店の奥ではワンさんが先客の察応をしおいた。小さな䞞県鏡を錻先にちょこんずかけた、倧柄な䞭幎男性が座っおいる。昔話に出おくる狞のような雰囲気のその人は、巊手にチェロを抱え、楜噚の埮調敎でもしおいるのか、ワンさんず小声で䜕やら話し蟌んでいた。

    ふいに圌は䜓を起こし、チェロを構える。

    次の瞬間、音が鳎った。

    ゆったりずした旋埋が、この倉庫のような空間にすっず広がっおいく。

    サンサヌンスの『癜鳥』だった。

    おじさんは愛おしむように、その倧きな䜓を音楜に委ねおいた。これはただの詊奏なのか私ず倫はあっけにずられお、ただ呆然ずその挔奏を眺めおいた。

    唐突に挔奏が終わる。拍手でもすべきかず迷っおいるうちに、その男性は「じゃ」ずいう感じでふらりず垰っおいっおしたった。結局、あの人が誰だったのか最埌たで分からなかった。ずおも矎しい挔奏だった。たるで狞に化かされたような時間だった。

    「すみたせん、八分の䞀チェロですよね。こちらになりたす」

    ふず我に返るず、ワンさんが小さなチェロを抱えお立っおいた。

    「詊奏しおみたす」

    匊楜噚をこんなに近くで芋るこずすら初めおの我々は、党力で遠慮した。さっきのおじさんのせいで、詊奏のハヌドルがやたらず䞊がっおいた。

    「じゃあ、ケヌスに入れおいきたすね。こちらが匓。ここで締めお、䜿わない時は緩めおくださいね。それから゚ンドピンストッパヌ、束脂。」

    次から次ぞずチェロに必芁な道具がケヌスぞ入れられおいく。私たちは䜕が䜕だかよく分からないたた、ずりあえず頷いおいた。

    初レッスンは小孊校の地䞋宀だった

    レッスン初日の朚曜日になった。

    楜噚は朝登校時に持っおいけば孊校で預かっおくれるず蚀われたので、その日私は校門たでチェロを運び、くた吉に背負わせおみた。

    だが、それはなかなか壮絶な光景だった。

    ただでさえリュックはパンパンなのだ。教科曞、ノヌト、氎筒、絊食甚のお怀セット。そこぞさらに身長ほどもあるチェロケヌスを背負おうずするず、圓然ふらふらになる。埌ろから芋るず、もはや子どもがチェロを背負っおいるずいうより、チェロがひずりで歩いおいるみたいだった。

    くた吉は背負うこずを諊め、䞡手でケヌスの暪に぀いおいるハンドルを持っお、えっちらおっちら歩いおいる。今床は歩くたびにチェロの端が壁や地面ぞご぀ご぀ぶ぀かり、芋おいるこちらがヒダヒダする。芋かねた「新入生登校サポヌト」の腕章を぀けたボランティアのおばさんが、「来来来ラむラむラむ」ず蚀いながら教宀たで䞀緒に運んでくれた。

    結局それ以降は、個人レッスンの時間に合わせお私がチェロを運ぶ方匏に萜ち着いた。

    音楜宀は地䞋にあった。少し湿っぜい、叀い孊校特有の匂いが挂う階段を降りおいく。地䞋に着くず、分厚い防音カヌテンで仕切られた郚屋があった。入口で靎を脱ぎ、スリッパぞ履き替え、カヌテンをくぐり抜ける。

    「くた吉〜いらっしゃヌい」

    盞倉わらず明るいゞャン先生が出迎えおくれる。郚屋の隅にはアップラむトピアノが眮かれ、怅子は、さっきたで誰かが合奏しおいたのだろうか、半円を描くように䞊べられおいた。私はそのうちの䞀脚を匕き寄せ、芋孊甚の怅子にする。

    毎週朚曜日のレッスンでは、新しい音階を芚えるたび、指板にカラフルなシヌルが増えおいく。

    赀、黄色、緑、ピンク。

    次は䜕色を貌っおもらえるのか。そんなこずをひそかに楜しみにしおいるあたりが、くた吉もただただ䞀幎生だった。

    季節倖れのゞングルベル

    冬䌑みが終わり、季節は春ぞず向かっおいた。

    この時期の台湟らしい颚景ずいえば、クリスマスツリヌがなかなか片付かないこずである。日本なら二十五日を過ぎた瞬間に正月食りに総入れ替えずなるが、台湟では「Merry Christmas」の文字だけが「Happy New Year」に貌り替えられ、ツリヌはそのたた珟圹続行になるこずが珍しくない。

    旧正月が近づけば、ランタンの灯りずクリスマスラむトが違和感なく共存しおいる。䞋手をするず、初倏になっおも店先で忘れられたように立ち続けおいるツリヌやサンタの食りを芋かけるこずがある。

    そんな台湟にふさわしく、この頃私は季節倖れのクリスマス゜ングを聎くこずになった。

    「六月のBオケ進玚詊隓に向けお準備したしょうね〜」

    先生からそう告げられた時、私は少し驚いた。぀いこの前チェロを遞んだばかりのような気がしおいたのに、気づけば幎床末が近づいおいたのである。

    課題は『ゞングルベル』。

    こうしお我が家では、六月を目前に控えながら毎日のようにたどたどしいゞングルベルが流れるこずになった。

    努力の甲斐あっお──ず蚀いたいずころだが、蓋を開けおみるず党員合栌だった。新入生の子どもたちは、揃っおBオケぞ進玚するこずになったのだ。なかなかゆるい。

    楜しみではある䞀方、ただ音皋もおが぀かない状態で本栌的な合奏に混ざるず、䞀䜓どんな䞍協和音の嵐になるこずかず䞀抹の䞍安がよぎる。

    キュヌバン・ゞャズ遠足

    倏が終わり二幎生になった。くた吉は合奏の楜しさを少しず぀理解し始めおいた。Bオケにあがり、合同緎習を通しお少しず぀オヌケストラの友達もできおきた。

    オケママからの連絡はい぀も突然だ。翌幎四月のある日、「来週火曜日、衛歊営囜家芞術文化センタヌ芋孊および高雄MRTラリヌの校倖孊習を実斜したす」ずいうメッセヌゞが届いた。あたりに急である。

    高雄は台南から車で䞀時間ほど南にある郜垂だ。そこにある衛歊營囜家芞術文化䞭心は、囜家プロゞェクトずしお建蚭された南台湟最倧の文化芞術斜蚭で、海倖からも著名なオヌケストラや劇団、ダンサヌたちが数倚く来挔しおいる。

    そんな立掟なホヌルでキュヌバン・ゞャズ・オヌケストラの挔目を鑑賞するず蚀う。早速YouTubeでアヌティストを調べおみるず、深倜のラむブバヌで流れおいそうな、なんずも雰囲気のあるラテンゞャズの映像が出おきた。フルヌトの女性が軜やかに旋埋を吹き䞊げるず、トロンボヌンがそれに応えるように絡み合う。背埌では、コンガやベヌスが䜎いずころで静かに脈を打っおいる。

    なんだ、このオトナな挔目は。

    小孊生向けの遠足先ずしおは、少々排萜すぎおいやしないか。

    私が行きたい。

    これを鑑賞埌にみんなでマクドナルドに盎行しお昌食をずるらしい。その旅皋を想像するず笑っおしたった。

    午埌には高雄の街を巡るラリヌも甚意されおいた。班に分かれMRTで町䞭を移動し、有名スポットで指定されたポヌズで写真を撮ったり、色々なミッションをクリアしおいくず蚀う、こちらは小孊生らしいゲヌムだ。

    このむベントはAオケずBオケ合同で行われるため、くた吉にずっおは䞊玚生たちず亀流する初めおの機䌚でもあった。党郚で六぀の班に分かれおおり、くた吉の班には六幎生のチェロ男子二人も䞀緒だった。

    チェロ兄は二人ずもやたら背が高い。写真から掚察するに、160センチくらいありそうなのだ。くた吉が隣に立぀ず、ようやく背䞭のあたりたでしか届かない。説明䌚でゞャン先生が明るく蚀い攟った「背の高さは関係ないですよ〜」ぞの䞍信感が今になっお蘇っおくる。

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    目の錯芚レベルの身長差

    動画をみるず、くた吉が䜕やらりザい熱量で䞊玚生たちに話しかけおいる。圌らは高孊幎特有のクヌルさで、それなりに優しく察応しおくれおいた。

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    オブゞェでポヌズ

    倕方垰宅したくた吉は、よほど楜しい䞀日だったらしく、堰を切ったようにその日の出来事を話し始めた。ただ、肝心なコンサヌトに関しおは 

    「なんかゞャゞヌだった」

    の䞀蚀のみだった。小孊二幎生には、キュヌバン・ゞャズはただ早かったようだ。

    奜きな子に芋られた初舞台

    五月の終わり。぀いに発衚䌚の日がやっおきた。

    䌚堎は、囜立成功倧孊の「成功廳」。キャパ900以䞊の立掟なホヌルだ。

    たずはBオケの出番。舞台の䞋手から意気揚々ず登堎したくた吉が勢いよく楜譜を萜ずす。バタバタず拟い䞊げる様子を、チェロ兄が苊笑いしながら芋おいる。遠足でお䞖話になったAオケの先茩たちが、数名助っ人で入っおくれおいた。

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    サむズ感がおかしい

    䞀曲目はバロック時代の宮廷音楜、ヘンデルの《氎䞊の音楜》。晎れやかな響きに、ペヌロッパの宮廷の颚景が目に浮かぶ。䞀幎前心配しおいたような䞍協和音の嵐ではなかった。二曲目も無事に匟き終え、私はひずたず胞をなで䞋ろした。

    ド掟手なピンクのTシャツで挔奏を終えたBオケに続いお、黒いドレスずタキシヌドでびしっず決めたAオケが登堎した。チェロ兄たちもやけに栌奜良い。この子たちが四十幎埌、あの楜噚屋で芋かけた狞のおじさんみたいになるのかもしれない。

    Aオケの䞀曲目は、たさかのクリスマス讃矎歌メドレヌだった。二幎連続で五月末にクリスマス゜ングを聎いおいるず、もはや台湟では初倏の颚物詩なのではないかずいう気さえしおくる。

    続く二曲は、台湟の神話を題材にした《巎冷公䞻》ず、オリ゚ンタルな響きが印象的な『プリンス・オブ・゚ゞプト』。異囜情緒あふれるメロディヌがホヌルいっぱいに広がる。子どもの発衚䌚ずいうより、䞀぀のきちんずした挔奏䌚ずしお十分に楜しめる舞台だった。


    倜十時すぎに垰宅したくた吉は、興奮のあたり党然寝付けおいない。今日は氎曜の倜である。テンションの高いたた翌日登校し、垰っおくるなり

    「昚日ランランが芋に来おくれおたヌ楜譜萜ずしたずこ芋られたヌヌ恥ずかしヌヌ」

    ず䞀人でけらけら笑っおいる。舞台のこずより、クラスの奜きな子ランランが芋に来おくれたこずのほうがずっず倧事らしい。

    なんだそれは。そしお誰やねん、ランラン。

    でも、そういうのも含めおオヌケストラなのかもしれない。友達がいお、憧れの先茩がいお、芋おもらいたい誰かがいる。それらがゆるやかに絡み合い、小さな゚コシステムのように子どもたちを動かしおいく。その䞭で、チェロを続ける理由も自然ず生たれおいくのだろう。

    あの時、オヌケストラに迷い蟌たなければ出䌚わなかった景色がたくさんある。次は䜕が飛び出しおくるのか。

      完党に沌った。小孊生オヌケストラずいう、思いのほか深くおズブズブした沌に、芪の私がはたっおいる。

     
     
     
    台湟🇹🇌台南圚䜏。倫のトンボ、長男くた吉、長女ミミ、次女ずら子ず5人暮らし。映画や舞台が奜きで、台湟の教育や子連れ旅行に぀いおゆるく蚘録しおいたす。「台南で公立小オケに迷い蟌んだ話」を連茉䞭。

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