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『「ハロー」しか言えずに海外へ。英語ゼロの私が現地の仕事を手に入れるまで』

1. プロローグ:25歳の勢いと、空港での大号泣
「行くなら今の若い時に行くしかない!」
「海外の教育を見てみたい!」
友人の留学に刺激され、25歳、ノリと勢いだけで決めたオーストラリアへのワーキングホリデー。
出発の日、余裕を持って空港へ向かった私を待っていたのは、まさかの「超課金(追加料金)」という名の洗礼だった。調べていた所を見間違えていた。
最初は、海外に一人で行くことに猛反対だったママ。そんなママが「あんたがやりたいようにやり!」と送り出してくれたと凄く嬉しかったのに。
わざわざ遠くまで見送りに来てくれた親に、余計な出費をさせてしまった申し訳なさ。違う意味での涙を流しながら、不安を抱えたまま機上の人となった。
「ママ、絶対怒ってるやろな……」
「最後の最後まで申し訳ない…」
機内の暗がりで一睡もできず、「これからどうなっちゃうんだろう」と天井を見つめていたあの夜のことは、今でも忘れられない。

2. 現地到着!ホストファミリーとおばあちゃんの笑顔
オーストラリアに到着。パスポートに憧れのハンコが欲しかったのに、まさかの顔認証でスルーされて密かにショック。
日本人エージェントさんと合流できたときの「日本語の安心感」でようやく息を吹き返し、いざホームステイ先へ。
しかし、到着早々「まさかの留守事件」に直面。エージェントさんに助けられ、ようやく出会ったのは83歳・一人暮らしのパワフルなおばあちゃんだった。
毎朝水泳に通う超アクティブなおばあちゃんとの会話は、Google翻訳とお土産が大活躍。とはいえ、強烈な訛りと私の英語力のなさで、何言ってるか分からないからとりあえず笑顔で「Yes!」と答えて初日を乗り切った。

3. ハードモード突入:家探しと、過酷なシェアハウス生活
1ヶ月のホームステイを終え、ここからが本当のサバイバル。自力で次の家を探すミッションの始まりだった。
メッセージを送っても既読スルーや音沙汰なし。日本での引っ越し経験が少しだけ役に立ったものの、海外の部屋探しは甘くなかった。
結局、ホームステイから計2回の引っ越しを経験。荷物が多くて移動は毎回大仕事だった。
たどり着いたシェアハウスは、リビングに男性が2人、一部屋に2段ベッドが2つ、もう一部屋にも2段ベッドが1つ。バスルームは1つという超密室。
オーナーの韓国人は優しかったし、大学で少し勉強していた「朝鮮語」が思わぬ武器になってハウスメイトたちと心を通わせることもできた。
けれど、仲良くなったらすぐ国に帰ってしまうというワーホリ特有の別れの切なさ。そして、毎度毎度寝る時の2段ベッドの上り下りのしんどさと、下の人への気まずさ。
お金が取られないか、トラブルに巻き込まれないか……。常に気を張ってピリピリしていた私は、振り返ると「シェアハウスは自分に向いていなかった」としみじみ思う。

4. 心も体も限界? 異国での思わぬ代償
仕事も続けれない、家では心から落ち着けない。
気を張り詰めて生活していたせいか、人生初の便秘と痔になり、日本人がいる病院へ通うハメにもなった。
さらに、現地の食べ物が合わなくて心も体もしんどい。日本のお惣菜が恋しくて恋しくて仕方なかった。日本食レストランもあったけれど、驚くほど高くて手が出せない。
「私はここで何をやっているんだろう……」
仕事のプレッシャーも重なり、一時は英語を勉強する気すら完全に消え失せて、深く病んでしまった。

5. それでも譲れない「夢」と、這い上がった仕事探し
英語ゼロの私が最初に選ぶのは、やっぱりジャパレス(日本食レストラン)しかなかった。
スマホのWordで必死に自作したレジュメを握りしめ、手当たり次第に店を回る。ドアを開けるときのあの心臓が飛び出そうだったドキドキ感は今でも忘れられない。
憧れの現地カフェは、英語ゼロというだけで全く相手にされない。現実の厳しさに何度も打ちのめされた。
それでも、「子どもと関わりたい」という夢だけは絶対に諦めたくなかった。
ジャパレスのキッチンを4件渡り歩きながら、泥臭く仕事を探し続け、ついに日本人学校、ドッグカフェ、現地の幼稚園でも働くチャンスを掴み取った。
その中でも、大好きな子どもや動物たちと過ごせた日本人学校とドッグカフェの時間は、暗闇のなかで一番光り輝く、最高に楽しい貴重な体験、思い出になった。

6. エピローグ:英語ができなくても、何とかなった
「ハロー」しか言えなかった私が、気がつけばたくさんの場所で働き、色んな人と出会い、ボロボロになりながらもオーストラリアで生き抜いていた。
英語力は、ぶっちゃけまだまだだ。
現地でペラペラになれたわけじゃないし、病んだり、痔になったり、悔しくて泣いた夜も数えきれない。
それでも、「ノリと勢い」で飛び出して本当に良かったと心から思う。
そして、今回のワーホリを経て、たくさんの「失敗」や「痛い思い」もしたけれど、それが全部自分の財産になった。
もし今度、また海外に行く(住む)チャンスがあるなら――。
その時は、もっと費用を抑える行き方を選ぶし、物件の調べ方や住む場所のエリア選びも、今回の経験を活かしてもっと上手く立ち回れる自信がある。
「次はもっとうまくやれる」と思えるようになったこと。それ自体が、この海外挑戦で私が手に入れた一番大きな財産かもしれない。
英語ができなくても、完璧じゃなくても、格好悪くてもいい。
私はこれからも、自分のペースで英語の勉強を続けていくし、また新しい世界を見に行くために進み続けたい。
もし今、「英語が話せないから海外に行くのが怖い」と悩んでいる人がいたら伝えたい。
大丈夫、何とかなる。ハローしか言えなくても、人生はちゃんと自分の足で切り拓ける。

最後まで読んでくださりありがとうございます😊

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