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魂Journey第5回 ゚ピロヌグ:魂の再䌚から新たなる魂Journeyぞ


    魂に導かれた先の聖地出逢った日の予知映像


    䜕の情報も持っおいたせんでしたが、ただ私の心が赎くたたに、スリランカ北郚の海を目指したした。

    最初にたどり着いたのは、スリランカの北東偎に䜍眮するトリンコマリヌずいう土地でした。それたで私が過ごしおきた地域の人々は「シンハラ語」を話しおいたしたが、この゚リアに暮らすのは「タミル語」を話す人々。わずか1週間の間に耳にしおきた蚀葉や、目にする文字がガラリず倉わり、私はたるで別の囜に迷い蟌んだかのような䞍思議な感芚を芚えおいたした。

    街の雰囲気も違いたす。キリスト教の教䌚に加え、鮮やかな色圩のヒンドゥヌ教の寺院が姿を珟し、道にはむンドぶりに牛がゆったりず歩く姿を芋かけたした。

    小さなゲストハりスに宿泊し、海蟺を散歩しおいたずきのこずです。日本の珟代ではもう芋るこずができないであろう、䌝統的な地匕き網の持業スタむルに出䌚いたした。その矎しい光景に感動しお写真を撮っおいたら、持垫のリヌダヌの方に笑顔で手招きされ、なんず䞀緒に網を匕っ匵るのを手䌝わせおもらったのです。本圓に枩かい䜓隓でした。

    珟地の方々に「北の海ぞようこそ」ず優しく迎えおもらったような気がしたものの、私の心の䞭の矅針盀は「ここではない。ただ別の堎所ぞ行くべきだ」ず、静かに告げおいたした。

    2日埌。気づけば私は、さらに北ぞ最北端ぞず向かうロヌカルバスに揺られおいたした。

    そうしお぀いにたどり着いたのが、スリランカ最北の街、ゞャフナJaffnaでした。

    予玄しおいた宿泊先に到着したずき、目の前に珟れたのがその宿のオヌナヌである圌でした。その時は、若々しく茝く瞳をしおいたので、おっきりスタッフの方だず思い蟌んでいたのですが  。

    䞀歩足を螏み入れたその瞬間から、その空間はどこか懐かしく、蚀葉にできないほど心地よい空気に満ちおいたした。私は到着しおすぐに、バルコニヌでただ枩かいお茶を飲みながら、がヌっず至犏の時間を過ごしたした。

    オヌナヌである圌ずゆっくり䌚話ができたのは、その日の倜のこずでした。スリランカの地図を䞀緒に芋ながら、私は「先䜏民的な暮らしや、自然ず共に共存する人々の生き方をこの目で芋おみたい」ず、自分の想いを圌に䌝えたした。

    ――その瞬間でした。

    圌ず私がこうしおここで向かい合っお話しおいる姿を、「ずっず前から知っおいた」ずいう鮮烈なビゞョン予知映像が私の脳裏をパッず駆け抜けたのです。

    本人を目の前にしお、その衝撃的な様子を興奮気味に䌝えようずした圓時のこずが、たるで今この瞬間の出来事かのように鮮明に蘇りたす。

    瞳の矎しさず真っ盎ぐな玔粋さ。圌が持っおいる考え方や心の感芚が、私ず近すぎおたるで䜕幎も前から知っおいた倧芪友ず話しおいるかのような  これたで既に倚くの人に䌚っおきた私に起こった、人生初めおの感芚。あたりにも衝撃的な出逢いだず氣付いたのです。

    クマリカンダムの蚘憶:「懐かしさ」の正䜓



    久しぶりに心から穏やかな倜を迎え、翌日はゞャフナの街の散策に歩いお出かけたした。

    この街には、オランダ統治時代の建物がいく぀も残っおいたす。殆どの芳光客が遺跡ずしお感嘆する䞀方で、私はそこに「䞍自然な感芚」を肌で受け取っおいたした。それは、その土地本来が持぀ピュアな゚ネルギヌずは䜕かが違うずいう魂のセンサヌの反応だったのだず思いたす。

    もずもず瞄文の暮らしに憧れるほど、垞に「その土地に最初に生きおいた先䜏民たちは、どんな生掻をしおいたのだろう」ずいう根源の光を探しおいた私。街の様子をじっくりず眺め、時折違和感を感じながら、気づけば私は海蟺ぞずたどり着いおいたした。

    そこにはなぜか分からないけれど、魂の奥底から安心できる氎蟺が広がっおいたのです。

    地元の持垫さんたちの小さな舟、海の沖に建おられた玠朎な建物、䞁寧に匵られた網。そしお、そこに優しく打ち寄せる波の音――。ただそこに䜇んでいるだけで傷぀いた心がすべお掗い流されおいくような、どこたでも静かな海でした。

    地元の優しい方々ずの出䌚い、そしお街䞭でお店を営む人々が芋せおくれる枩かい笑顔、忙しない人たちのすぐ偎にあるゆったりずした時間の流れ。私の心はさらに深く癒やされおいきたした。

    そしお䜕より震えるほど嬉しかったのは、宿のオヌナヌである圌を始め、珟地の方に「クマリカンダム」の話をしたずきでした。驚くほどスムヌズに䌝わり、圌らは優しく埮笑んでこう蚀っおくれたのです。「それは、私たちが倧昔から倧切に受け継いできた神話のこずだよ」ず。

    私がこれたで探求しおきたムヌレムリア倧陞、瞄文の粟神、そしおクマリカンダム。それらの共通点。それは
    「圓たり前の愛の䞖界、人を慈しみ、呜あるすべおの存圚に尊敬の心を持぀䞖界」
    だず、私の䞭では捉えおいたした。

    たさに、ゞャフナの人々には、そのすべおが私ず同じ感芚でタむムラグなく䌝わっおいたした。時代を超えおすべおを芋守り、䞖界を繋いできた海の氎が、その愛の蚘憶をこの堎所ぞず運んできおくれたかのような䞍思議な安堵感。

    海を超えお繋がる叀代レムリアの「氎の蚘憶自然厇拝の粟神」が、私の内偎で完党に目芚めたように思えたした。

    その埌、オヌナヌの圌ずの間に驚くようなシンクロニシティ偶然の䞀臎が次々ず重なっおいきたした。

    私がか぀お人の健康をサポヌトする仕事に埓事しおきたず同様に圌も医療関係に埓事しおきおおり、ある皋床の医療知識を持ち合わせおいる点ら日本で私が圌ず同じビゞネスを立ち䞊げた時期ず、圌がゞャフナでスタヌトさせた時期が、ほが䞀緒であるこず、特定の宗教に属するこずなく、倧自然に察する深いリスペクトを垞に持っおいるこず。珟代瀟䌚のあり方に違和感を抱き、どこか生きづらさを感じながら生きおきたこず。なぜか人が集たっおくる玠質を持っおいるこず、聎いおきた音楜が同じだったこず。さらには、亡くなっお半幎になる私の愛する祖母ず、圌の誕生日の日付が、たったく同じだったこず――。

    そんな倚くの共通点に導かれ、私はこれたで誰にも打ち明けられなかった苊しみや悲しみを、圌には自然ず蚀葉にしお話すこずができたした。そしお、それらをすべお倧きく包み蟌んでくれる圌の圧倒的な懐ふずころに、気づけば私は飛び蟌んで涙を流しおいたした。

    「もう、ひずりで苊したなくおいいんだよ。悲したなくおいいんだよ」そう蚀わんばかりに、静かに優しく背䞭を撫でおもらったずき、これたで暗い郚屋で䞀人で閉じ蟌めおきたネガティブな゚ネルギヌのすべおが、䞀瞬で綺麗に解攟されおいくのを感じたした。

    事実、圌もたた数えきれないほどの孀独な苊しみや悲しみを、ひずりでじっず耐え、乗り越えおきた矎しい魂の持ち䞻だったのです。

    長い冬の間、䞖界の誰にも出せなかった本圓の感情が、ようやく本物の理解者に出䌚えたこずにより珟れたした。私は、時空を超えた真の魂のパヌトナヌずの奇跡の再䌚を果たしたのだず深く確信したした――。


    シンクロニシティが぀なぐ未来真の生き方ぞず向かう「茝く旅」


    あの出逢いから、私はなんずスリランカの滞圚を半幎も延ばしおいたした。魂の蚘憶を蟿る、本圓の旅が始たったからです。

    圌を通じお知り合う珟地の人々ずも、蚀葉が通じないながらにどこか深い安心感を芚え、あっずいう間に打ち解けおいきたした。気づけば、ゞャフナには地元の家族のような枩かい人々ができおいたのです。

    滞圚期間䞭、毎日最北での生掻をリアルに䜓隓し、食べるものやその他のどの文化もすんなりず受け入れられたした。

    䜕より、圌らの暮らしの䞀぀䞀぀には倚くの日本人が忘れかけおいる“自然ずその呜ずの玔粋なる共存”があり、私が求めおやたなかった暮らしそのものだったのです。

    蚀葉は分からないはずなのに、圌らの話すタミル語を聞いおいるだけで、なぜか心が深く萜ち着くのです。実際に、タミル語ず日本語には倚くの共通点があるこずが知られおいたす。日本語の起源を熱心に研究された囜語孊者・倧野晋博士は、か぀おタミル語が日本語のルヌツに深く関わっおいるずする「タミル語起源説」を提唱されおいたす。

    文法の共通点: 日本語ずタミル語はずもに「SOV型䞻語・目的語・動詞」の蚀語であり、修食語が被修食語の前に来るなど、文章の組み立おが酷䌌しおいる。発音の共通点: 䞡蚀語ずもに基本的な母音が「あ・い・う・え・お」の5぀で、長母音ず短母音の明確な区別がある。助詞の機胜: タミル語には日本語の助詞ず䌌た機胜を持぀接蟞があり、文末に疑問を衚す蚀葉日本語の「か」に察し、タミル語は「アヌ」を䜿う。

    叀代史ネットワヌク

    海を超えたこの䞍思議な蚀語のシンクロ。私が感じおいたあの「懐かしさ」の正䜓だったず深く玍埗がいきたした。

    そのうちに、圌ず私ずの“ありのたたの自然が残る矎しい景色を芋る旅”も始たりたした。

    食べ物の趣味や、お酒を飲める量たで同じ圌ずは、䜕も気を䜿う必芁がありたせんでした。蚀葉を亀わさない沈黙の時間の䞭でさえ、お互いが欲するものが手に取るように分かるのです。

    スリランカの山間郚や、玅茶で有名な矎しい地域。巡ったすべおの堎所が私たちのパワヌスポットずなり、私を玔粋な私自身ぞず戻しおいっおくれたした。

    父芪の急逝により、私は日本ぞの垰囜を䜙儀なくされたこずがありたした。けれど、父が生前のうちに「お父さんのように、私を倧きな愛でサポヌトしおくれる玠晎らしい存圚に出䌚えたよ」ず盎接報告できおいたこずは、今でも悔いなく父を倩囜ぞ送るこずができた、䜕よりの救いずなっおいたす。

    それからも、私は䜕床も日本ずスリランカの埀埩を繰り返したした。魂の再䌚盞手である圌からの倧いなるサポヌトを受けながら、たくさんの旅を重ね、䞻芁な地域のほずんどをコンプリヌトするこずができたのです。

    その旅の䞭で私はあたりにも玔粋な゚ネルギヌに觊れ続けたした。その結果、私は「倖の䞖界にも、自分自身にも、もう䞀切の嘘が぀けない私」ぞず完党に生たれ倉わっおいたのです。

    航空刞代のために「ずりあえず」で働いたり、䜕かを埗るためだけに、自分の呜ずも蚀える神聖な゚ネルギヌを投じおラむスワヌク仕事をしたりするこずが、党く持っおできなくなっおしたいたした。

    それは、私が生涯ずっず疑問に思い続けおいたこず。珟圚の䞖界の瀟䌚システムずもいえる「お金のために生きる」ずいう生き方を、もうこれ以䞊は肯定しない、ずいう匷烈な遞択をしたずいうこずになりたす。

    タミル語を話すゞャフナの方々の生掻は、決しお裕犏ではありたせん。むしろ圌らは、䜕床も激しい生掻の危機を味わっおいたす。でも、その床に「お互い助け合いながら、愛を持っお匷く生きる」ずいう、パワフルな粟神で生き抜いおきおいたのです。

    無条件に人に愛を向けられるその玔粋なコミュニティに觊れ続けたずき、私が昔から長く憧れおきた「瞄文時代のような、愛をベヌスにした生き方」に私は確かに今、觊れおいるのだず確信したのです。

    有難くも日本を敬愛し尊敬しおくれる圌のお陰で、私自身が改めお日本のこずをきちんず知りたいず思えたこずは貎重な導きでした。

    やっず人間本来の矎しい生き方に出逢えた私。
    キラキラ茝く自然ず共存する暮らしから、ピカピカの私を取り戻したのです。

    珟圚の私は、日本の地で自分が取り戻すべきこずに䞁寧に取り組みながら、再びスリランカ最北の地ぞず垰る準備を進めおいたす。

    今床蚪れるずきは、傷぀いた私を癒やしおもらいに行くのではありたせん。自分に嘘を぀かず、私の持っお生たれた繊现な特性凞凹を隠すこずなく掻かし、日本の矎しい「瞄文スピリット」を貫いた、自立した1人の日本人女性ずしおそこに立぀のです。

    ここからは魂のJourney茝く旅の先導者ずしお、共感し集う方々の魂の声を導くお手䌝いをしおいくこずになりたす。

    1人でも倚くの人が、瀟䌚のシステムに惑わされず“自分の愛をベヌスにした生き方”に還っおいけたすように。

    私の「Pika Pika Journey」本圓の旅は、今から始たりたす。

    これたでのすべおの歩みに、そこで出䌚った倧奜きな人々、 時間を共有したすべおの人々、そしおこれから出逢うすべおの魂の仲間に、最倧玚の愛ず感謝を蟌めお。

    Pika Pika Journey
    Pika

     
     
    癌ず鬱を越え光を取り戻す魂の旅ぞ。 ハワむやむンドを経おスリランカ北郚ぞ導かれレムリアや叀代タミルの幻の倧陞クマリカンダムの蚘憶を日本の神々ず繋ぐ奇跡䜓隓。

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