
『さくら宿のおもてなし』8話
とりあえず座敷童子を名乗る瞳月ちゃんは、都合よく明日も空いているからと二階の客間に通し、僕と夏鈴は帳場で緊急会議を始める。
「どう?実際関係あると思う?」
「正直○○たち人間だと、嘘だと思うかもだけど……、実際あれは本物だよ」
「マジ?とてもそうには見えないなぁ」
思い返せど威厳なんてものはとても感じられなかったし、特に畏怖畏敬の対象になるとは思えないほど鈍臭い。
けれど、夏鈴が本物という以上は本物だと思うべきだろう。
帳場のカウンターの下に置いた妖怪辞典を捲りページを開き、念のため座敷童子について調べる。
実はこの座敷童子というのは“妖怪”か“霊”か“神の使い”か非常に曖昧なのだ。
いたずらをしたり、子供と遊んでくれて、家に吉兆をもたらす存在と呼ばれたり。
昔の日本の口減らしにあった子供の霊だと言われていたり。
もてなせば吉事、蔑ろにすれば凶事を予言する神様の使いだったり。
ようは存在自体がレアケースというか、地方によって言い伝えが違うのだ。
「……タイプ的には神様の使い?」
「かな。この辞典には妖怪としての特徴は当てはまらないし」
「はぁ……あの子もてなすの、難しくない?」
「うーん、夏鈴もそう思う?」
「だって、鈍臭いもん」
ドタバタドタバタ客間で走る足音が天井から響いたかと思うと、突然バタンッと少し大きな音を立てて止まる。
「転けたね」
「間違いなく転けてるなぁ……」
「それとさ?これ意外とピンチだよね」
「だいぶ?」
二人して顔を見合わせてため息をつく。
どうもここ二日の予約がキャンセルになったのも、もしかすると最近ちょっと変わった妖怪のお客様が多かったのも、彼女のせいだったのだろうか?
そんなことを考えていると、階段を勢いよく降りてくる音が聞こえて階段に目を向ける。
『ダダダダッ――ズルッ!』
「ひぎゃっ!?……あぶなっ!しーの運動神経やなかったら、真っ逆さまやん……」
「お客様、走るのはおやめください」
「なんでや!しーしかお客様おらんねやろ!誰にも迷惑かかってへんやんか!」
「……私たちにかかるの。わかる?」
「ひぃっ!?ま、まあ?しゃあないなぁ……しーはええ子やからしゃあなし言うこと聞いたるわっ」
夏鈴の一喝に弱いあたり、どうも神様の使い感はないのだが、そもそも夏鈴相手に怖がるのなんて基本どの妖怪も変わらないので、当てにはならないだろう。
「はぁ……とりあえず、僕買い物行くから瞳月ちゃん連れてくよ」
「えっ?大丈夫?」
「宿に置いてても、持て余すだろうし、何より――」
「……なにより?」
「いや、病み上がりで変なストレスかけたくないからさ」
「……ふーん」
『怒って凍らせたらたまらない』なんて言えばヘソを曲げる可能性もあるし、何より今日は久しぶりに楽しいデートをしたのだ、せっかくの1日をつまらない思い出に上書きされてはたまらない。
「瞳月ちゃん」
「なんや!」
「ちょっとお買い物行くからさ、よかったらついてこない?」
「はぁ?なんでしーがお手伝いなんてせなあかんねん!」
「お手伝いじゃなくてさ、探検でもしないかなって」
「た、探検?」
「そ!居着くかもしれないなら、みんなのこと知ってた方が“退屈”しなくて済むんじゃないかな?」
「……しゃ、しゃあないなぁ!しーがついてったるわ!」
渋々ではなく嬉しそうに頷いたあたり、どうやら別に凶事を振り撒くために来ているわけではないらしいことがわかって、胸を撫で下ろす。
それにおそらくだけれど、瞳月ちゃんは見た目相応に子供っぽいところがある。
いくら伝承が違えど、どれにも共通するのは“もてなされる”かどうか。
だとするなら、このさくら宿の矜持にかけても最大限のおもてなしを見せるしかない。
気合いを入れるように軽く頬を叩き、速くと言わんばかりに草履を履いた瞳月ちゃんの後を追うように、僕も靴を履くのだった。
――――――――
外に出ると柔らかい初夏の日差しが街を包んでいて、海風が頬を撫でていく。
そんな空気は僕にとって当たり前だけれど、瞳月ちゃんにとっては珍しい感覚だったらしく、一つ一つの小さな物に目を輝かせる。
「なあなあ、ここめっちゃ妖怪おるんやな!」
「まあ結構のどかな場所だしね」
「こういう“気”のある街は、今も昔も妖怪が集まるんやなー」
「“気”?」
「せや、“気”」
そう言うとぐーっと大きく息を吸うと、満足げに笑う。
「人にはわからんやろけど、しーみたいなのとか妖怪はどっかこういう“気”みたいなもんがあると、しっかり整う感じがあんねん」
「へぇ……それってハーフでも?」
「せやで!」
「なるほどね……夏鈴とかもそういうのあるのかな?」
「ある思うで?アンタの彼女さんも、多分この街から離れたら妖力とか弱なると思うで」
「……じゃあ、困るから僕らはずっとここで暮らすかな」
一瞬答えに迷ったせいで、不思議そうに見上げてきたが、瞳月ちゃんは「ふーん」と納得したようなしてないような顔で、また周りをきょろきょろと見渡し始める。
「でもええなぁ、この街」
「気に入った?」
「めっちゃええ」
そう言って、ぴょんっと軽く跳ねた。
その足取りはさっきまでよりも軽く見えて、なんとなく言っていた“整う”という感覚が本当なんだろうなとわかる。
「ここなら、しーずっと遊んでられるわ」
「……それはそれで困るんだけどね」
「なんでやねん!」
けらけらと笑う声が初夏の空気に溶けていく中、突然足を止めるとじっと山道の入り口を見つめた。
「なあなあ、あれ何?」
「どれ?」
指差した先には、小さな祠が木々に囲まれて、ひっそりと佇んでいる。
それは祖父が昔教えてくれた、昔々からあるもので、今も定期的に街の人が掃除をして、そして修理をしたりお供え物をしている場所で、僕は足を止めて久しぶりにそこに一礼をした。
「あれはこの辺の守り神みたいなものかな」
「へぇ……」
瞳月ちゃんは少しだけ真面目な顔になると、祠の方へと歩いていく。
そして、その前でぴたりと足を止めた。
「……ちゃんと居心地良さそうやん」
ぽつりと呟く。
その声は、さっきまでの軽さとは少し違っていた。
「おるって?」
「守り神」
振り返らずにそう言うと、しばらく黙ったあとぽつりと口を開いた。
「この街、“気”がええのはな、こういうのがちゃんと機能しとるからやろなぁ」
「……へぇ」
なんとなく軽く返したけれど、その言葉に確かに妖怪ではなく、神様由来の重みがあった。
瞳月ちゃんは軽く手を合わせると、すぐにくるっと振り返る。
「よし、もうええわ!」
「え、いいの?」
「長居すると逆に怒られそうや!“お前人の土地でなにしてんねーん!”って」
けろっとした顔でそう言うとまたトテトテと僕の前を歩いて行き、くるりと振り向く。
「ほら、はよ行くで!」
「……道わかんないのに」
苦笑いを浮かべながら、歩き出す背中を追いかけつつさっきの言葉を少しだけ思い返す。
“気が整う街”
“守ってる存在”
普段は意識もしないけれど、こうして言葉にされると、この街が少しだけ違って見える気がする。
夏鈴も、天もここに何故住んでたのか。
祖父が何故この街に宿屋を開いたのか。
蔵に集めたものがいつか必要になる理由とか。
そして――あの日の理由とか。
一瞬嫌な思い出がフラッシュバックして、足が止まる。
あの日のことがもし、この街の妖気に当てられたものだったら?
(もしそうだとしたら、なぜ――)
思考が黒く染まっていく。
振り向き、遠くにあるあの日の場所を見つめていると、不意に目の前の瞳月ちゃんが不満げにしてるのが視界に入る。
「なあ○○!」
「ん?」
「この後、遊んでや!」
「えぇ……買い物終わって、夕食食べてからならね」
「しゃーないっ!それで許したる!」
また元気よく跳ねながら、今度は僕を置いてトタトタと駆けていくその後ろ姿に、さっきまでの黒い思考がパンっと弾けていく。
凶兆の兆しだという赤を身につけていても、やはり彼女は神様にも分類されるように、空気を清いものに変える力があるらしかった。
――――――――
それから宿に帰ると、僕はすぐに台所に食材を置き、すぐに調理に取り掛かる。
今回は趣向を凝らすよりは、どちらかと言えば瞳月ちゃんには、おもちゃ箱というか、見た目が豪華なものの方が向いている気がして、僕はとりあえず挽肉を練り始めた。
「なにしたらいい?」
「ウィンナーをタコさんにしたいからお願いしていい?」
「ん」
隣に立った夏鈴に指示を出しながら、どんどん調理を進めていく。
ケチャップライスに卵、ナポリタンにタコさんウィンナー、エビフライにハンバーグ。
「珍しいね」
「そう?」
「子供とか来ないじゃん、うちには」
「まあね。でも瞳月ちゃんには、多分こういうのがいいと思うんだ」
「ふーん……」
夏鈴は小さく頷きながら、器用にウィンナーへ切れ込みを入れていく。
普段の彼女なら、見栄えよりは味や効率を優先しそうなものだけれど、今日はちゃんと足の本数まで揃えていた。
「……できた」
「上手いじゃん」
「切っただけじゃん」
「まあね」
そう言いながら受け取ったウィンナーを焼きつつ、先に焼き上がったハンバーグへソースをかけながら、ふと笑ってしまう。
「なんで笑うの?」
「いや、夏鈴が真面目にタコさんウィンナー切ってるの、なんか新鮮で」
「やれって言ったじゃん」
「そうだけどさ」
そう返すと、夏鈴は少しだけ視線を逸らす。
「でも……うちの宿は“おもてなし”がメインでしょ?
絶対喜ぶじゃん……子供っぽいし」
「確かにね」
あの反応の良さを見る限り、きっとこういう“わかりやすい楽しいもの”には弱いだろうし、長い時を生きた彼女には、きっと目新しいはずだ。
“座敷童子”という妖怪は、家人から豪華な食事は提供されていただろうけれど、こんな料理はきっと初めてだろう。
そう思いながら、オムライスへ卵を乗せ、最後に紙を折って爪楊枝につけてから、適当に絵を描いて小さな旗を刺す。
「……旗?」
「お子様ランチって感じしない?」
「確かに」
夏鈴がじっと旗を見つめる横顔をじっと見る。
その姿は馬鹿にしてるというよりも、むしろちょっと羨ましそうにすら見えて、ついつい肩をトントンと叩く。
「夏鈴のも作ろうか?」
「……別にいい」
「本当に?」
「旗は……いらない」
「ふふっ、了解」
夏鈴の分も作り終えてテーブルの上に並べると、旅館の夕食とは思えないような料理が並んでまたついつい笑ってしまう。
ナポリタン、タコさんウィンナー、エビフライ。
ハンバーグに旗付きのオムライス。
完成したお子様ランチの出来栄えに満足して見ていると、夏鈴がじーっと見つめた後ポツリと呟く。
「……これ、宿で出していいの?」
「今日は特別ってことで」
思いの外この和風の空気には合わないけれど、“おもてなし”の一環だと思えば悪くない。
瞳月ちゃんを呼びに行こうとすると、廊下の方からトタトタと足音が響いてくる。
「なんや!?めっちゃええ匂いする!!」
勢いよく顔を出したかと思うと、テーブルを見た瞬間、ぴたりと止まると、じーっと目を細めてそのお子様ランチを眺める。
おおよそ10秒ほどそうして固まって、そしてすぐに大きく目を見開いて震える声を絞り出す。
「な、なんやこれ……!」
ふらふらと引き寄せられるように近付いてくると、いろんな角度から目を輝かせて覗き込んだあと、キラキラした目でこちらをバッと見上げる。
「これ全部食べてええん!?」
「瞳月ちゃんの分だからね」
「こんなん食べてええん!ここは最高やー!」
席に着くと、一応とばかりにいただきますをしてから、スプーンでオムライスを掬って口いっぱいに頬張って、目を輝かせた。
「うまぁー!!」
「よかったよかった」
思わず笑うと、瞳月ちゃんはオムライスを指差しながら興奮したように叫ぶ。
「こんなん、しぃ初めてや」
そう言いながらスプーンは止まることなく、口とお子様ランチを往復して、とろんと蕩けた笑顔で「この宿最高や……」と呟いた。
その声に僕と夏鈴は思わず顔を見合わせると、小さく微笑みあう。
どうやら、座敷童子のおもてなしとしては、間違っていなかったらしい。
「良かったじゃん」
「だね。おもてなし成功だよ」
二人して顔を見合わせながら、ふと思った言葉は飲み込んだ。
だって――
『子供ができたらこんな感じかな?』
なんて言ったら、宿が冷凍庫……いや、北極になってしまうから。
――――――――
食事を終える頃には、外はすっかり夕暮れ色に染まっていた。
初夏特有の、少し湿った夜風が廊下を抜けていく中、瞳月ちゃんは満腹で幸せそうに椅子へもたれながら、お腹をぽんぽんと叩く。
「はぁ〜……お腹いっぱいやぁ」
「お腹出過ぎじゃない?」
「しゃーないやん!美味しすぎてんもん!」
机の上には綺麗に空になった皿が並んでいて、その食べっぷりだけでも、もてなしとしては大成功だったことがわかる。
そんな様子に思わず笑いながら、僕は食器を重ねて立ち上がった。
「じゃ、約束通り片付け終わったら遊ぶから、待っててね」
「ほんなら、遊ぶやつとってくる!」
ぱぁっと顔を輝かせたあと、すぐに何かを思い出したように立ち上がると、トタトタと廊下を駆けていこうとする背中へ、夏鈴の低い声が飛ぶ。
「走らない」
「ひぃっ!?わ、わかっとるって!」
廊下の足音がぴたりと止まり、今度は早歩きくらいの絶妙な速度で去っていく。
その足音を見送りながら、僕と夏鈴は揃って小さく息を吐いた。
「……賑やかだなぁ」
「だいぶね。静かな方が好きなんだけど……」
そう言いながら、二人で並んで皿を洗い始める。
僕がお皿を洗い水を流して、夏鈴が拭いて棚にしまっていく。
そんな何気ない共同作業をしながら、不意に夏鈴がぽつりと小さく呟いた。
「でも、ちょっと安心した」
「何が?」
「山下ちゃん。悪い子じゃなさそうだったから」
その言葉に、僕も小さく頷く。
「まあ、面倒くさい子ではあるけどね」
「うん、かなり」
実際、凶兆の赤を携えて来た時は本当に『厄介なことになったなぁ』と思ったけれど、話してみれば案外ただの普通の……ちょっと騒がしいだけの子だ。
そこで二人同時に、廊下の向こうから聞こえた「ぎゃっ!?」という悲鳴に視線を向けた。
「……転けた?」
「たぶん」
もはや驚きすらない。むしろ平常運転だ。
洗い物を終えて布巾を置くと、ちょうどそのタイミングで、再び瞳月ちゃんが顔を出した。
「終わった!?」
「今終わったよ」
「ほな遊ぶで!」
僕が手をタオルで拭うことすら待てずに、ぐいぐいと腕を引っ張って縁側まで連れ出すと、鼻息を荒くしながら目を輝かせる。
「で、何して遊ぶの?」
「えっとな!蔵で見つけてんねん!」
そう言うなり、今度は本当に廊下を走っていった瞬間、夏鈴の声が飛ぶ。
「だから走ら――」
「はいぃっ!!」
返事だけして早歩きのまま玄関へと消えていき、しばらくして、また勢いよく戻ってきた瞳月ちゃんの手には、小さな鞠が握られていた。
珍しい赤黒い糸で編まれた、不思議な色合いの鞠は、綺麗だとか、美しいだとかよりは、むしろ少し禍々しさすら感じる。
「見てみ!」
ぽんっと軽く地面に叩くや否や、それは予想以上にポーンっと高く跳ね上がる。
「うわっ」
「めっちゃ跳ねるやろ!」
ぱしっと受け止めた瞳月ちゃんは、得意げに胸を張ると、もう一回、地面にポーンと跳ねさせ高く飛び上がり、落ちてきたものをキャッチする。
「それ、蔵にあったの?」
「せや!」
そう言いながら、またぽんぽんと鞠をついてようやく気づく。
瞳月ちゃんくらいどん臭ければ、そろそろ鞠は明後日の方向に飛んでいくか、顔に当たって怒ってるはずなのに。
どうもその鞠は変な軌道を描いて瞳月ちゃんの手元に戻ってくるのだ。
「それなんか特殊な鞠なの?」
「ん?棚に書いてたんは、毛倡妓の鞠やって書いてた!」
「毛倡妓……あの、髪の妖怪の?」
「うん。その髪を編んで作った鞠らしいよ」
祖父の字で書かれた札を、記憶を辿って思い出していく。
そこには確か、こう書かれていたはずだ。
『よく跳ね、持ち主を決めると必ず持ち主の元へ戻っていく』
その言葉の通り、彼女を持ち主に選んだおかげで、ようやく彼女向きのオモチャを手に入れたようだ。
「これ、うちのや!」
あげるというより前に、瞳月ちゃんは嬉しそうに笑うと、今度は思い切り高く放り投げる。
ぽーんっと、夜空へ向かって飛んだ鞠は、綺麗な弧を描いて落ちてくると、鈍臭そうに構えた手の上にぽんっと、「おおお……!」と声をあげ、目を輝かせながら受け取ろうとした——のだが。
「ふぎゃっ!?」
手元に帰るはずの鞠は、綺麗に見事に顔面へ直撃した。
それはそれはもう。綺麗に。
「いったぁ……!」
「あ。当たった」
「なんで避けなかったの!?」
「避けれたら避けてるわ!!」
涙目で抗議しながらも、またすぐに鞠を放る姿は本当に子供そのもので。
夏鈴と横並び、縁側に座ったまま二人で、その姿を眺める。
今度は受け止め損ねて庭へ転がり、追いかけようとして草履を踏んで転びかけた。
「ひぃっ!?」
ばたばたと騒がしい。
けれど。
『ころころころ』と転がっていった鞠は、ひとりでに方向を変えると、また瞳月ちゃんの足元へ戻ってきた。
「……おお?」
ぽかんとしたあと、みるみる顔に笑顔の花が咲くと、「最高やー!」と言って、そのまま、またぽんぽんと遊び始める。
失敗しても戻ってくる。
どこへ飛んでも戻ってくる。
だから、何度でも遊べる。
「これならずっと遊べるやん!」
その言葉は長い間ずっと、遊び相手を欲していたからこそ漏れた言葉で。
そう言って楽しそうに笑うその姿を、縁側から少し涙が出そうになりながら、見守る。
「……子供だね」
「うん、ああやってみてると、子供だね」
神様の使いとか、吉兆とか凶兆とかじゃなくて。
本当に、着物を着ただけの、ただの遊びたい盛りの子供にしか見えない。
ぽん。
ぽん。
ぽん。
と軽快な音が静かな夜へ響き、瞳月ちゃんの手へと戻って来る途中、帳場の方で電話が鳴った。
「……あ、電話だ」
夏鈴が立ち上がり、電話を取りに向かう背中を見送りながら、僕はまた鞠遊びを眺めていると、いたずらっ子の顔で瞳月ちゃんがこちらを見つめている。
「ほれっ!」
「おっと」
急にこっちへ飛んできた鞠を受け止めると、瞳月ちゃんが満足そうに笑った。
「○○もやろ!」
「いや、見てるだけで十分かな」
「なんやつまらんなぁ!」
ぶーぶー文句を言いながらも、また楽しそうに遊び始める。
一つ跳ねて手に取って、地面にぽんぽんとついた——その時だった。
『ぽんっ』
跳ねた鞠を取ろうとした瞬間、瞳月ちゃんの動きがぴたりと止まると、突然眉間に皺を寄せたのだ。
「……っ」
鞠がぽとりと地面へ落ちて、行き場をなくして転々と足元へ転がってくる。
「瞳月ちゃん?」
片手で頭を押さえ、その場によろめく彼女に駆け寄ると、彼女は小さく低い声で「ちょ、待って……」と呟いた。
声が低い。
さっきまでの軽さがないのだ。
もう手の届く距離まで来たからと、その手を伸ばした瞬間、ゆっくりと顔を上げた瞳月ちゃんが、真っ直ぐこちらを見つめた。
「○○……」
ぞくりとするほど静かな声だった。
「「手、離したらあかんで」」
「え……な、何を?」
突然何かに取り憑かれたように、二重に聞こえた声に、恐る恐る聞き返すけれど、瞳月ちゃんは苦しそうに眉を寄せるだけで。
「「その時、アンタがどうするかやで」」
頭を押さえながら、まるで“別の何か”なのか、それとも“見てはいけないものを見ているのか”。
そこまでわからない僕に、それでも彼女は警告を続ける。
「「あの日のことは、間違いやないって。伝えなあかん」」
そこで一瞬、夕暮れの風がピューっと吹いて、ふわりと、着物の袖が揺れる。
その風に色を攫われるように、赤かったはずの着物の色が、ゆっくりと薄れていく。
赤黒い色合いが、淡く白を基調とした色へ変わっていったのだ。
「……え?」
思わず声が漏れる。
瞳月ちゃんは、呆然と袖を見下ろしながら、最後の力を振り絞るように、低い声をじっと僕を見ながら口にした。
「「悪夢に負けたら——」」
そこで言葉が止まると、瞳月ちゃんは不思議そうに、痛そうに頭を抑えていた手を離すと、ポカーンっとした顔でこちらを見る。
「……あれっ?なんやっけ」
さっきまでの空気が嘘みたいに消え、いつもの鈍臭い彼女に戻っていて、ようやく息を吐いて彼女の名前を呼んだ。
「瞳月ちゃん?」
「……うーん?」
困ったように首を傾げたあと、へにゃっと笑う。
「なんか嫌な感じしたんやけど……忘れてもうた!」
さっきまでの張り詰めた空気はない、いつもの調子に僕はクスクス笑って、「あんなに大事そうだったのに?」と言うと、「そういう時もあんねん!」と言って、また鞠をぽんっぽんっと、地面についた。
またそれを見守ると、帳場の方から夏鈴が戻ってくる。
「予約の問い合わせ。明々後日お願いしますってさ」
「うん、わかった。ありがとう、夏鈴。」
「ん。……って、あれ?着物の色変わってない?」
「なんか、赤から変わった。凶事、終わったんじゃないかな」
そう返しながらも、僕の視線は瞳月ちゃんの着物から離せなかった。
さっきまで確かに赤かった着物。
けれど今は、白を基調にした穏やかな色へ変わっている。
それがもし、凶事が去っただけならいい。
けれどもし、赤の時に言いかけた言葉が、凶事を告げたのだとしたら……?
それを考えないように首を振りつつも、僕は隣の夏鈴の手を、少し落ち着くために握るのだった。