
読書 | ハーディ作 『テス』 を再読して。
トーマス・ハーディの『テス』を再読して、読了しました。簡潔に、私の感想を交えながら、梗概および読みどころを書いておこうと思います。

(1) 梗概と感想
物語の主人公テス・ダービーフィールドは、貧しい農家の娘です。ある日、父から自分たちの家系が、かつて栄えた名門ダーバヴィル家の末裔であると知らされます。しかし、実際にはそのダーバヴィル家はすでに途絶えていて、現在「ダーバヴィル」という名前を名乗っているのは、その姓を買い取った商人の家でした。
テスの家は、プリンスという一頭の馬を失っただけで窮乏してしまうほど、苦しい生活を送っていました。テスは家計を助けるため、現在のダーバヴィル家を訪ねます。そこで出会ったのがアレック・ダーバヴィルでした。アレックはテスに執着し、誘惑します。そしてテスはアレックによって、本人の意思に反して性的な関係を強いられました。
ここで印象的なのは、「ダーバヴィル」という名前を持つ二人の対照です。アレックは金でダーバヴィルという名前を手に入れた、いわば「見せかけのダーバヴィル」です。一方のテスはダーバヴィルという名前を受け継いでいたにもかかわらず、父の代には「ダービーフィールド」という名前になってしまっています。
名前だけを比べればアレックのほうが「ダーバヴィル」なのに、人間としての高潔さを持っているのは「ダービーフィールド」のテスのほうです。
テスはアレックとの出来事によって、社会的には「純潔を失った女性」と見なされることになります。しかし、私には、テスがそのことによって気品まで失ったようには思えませんでした。
その後、テスは牧師館の農場で働き、そこでエンジェル・クレアと出会います。二人は愛し合って、結婚します。しかし、結婚後、親には絶対に言わないように注意されていたにもかかわらず
テスは、アレックとの過去をエンジェル・クレアに告白してしまいます。
ところがエンジェルは、テスの告白を受け入れることができません。エンジェル自身にも、テスと出会う前に女性との性的交渉があるにもかかわらず、テスに対しては「純潔」という理想を求めていました。エンジェルはテスを愛していたからこそ、かえって自分の抱いていた「理想の女性」と現実のテスとの違いに耐えられなかったのでしょう。あるいは、男の身勝手だとも私は思いました。
このテスの告白によって、エンジェルは、一度、テスを見放してしまいます。しかし、離れて暮らすうちにエンジェルは、自分が愛していたものが「過去に傷のない理想の女性」だったのではなく、「テスという一人の人間」だったことに気づいていきます。
その一方で、テスは貧困の中で苦しい生活を送り、聖職者になっていた際に、アレックと再び関わることになります。家族を守るため、家計を支えるために、テスは自己犠牲にする選択を迫られます。
そんな中、テスのもとへエンジェルが戻ってきます。しかし、そのときにはすでにテスはアレックを殺害していました。ここで、テスとエンジェルクレアの二人は逃亡することになりました。
それまでの二人の間には、愛し合いながらも、社会的な価値観や「純潔」という観念が立ちはだかっていました。ところが今度は、二人とも社会から追われる身になったことで、ようやくそのようなものから解放されたように見えました。
私は、この逃亡中にテスとエンジェルが宿で身を寄せ合い、数日間を過ごす場面が、とても切なく、同時に美しいと思いました。アレックを殺害したのですから、外国への逃亡を企てようが、明るい未来がないことは、二人は薄々感じています。
テスはアレックを殺しました。エンジェルも、そのことを知ったうえでテスとともに逃げます。二人に残された時間はわずかです。だからこそ、この数日間は、テスにとっても、エンジェルにとっても、最も幸福な時間だったのではないかと思います。エンジェルもまた、そのままのテスを受け入れています。しかし、その幸福は長く続きませんでした。
二人は逃亡しているうちに、深夜、ストーンヘンジへたどり着きます。そこでテスは古代の巨大な石のそばで眠ります。文明や社会から遠く離れたような場所で、二人は最後の時間を過ごしました。
けれども、そこにも社会の手は届きます。テスは逮捕され、その後、処刑されてしまいます。
『テス』を読み終えて強く残ったのは、単純な「悲劇の女性」の物語という印象ではありませんでした。むしろ、名前や血統、身体的な純潔、宗教、法律といった、社会が人間を評価するためのさまざまな「形式」と、その形式では測ることのできない「一人の人間の価値」とのずれが描かれていたように思います。
特に印象に残ったのが、テスが亡くなった子どもソローを自ら洗礼し、埋葬しようとする場面です。正式な宗教制度の外にいるテスが、死んだ子どもに対して誰よりも真剣に向き合っていました。その姿には、テスという人間の高潔さが表れているように感じます。
アレックは「ダーバヴィル」という名前を持っていました。一方のテスは「ダービーフィールド」という名前になっていました。しかし、名前だけでは人間の価値は決まるものではありません。
社会的には、純潔を失った女性とされたテスも、殺人を犯した最後のテスも、私が読んできたテスという人間そのものは、決してそれだけでは語れません。テスは最後まで、社会が与える名前や評価とは別のところで、自分自身の気品を失いませんでした。その意味で私には、テスこそが本当の意味で「ダーバヴィル」の精神を受け継いだ人物だったように思えました。

(2) 物語の構成
『テス』は、7つの「編」と、59の「章」から成り立っています。
Oxford World's Classics の目次はつぎのようになっています。
CONTENTS
Phase the First
The Maiden, I–XI
Phase the Second
Maiden No More, XII–XV
Phase the Third
The Rally, XVI–XXIV
Phase the Fourth
The Consequence, XXV–XXXIV
Phase the Fifth
The Woman Pays, XXXV–XLIV
Phase the Sixth
The Convert, XLV–LII
Phase the Seventh
Fulfillment, LIII–LIX
細かいことですが、私が面白いと思うのは、ここで「Phase」(段階)という言葉が使われているところです。
たいていの小説では、「Volume」や「Part」といった言葉が使われることが多いと思います。
岩波文庫 (井上宗次・石田英二 [訳] )の目次は次のとおりです。
まえがき
第一編 処女
第二編 もはや処女ならず
第三編 更正
第四編 結果
第五編 女は償う
第六編 改宗者
第七編 遂行
原作では「maiden」だったものが、岩波文庫の訳では「処女」となっています。リーダーズ英和辞典の「maiden」の訳語には、「少女、おとめ、処女」とありますから、翻訳者も訳語を選ぶ際には、いろいろと考えたのだと思います。
「処女」なら、virgin という言葉もあります。maiden は「少女」や「おとめ」という意味も持っていますから、ハーディがあえて virgin ではなく maiden という言葉を選んだことには、何か意味があるのかもしれません。
「Maiden No More」は、文字どおりには「もはや乙女ではない」といった意味にも読めます。それを岩波文庫では「もはや処女ならず」と訳しています。
この違いは、私には少し気になるところです。というのも、テスはアレックとの出来事によって、社会的には「純潔を失った女性」と見なされることになりますが、それによって彼女の気品や高潔さまで失われたわけではないと思うからです。
「処女ではなくなったこと」と「一人の人間として何かを失ったこと」は、本当に同じなのでしょうか?
ハーディが「maiden」という言葉を選んだ理由については、もう少し考えてみたいところです。

(3) 読みどころ
私の印象に残った章をいくつか挙げておきます。
第二編の第14章
(前掲書[上]、pp144–162)
アレックとの間にできた赤ん坊に、テスが「ソロー」と名付けて洗礼を施すシーン。
第七編の第56章
(前掲書[下]、pp262–267)
テスによるアレック殺害。
ブルックス夫人が天井から滴り落ちるものが、血液だと理解した場面。
第七編の第58章
(前掲書[下]、pp277–289)
テスとエンジェルがストーンヘンジにたどり着く場面。『テス』という小説のクライマックスだと思います。
「ストーンヘンジだ!」と、クレアが言った。
「異教徒の神殿って意味ですの?」
「そうだよ。有史以前のものだ。ダーバヴィル家よりも古い! さて、どうしようかね、テス? もっと先に行けば、隠れ場が見つかるかもしれないんだが」
「むだですよ、きみ」と、その男は言った。「この平原には、われわれの仲間が十六人もいるし、それに、この地方全体がわき立ってますよ」
「彼女の目がさめるまで眠らせてやってくれたまえ!」と、彼は、男たちが周囲に集まって来たとき、低声で頼みこんだ。
結びにかえて
『テス』には、ここで取り上げたこと以外にも、気になった場面や、印象に残った文章がたくさんあります。とくに、原文を読んでいて感じた英語の美しさや、翻訳では少し違って見える表現についても、書いてみたいことがあります。
ただ、それらをすべてこの記事に詰め込むと長くなってしまうので、細かな部分については、これから別の記事で少しずつ、散発的に書いていこうと思います。
『テス』を読み終えたばかりなので、これからまた読み返したり、原文と翻訳を比べたりするうちに、新しい発見があるかもしれません。

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