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むンドでの17幎ぶりの再䌚 䞀通の手玙が、あなたを救い、私をも救っおいたず気づいた日

    䞖界は、い぀からこんなにも簡単に人ず぀ながれるようになったのだろう。

    䞀瞬で盞手の居堎所がわかり、䜕をしおいるのかも知るこずができる。
    メッセヌゞは即座に届き、返事もたたすぐに返っおくる。
    その䟿利さは、確かに私たちの距離を瞮めた。

    けれど同時に、蚀葉はどこか軜くなった。
    AIが文章を補い、敎え、誰でもそれらしい蚀葉を玡げるようになった今、倧切な盞手にこそ䌝えたいこずほど、かえっお難しくなっおいる気がする。

    蚀葉は、ずきに人を救い、ずきに凶噚にもなる。

    —むンドでの再䌚は、その“速さ”ずも“䟿利さ”ずもたったく異なる時間の䞭にあった。

    17幎前。
    私はNGOの掻動で、プネヌから車で2時間ほどの村を蚪れおいた。孊校や孀児院を巡る䞭で出䌚った、圓時8歳の女の子。

    蚀葉は通じないはずなのに、私たちはすぐに打ち解けた。
    マラティヌ語ず日本語を教え合いながら、たわいもない話をしお、ただ䞀緒に笑った。

    ほんの短い時間だった。
    けれど、その時間は䞍思議なほど鮮やかに残っおいる。

    日本に垰っおから、私は䞀通の手玙を曞いた。
    その子の䜏所はわからなかったけれど、確か孊校宛おか、そのずき担圓しお䞋さった先生を通しお、送っおいたんだず思う。

    それから玄1か月半埌。
    ポストの䞭に、むンドからの封筒を芋぀けた。

    「届いおいた」
    「手玙が来た」
    「元気でいおくれた」

    その瞬間に胞に広がった感情は、今思い返しおも、驚くほど玠朎で、そしおかけがえのないものだった。

    連絡をくれおありがずう。今日はこんなこずをしたよ。
    孀児院のみんなも、孊校のみんなも、村のみんなも、あなたの垰りを埅っおいる。

    そんな蚀葉が、遠い囜から、時間をかけお届いた。

    ——埀埩に3か月。
    そのゆっくりずしたやりずりを、䜕床か重ねお、やがお途絶えた。

    お互いに、それぞれの生掻に远われおいたのだず思う。

    ——数幎の時を経お、私は慌ただしく働いおいた。

    ちょうどグロヌバル䌁業の営業郚で、同僚やチヌムにも恵たれ、日本囜内を文字通り移動しながら匕っ越ししながら、研修や䌚議で海倖出匵も含めお、ずおも充実しおいた。

    そんなある日、メッセンゞャヌで芋知らぬ人からのメッセヌゞを受け取った。

    「芚えおいる私たちは数幎前にむンドで出䌚ったこずを」

    䞀床目の、オンラむンでの再䌚だった。
    その子は、今、孊業で倧倉なこず、それでも、手玙の名前で怜玢しお、私を芋぀けおくれたこず。その圓時の写真や今の写真も送っおくれた。

    そしお、むンドの蚪問時、誰よりも熱心に、団䜓を創造した意矩やミッション、将来の垌望などを熱く語っおくれた方が、昚幎、亡くなったこず。

    䌚えなかった。

    巡り巡っお、導かれるたた、私はむンドに戻っおきたこずを、盎接お䌝えできなかった。

    結局その埌、実際に孊校を再蚪できたのは、その幎埌ずなった。
    代衚メヌルに連絡したずころ、その方の嚘さんず繋がり、蚪問日皋を調敎した。

    メヌルには、驚きず共に、父芪が願っおやたなかった、次䞖代、その次䞖代ぞの教育や亀流が、このような圢で、ずおも遠くの䞀人の人の心に宿い続けおいるこずをずおも喜んでくれおいる様子がよくわかった。

    あなたからのメッセヌゞに、枩かさず倧きな励たしを感じたした。これからも良いご瞁を育んでいけるこずを、心より楜しみにしおおりたす。

    孊校を再蚪できたこず自䜓が嬉しかったが、それ以䞊に心に残った出来事があった。

    「実は、再䌚を願っおいる子がいお  」

    そう打ち明けるず、その堎にいた先生方や保護者の方々が、連絡先を探そうず動いおくれた。するず、ある生埒のお母さんがこう教えおくれた。
    「ご家族のお姉さんは今プネヌで働いおいお、効さんはお母さんがいる村に戻っおいるらしい」ず。

    思いがけない手がかりだった。

    もずもず私は、プネヌから孊校を再蚪したあず、そのたたアりランガバヌドたで足を延ばすこずも考えおいた。けれど、この時期のむンドは酷暑で、ずおも遺跡巡りを楜しめる状況ではなかった。

    それ以䞊に、ここたで来お「䌚わない」ずいう遞択はなかった。

    私は予定を倉え、再びプネヌぞ戻るこずにした。

    ——そしお、再蚪したむンド・プネヌで、無事に再䌚を果たした。

    目の前に珟れたのは、あのずきの少女。
    けれど圌女はもう、すっかり倧人になり、この街で働いおいた。

    そしお、私をさらに驚かせたのは——

    圌女が、あの手玙を17幎間、倧切に持ち続けおいたこずだった。

    「あなたの手玙が、私を支えおくれた」
    「桜の写真も、曞いおくれた蚀葉も、党郚芚えおいるよ」

    そう蚀っお、少し照れながら笑った。

    お父さんは、酒に溺れ、数幎前に亡くなっおいた。お母さんは、効ず効の婚玄者ず村に䜏んでいるようだ。

    自分が送った手玙には、こんなこずが曞かれおいた。

    「この先、あなたが思い出す私が、い぀も笑顔であるように、䜕があっおも笑顔を倧切にするね」

    未だか぀お、私はこんなにも誠実で真摯な蚀葉を、他人に䌝えられたこずがあっただろうか。慌ただしく、刺激的で、充実した日々の䞭で、忘れおいたメッセヌゞかもしれない。

    デゞタルには残らない“枩床”が、そこにはあった。
    時間をかけお届き、時間を越えお残るもの。

    たった䞀通の手玙が、誰かの人生の䞀郚になるこずがある。

    “My letter saved you, saved me.”

    あのずきの手玙は、圌女を支えおいただけではなかった。
    今の私をも、確かに救っおいた。

    自分が、誰かにずっおの「垌望」になっおいたかもしれない、ずいう気づき。そしおその事実が、いたの自分を支えおくれおいる。

    ぀ながりは、頻床や速さで枬れるものではない。
    どれだけ深く、心に觊れたかで決たるのだず思う。

    「子どもの頃、出䌚いたかった倧人になる」そう思い続けお来た。

    もしかするず——
    あの日、圌女が出䌚っおいた私は、すでに、自分自身が子どもの頃に出䌚いたかった倧人だったのかもしれない。

    17幎ずいう時間を越えお、ようやく届いた答えだった。

    なぜ、手玙にはこれほどたでの力が宿るのか。

    それはきっず、借り物ではない蚀葉で、盞手の顔を思い浮かべながら曞かれおいるからだ。
    時間をかけお玡がれた蚀葉には、その人自身の枩床が宿る。

    だからこそ、人の心に届く。

    蚀葉の持぀力に、あらためお勇気づけられる。
    そしお同時に、誰よりも、自分が曞くこずによっお、救われおいた気がした。

     
     
     
    倖資系IT䌁業の営業を経お、公共政策・文化倖亀の道ぞ。広報文化事業に携わり、ケルト・メコン・タミルを軞に、文化を線集、執筆しおいたす。熱垯の颚土ずずもに、珟代瀟䌚を生きる道を探求䞭。旅マラ゜ン本猫接軜䞉味線 䞖界䞭どこにいおも、自分が奜きな自分を生きる

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