油絵のおもしろさと 失望 Age 10
美紅は4年生の時に、母親の勧めで絵画教室に通い始めた。
近所の集会所で、子どもを集めて絵画教室を開いている画家の夫婦がいて
道具選びから購入まで、丁寧に面倒をみてくれる。
子どもは小学校2年生くらいから高校生までと幅広く
油絵を描く教室だった。
窓から教室を覗くと、イーゼルを立てた少年少女が
真面目な顔で筆を動かしている。
描く対象はモディリアーニの複製で
勉強のために模写をすることが多かった。
当時、美紅はモディリアーニなる画家は知らなかったし
絵はいつも暗く、興味の持てない絵の模写をするのはたいへんだった。
男の先生は、子どもに対して容赦をしないひとで
基礎から外れると大きな声で叱られた。
美紅は自由に筆を動かしたい子どもだったので、よく怒られた。
褒められるのは、自由課題の時だけである。
「今月は好きな絵を描いていい」
そう言われると美紅の胸は高鳴る。
描きたいものはたくさんある。
友だちの飼っている雌鶏、想像上の街角、母の顔など。
油絵の楽しみの一つは、一回で描き切れないところである。
毎週土曜日の半日の授業が終わり、家で昼食をとったあと
14時くらいから17時頃まで
3時間ほど絵に没頭する。
それでも、一回目は輪郭のみ
二回目は下塗り
三回目に色を付けていき
四回目以降は、気のすむまで描きこんでいく。
油絵は絵の具が乾くまでに時間がかかる。
しかし、乾いてしまえば、上から何度でも塗り直すことができる。
美紅は、何事においても、ゆっくりと時間をかけることが好きなので
この作業はとても楽しく感じられた。
終わってから、道具の手入れをして片づける作業も
時間はかかるし、手間もかかるのだが
心が落ち着くというのか、いつもとてもスッキリした気分になれる。
油絵は、美紅にとって
黙って自分の想像力に身を委ねる幸せな時間だった。
正直に言えば、筆で描くよりもペンティングナイフで描く方が好きだった。サモワールという小さなキャンバスに、ナイフで色を重ねて花の絵を描く時間は、理屈では説明できないほどワクワクした。
一番好きな作品は、冬の街角で待ち合わせをしている少女の絵である。
レンガ造りの建物の前でひとり誰かを待っている姿と
サンドイッチマンや親子連れなどのクリスマスの喧騒を描きこんでいった。
たくさんの人を一枚のキャンバスに描くのは
なぜだかとても好きだった。
美紅は4年生になっても引っ込み思案で、友だちもなく
絵の教室でも、いつもひとりぽっちだった。
それなのに、絵の中では多くの人が登場する景色を描いていた。
絵の教室への行く道も帰り道も一人。
それが美紅にはちょうどよかった。
空想に浸りたいからである。
この頃の美紅は、近所の人たちから
「夢見る夢子ちゃん」と綽名をつけられていた。
誰に逢っても目には映らず
ただ自分の頭の中の空想を思い巡らせながら歩いているからである。
「すぐそばまで顔を近づけたとしても、まばたき一つしないほど」
美紅の心は地上にはなかったのである。
そんな美紅を心配した小学校の先生や絵画教室の先生、そして母親から
「絵画教室の合宿」を勧められた時
美紅は、激しく抵抗した。
家から離れて、教室の子どもたちとの合宿。
いったい、なんのために?
美紅を囲む大人たちには、ハッキリとした理由があった。
「この子には友だちが必要だ」
いや、友だちなど欲しくない。
先生はともかく、なぜ母は理解してくれないのだろうか?
わたしには友だちと遊ぶ時間よりも充実した時間があるのに。
本を読んだり、絵を描いたり、虫を観察したり、考え事をしたり。
美紅にとっては、理解できない理由で無理矢理に決められた合宿。
唯一の興味は、南房総にある行川アイランドに宿泊することだった。
行川アイランドでは、フラミンゴのショーを見ることが出来る。
それも数羽ではない。
フラミンゴの大群を見られるのだ。
それは、見てみたい。
美紅が大人たちと合意したのは、その小さな一点のみであった。
あとは、苦痛でしかなかった。
いいなと思ったら応援しよう!
よろしければ応援お願いします!♡いただいたチップはクリエイターとしての活動費に使わせていただきます!