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わたしと『赤毛のアン』

子どもの頃から、自分がどうも普通じゃない、と感じていた。
ワンテンポおくれていて、運動が苦手で、ちょっと物事の解釈がちがったりして、変わっているようだった。
体操のかけ声で、「いちにい、さんしーっ」なんてみんなで声を出しているとき、自分の声がなじんでいないようで、大きな声を出すのがはずかしかった。元気よくと言われて頑張ったら、ワンテンポずれてしまって、自分の声だけが響いたことがあって、それ以来恥ずかしくて小さくしか声をださなくなった。
母親には小さい頃、「みんなに迷惑がかかるからちゃんとしなさい。」と言われていたように思う。そのころの私には、ちゃんとするということは、普通を目指すことなんだと受け取っていた。
一生懸命普通にできるように、「ちゃんとする」ように頑張っていたと思うし、ちゃんとできてほめられたら嬉しかったから頑張ってはいた。

ただ、元来空想の世界でぼーっとしているような、マイペースなわたしは、頑張ったり我慢をして、結構大変だったんだと思う。
傷ついたり、怒られたりして、不安だった。
そんなわたしの逃げ場所であり救いになったのは、「空想」と「本」だった。本を読むことは学校でも推奨されるし、本を読んでると褒められる。
何より本を読んでいる間は、本の世界へ行けた。
本を読んでいる間は、リラックスして心が安全だった。
だから読書は大好きだった。

小学校4年の頃だったと思う。読書週間があり、読んだ本をリストに書いていこうという取組みがあった。
水を得た魚のように毎日図書館に行って、片っ端から本を読んでいた。
学校の本は図鑑以外全部読んでやろうと思っていた。
そんなとき「赤毛のアン」に出会った。

本を読みはじめて、驚いた。
アンの気持ちがわかるような、でもそんなに感情を露わにできるのが羨ましいような。
でも「普通」に憧れるアンの気持ちもわかった。
Perfumeの『Dream Fighter』の歌詞に、「みんなが言う普通ってさ真ん中じゃなく理想に近い」というフレーズがあるが、わたしもアンも憧れた「普通」は、まさにそれだ。平均の真ん中じゃなくてみんながいいなって思う理想に近い「普通」だ。
普通っていいものなのだ。
でもそうすると、普通が基準で真ん中なら、普通じゃないわたしは、真ん中以下のだめってことになっちゃうじゃないか。

(そんなのいやだ。だから普通じゃないとか変わってるって言わないで。)

そんな気持ちを抱えてる子供のわたしは、赤毛のアンを夢中で読んだ。
孤児で赤毛で自分のことなんて好きになれなかったアンだけど、空想が好きで世界を愛していた。
素敵な普通を詰め込んだ理想の女の子のダイアナとお友達になって、
みんなが着ている流行りのパフスリーブのドレスが欲しくて。
養父のマシューがそれをプレゼントしてくれた場面では、アンの気持ちに共感しすぎて嗚咽するほど泣いた。
そのドレスは、アンにとって単なるおしゃれへの憧れだけじゃなく、変わり者と言われる自分も、みんなと同じダイアナみたいに愛される女の子で、普通の女の子といっしょだよって思えるような魔法のドレスでもあったかもしれない。

それから月日がたち、わたしは今、『虹の谷のアン』あたりを過ごしていることになるだろうか。
わたしも今、自分の物語を生きている途中だ。普通になりたくて頑張っていたおかげで「普通」ぶるのは上手になったが、今でも時々周りとワンテンポずれるし、いくつになっても天然と言われるし、変わり者なんだろう。

だけど、今はこう思う。
もう普通じゃなくていいじゃないか。結局自分にしかなれないんだ。
魔法のドレスじゃなくて、自分が好きなドレスを着ればいい。

わたしでいい。と自分で自分の存在に許可を出してあげられることが本当の安心なんだと今のわたしは知っているから。




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