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楽しいは、まだ、こわい。

誰かの気持ちを想像すること
誰かのために何かをすること
それは自分がしてあげたいと思うから
相手に喜んでもらえて嬉しいから
それももちろんある。
誰かの役に立ちたい。
でもそれだけではない。
確かに、相手を思っての行為だけれど
わたしにとってはそれは「自分のことを考えるよりも楽だから」という逃げにもなる。
自分と向き合うことは
すごくすごくしんどい。
できることなら見ないフリをし続けたい。
潜って潜って潜って、たどり着いた宝箱には何も入っていないかもしれない。
入っているのは虚構かもしれない。
ハードルを上げずに、ただ自分を信じてあげられたらいいのに。
でも 向き合っても向き合っても、こちらをなかなか向いてくれないものだ。

「そろそろ自分がしたいこと、正しいと思うことをまっすぐにやってみたらいい。それが楽しんで続けられることだといいし、やってみて苦しかったら辞めてもいいんだよ。誰も責めないよ。」
楽しいよりもやるならちゃんとやらなきゃ、やり続けなきゃ、と頭がいっぱいだったあの頃。そう声をかけられてハッとした。

私は自分の背中を押してあげられているだろうか。
進もうとしている自分の裾を何かに恐れるあまりずっと後ろから引っ張っているだけなのでは?
辞める理由が「苦しい」「いやだ」ではダメだと思っていた。
苦しいことを選んで乗り越えなければならないと、どこかで思っていた。
楽しいと思った瞬間、どこかでおわりを想像してしまっている。
苦しくない楽しい今はほんの一瞬の夢で、すぐに終わりが来ると決めつけている。
楽しいと思いすぎたらダメだと心のどこかで常にブレーキをかけている気がする。
100%の楽しいは、こわい。
だからブレーキをかけて50%くらいに。

自分を責めているのも
信じてあげられないのも
いつだって自分自身だ。

見えない未来を恐れずに、今をきちんと"楽しい"と思えるようになれるだろうか。
"楽しい"とちゃんと正面から向き合えるだろうか。
"楽しい"の気持ちだけで何かをやり続けてもいいと許せるだろうか。

自信はない。いつだって。
でもいつか、何も恐れず今だけを見つめて楽しいと思える
そんなわたしになってみたい。


先日、星読みをしてもらったとき、
自分の中でゆっくり大事に育てるように
その過程も楽しむと良い、と言葉をいただいた。

過程を楽しむ、とても苦手だ。
過程は苦しいものであり、その後の糧になるものだと思っていたから。苦しいことにこそ価値があるとさえ思っていた。
苦しかったからこそ、あとから価値ある過程だったと言えると思っていた。
だから過程が大事なのだと。
過程って楽しんでもいいんだ、苦しくないことをしてもいいんだ。
わかってはいても、受け入れることはできていなかった。

この記事は12月頃に書いてはいたけど、公開はできていなかった。
その頃から楽しむって難しいな、課題だなと思い続けていた。
占いも今まで一度も経験したことがなくて、避けてきた。
自分の性格的に言われてしまったら影響を受けすぎてしまいそうで。
あの時〇〇って言われたな→でも反対のことしたい!→でもそれで言われた通りだったら… とせめぎ合いになる自分が想像できたから。

でも、自分の進む方向について、大丈夫!と背中を押してくれるものもあるんだなぁと感じた。タイミング的にもとてもありがたかった。


わたしの周りは優しい人ばかりだ。
人にも、自分にも、やさしくありますように。
いつか、楽しく過ごすわたしで、優しさを返しに行けますように。

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