アドバイスはただの自己満足だった。自他境界を引くために私がたどり着いた、発信という距離感
「自他境界を正しくひこう」という言葉を、最近よく目にするようになりました。
他人の問題を自分が解決しようとするのは、自他境界が曖昧だという言葉でよく表されます。
確かに、他人を変えることはできません。
本人が変わろうと思わない限り、人は変わらない。
過度に寄り添わない
アドバイスしない
適切な距離をとる
頭でわかっていても、私はそれができていませんでした。
先日、友人の職場環境が悪い話を聞いていたとき、なんとか休職や転職に意識を向けようと、アドバイスをしていました。
悪い癖だとわかっていても、止まれなかったんです。
「良かれと思って」の押し付けと、奪われる主語
自分が知っていることを、他人に伝えたくなる。
でも、他人はアドバイスを求めていないことが多いのです。
自分に近しい人であればあるほど、思いは強くなります。
相手に不幸になってほしくないから、自分の知識を総動員して意見を言う。
思えば、押し付けです。
良かれと思ってやることは、裏目に出ることも多い。
アドバイスは、相手が必要なときしか必要ないものです。
私も、ただ愚痴を聞いてもらいたいだけなのにアドバイスされてうんざりしたことがあります。アドバイスに新しい視点さえなく、理解した上で「悩んでいる」ことに共感が欲しい場合には、なおさらです。
共感を求めているときにアドバイスされると、自分の話だったはずなのに、いつのまにか主導権が相手に移る。相手に主語が移ることにモヤモヤとした感情を抱えていました。
私は薬剤師という仕事をしていたので、「傾聴」の大切さは授業で習ってきたし、実践もしてきたつもりです。
専門職として患者さんに自分の意見を伝えることも、必要なことだと思っています。
けれどそうやって働いているうちに、日常生活でも「傾聴」に加えて「アドバイスを足す」という癖がついてしまったのかもしれません。
日常生活で専門職としてのスキルを使うことは、相手の話の主導権を奪うことになっていたんです。
アドバイス通りに動いてほしい、という期待
私たちはどこかで、自分のアドバイス通りに相手が実践してくれることを期待しています。近しい人であれば、相手がその後どう行動しているかが見えます。
実践してくれればうれしくなり、実践してくれなければ、落胆する。
相手がどう行動しようが自由だし、相手を思うように動かそうと思うこと自体が傲慢なのに。
必要のないアドバイスは、互いにとってマイナスにしかなりません。
アドバイスはただの自己満足で、他人を自分の思うとおりに動かそうと思うことこそ、自他境界を引けていない証拠なのかもしれません。
悪いのはアドバイスじゃない。届ける場所を選ぶ
今はこうやって文章にしているけれど、今まではこうした気づきも、友人に話していました。私の学びを他の人にも知ってもらいたい、と思っていたからです。
でも、それさえも、ただのアドバイスだったなあと思います。
だから、私はnoteで「読みたい人にだけ伝わる形」として言葉にすると決めました。
アドバイスすることは自己満足だったと書いたけれど、それは相手が必要としていないのに押し付けているときの話。
仕事で培ったスキル、アドバイスしたくなる自分は否定せずに、場所を移す。
インターネットという世界では、相手の姿かたちが見えません。
行動を追えないし、読むかどうかを選ぶのかは相手次第です。
自他境界の線を引くのが苦手だからこそ、自分で距離を取る。
必要としないアドバイスを聞かされていた友人の負担も減るでしょう。
なにより、本当に届くべき人に届けられるかもしれない。
私はこれからも自分の心の赴くまま、noteを書いていきたいと思います。

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