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意見が一致し過ぎると危険だと感じる。

    山根あきら | 哲学者


     人と話していて意見が同じだと嬉しく思うことが多い。だからたいてい、自分が話したあとに「共感しました」という言葉を相手から聞くと、共感という言葉自体は誉め言葉でも何でもないのに「認められた」と勘違いしがちだ。

     何でも反対されるのは腹が立つけど、何でも賛成されるのも同じくらい恐怖を感じる。


     友だちでも恋人でも、価値観が一致することはいい。離婚の原因として「価値観の不一致」が挙げられることも多いから、大事なことに関しては価値観は一致していたほうがいいが、細かなことまで意見が一致するのってちょっとこわい。

     自分がマトモな人だと感じた人を友だちなり恋人にするのはいいが、誰しも人とズレているところはあるものだ。たいていの人が非常識だと考えることについてまで意見が一致していると、歯止めがきかなくなり、時に暴走する。間違った方向に行くときまで、イケイケドンドンでは困る。

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     あまり政治の話はしたくないが、抽象的に言えば、支持率が3割にも満たないものは支持を得ているとは言いがたい。だが、支持率が仮に8割あればいいかというとそれはそれでこわい。なんでもすんなり通っていくのは効率はいいが、間違った方向に進んだら、後戻りしにくい。


     何が言いたいのかというと、同じ価値観や趣味、思考を持つ人との交流するのは楽しいが、まわりが見えなくなる危険性があるということだ。
     だから、意見が違っても、きちんと議論できるような人を何人か持っておいたほうがいい。妥協するわけでもないけれども、ちょっと考え直せば、もっといいアイデアが浮かぶかもしれない。



     ぜんぜん関係ない話だが、果物は酸味が嫌われる傾向がある。最近、グレープフルーツを食べていない(食べようかな、と思ってつぶやいてから2年経とうとしているが、いまだに食べていない😊)。ホワイト、ルビー、スウィーティくらいの品揃えはどこのスーパーの平台に置いてあったものだが、今では探そうと思わないとどこに置いてあるのかも分からない。小さい頃はよく食べたものだが、最近の果物は甘いものばかりが好まれる。苦味・酸味があるものは、人間関係と似ていて避けられる傾向があるのだろう。

     甘いものばかり一色になるのは、なんかつまらない。変な言い方だが、「的を射た苦味・酸味」って、人間関係においても果物でもあったほうがいいんじゃないかなぁ、なんてね。。。


    後書き的な

     上の文章を書いたのはちょっと前のことだが、意見の一致、価値観の一致について思い付いたことを書き加えておく。

     自分たち同士では似ていないとか、違っていると思っていても、他人から見ると似ていると思われることがある。

     その原因をザックリいうと、似た者同士ほど些細な違いを大きな違いだととらえるからではないだろうか?

     例えば、野球。
     私はあまり野球に関心がないから、巨人ファンだろうが、阪神ファンだろうが、どっちも「野球ファンなんだなあ」としか思わない。けれども、贔屓のチームを持っている人は、どのチームのファンなのかというのは、とてつもなく大きな違いだと感じるかもしれない。

     スポーツに全く関心のない人になればもっと大雑把になることもありえる。野球が好きな人も、サッカーが好きな人も、同じ「スポーツ観戦が好きな人」に過ぎない。野球だけが好きとか、サッカーだけが好きとかいう人から見れば「野球とサッカーはまったく違うもの」。

     似てる者同士ほど、仲が良くなったり、些細な違いを針小棒大にして争ったりする。近くにいる人ほど喧嘩になりやすい。遠く離れた、一生出会う可能性のない人には、強い親しみや愛情が感じられない代わりに、争うこともまずないだろう。


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    初投稿2021/08/08。毎日投稿。2023年から個人企画「青ブラ文学部」。英語、ことば、文学、哲学、数学、時々noteのことなどを書いています。 『星空の恋の方程式』で創作大賞2025中間選考通過。『算数の時間 | 分数を理解しよう!』で「今日の注目記事」に選出。

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