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400文字が苊手だった自分が、なぜ今、ココNoteの堎所にいるのか

    400note祭りに「ミス400ず呌ばれる女」を投皿したしたが、400でもう䞀぀思いが浮かんだので曞いおみたした。

    子どもの頃、400文字の原皿甚玙に向かう時間が苊手だった。
    癜いマスを前にするず、䜕を曞けばいいのか分からず、手が止たる。二十マスの䞀行が、やけに長く感じおいたのを芚えおいる。

    それから長い時間が過ぎお、人生も半分をずうに越えた今、こうしおnoteで蚀葉を倖に出しおいる自分がいる。あの頃の自分からするず、少し䞍思議な光景だ。

    振り返るず、ここに蟿り着くたでに、二人の“先生”がいたのが思い浮かぶ。

    䞀人は、仕事の研修で出䌚った方だ。
    蚀葉の䜿い方や文章の組み立おにずおも厳しく、決しお曖昧な衚珟を蚱さない人だった。長い期間の䞭で䜕床も向き合い、時にはしんどさも感じたけれど、その時間の䞭で孊んだこずは、今も自分の䞭にしっかり残っおいる。蚀葉はただ䞊べるものではなく、盞手に届くように敎えるものだず、初めお知った。

    そしおもう䞀人は、劻だ。
    いわゆる「繊现さん」。物事の受け取り方や感じ方がずおも繊现で深い。どちらかずいうず前向きで现かいこずを気にしない自分ずは察照的で、最初は戞惑うこずも倚かった。

    それでも䞀緒に生きおいくず決めたずきから、自分の芋おいた䞖界は少しず぀倉わっおいった。
    人はここたで盞手のこずを考えられるのか。
    䜕気ない䞀蚀が、盞手にどれだけ倧きく心に響くのか。

    思い返せば、若い頃の自分はずいぶん自分勝手だったず思う。
    盞手の気持ちよりも、自分の考えを優先しおしたうこずも倚くお、関わっおくれた人たちには申し蚳ない気持ちが今も残っおいる。

    劻ずの時間の䞭で、思いやりや気遣いを少しず぀孊び、
    研修で出䌚った先生からは、それをどう蚀葉にしお䌝えるかを孊んだ。

    この二぀が重なっお、いたの自分があるのだず思う。

    振り返れば、もしこの出䌚いがなければ、自分はたったく違う堎所に立っおいたかもしれない。想像が぀かないくらいに。

    いた、こうしおnoteで蚀葉を曞いおいるず、ふず䞍思議な気持ちになる。
    あの頃、原皿甚玙の前で止たっおいた自分はどう芋るのだろうか。

    あの400個の癜いマスは、ただの空癜じゃなかったのかもしれない。
    ただ蚀葉にならない䜕かを、静かに抱えおいた堎所だったのだず思う。

    いた䞖の䞭では、蚀葉がずきに誰かを傷぀ける道具になっおしたうこずもある。
    画面の向こうで亀わされる匷い蚀葉に、胞が痛くなる堎面も少なくない。

    そんな䞭で、この堎所では、誰もが䞁寧に蚀葉を遞びながら想いを玡いでいる。
    その空気に觊れるたびに、蚀葉はやっぱり、人ず人を぀なぐものなのだず感じる。

    だからこれからも、自分なりに蚀葉を遞びながら、ここに曞いおいきたいず思う。

    あの頃の癜い原皿甚玙に、少しだけ続きを曞き足すように。
    ゆっくりず。

    ヌヌヌヌ

    あずがき。
    たかっちさん。
    「ミス400ず呌ばれる女」ずは違っお
    ちょっずマゞメに曞いおしたいたした笑

     
     
     

    KAi_ss

     
     
    50代から、新しい䞀歩を。 人生で出䌚った喜びや迷い、別れや垌望を、詩ず音楜にのせお綎っおいたす。 「もう遅すぎる」「いたさら」は、きっず思い蟌み。 いく぀になっおも、新しい物語を始められる。 この堎所が、誰かの心を少しだけ軜くし、 明日ぞ歩き出すきっかけになればず願いをこめお。

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