
道端にお目をお凝らしになっていたようでございました。
陽が射してそこだけ色が違い、父君と幼子とが御手をお繋ぎになり御膝を折られ何もお語りにならず何程かをお探しになっているかの如くお佇みになられておられました。
幼子も御殊勝な事に、お騒ぎになられるでもなく、唯お静かに今御眼の前にございますものに御身をお献げになっていらっしゃいました。
父君は御自身では最早何も御出来になれない御様子にもお見受けされたのでございましたが、ふと、その華奢で誰一人としてこのように流れるような御振る舞いは出来かねまいと思召される貴なる御手つきで、虚空に「一」を御書きになられますと、幼子はその上から「|」を重ね書きされたのでございます。
すると、そこに出来上がりました「十」の御文字から眩い光が発せられ、見る間に大きくなりつつその御文字の光で辺り一様が照らされながら虚空が裂けていくではございませんか。
わたくしめはその摩訶不思議に腰を抜かしてもなお眼を背けずにその光に御包まれになったお二人を見続けていますと、この世のものとは思われない高らかな御声を出してお二人はお互いの御顔をご覧になりながら御笑いになり、更にお二人で「えいっ」と叫ばれました。
その途端、この世の全てがその「十」の御文字から飛散された光に包まれ、眩いばかりで何も見ることが赦されませぬ有様になり、それは世の始まりであったかのようでもございましたし、世の終わりであったかのようでもございました。
わたくしたちはその光に包まれて、生きるでもございませぬし死ぬでもございませぬし、これが世に伝えられる極楽かと覚えましたのでございます。
時は既に流れることはなく、処は想像だに出来ませぬ。
人びとは誰も彼も光に呑まれてしまい、わたくしたちに出来得る事と申しますと、自らの身の中で沸き起こるありとあらゆる妄念を自らの心の力で光に溶け込ませ漂わせ自ずから自ずにいつぞやから集中してしまってございました全ての物と事とを放流して己が身がこの御光とひとつとなることにございました。それは誰彼となく然りと解し容易く出来るのでございました。
そうして、時、処に加え、有と無の区別さえも消失することに相成りまして、数多ある幸せと不幸せも霧消し尽くしたのでございましたが、但しこのわたくしだけは、貴方様の元へこのお話をお伝え申し上げる使命がございますようで、わたくしの頭脳から貴方様の頭脳に連続した経路が残されたようでございます。
ということは、いずれ貴方様もこの光の中へ御入りになり、わたくしたちと御同様の御体験をなさることとご承知おき願うのは、何もこうして取り立てて申し上げるまでもございますまい。
なぜなら、わたくしと貴方様とは、いいえそうではございませぬ、全てのものたちは生まれた瞬間だけとは申せ、ひとつの虚空の点、あの「十」の御文字の交わりの唯一の点の、それだけの者として同一であったのでございますから。
悲喜交々、喜怒哀楽、情なるもの数多ありぬべし。されど情を司る者は己れにあらざるなり。須らく他の元に平伏した己れが己れと惑うばかりなり。
道端に落ちてございましたのは、ある法師が書きつけた特別なところもない一枚のお札でございました。それも青虫がねとりとくっ付き一心に食んでいるものでございました。
けれども、そのお札が落ちてございませんでしたら、と思いますれば、何が何を呼ぶのかは皆目判然とせぬもの世と、貴方様の頭脳へ通知しておきたく存じ奉ります。
(おわり)