
双生のイクリプス 第22話『廃棄迷宮(ダスト・ラビリンス)の亡者と、偽りの鑑定書』
翌朝。
昨日、図書館中の床を磨き上げたトモミたちは、館長室に呼び出された。
労いの言葉など、もちろんない。
「——さて、諸君。今月の利息200万Gの支払い期限は今日だ」
館長は窓際に立ち、朝日を背にしてこちらを見下ろしている。逆光で表情が読めない。それがかえって不気味だった。
「お、おい。昨日あれだけ働いただろうが……!」
トモミが拳を握りしめて言い返すが、館長は鼻で笑った。
「掃除は、君たちの給与に含まれる『業務』だよ。借金の返済とは別だ。契約書を読んでいないのかね?」
「ぐっ……」
言葉に詰まる。
契約書なんて、細かい文字でびっしり埋まっていて、トモミには半分も理解できなかった。エレナも同じだったはずだ。だが署名してしまった以上、後の祭りだ。
館長は淡々と続けた。
「支払えないのであれば、契約通り——エレナ君の魔導臓器。心臓か眼球を抵当として回収させてもらう」
「な……!?」
エレナの体が、びくりと震えた。
心臓や眼球——摘出されれば、二度と魔法は使えなくなる。いや、それどころか
「死んでしまいますわよ!? そんなこと……!」セシルが悲鳴に近い声を上げた。
だが館長は、まるで天気の話でもするように答える。
「契約書にはそう書いてあるからね。嫌なら、今すぐ200万G用意したまえ」
トモミは歯を食いしばった。200万G——そんな金、どこにある。手持ちの全財産は、小銭が少しだけ。
エレナの手が、トモミの服の裾をぎゅっと握った。
「……トモちゃん」
震える声。怯えた、子猫のような声。
——守らなきゃ。
トモミの胸に、怒りが燃え上がる。だが同時に、無力感が全身を支配していた。どうすればいい。何ができる。大人の、契約の、金の——この冷たい壁を、どう壊せばいい?沈黙が、重く部屋を満たした。
そして館長は、まるで慈悲深い神のような口調で言った。
「——まあ、待ちたまえ。特例措置として、一つだけチャンスを与えよう」
「……チャンス?」
「ああ。王都の地下深くに『廃棄迷宮(ダスト・ラビリンス)』という場所がある。そこに、ある『遺物』を回収してきてほしい。成功すれば、今月の利息は帳消しだ」
トモミとエレナは顔を見合わせた。
迷宮——冒険者にとっては日常だ。だが、館長の口調には何か引っかかるものがあった。
「……どんな迷宮だ?」
「ああ、特に危険はないよ。ただの廃棄場だからね」
館長はそう言って、薄く笑った。
その笑みが、トモミの背筋を凍らせた。
二
王立図書館の地下。普段は立ち入り禁止の、薄暗い排水路を降りていく。
トモミたちは掃除服を脱ぎ、戦闘用の装備に着替えていた。トモミは白いホルターネックのトップスに紺色のレギンス、両腕には包帯を巻いている。エレナはアイボリーのフード付きローブに身を包み、曲がった木の杖を握りしめていた。
階段は湿っていて、滑りやすい。壁には緑色の苔が這い、天井からは冷たい水滴が落ちてくる。
「……臭い」エレナが鼻を押さえた。腐った水の臭い。下水道のような、吐き気を催すほどの悪臭だ。
「我慢しろ。これくらいで弱音を吐くな」トモミが言うが、自分も顔をしかめていた。
「廃棄迷宮……こんな場所、初めてですわ」セシルは鼻をハンカチで押さえながら、眉をひそめている。
「俺も初めてだ」イウムが低い声で言った。普段の陽気さはない。
さらに降りていくと、やがて視界が開けた。——そこは、地獄だった。
広大な地下空間。天井は見えないほど高く、遠くには無数の通路が迷路のように入り組んでいる。床には、瓦礫や骨、そして——
「……これ」エレナの声が震えた。床に、無数の紙切れが散乱している。「督促状」「最終通告」「差押予告」。そして、色褪せた家族写真。笑顔の夫婦と子供が写った、今はもうボロボロの写真のようなもの……。
「……ここは」トモミの喉が、渇いた。
「借金苦の冒険者が、最後に辿り着く場所」セシルが、震える声で言った。
「返済できなかった者たちが……捨てられる場所ですわ」。
トモミの胃が、きりきりと痛んだ。これは——他人事じゃない。いつか、自分たちもここに捨てられるかもしれない。
エレナの手が、トモミの服の裾を強く握りしめた。
「……トモちゃん」
「大丈夫だ。あたいが守る」
そう言いながら、トモミ自身が震えていた。恐怖ではない。怒りだ。こんな場所を作り、人を追い詰める——この世界の仕組みへの、激しい怒り。
だが同時に、無力感が胸を締め付ける——あたいに、何ができる?
その時だった。
「……カネ……」
遠くから、呻き声が聞こえた。
「……金……カネ……」
ゆらり、と影が動く。人型の、何か。
「ゾンビ……ですわ」セシルが杖を構えた。
だがそれは、ただのゾンビではなかった。ボロボロの服を着た、元・人間。手には督促状を握りしめ、虚ろな目でこちらを見ている。
「……金……返せ……ないと……」
「利息……払え……」
次々と、影が立ち上がる。十体、二十体——いや、もっとだ。元・多重債務者の、成れの果て。
「……ッ!」トモミは拳を握った。
戦うしかない。だが——これは、かつての「同業者」だ。金に追い詰められ、ここで死んだ冒険者たち。それを、殴り倒さなければ進めない。
「トモミ! 来るわよ!」セシルの叫び。
ゾンビたちが、ゆっくりと迫ってくる。
「イウム! 前を頼む!」
「……ああ」
イウムが前に出た。巨体で攻撃を受け止める——が、その顔が歪んだ。
「……ッ! 筋肉が……悲鳴を上げている」
「何!?」
「物理的な重さじゃない……命の、重さだ……!」
イウムの声が、苦痛に満ちていた。ゾンビの攻撃は遅い。だが、その一撃一撃に、生前の絶望と怨念が乗っている。それは、筋肉では防げない。
「くそっ……!」トモミは歯を食いしばり、ゾンビに拳を叩き込んだ。
——ごきり、と骨が砕ける音。ゾンビが崩れ落ちる。だが、トモミの拳は痛んだ。物理的な痛みではない。心の、痛み——こいつも、かつては夢を持った冒険者だったんだ。金に追い詰められて、ここで死んだ。そして、あたいも――同じなのか。
「……ッ!」
もう一体、殴り倒す。また一体。拳が重い。胸が苦しい。
エレナが、震える声で言った。
「……トモちゃん。もう……やめよう……」
「やめられるかよ! 進まなきゃ、あたいたちが死ぬんだ!」
叫びながら、トモミは拳を振るい続けた——HPが赤色のまま、毒の沼地を歩くような焦燥感。セーブポイントが見当たらない絶望。ゲームなら、リセットできる。だが、これは現実だ。死んだら、終わりだ。
三
どれだけ戦っただろうか。
ゾンビの群れを突破し、トモミたちは迷宮の中層に辿り着いた。全員、息が上がっている。
イウムの筋肉は、いつもの輝きを失っていた。セシルの顔は青白く、杖を持つ手が震えている。エレナは、ほとんど泣きそうな顔でトモミの服を握りしめていた。
「……少し、休もう」トモミがそう言った時だった。
「!?——トモミ、あれ」セシルが、何かを指差した。
通路の奥。壁に寄りかかるように、死体が転がっていた。
「……新しい」イウムが呟いた。
腐敗が進んでいない。おそらく、ここ数日以内に死んだばかりだ。
トモミは慎重に近づいた。そして——
「……! こいつ……!」
見覚えがあった。第20話で、「龍の涙」を鑑定した、あの鑑定士。いや——正確には、鑑定士の「変装をしていた男」。
「どういうこと……?」エレナが困惑した声を上げた。
トモミは死体を調べた。懐に、何か紙が入っている。引き出して、それを読む。
「……魔王軍、の指令書……?」セシルが息を呑んだ。
「まさか……スパイ……!?」
指令書には、こう書かれていた。
『対象:トモミとエレナ。龍の涙を「偽物」と鑑定し、廃棄させよ。後日回収し、魔王軍に献上すること』
トモミの手が、震えた。
「……嘘だろ
もう一枚、紙があった。それは——
「本物の、鑑定書……」
エレナが、掠れた声で読み上げた。
「『龍の涙。推定価値、10億G』……」
静寂。
誰も、言葉を発せなかった。トモミの頭が、真っ白になった。
「……あたいたちが持ってた、あの『目ヤニ』が……」
「本物……だった……」
エレナの声も、震えていた。10億G。それがあれば、借金なんて一瞬で返せた。エレナの魔導臓器を、奪われることもなかった。だが——
「……捨てちまった」
トモミの声が、絞り出すように出た。
「あたいが……300Gで売って……ゴミとして……捨てちまった……!」
膝から、力が抜けた。その場に、崩れ落ちそうになる。エレナが、トモミの腕を掴んだ。
「……トモちゃん、あなたのせいじゃない」
「でも……!」
「あなたは、騙されたのよ。悪いのは、こいつ」
エレナは、死体を睨んだ。その瞳には、涙が浮かんでいた。
「……でも、もう遅い。捨てた物は、戻ってこない……」
セシルが、うなだれた。絶望が、四人を包み込む——だが。
「……待て」イウムが、死体のポケットから何かを取り出した。
小さな、メモ。
「『龍の涙の起動には、迷宮最深部の触媒が必要』……?」
「起動……?」トモミが顔を上げた。
イウムは続けた。
「『触媒と組み合わせることで、初めて換金可能な状態になる』……つまり」
「——龍の涙は、まだ『未起動』だった?」セシルが、目を見開いた。
「だから、こいつはここに来たのですわ! 龍の涙を起動させて、魔王軍に渡すために!」
「でも、迷宮の魔物にやられて死んだ……」エレナが呟いた。
トモミの頭が、急速に回転し始めた。
「……ってことは」
「あの『目ヤニ』は、まだ未起動のまま」
「触媒さえ手に入れば——」
「換金できる……!?」
四人の視線が、交錯した。
「……でも、捨てちまったんだぞ? どこにあるか——」
その時、遠くから地響きのような音が聞こえた。ごおおお、と迫ってくる何か。振り返ると——
「ゾンビの群れ……ですわ!」セシルが悲鳴を上げた。
無数のゾンビが、通路の奥から押し寄せてくる。引き返す道は、もう塞がれた。
「……前に進むしかない」トモミは拳を握った。
「最深部まで行って、触媒を手に入れる。そして——あの『目ヤニ』を探し出す」
「でも、どこにあるか……」セシルが悲痛にあふれた声を絞り出す。しかし、
「わかんねぇ。でも、やるしかねぇだろ!」トモミは叫んだ。
「あたいは——エレナを守る! そのためなら、地獄の底まで潜ってやる!」
その瞳に、絶望ではなく——怒りの炎が、燃え上がっていた。諦めない。絶対に諦めない。借金も、迷宮も、魔王軍も——全部、ぶっ壊してやる。
「……行くぞ!」トモミは走り出した。
エレナが、セシルが、イウムが、後に続く。
背後から迫るゾンビの群れ。前方には、未知の深淵——それでも、トモミたちは、前に進んだ。なぜなら——
それしか、道がないのだから。
四
迷宮は、深くなるほど狭く、暗くなっていった。壁からは粘液のようなものが滴り、床には骨と瓦礫が散乱している。時折、天井から何かが落ちてくる音がして、エレナが悲鳴を上げた。
「大丈夫か?」
「……平気」
エレナは震える声で答えた。だが、その手はトモミの服を離さなかった。
セシルは氷魔法で道を照らしながら、呟いた。
「こんな場所に……触媒なんて、本当にあるのかしら」
「あるさ。なきゃ、あの死体がここに来る理由がない」トモミは答えた。
その時——
「……止まれ」イウムが手を上げた。
「……何だ?」
「……においだ」
イウムが鼻を鳴らした。
「血の、におい。大量の」
トモミたちは足を止めた。静寂。そして——通路の奥から、何かが這ってくる音が聞こえた。ずるり、ずるり、と。
「……来る」トモミは拳を構えた。
エレナは杖を握りしめ、セシルは氷の刃を展開した。イウムが、筋肉を膨張させる。そして——闇の中から、それが現れた。
巨大な――肉塊。人間の死体が、無数に融合したような姿。無数の腕が蠢き、無数の口が「カネ……カネ……」と呻いている。
「……何、これ……」エレナの声が、引きつった。
「迷宮の最深部を守る、番人……ですわ」セシルが震える声で言った。
「倒さなければ、触媒には辿り着けない……!」
「……やるしかねぇ!」トモミは叫び、拳を振りかぶった。
——だが、その時。肉塊の中から、一つの声が聞こえた。
「……助けて……」
少女の、声。
「……誰か……助けて……」
トモミの動きが、止まった。
「……嘘だろ」
肉塊の中心に、少女の顔があった。まだ幼い、10歳くらいの顔。涙を流しながら、助けを求めている。
「……生きて……る……?」
「いいえ」セシルが冷たく言った。
「もう、死んでますわ。あれは残留思念。迷宮に取り込まれた、魂の欠片」
「……ッ!」
トモミの拳が、震えた。殴れない――あの少女の顔を、砕くことなんて。
「トモちゃん!」エレナの叫び。肉塊の腕が、トモミに迫る。
——がきん!
イウムが飛び込み、腕を受け止めた。
「……トモミちゃん! 迷うな!」
「でも……!」
「あれは、もう人間じゃない! 筋肉が……俺の筋肉が、そう言っている!」
イウムの声が、苦痛に歪んだ。
「早く……倒せ……!」
トモミは歯を食いしばった。わかってる——わかってるけど——!
「……トモちゃん」エレナが、震える手でトモミの腕に触れた。
「……あなたは、優しいから。だから、迷うのよね」
「……エレナ」
「でも……ここで止まったら、わたしたちが死ぬ」
エレナの瞳が、トモミを見つめた。
「……わたしは、死にたくない。トモちゃんと、一緒に生きたい」
「……!」
「だから——お願い。あなたの優しさを、今だけは、わたしのために使って」
その言葉が、トモミの心を突き動かした。
——そうだ。あたいは、エレナを守るために戦ってるんだ。だったら——
「……わかった」
トモミは深呼吸した。そして、拳を握りしめた。
体の中で、熱が燃え上がる。陽光拳——その力の源泉は、怒りじゃない。守りたいという、愛だ。
「——陽光拳……」
拳が、赤く輝き始めた。
「——紅蓮衝撃波ッ!!」
解き放たれた衝撃波が、肉塊を貫いた。
——ごおおお!
爆発。
肉塊が、崩れ落ちる。少女の顔が、最後に微笑んだように見えた。
「……ありがとう」
そう言って——消えた。
静寂。
トモミは、膝をついた。拳が、震えている。
「……トモちゃん」エレナが、そっと抱きしめた。
「ありがとう……」
その温もりが、トモミの心を溶かした。涙は――出なかった。出せなかった。泣いている暇なんて、ないから。
「……行こう」トモミは立ち上がった。
「最深部まで、もうすぐだ」
五
肉塊を倒した先に、扉があった。古びた、石造りの扉。セシルが魔法で開錠し、中に入る。そこは——
「……部屋?」
小さな、祭壇のような部屋だった。中央に台座がある。そして、その上に——
「……これが、触媒……?」
小さな、水晶のような石が置かれていた。淡く光を放ち、まるで生きているかのように脈動している。
「……取るぞ」
トモミは慎重に、石に手を伸ばした。その瞬間、部屋全体が、激しく揺れた。
「な、何!?」
「迷宮が……崩れ始めてますわ!」セシルが叫んだ。
「触媒を取ったことで、迷宮の魔力が不安定に……!」
「逃げるぞ!」トモミは触媒を掴み、走り出した。
天井から、瓦礫が降ってくる。床が崩れ、穴が開く。
「イウム! 道を開け!」
「任せろ!」
イウムが筋肉で瓦礫を破壊しながら、先頭を走る。セシルが氷魔法で崩れる床を補強し、エレナが防御魔法で落下物を防ぐ。四人は、必死で走った。
——もう少し。出口まで、もう少し——そして
光が、見えた。
「出口だ!」
トモミたちは、排水路の出口へと飛び出した。
——どさり。地面に転がり、荒い息をつく。
「……生きてる……」
セシルが、信じられないという顔で呟いた。「生きて……帰ってきたわ……」
エレナが、トモミの腕にしがみついた。
「……トモちゃん……怖かった……」
「……ああ。あたいも怖かった」
トモミは、エレナの頭を撫でた。
イウムが、筋肉を解除しながら座り込んだ。
「……筋肉が、限界だ……」
だが、その顔には笑みがあった。
「……でも、やったな」
「ああ」
トモミは、手の中の触媒を見た。淡く光る、小さな石。これがあれば——
「……龍の涙を、起動できる」
「でも、龍の涙はどこに……」エレナが不安そうに言った。
その時——
「——諸君、ご苦労だったね」
声が聞こえた。振り返ると——館長が、そこに立っていた。
「触媒を、回収してくれたようだね。感謝するよ」
「……館長……」
トモミは、嫌な予感がした。館長は、にやりと笑った。
「その触媒、こちらに渡してもらおうか」
「……は?」
「触媒は図書館の所有物だ。君たちには、使う権利はない」
「ふざけんな!」トモミが叫んだ。
「あたいたちが命懸けで取ってきたんだぞ!」
「契約書には、『回収した遺物は全て図書館に帰属する』と書いてあるよ。君、契約書を読んでいないのかね?」
「……ッ!」
またか。
また、契約という壁。トモミの拳が震えた。だが——
「……待ちなさい」
セシルが、一歩前に出た。
「館長。あなたは、最初から全てを知っていたのですわね」
「……何のことだね?」
「龍の涙のこと。触媒のこと。そして——魔王軍のスパイのこと」
セシルの声が、冷たく響いた。
「あなたは、トモミたちを利用して、龍の涙を手に入れようとしている」
「……証拠はあるのかね?」
「ありませんわ。でも——」
セシルは杖を構えた。
「私は、王立魔法学院の首席。そして、貴族の娘。あなたの不正を、王に報告することくらいはできますわ」
館長の顔が、歪んだ。
「……君、それは脅しかね?」
「事実を述べているだけですわ」
セシルの瞳が、館長を睨んだ。緊張、張り詰める。しかし——
「……フン」館長は、鼻を鳴らした。
「いいだろう。触媒は、君たちに譲ろう」
「……本当に?」
「ただし——龍の涙を起動して換金した際は、図書館に20%の手数料を支払ってもらう。これは契約書にも記載されている正当な取り分だ」
「……20%……」トモミは歯噛みした。
10億Gの20%——2億G。それでも、残りは8億G。借金5億2000万Gを、全額返済しても、まだ余る。
「……わかった」
「では、契約成立だ」
館長は踵を返し、去っていった。その背中を見送りながら、トモミは呟いた。
「……あいつ、絶対に何か企んでる」
「ええ。でも今は、これ以上の譲歩は引き出せませんわ」
セシルが溜息をついた。
「……それより、問題は——」
「龍の涙の場所、だな」
トモミは頭を抱えた。
「……ゴミとして捨てた。でも、どこに捨てたかなんて——」
その時、エレナが小さく手を上げた。
「……あの」
「ん?」
「わたし……覚えてるかもしれない」
「え?」
三人が、エレナを見た。エレナは俯きながら、言った。
「あの時……トモちゃんが捨てた場所。わたし、ずっと見てたから」
「……マジか!?」
「でも……確信はない。似たような場所が、たくさんあったから……」
「それでも十分だ!」
トモミは、エレナの手を握った。
「エレナ、案内してくれ!」
「……うん」
エレナは頷いた。
そして四人は、再び走り出した。
今度は——希望を胸に。
六
エレナの記憶を頼りに、王都の裏路地を駆け巡る。
「……この辺り……だったと思う……」エレナが、ゴミ捨て場を指差した。
山のように積まれた、瓦礫とゴミ。
「……探すぞ!」
トモミたちは、ゴミの山を掘り始めた。
腐った野菜、壊れた家具、ボロ布——
「……ない」
「こっちも……」
時間だけが、過ぎていく。日が傾き始めた。トモミの手が、泥だらけになる。見つからない。本当に――ここなのか?不安が、胸を締め付ける。
その時——
「……あった!」イウムの声が、響いた。
四人が駆け寄る。
イウムの手の中、小さな乾いた塊。一見すると、ただの変わった色の塊――竜の目ヤニ。だが。
「……これ……」
エレナが、触媒を取り出した。そして、目ヤニに近づける——その瞬間。
目ヤニが、淡く光り始めた。そして——形を変えていく。乾いた塊から、透明な球体へ。美しい、虹色の光を放つ宝石へ。
「……龍の涙……」
「本物……ですわ……」セシルが、息を呑んだ。
四人は、ただ見つめていた。これが——これが、10億Gの宝物。これが、あたいたちを救う、希望。
「……やった」トモミの口から、震える声が漏れた。
「やったぞ……! あたいたち……!」
「……うん」エレナが、涙を浮かべて頷いた。
「……やったね、トモミ」セシルが、珍しく笑みを浮かべた。
イウムが、筋肉を誇示するポーズを取った。「筋肉は……裏切らなかった……!」。
四人は、笑った。初めて——心から、笑った。地獄のような迷宮を抜け、ゴミの山を掘り返し——ようやく掴んだ、希望。
夕日が、四人を照らしていた。その光は、まるで祝福のようだった。
七
その夜。トモミたちは、安宿の一室で休んでいた。エレナは、龍の涙を大事そうに布に包んでいる。
「……明日、換金所に行こう」トモミが言った。
「10億Gを換金して、借金を全額返済する」
「ええ。そして——」セシルが続けた。
「図書館との契約も、解除しますわ。二度と、あんな場所で働かなくていい」
「……自由になれるのね」エレナが、ほっとした顔で言った。
イウムは、窓の外を見ながら呟いた。
「……でも、まだ終わりじゃない」
「……え?」
「館長は、まだ何か企んでる。それに——」
イウムは振り返った。
「魔王軍のスパイが、一人死んだ。だが、他にもいるかもしれない」
「……そうね」セシルが頷いた。
「龍の涙を狙う者は、まだいる。換金するまで——いえ、換金した後も、油断はできませんわ」
トモミは、拳を握った。「……来るなら、来いよ」
その瞳に、迷いはなかった。
「あたいは——もう逃げない。守るべきものがあるから」
エレナを見る。エレナは、少し照れたように俯いた。
「……トモちゃん」
「ん?」
「ありがとう」
小さな声。
だが、その声には——確かな、感謝が込められていた。
「あたいこそ、ありがとうな」トモミは笑った。
「エレナがいなきゃ、あたいはとっくに諦めてた」
二人は、見つめ合った。そして——
「さあ、寝ましょう」セシルが、二人の間に割って入った。
「明日は大事な日ですわ。しっかり休まないと」
「……そうだな」トモミは、寝袋に潜り込んだ。エレナも、隣で横になる。
イウムは、扉の前で座禅を組んだ。「俺が見張ってる。安心して寝ろ」
「……頼んだぜ」
明かりが消える。
暗闇の中で、トモミは天井を見つめた。廃棄迷宮で見た、あの地獄。借金苦で死んでいった、冒険者たち。あれは、他人事じゃない。あたいたちも、一歩間違えば——
「トモちゃん」エレナの声が、闇の中で聞こえた。
「……起きてる?」
「ああ」
「……怖い?」
「……少しな」トモミは正直に答えた。
「でも——もっと怖いのは、エレナを失うことだ」
「……」
沈黙。そして——
「わたしも、同じ」エレナの声が、震えていた。
「わたしも……トモちゃんを失うのが、一番怖い」
手が、闇の中で触れ合った。トモミは、エレナの手を握った。小さくて、冷たくて——でも、確かにそこにある手。
「……大丈夫だ」トモミは言った。
「あたいたちは、生き延びる。絶対に」
「……うん」
エレナの手が、強く握り返した。
「……一緒に、生きようね」
「ああ」
二人は、手を繋いだまま眠りについた。外では、風が吹いていた。
明日——新しい戦いが始まる。だが、今は——束の間の、平和を。二人の、安らぎを。夜は静かに更けていった。
第22話 完