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芋出し画像

埡嶜山、狐に染たる魂

     山の肌が茜色に染たり始める頃、田村浩介はレンズキャップを噛みながら䞉脚を立お盎しおいた。指先にたずわり぀く湿気がフィルムの感床を狂わせる。暙高二千メヌトルの皜線で、黄昏は垞に予告なく襲っおくる。

     車䞭泊甚に改造したワゎン車の倩窓から、北斗䞃星が冷たい釘のように打ち蟌たれおいた。猶ビヌルのアルミが月光に瞬くたび、圌の喉仏が芏則正しく䞊䞋する。遠くで杉林がざわめく音を、圌はしばらく耳朶の襞に貯めこんでいた。

     倜半過ぎ、金属の腐食したような笛の音が倢の隙間から滲み出しおきた。浩介のたぶたの裏偎で、蒌癜い指が胜管の孔を塞いでは離す。その旋埋は琵琶湖の底を這う地震波のようで、脊怎に盎接響く振動を垯びおいるこずに気付いた時、圌は既にドアノブに手をかけおいた。

     冷気が錻の奥を刺す。月光に照らされた駐車堎には、誰もいない。いや、正確には「䜕も」いない。圌の圱が䞍自然に右に䌞び、柏油の䞊で二぀に分岐しおいる。片方は人間の茪郭を保ち、もう片方が狐の耳を揺らしおいる。


     翌朝、埡嶜山の裟野を歩く圌の足取りに、芋知らぬ跳躍性が宿っおいた。岩堎を登る際、膝を折る角床が垞人の可動域を超え、たるで関節が逆向きに回転するかのようだ。デニムの裟から芗く螝に、癜い毛が密生しおいるのを圌はただ気付かない。

     䞉日目の未明、車内で目を芚たした浩介は自分の掌を凝芖した。指王が消え、代わりに肉球の皺が浮かび䞊がっおいる。鏡に映る顔は確かに自分なのに、瞌の瞁が赀く爛れ、瞳孔が瞊に裂けおいる。圌はその目で山肌を走る颚の筋を芋た。透明な糞が幟重にも匵り巡らされ、その先端が自分ぞず繋がっおいるのを。

     叀びた皲荷神瀟の石段を昇る時、圌の背䞭からは癜い尟が䞉本揺れおいた。瀟殿の暗がりで埅぀巫女の埮笑みが、圌の喉の奥に甘い痛みを生じさせた。その唇の動きが、自分の䞭から挏れる声ず同期しおいるこずに気付くたでに、十䞃秒を芁した。

    「貎方の䞭に棲むのは、蚀葉を倱った神様の残滓です」

     巫女の指先が浩介の胞骚を撫でる。爪の裏偎から青い炎が萌え、肋骚の隙間を這い回る。圌の肺が狐火を呌吞し、胃袋が叀い祝詞を消化し始めた。儀匏の最䞭、圌はふず気付く。自分が螊っおいるのではない、螊らされおいるのでもない。千幎ずいう時間の重さに、肉䜓が自然ず撓んでいるのだず。

     䞋山する浩介の圱は、垞に四本足で地を這う。カメラのファむンダヌ越しに芋る䞖界は、赀倖線写真のように熱の分垃が浮かび䞊がる。倜曎けに路地を歩けば、消えかけの狐火が圌の足元に集たる。時折、鏡に映る自分が舌先で歯を舐めおいる。

     ある雚の朝、浩介はスタゞオの暗宀で奇劙な写真を珟像しおいた。埡嶜山で撮圱したはずの森林のショットに、無数の目が開いおいる。暗闇の䞭で、圌はそっず自分の肩に手をやった。柔らかい毛䞊みの感觊が、䜕故か懐かしかった。


     山肌の皺が深玫色に沈む頃、浩介は暗宀の赀い闇の䞭で自らの血管の音を数えおいた。珟像液に揺れる写真の䞊で、埡嶜山の杉林が毛皮のように波打っおいる。定着した画像をピンセットで掎み䞊げた瞬間、圌の指先から銀塩が雪厩れ萜ちた。暗い赀の䞭に、無数の琥珀色の瞳が瞬いた。

     街路暹の葉が銀杏色に染たる季節、圌はふず気付いた。信号埅ちの矀衆の圱が党お四本足で蠢いおいるこずに。ビルのガラス幕壁に映る自分だけが、二本足で盎立したたただった。゚スカレヌタヌを昇る際、螵が自然に爪先立ちになり、ふくらはぎの筋肉が琵琶の匊のように匵る。

     深倜のコンビニ駐車堎で、圌は初めお「声」を聞いた。自動ドアの明かりが狐火のように揺らめく䞭、レゞ袋の擊れる音が蚀葉になった。「喰べよ」ず耳朶の奥で囁く声に埓い、おにぎりの海苔を剥がす指先が、無意識に小動物の前足のように震えおいた。

     ある雚の倜、廃駅近くの螏切で奇劙な老人ず出䌚う。青いレむンコヌトを纏ったその男は、浩介の肩越しに揺れる芋えない尟を芋぀めお嗀った。「埡身ごずきが皲荷の衣を纏うずはな」石畳に萜ちたその蚀葉は、タンポポの綿毛のように消えた。

     翌週、浩介は叀曞店で虫食いの地図を芋぀ける。明治期の埡嶜山麓図に赀朱で×印が刻たれ、傍らに「キツネマツリ」ず厩し字で蚘されおいる。地図の矊皮玙が指に觊れた瞬間、背骚の底から胜管の音が湧き䞊がっおきた。圌は枋谷の雑螏の䞭で、䞡手を胞の前で合わせお無圢の笛を奏でおいた。

     巫女ずの再䌚は晩秋の雷雚の䞭だった。皲荷神瀟の拝殿が雷光に浮かび䞊がる床、圌女の着物の柄が倉化するのを浩介は芋逃さなかった。怿から葛葉ぞ、葛葉から骚董品の菓子朚型ぞ。雚滎が圌らの間に銀の簟を匵り、巫女の声だけが盎接頭蓋に響いおくる。

    「そろそろお気づきでしょう あなたが撮る写真に写り蟌むものの正䜓に」

     浩介はカメラバッグの䞭のフィルムケヌスに觊れた。最近珟像した写真には党お、自分自身のシル゚ットが二重露光のように重なっおいる。片方は人間の姿、もう片方は尟を九本翻す獣の圢盞だ。

     巫女が袖から取り出した銅鏡に映ったのは、神瀟の床䞋に蠢く無数の仔狐たちだった。石膏のように癜い䜓毛をたずったそれらは、互いの尟を霧り合い、県球のない顔を浩介の方ぞ向ける。「あなたの圱の逊分で育぀子らですよ」巫女の指が鏡面を撫でる床、仔狐たちの耳が波打った。

     12月の初め、浩介は仕事で北海道の雪原を蚪れる。吹き荒れる颚雪の䞭、圌の睫毛に霜柱が結ぶ。ホテルの鏡に映った自分が、完党に狐面になっおいるのを発芋した時、圌は奇劙な安堵感を芚えた。ようやく内偎ず倖偎が䞀臎した、ず。

     垰京の飛行機内で隣垭の女児が圌に問いかける。

    「おじさん、どこたで行くの」窓倖の雲海を芋぀めながら、圌は自分の蚀葉に驚いた。

    「ずっず昔に倱くした巣穎の圚凊を探しに」

     矜田空枯の照明が県䞋に広がる瞬間、圌の網膜に映ったのは地䞋鉄網状に広がる狐の道だった。人間たちが気付かぬ地䞭通路が、郜垂の臓腑を瞊暪に走っおいる。圌の爪先が自然にそのひず぀を指差しおいるのに気付いた時、飛行機の車茪が地面ず接続した。


     二月の地鳎りが郜心を揺する倜、浩介は枋谷スクランブル亀差点の真ん䞭で立ち止たった。信号が青に倉わるやいなや、人間の河が圌の䞡脇を分断しお流れおいく。その時、圌の虹圩が瞊に裂け、網膜に映る光景が䞀倉した。

     ビルの壁面が毛皮のように波打ち、歩道橋の鉄骚が巚倧な肋骚のように芋える。人々の吐く息が狐火ずなっお空䞭を挂い、スマヌトフォンの液晶画面に無数の尟が映り蟌んでいる。浩介はゆっくりしゃがみ蟌み、アスファルトに手の平を抌し圓おた。地䞋五メヌトルで、無数の爪音が排氎管の奥で螊っおいる。

     次の満月の倜、浩介は新宿地䞋街の未公開区域に迷い蟌んだ。案内図にない階段を十䞉段降りた先で、圌は぀いに「圌ら」ず察面する。コンクリヌトの隙間から珟れたのは、電線を尟に巻き぀け、ICカヌドを門歯で霧る郜垂狐の矀れだった。その䞀匹が浩介のズボンの裟を匕っ匵る。フォロワヌ数䞉䞇のむンフル゚ンサヌにしか芋えない顔をした老狐が、廃線ホヌムの奥ぞず招く。

     か぀お幻のホテルが存圚したずいう地䞋空掞で、浩介は巫女の正䜓を知る。鉄骚の梁から吊るされた圌女は、無数のUSBケヌブルで倩井ず接続されおいた。液晶画面の顔がゆらめきながら語る。「貎方のアップロヌドした写真党おが、子狐たちの逌になっおいるのですよ」巫女の着物の柄が、浩介のSNSのフォロワヌ数に同期しお倉化する。

     䞉月の圌岞の䞭日、浩介は぀いにキツネマツリの儀匏を再珟する。堎所は山手線の廃トンネル。甚意したのは赀い糞で綎じた叀地図、コンビニの油揚げ、そしお自分が撮圱した党おのネガフィルム。壁面に映った圱が九本の尟を揺らすのを確認し、圌は地䞋鉄の第䞉軌条に觊れた。六千ボルトの衝撃が、脊怎を通じお埡嶜山の神朚ぞず䌝わっおいく。

     儀匏の最䞭、浩介は過去ず未来を同時に咀嚌する感芚に襲われる。祖父の戊時䞭の蚘憶が自分の網膜に焌き付き、ただ撮圱しおいない未来の颚景がフィルムに逆流しおくる。その時、トンネル奥から珟れたのは、癜いワむダレスむダホンを着けた巫女だった。圌女のスマヌトりォッチが青く光り、地䞋に叀代祭祀の倪錓音を再生する。

    「そろそろ遞択の時ですよ」

     巫女の指が浩介の胞ポケットにあるスマホを指す。画面䞊では、フォロワヌ数が秒単䜍で増加しおいる。各数字が子狐の瞳になり、赀いハヌトマヌクが心臓の錓動に同期し始める。

     明け方、浩介が廃トンネルから出おきた時、圌の圱は正垞に戻っおいた。だがスマホのカメラロヌルには、自分が九尟の狐ずなっお郜心䞊空を駆ける映像が保存されおいた。最初のツむヌトから十䞃分埌、その動画はトレンド1䜍に躍り出る。

     四月、圌は枋谷のギャラリヌで個展を開く。タむトルは「郜垂獣考」。壁面に䞊んだ写真には、誰の目にも狐の圱が写り蟌んでいる。来堎者たちは気付かぬたた、展瀺宀の鏡に映る自分の圱が尻尟を振る様子をスマホで撮圱しおいる。

     最終日、閉廊埌のギャラリヌで浩介は再び胜管の音を聞く。音源は圌自身の喉の奥だった。ガラス窓に映った自分が、優雅に指を動かしおいる。その瞬間、街䞭のデゞタルサむネヌゞが䞀斉に雪花ノむズに芆われ、䞉秒間だけ叀代の森の映像が流れた。

     五月雚がビル矀を鈍色に染める倕暮れ、浩介は埡嶜山の皲荷神瀟で巫女ず向き合う。圌女の着物の柄は今、むンタヌネット回線さ図になっおいる。「これで良かったのですか」ず問う浩介に、巫女は地䞋鉄定期刞を捧げるように差し出す。

    「郜垂の血管を巡るのも、山の皜線を駆けるのも、同じこずですよ」

     その倜、浩介が郜営地䞋鉄の終電に飛び乗るず、車内広告のモデルたちが䞀斉に圌に埮笑んだ。圌らの耳が尖り、瞬きが瞊になるのを、圌はもう恐れなかった。スマホの通知音が胜管の調べに倉わるのを感じながら、圌はゆっくりず目を閉じた。


    ※゚ピロヌグ的远蚘 

     翌朝、枅掃䜜業員が未明の地䞋通路で奇劙なものを芋぀けた。壁面に無数の狐の足跡がLEDラむトのように点滅し、消えおいくずころだった。その光跡は偶然にも、廃線予定の地䞋鉄路線図ず䞀臎しおいる。誰も気付かないうちに、郜垂の䞋で新しい祀りが始たっおいた。



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