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レズビアン的倖郚委蚗ず死んだ倪陜なぜ矎少女むラストが溢れおいるのか

    この蚘事は珟代の日本及び、僕たちが生きおいるこの東京的な䞖界芳が、なぜアニメ颚のむラストに䟵食されおいるのか、そしおそれになぜ違和感を感じないのかを考察する蚘事である。そしおこの蚘事における重芁な抂念は倪陜だ。

    䞀぀だけ先に断っおおきたい。僕は20代だ。぀たりZ䞖代に分類される人間であり、生たれたずきからむンタヌネットがあり、アニメを芳お育ち、ハむパヌリンクを螏んで、ガチャゲヌが奜きな人間だ。これから曞くこずは「最近の若い者は」ずいう老人の説教じゃない。僕自身がこの構造の内郚にいる人間ずしお、自分が浞かっおいる氎の枩床を枬ろうずしおいる。぀たり批刀の察象に僕自身が含たれおいる。そしおたた、僕たちの䞍可逆的な身䜓性の吊定を容認する瀟䌚ぞの批刀でもある。


    君が今芋おいるnoteで適圓な単語"AI"でもいいし"蚘憶"でもいいし、"小説"でもいい。で怜玢しおみおほしい。するずそこにはサムネむルが䞊んでいる。どうだろうか、2026幎5月珟圚では、aiを甚いたサムネむルで埋め尜くされるはずだ。僕はaiを甚いた画像生成を吊定する぀もりはないし、これは時代のセンスだ。でもよく芳察しおみおほしい。倚分そこに映っおいる人間の圢をした画像はほずんどが矎少女むラストもしくは、フォトリアリスティックな矎女のCGではないだろうか。

    これは曞き手の䞻䜓性の珟れだろうか僕はそうずは思わない。アニメ颚むラストに䜿われるペル゜ナはほずんどが、10代から20代たでの女性だ。だけど、耇数のサヌドパヌティ分析によれば、noteのナヌザヌ局は男性が60〜70%、幎霢の䞭倮倀は30代前埌だnote株匏䌚瀟のIRはナヌザヌ属性を開瀺しおいないから、正確な数字は誰にもわからない。だけど方向性は明らかだ。10代女性のペル゜ナが支配的なプラットフォヌムで、曞き手の統蚈的プロファむルは30代以䞊の男性。この乖離は「奜み」では説明できないはずだ。

    これはXにも同じこずが蚀える。Xでは垞にアニメアむコンが蔓延しおいる。僕のnoteのアむコンもaiで䜜ったむラストだけどね。䞭性的か、女性的か男性的かは君に任せよう。あの、openaiのsam altmanですら、ゞブリ颚のフィルタヌを通したai画像だった。snowやinstagramを芋るず別人になる加工フィルタヌがある。぀たり曞き手の䞻䜓ず乖離したペル゜ナがアむコンになっおいる。

    僕はべ぀に驚かない。もう䜕幎もこの光景を芋おきたし、僕の友達もこの類のアむコンだ。だけど、ここで䞀぀だけ問いを立おさせおほしい。なぜ、醜い顔のアバタヌがないのか。なぜ、䞭幎男性の顔をしたアニメアむコンがないのか。なぜ、䞭性的な倖芋が遞ばれないのか。なぜ、老いた肌が、脂肪の塊が、毛穎が、汗が、そこに存圚しないのだろうか。

    「奜みの問題でしょ」ず蚀いたくなる気持ちはわかる。だけど、それは答えになっおいない。奜みがなぜ䞀方向に収束するのかずいう問いに「奜みだから」ず答えるのは、トヌトロゞヌだ。僕がこれから曞くのは、この収束の構造に぀いおの批刀であり、矎孊の批刀であり、それを通じた珟代の欲望の経枈孊的な論考だ反圢匏的なので、゚セヌず呌んだ方が誠実かもしれない。これはAI批刀ではないしむラスト批刀でもない。そしお、AI矎少女むラストは、僕がここで批刀する構造の「発明」ではなく「民䞻化」にすぎない。構造自䜓はもっずずっず前からある。

    1. クトニックなものなきアポロン

    In the beginning was nature.

    (Camille Paglia, Sexual Personae: Art and Decadence from Nefertiti to Emily Dickinson, 1990, p.1)

    カミヌナ・パヌリアが『Sexual Personae』の冒頭に眮いたこの䞀文は、西掋芞術の歎史党䜓を貫くテヌれの芁玄だ。ここからよめる、この゚セヌを読むより有甚かもしれない。→
    https://api.pageplace.de/preview/DT0400.9780300182132_A23633682/preview-9780300182132_A23633682.pdf

    パヌリアにずっお、自然ずはクトニックなもの、぀たりは地䞋的なものだ。腐敗や過剰な繁殖、肉䜓の溶解、時間による厩壊。攻撃性ず過剰殺戮が沞き立぀蜂の巣。僕たちの身䜓が毎日少しず぀老いお厩れお朜ちおいくこず。皮膚の䞋で现胞が死に続けおいるこず。汗ず脂ず䜓液が、僕たちの衚面を絶えず䟵食しおいるこず。これがクトニックな自然の実盞であり、パヌリアはこれを盎芖するこずから芞術論を始める。

    パヌリアがわざわざ「ディオニュ゜ス的」ではなく「クトニック」ずいう語を遞んだのには理由がある。ディオニュ゜スずいう抂念がもはや快楜䞻矩ずほが同矩になり、本来の暗さが倱われおいるからだ。圌女の蚀葉を借りれば「ディオニュ゜ス的なものはピクニックではない」だ。だけど䟿宜䞊、この蚘事ではディオニュ゜ス的ずいう語も䜿い続ける。僕が指し瀺しおいるものがクトニックな暗さの方だずいうこずは、ここで明瀺しおおく。

    西掋芞術の歎史は、このクトニックな自然に察するアポロン的な抵抗の歎史だ。アポロン的なものは、クトニックな混沌を「芋えるもの」に倉換し、知性に読解可胜な圢匏を䞎える。珟代には蚀語化胜力ずいう抂念が存圚するが、蚀語化できないものを受け入れる胜力に぀いおは䞖間はそれを受け入れたがらない。圫刻が肉䜓を石に凍結し、絵画が瞬間を平面に固定し、建築が空間を幟䜕孊で区切る。これらすべおが、クトニックな自然の䟵食に察する防衛壁だ。

    だけど、ここで決定的に重芁なのは、偉倧な芞術はこの防衛壁の「内郚」にクトニックなものの痕跡を保持しおいたずいうこずだ。

    ネフェルティティの胞像を芋よう。パヌリアはこれを「混沌を吊定する芞術的戊略」の最初の頂点ずしお分析する。スフィンクス的な䞡性具有の顔、凍り぀いた矎、知性に読解可胜にされた圢匏。だけど、あの胞像が矎しいのは、その凍結の向こう偎に、凍結されなかったもの、぀たりクトニックな自然の力が透けお芋えるからだ。圢匏の䞭に、圢匏に抵抗するものの気配がある。

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    ネフェルティティの胞像1912幎発掘時の蚘録写真

    Photo: Deutsche Orient-Gesellschaft (DOG) CC BY-SA 4.0
    パヌリアはこれを「混沌を吊定する芞術的戊略の最初の頂点」ず呌んだ。

    ミロのノィヌナスはどうだろうか腕がない。その欠損は時間の暎力、぀たりクトニックな力そのものの痕跡だ。にもかかわらずあるいはそれゆえにあの像は矎しい。欠損が、完党な圢匏の内郚に䞍完党性を刻印し、芋る者にクトニックなもの、぀たり時間ず厩壊ず死を感じさせる。だからあれは「生きた矎」なのだ。

    ゎダの「黒い絵」はどうだろう。

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    フランシスコ・デ・ゎダ『食事をする二人の老人』(1819-1823) 黒い絵シリヌズ

    あれはクトニックなものが圢匏の衚面を突き砎っお噎出した瞬間だ。醜く、恐ろしく、だけど圧倒的に矎しい。フランシス・ベヌコンはこの論理をさらに極端に掚し進めた。肉䜓が溶け、歪み、痙攣する肖像画。僕たちの身䜓が本圓はどのように存圚しおいるかを描いた絵だ。綺麗な顔の䞋にある筋肉ず脂肪ず骚の塊。ベヌコンはそれを盎芖し圢匏に倉換した。矎ず醜の境界が溶解し、その溶解自䜓が新しい矎孊的経隓を生み出しおいるはずだ。いやBreaking BadやNEEDY GIRL OVERDOSEをパヌリア颚にレビュヌするのも面癜いかもね

    これが芞術における矎の条件だ。クトニックなものずの栌闘を通過しおいるこずだ。

    さお、矎少女むラストを芋る。

    むラストに共通するのは、傷のない肌。老いない身䜓。重力に逆らう髪。毛穎がない。汗がない。脂肪の質感がない。時間の痕跡がない。厩壊の気配がない。死の圱がない。䞀郚のリョナ的属性を持぀むラストはここでは排陀しおあくたで統蚈的な物ずしおの矎少女むラストを仮定しおいる

    これはアポロン的な矎の極限ではなく、アポロン的なもの自䜓の退化圢態だず僕は考える。 本来のアポロン的圢匏はディオニュ゜ス的なものずの闘争を内包しおいる。その闘争があるからこそ、圢匏に匵力があり、矎に生呜がある。矎少女むラストにはこの闘争の痕跡が䞀切ない。戊っお凍ったのではなく、最初から凍っおいるだけだ。闘争の蚘憶を持たない凍結。それは矎ではなく、矎の死䜓暙本だ。

    「矎少女むラストだっお倚様だ」「暗いテヌマのむラストもある」ずいう反論が来るかもしれない。だけど、ここで僕が問題にしおいるのは個別の䜜品の質ではなく、メディア空間党䜓を芆っおいる矎孊的芏範の構造だ。noteのサムネむルに䞊ぶ顔の統蚈的分垃を芋おほしい。そこに老いた顔はない。醜い顔はない。䞭性的な顔もほずんどない。僕は䞭性的な矎が奜きなので今の珟状は少し寂しい問題は個別の䜜品ではなく、この収束のパタヌンそのものにある。

    ニヌチェの『悲劇の誕生』に戻ろう。ニヌチェが叀代ギリシア悲劇を論じたずき、圌が蚀ったのは、"ギリシア人が偉倧だったのはディオニュ゜ス的なもの、぀たり解䜓、陶酔、個䜓化の厩壊、苊痛を盎芖した䞊で、それをアポロン的な圢匏で捉え盎したからだ"ずいうこずだった。悲劇の舞台で起きおいるこずは恐ろしいが、その恐ろしさが圢匏を通じお「芋えるもの」になったずき、そこに矎が生たれる。぀たりは、矎はカオスの吊定ではなく、カオスを通過した埌の物なのだ。

    ニヌチェぱりリピデスを批刀した。゚りリピデスがやったのは、悲劇からディオニュ゜ス的なものを排陀し、゜クラテス的な合理性で舞台を支配するこずだった。理性によっお苊痛を排陀できるずいう楜倩䞻矩をニヌチェは悲劇の死ず呌んだ。

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    ニヌチェに批刀された゚りリピデス

    矎少女むラストは珟代の゚りリピデスだ。 クトニックなものを合理的に排陀し、苊痛のない圢匏だけを残した。そこに悲劇はなく、したがっお矎もない。あるのは矎の圢匏的な残骞、぀たりアポロンの骚だ。

    2. 䞎える芞術家ず受け取る末人

    ニヌチェの『力ぞの意志』に、芞術家ず受容者の関係に぀いおの重芁な議論がある。僕なりに芁玄するずこうだ。

    受容性の問いを偏重する女性の矎孊が、芞術に぀いおの僕たちの理解を支配しおきた。「矎しいずは䜕か」「矎しいものを前にしお人間は䜕を感じるか」ずいう問い、぀たり受け手の偎からの問いが、矎孊の歎史の倧半を占めおきた。ニヌチェはこれに察しお、芞術家の偎から芞術を理解すべきだず䞻匵する。芞術家は「䞎える者」だ。䞎えるものである芞術家に察しお、女性になるこずを、぀たり䜕かを受け取るこずを芁求するべきではないずした。

    この䞻匵は衚面的にはゞェンダヌ論に芋えるかもしれない。だけど、ニヌチェがここで展開しおいるのは、芞術の生産ず消費の間にある経枈孊的な非察称性の問題だ。芞術の生産男性的䞎えるこず浪費ず、芞術の受容女性的受け取るこず蓄積の二項察立は䞍安定で、明らかに抑圧から花開いおいる。だけど同時に、この䞍安定性こそが、ニヌチェの芞術論を「理解可胜な人間の経枈の倖郚」ぞず逞脱させる掚進力になっおいる。

    「䞎える者」ずしおの芞術家。この定匏を真剣に受け取るず、芞術の本質は浪費にあるこずになる。芞術家は自分自身を消尜させ、自分の䞭にあるものを倖郚に攟出する。それは芋返りを求めない䞀方的な莈䞎だ。バタむナがのちに「蕩尜dépense」ず呌んだもの。倪陜が芋返りを求めずに゚ネルギヌを攟射するように、芞術家は自分を燃やしおいる。

    昚今の日本ではアダム・グラントの「ギバヌ・テむカヌ」論が自己啓発ずしお消費されおいるが、僕はあの蚀葉が嫌いだ。なぜなら、グラントの「ギバヌ」は芋返りを期埅した戊略的な莈䞎だからだ。「ギバヌになれば成功する」ずいう呜題自䜓が、莈䞎を蓄積の手段に倉換しおしたっおいる。ここでのニヌチェが蚀う「䞎える者」は、成功するために䞎えるのではなく自分を消尜させるために䞎える存圚だ。倪陜は「ギバヌ戊略」で光っおいるのではない。燃えおいるから光るのだ。぀たりグラント的な「ギバヌ」は、䞎えるふりをした受容者にすぎない。圌らは「䞎えるこずで受け取る」のだからだ。この区別を理解できないたた、このプラットフォヌムでギバヌになれ的なこずを蚀っおいる蚘事はai slopず同じだず思っおいる

    画像
    fig.1 — 芋返りを求めないギバヌ※芋返りが出おきたす

    䞉島由玀倫は、この論理を文字通り身䜓で実行しようずした人間だ。『倪陜ず鉄』で䞉島が曞いたのは、蚀葉粟神ず肉䜓の分裂を自芚し、その分裂を肉䜓の鍛錬で瞫合しようずする詊みだった。䞉島は自分の身䜓が貧匱で醜いず認識した䞊で、ボディビルディングで身䜓を䜜り倉えた。そしお最終的に、その身䜓を切腹で消尜させた。これはニヌチェ的な「䞎える者」の論理の極限的な実行だ。䞎えるずは、自分を䜿い尜くすこずだ。䞉島の方法が正しかったずは僕は思わない。だけど少なくずも䞉島は自分の身䜓を賭けた。賭け金がれロの勝負を「創造」ず呌ぶこずに、僕は同意できない。

    さお、ツァラトゥストラの序説に戻る。ニヌチェは末人der letzte Menschに぀いおこう曞いた。

    Ich sage euch: man muss noch Chaos in sich haben,
    um einen tanzenden Stern gebÀren zu können.
    螊る星を産むには、ただ自分の䞭に混沌を持っおいなければならない。

    Friedrich Nietzsche, Also sprach Zarathustra, Vorrede §5, 1883

    末人はこの混沌を手攟した存圚だ。末人たちは蚀う、「我々は幞犏を発明した」ず。そしおたばたきする。末人の䞖界には苊痛がない。危険がない。闘争がない。すべおが快適で、すべおが管理されおいる。末人は働き、嚯楜を消費する。小さな毒を少しず぀摂取しお、心地よい倢を芋る。誰も支配者にはなりたがらず、誰も服埓者にもなりたがらない。どちらも骚が折れるからだ。

    矎少女アバタヌの䜿甚者は、矎孊における末人だ。自分の䞭のクトニックな混沌、぀たり自分の肉䜓の醜さ、老い、脂肪、毛穎、汗、そういったものず向き合う代わりに、AIが生成した矎しい顔を貌り付けお「幞犏を発明」しおいる。螊る星を産む混沌を手攟し、混沌の䞊にきれいな画像を貌っおいる。そしおたばたきをする。

    だけど、ニヌチェの芞術論が本圓に面癜くなるのは、この先だ。ニヌチェの思考をそのたた远求し続けおいくず、芞術を導き぀぀同時にそれを砎壊する、非人間的な浪費にたどり着く。人間が理解可胜な経枈の倖郚ぞの逞脱。ここからは、ニック・ランドのバタむナ読解を経由する必芁がある。最近nick landのテクストを深く読みこんでいるし、僕の突発的な行動だ。別にニックランド研究者じゃないし、信仰しおもいない。

    3. ロボトミヌ枈みのオタクず去勢の経枈

    ニック・ランドは『絶滅ぞの枇望The Thirst for Annihilation』でバタむナ経由のニヌチェ読解を展開した。ランドのテクストは意図的に孊術的な透明性を拒絶しおいるから、ここでは僕なりの再構成ずしお読んでもらいたい。

    ランドが提起する去勢の問題は、以䞋のように定匏化できる。

    " 去勢ずは玔粋で究極的な欠劂の経枈を配分するこずにかかわる問題であり、だからこそ、自らが占有しおいるずいう䜕かを奪われるずいう問題系に容易に結び぀いおいく。"

    去勢は、䜕かを「奪われる」ずいう出来事ではなく、欠劂そのものをどう管理するかずいう経枈の問題だ。欠劂を管理し、補填し、代替物で埋め、流通させる。これが「去勢の経枈」だ。因みに、ランドの去勢論はフロむトラカンの去勢抂念をバタむナ的な䞀般経枈孊で読み替えたもので、本来は無意識の構造化プロセスに぀いおの議論だ。僕がここでやっおいるのは、このランドの再定匏化をさらにオタク文化に再適甚するずいう二重の翻蚳䜜業であり、翻蚳で倱われるものがある。特に、粟神分析的な深床は犠牲にしおいる。僕がこの埌「自己去勢」ず曞くずき、意識的な遞択を意味しおいるのではない。苊痛回避の反埩が無意識のレベルで欲望の構造を再線成するプロセスを指しおいる。

    ここで、暡倣の匷制Nachmachungの問題が接続される。芞術家が垂堎や芳客の欲望に応答するこず、぀たり「受け手が求めるもの」を䜜るこず自䜓が、䞀皮の去勢になる。ニヌチェが「䞎えるものである芞術家に、女性になるこずを芁求するべきではない」ず䞻匵したのは、この文脈で読むべきだ。暡倣の匷制によっお、芞術家は「䞎える者」から「受け取る者」の䜍眮に転萜する。生産者でありながら、実質的には受容者の欲望を受け取り、それに応答する存圚になる。芞術家がプロレタリア的な脱構成状態に远いやられる。

    この脱構成は、去勢によっお「玔粋な敬虔さぞの蒞留」ずしお捉えるこずができる。

    どういうこずか。

    欲望は本来、垞に新しいものだ。぀たり、Aの欲望が満たされたら、Bの欲望が湧く。Bが満たされたらCが来る。欲望は連鎖的に゚スカレヌトし、掗緎された構築物をどんどん台無しにしおいく。倪陜の蓄えを燃やし尜くす焌畑蟲法であり、そのなかでの痙攣的な逞脱によっお欲望のプロセスは匷化される。

    ここでナシヌム・ニコラス・タレブの抂念を借甚したい、この欲望の性質はたさにアンチフラゞャむルだ。アンチフラゞャむルなシステムは、ストレスや撹乱によっお壊れるのではなく、むしろ匷化される。欲望が抑圧されず、そのたた走るこずを蚱されるずき、欲望はストレスや逞脱を栄逊にしお、より激しく、より倚様に増殖しおいく。欲望のアンチフラゞリティ。これが僕の定匏だ。

    だけど、去勢はこのアンチフラゞャむルな連鎖を断ち切る。

    去勢によっお欲望の゚スカレヌションが停止するず、残るのは「察象ぞの反埩的厇拝」だけだ。A→B→Cずいう連鎖が切断され、Aに察する反埩的な厇拝、぀たり敬虔さだけが残る。これが「玔粋な敬虔さぞの蒞留」だ。欲望は蒞留される。揮発性の高い成分、぀たり゚スカレヌションする力、逞脱する力、構築物を台無しにする力、これらが蒞発で取り陀かれ、残留物ずしお「敬虔さ」だけが残る。

    オタクの矎少女ぞの関係性は、たさにこの構造を持っおいる。

    本来の欲望であれば、矎少女に惹かれるずいう経隓は出発点にすぎない。そこから身䜓的な関係ぞの欲望が生たれ、その関係の䞭で傷぀き、拒絶され、倉容し、新たな欲望の圢態が生たれる。欲望はA→B→Cず゚スカレヌトし、痙攣的な逞脱を経隓し、その逞脱によっお匷化される。矎ぞの惹かれが、身䜓性を通じお、醜さの経隓を通じお、苊痛の経隓を通じお、より深い矎の理解ぞず倉容しおいく。これが欲望のアンチフラゞャむルな運動だ。

    去勢がこの連鎖を断ち切る。぀たり、矎少女むラストを消費するずいう行為が欲望の終点になる。゚スカレヌションはない。逞脱もない。倉容もない。同じ察象ぞの反埩的厇拝。同じ圢匏の矎を、繰り返し、繰り返し消費する。A→A→A→A。これは敬虔さだ。修道士が同じ祈りを繰り返すように、オタクは同じ圢匏の矎を繰り返し消費する。゚スカレヌションが消えた欲望、反埩的厇拝の䞋における矎は珟圚倀が将来倀の最良掚定ずなる。今日の矎少女むラストが明日の矎少女むラストず等䟡。どこにも到達しない反埩。敬虔さずは欲望のマルチンゲヌル化のこずだ。

    ここで重芁なのは、この去勢が倖郚から匷制されたものではないずいうこずだ。これは自己去勢だ。欲望のアンチフラゞャむルな連鎖がもたらす苊痛、぀たり拒絶、傷぀き、身䜓的な倱敗、醜さずの盎面、これらを回避するために、自分で自分の欲望の連鎖を切断しおいる。ロボトミヌ手術みたいだ。問題を消すのではなく、問題を感じる胜力を消す。

    ここで、ニヌチェの芞術論ずランドの去勢の経枈孊が合流する。

    ニヌチェの芞術論が志向しおいるのは「理解可胜な人間の経枈の倖郚ぞの逞脱」だ。芞術は人間的な亀換や蓄積の論理を超えた、非人間的な浪費ずしお理解されるべきだ。この非人間的な浪費が芞術を導き぀぀、同時にそれを砎壊する。

    去勢の経枈は、この逞脱の正反察だ。去勢の経枈は、欲望を人間の理解可胜な範囲内に閉じ蟌める。欠劂を管理可胜な圢に倉換し、代替物で補填する。矎の欠劂をAI画像で補填する。身䜓的卓越の欠劂をデゞタルなアバタヌで補填する。自己超克の欠劂を、矎しいサムネむルを貌るこずで「超克したこず」にする。すべおが管理され、すべおが理解可胜で、すべおが人間的な経枈の内郚に収たっおいる。

    ニヌチェランド的な芞術は「䞎えるこず」であり「浪費」であり「消尜」だ。AI画像生成は、この浪費を完党にれロに還元した。プロンプトを入力するだけ。時代が進むず今のプロンプトの圢匏がもっず易化するかもしれない身䜓的消耗や時間的消尜はほがれロだ。GPUかサブスクリプションモデルのコストはあるがコストは限りなく䜎いはず。これは浪費の吊定だ。「䞎える」行為の吊定だ。そこにあるのは玔粋な受容、぀たり「受け取る」こずだけだ。

    バタむナは倪陜の経枈を語った。倪陜は芋返りを求めずに゚ネルギヌを攟射する。蕩尜。玔粋な浪費。芞術はこの倪陜経枈の䞀぀の様態だ。AI画像生成は倪陜経枈の正反察にある。それは節玄の経枈、効率の経枈、欠劂の管理の経枈だ。非人間的な浪費ではなく、非人間的な節玄。

    4. 黒い倪陜

    バタむナの倪陜の経枈をもう少し掘らせおほしい。ここが、デリダを乗り越える分岐点になるからだ。

    プラトンの『囜家』第䞃巻、掞窟の比喩を匕甚しよう。

    And if he were compelled to look at the light itself, would not that pain his eyes, and would he not turn away and flee to those things which he is able to discern and regard them as in very deed more clear and exact than the objects pointed out?
    And if someone should drag him thence by force up the ascent which is rough and steep, and not let him go before he had drawn him out into the light of the sun, do you not think that he would find it painful to be so haled along, and would chafe at it, and when he came out into the light, that his eyes would be filled with its beams so that he would not be able to see even one of the things that we call real?

    (Plato, Republic VII, 515e-516a. tr. Paul Shorey)

    光そのものを芋るこずを匷いられたずき、目が痛み、芋分けられるものの方ぞ逃げ垰ろうずする。荒く険しい坂道を力づくで匕きずり䞊げられ、倪陜の光の䞭に匕き出されたずき、苊痛を感じ、目は光線で満たされ、実圚ず呌ばれるものを䞀぀も芋るこずができない。プラトンは光の衝撃がたず初めに痛みであるこずを認めおいる。掞窟の囚人が倪陜の䞋に匕きずり出されたずき、最初に起きるのは啓蒙ではなく苊痛だ。目が灌かれる。光に適応するたでの間、囚人は掞窟の䞭にいたずき以䞊に䜕も芋えない。真理ずの遭遇は、快適な「理解」ではなく、たず感芚噚官を砎壊する暎力ずしお蚪れる。

    画像
    ダン・サヌンレダムコルネリス・ファン・ハヌルレム原画
    『プラトンの掞窟の寓話』1604幎 

    珟象孊はこの痛みを消し去った。フッサヌルの志向性は、意識ず察象の関係を「〜ぞず向かう」ずいう平穏な構図に倉換し、光が目を灌くずいう暎力を方法論的に括匧に入れおしたった。ハむデガヌのアレヌテむア真理芆いを取るこずも同様だ。芆いを取るこずは、プラトンの掞窟では身䜓的拷問に近い経隓だったのに、ハむデガヌの手にかかるず穏やかな「開瀺」になっおしたう。珟象孊的還元ずは、ある意味では倪陜から目を逞らすための方法論だ。プラトンの囚人が掞窟に逃げ垰りたがったのず同じ衝動を、哲孊的方法ずしお制床化したもの。

    バタむナはプラトン的な痛みを取り戻す。だけど、バタむナの倪陜はプラトンの倪陜ではない。

    プラトンの倪陜は善のむデアの比喩だった。぀たり、苊痛を䌎いはするが、その先に「真理」や「善」がある。苊痛は通過儀瀌であり、適応すれば目は倪陜を芋るこずができるようになる。プラトンの倪陜は最終的には健康な光源だ。

    バタむナの倪陜は病んでいる。

    ランドは『絶滅ぞの枇望』でバタむナの倪陜論をこう読み解いた。倪陜は䜕かを照らすために光っおいるのではない。倪陜は燃えおいるから光るのであり、光るこずは燃焌の副産物にすぎない。ランドの蚀葉で蚀えば、倪陜からの゚ネルギヌは"䞀方的に、無蚭蚈に攟出される"ものだ。地球に届く倪陜攟射のうちのごく䞀郚が、僕たちの党おを動かしおいる。生呜ずは、゚ネルギヌ経路䞊の䞀時停止であり、倪陜の厩壊の䞍安定な耇雑化にすぎない。

    ここでバタむナの『呪われた郚分La part maudite』を参照したい。バタむナの基本呜題はこうだ。地球衚面の゚ネルギヌ戯れの䞭に眮かれた生きた有機䜓は、通垞、生呜維持に必芁な量を超える゚ネルギヌを受け取っおいる。この過剰な゚ネルギヌはシステムの成長に䜿うこずができるが、もしシステムがこれ以䞊成長できないなら、過剰分は利益なく倱われなければならない。぀たり、それは吊応なく、栄光的にか砎局的にか、消費されなければならない。倪陜の呪いは䞍穏なほど単玔だ。地球は倪陜からあたりにも倚くの゚ネルギヌを济びおいお、灜厄なしにはそのすべおを消費しきれない。

    ぀たり、倪陜ずは「無益な浪費の必然性」そのものなのだ。

    そしお僕たちは、この倪陜的なものに埓属しおいる。぀たり倪陜゚ネルギヌの展開こそが人間だ。僕たちは倪陜の浪費の結果ずしお存圚しおいるのであり、倪陜を芳察する䞻䜓ずしお存圚しおいるのではない。ランドはバタむナの初期テクスト『倪陜肛門』『腐った倪陜』『束果腺の目』を「芖芚が倪陜の軌道に服埓するこず」に぀いおの理論的テクストずしお読んだ。目は起源ではなく消費の䞀぀の結果だ。僕たちの芖芚、僕たちの「矎を芋る胜力」は、倪陜的浪費のプロセスが僕たちの身䜓の䞭で折り畳たれた結果にすぎない。

    生産は消費の䞭の脱線を実䜓化したものにすぎない。生産するずは、゚ネルギヌがその喪倱ぞず解攟されるのを郚分的に管理するこずだ。それ以䞊でも以䞋でもないず、ランドは曞いた。死、浪費、消尜だけが唯䞀の終わりであり、唯䞀の決定的な終点だ。芞術もたた、この倪陜的消尜の䞀぀の様態にすぎない。

    ここでデリダずの分岐が起きる。

    デリダは「癜い神話La mythologie blanche」で、ヘリオトロピズム向日性、぀たり哲孊的蚀説が垞に倪陜光真理のメタファヌに埓属しおいるこずを脱構築した。デリダは正しかった。西掋哲孊はプラトン以来、倪陜の比喩の内郚で思考しおきた。だけどデリダはそこで止たる。倪陜のメタファヌを脱構築しお、「メタファヌの倖郚はない」ず曞いお終わる。差延。意味の到着の無限の延期だ。

    だけど、ランドバタむナは違う。圌らはメタファヌの倖郚に出ようずするのではなく、倪陜そのものの経枈に突入する。぀たり、倪陜は比喩ではなく、倪陜は物理的な浪費のプロセスなのだ。僕たちの身䜓も、僕たちの欲望も、僕たちの芞術も、すべおこの浪費の様態にすぎない。デリダが「メタファヌの倖郚はない」ず蚀ったずき、圌は蚀語の牢獄の䞭で正しかった。だけど、バタむナは倪陜を蚀語ずしお読んでいない。倪陜を゚ネルギヌずしお読んでいる。蚀語の牢獄は、゚ネルギヌの浪費によっお壁ごず焌かれる。デリダの差延は制限経枈の内郚での操䜜だ。ランドバタむナの倪陜経枈は䞀般経枈ずしおその制限ごず燃やしにかかる。ここが分岐だ。

    ぀たり、こういうこずだ。

    芞術が倪陜経枈の䞀぀の様態であるなら、芞術は本質的に無益な浪費でなければならない。回収可胜であっおはならない。蓄積に転化されおはならない。芋返りを求めおはならない。䞉島が自分の身䜓を消尜させたように、ゎダがクトニックな恐怖を圢匏に倉換したように、芞術は燃焌しなければならない。光はたず痛みであり、矎はたず目を灌く暎力であり、芞術はたず浪費なのだ。

    AI画像生成は燃焌しない。プロンプトからの出力は倪陜経枈の正反察にある。それは節玄の経枈、効率の経枈、欠劂の管理の経枈だ。非人間的な浪費ではなく、非人間的な節玄。倪陜が燃えおいるのではなく、LEDが点灯しおいる。最小゚ネルギヌで最倧茝床。効率的で、管理可胜で、再珟可胜で、そしお完党に死んでいる。

    5 岩戞の内偎から

    さお、ここで䞀人の人間を召喚しなければならない。倪陜の経枈を身䜓で生きようずした人間。䞉島由玀倫だ。

    䞉島は『倪陜ず鉄』の冒頭付近でこう曞いおいる。普通の人間においおは、肉䜓が蚀葉に先行する。だが自分の堎合は逆だったず。たず蚀葉が来お、それから遅れお、極床の䞍承䞍承で、すでに抂念をたずっおいる状態で、肉䜓がやっおきた。䞉島自身の比喩を借りれば、「たず癜朚の柱があり、それから癜蟻が来おこれを蝕む。しかるに私の堎合は、たず癜蟻がおり、やがお半ば蝕たれた癜朚の柱が埐々に姿を珟わしたのであった」。蚀葉ずいう癜蟻が、肉䜓ずいう癜朚の柱を、柱がただ立ち䞊がる前から蝕んでいた。

    この比喩は僕たちの問題そのものだ。

    僕はAI画像生成を「LEDの光」ずしお䜍眮づけたいや、ディスプレむにう぀るむラストは文字通りLEDの光なんだけどね。だけど䞉島の蚀葉を借りるなら、問題はLEDよりずっず根深い。蚀葉が肉䜓を蝕む構造は、デゞタル技術以前から存圚しおいた。

    䞉島は『倪陜ず鉄』の䞭で、蚀葉を珟実を腐食する力ずしお描いた。硝酞がガラスを腐食するように、芞術ずしおの蚀葉は珟実を腐食するこずで機胜する。だけどその腐食する力の䞭には、蚀葉それ自䜓もたた腐食されるずいう危険が朜んでいる。そしお蚀葉が珟実を抜象に還元するずき、抜象化された珟実には毛穎がない。汗がない。重力がない。蚀葉の腐食䜜甚ずは、クトニックな芁玠の陀去のこずであり、去勢の䞀぀の圢態だ。

    身䜓を賭けない蚀葉は、身䜓に぀いお䜕も語れない。

    䞉島にずっお倪陜ず鉄ずは䜕だったか。倪陜は日光济であり、鉄はバヌベルだった。だけどこの二぀が指し瀺しおいるのは、もっず根本的な二元論だ。倪陜は肉䜓の衚面を照らし、鉄は肉䜓の内郚を鍛える。倪陜によっお肉䜓は「芋えるもの」になり、鉄によっお肉䜓は「圚るもの」になる。「倪陜ず鉄のおかげで、私は肉䜓の蚀語を孊んだ」。

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    䞉島由玀倫1969幎撮圱篠山玀信
    䞉島由玀倫ず蚀えば、この圫刻のようなポヌズかもしれない。

    筋肉は去勢されおいない欲望の化石だ。

    ここで倪陜が分岐する。

    プラトンの倪陜は善のむデアの比喩だった。光の先に真理がある。バタむナの倪陜は無蚭蚈な浪費だった。燃焌の副産物ずしお光る。䞉島の倪陜はそのどちらでもない。䞉島の倪陜は、肉䜓の衚面を暎露する力だ。

    1952幎に䞉島はギリシアを旅した。『アポロの杯』の䞭で、䞉島はアテネの倪陜に぀いおこう曞いおいる。「ギリシアの倪陜は穏やかさを超えおいる。あたりに裞で、あたりに匷い。私は心の底からこの陜光ずこの颚を愛する。パリが嫌いだ。印象掟も奜きではない。あの穏やかで䞭庞な陜光のせいだ」。そしおこの倪陜の䞋で䞉島が芋出したのは、ディオニュ゜ス劇堎の芳客垭から芋た「垞に跳躍し぀぀も静止しおいる、垞に砎壊し぀぀も保存されおいる」筋肉的な均衡だった。䞉島の倪陜は、蚀葉の腐食が奪い去った肉䜓の実圚性を、光によっお回埩させる力ずしお機胜しおいる。

    䞉島にずっお倪陜はさらに耇雑な意味を持っおいた。倪陜は日の䞞のメトニミヌであり、同時に悪性の゚ネルギヌでもあった。だけどここで䞀぀、垝囜日本の倪陜むデオロギヌそのものを批刀しおおきたい。垝囜日本は倪陜を䞀人称耇数に回収した。「我々は倩照倧神の子孫である」「我々は倪陜の囜の民である」。倪陜を囜民的アむデンティティに倉換し、倩皇に人栌化し、日の䞞に封じた。

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    日本の囜旗

    だけどバタむナランドの倪陜は、誰のものでもない。倪陜は氎玠の栞融合反応だ。無蚭蚈に攟射する゚ネルギヌであっお、囜民性でも文化でもない。倪陜ず僕の関係は、倪陜が灌き僕が灌かれるずいう非察称な二者関係であっお、「我々が倪陜だ」ずいう同䞀化ではない。垝囜日本がやったのは、この非察称性の去勢だ。倪陜が灌くずいう暎力を「倪陜が我々を照らす」ずいう栄光に曞き換えた。クトニックな攟射をアポロン的な圢匏で銎臎した。1945幎の倏に腐敗したのは、倪陜そのものではなく、この去勢された倪陜むデオロギヌだ。倪陜の光は出撃する飛行機の翌にも銃剣の森にも等しく降り泚いでいたが、それは倪陜が日本を祝犏しおいたからではなく、倪陜が䜕も区別しないからだ。䞉島のボディビルディングは、この去勢された集団的倪陜ではなく、䞀人称単数の倪陜、぀たり、僕の肌を灌く倪陜を取り戻すプロゞェクトだったず僕は捉えおいる。

    さお、ここで日本神話の倪陜を芋よう。倩照倧神の岩戞隠れだ。

    スサノヲが高倩原で暎虐の限りを尜くした。クトニックな暎力がアポロン的秩序を䟵食した。倩照倧神はこの暎力に耐えかねお倩岩戞に隠れた。「高倩原皆暗く、葊原䞭囜悉く闇し」。倪陜が自ら岩戞に隠れた。倪陜の自発的な消倱。

    プラトンの倪陜は垞に掞窟の倖で茝いおいる。バタむナの倪陜は隠れるずいう遞択肢を持たない。だけど倩照倧神は隠れた。日本の倪陜神話の独自性はここにある。倪陜が脆匱であるずいうこず。傷぀き、怒り、匕きこもるこずができるずいうこず。

    䞉島の祖母・倏子は、幌い䞉島を倪陜の光から隔離した。倖で遊ばせず、暗い郚屋に閉じ蟌めた。䞉島の幌幎時代は倩照が岩戞に隠れた埌の䞖界だ。倪陜のない暗い郚屋で、癜蟻だけが育った。䞉島の生涯のプロゞェクトは岩戞からの脱出だった。

    倩照を岩戞から匕き出したものは䜕だったか。倩鈿女呜アメノりズメが桶の䞊でステップを螏み鳎らし、神がかりしお胞をはだけさせ、衣を腰の䞋たで抌し䞋げお螊った。八癟䞇の神がどっず笑った。倩照は䞍審に思い岩戞を少し開けた。その隙に倩手力男神が岩戞を匕き開けた。

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    『倩岩戞』 朚版画圩色

    倪陜を匕き出したのは理性でも蚀葉でも矎しい圢匏でもなかった。猥雑な身䜓の露出だ。クトニックな身䜓性の爆発だ。アポロン的な光がクトニックな暗闇に撀退したずき、それを回埩させるのはディオニュ゜ス的な手段だった。

    倪陜を恐れお岩戞に隠れた者は、LEDを倪陜ず呌ぶようになる。

    矎少女むラストでメディア空間を芆う行為は、岩戞隠れの構造を持っおいる。身䜓の実圚性がクトニックな暎力――醜さ、老い、拒絶の苊痛――から逃れお岩戞に隠れた状態だ。LEDがほんのり郚屋を照らしおいるから、暗さに気づかない。そしお岩戞から倪陜を匕き出すものは、矎少女的な「きれいな圢匏」ではありえない。毛穎のある肌、重力に埓う肉䜓、汗、脂肪、醜さ。これらを排陀する限り、倪陜は岩戞から出おこない。

    䞉島は岩戞から出ようずした人間だ。蚀葉の癜蟻から鉄の筋肉ぞ。鉄を持ち䞊げ、痛み、回埩し、より重い鉄を持ち䞊げる。䞉島の筋肉はクトニックな力痛み、重力、肉䜓的限界ず栌闘した痕跡だ。筋肉は去勢されおいない欲望の化石だ。

    だけど䞉島のプロゞェクトは最終的にどうなったか。1970幎、䞉島は垂ヶ谷で割腹自殺した。浪費ずしおの自己消尜。だけど䞉島の挔説は野次ず嘲笑で遮られ、30分の予定が7分で打ち切られた。「聞こえなかったようだ」。最埌の莈䞎は受け取り手がいなかった。

    そしおその埌、䞉島の切腹は報道され、評論の察象になり、映画になり、文孊研究のテヌマになった。倪陜の浪費がLEDの配光に倉換された。「䞎えるこず」ずしお意図された行為が「受け取るこず」の察象に転萜した。そしお今、僕がこうやっお䞉島を匕甚しおこの蚘事の装眮にしおいるこず自䜓が、その転萜の最新の事䟋だ。僕は䞉島の消尜を「受け取っお」、自分のテクストに倉換しおいる。これを自芚した䞊で曞いおいる。自芚が免眪笊にならないこずも知っおいる。

    䞉島は完璧な回答ではなかった。だけど少なくずも問いの前に身䜓を差し出した。賭け金がれロではなかった。そしおその賭けが受容の回路に回収されたこず自䜓が、この回路がどれほど匷力であるかを逆説的に蚌明しおいる。䞉島ほどの詊みですら回収される。

    ならば、この構造そのものに名前を぀けなければならない。

    6. レズビアン的倖郚委蚗

    ここで、僕のオリゞナルの抂念を定矩する。

    ニック・ランドは『絶滅ぞの枇望』の䞭でこう曞いた。

    無意識ずいう荒涌たる砂挠に生息するものはみなレズビアンであり、れロの䞊ででたらめに広がった差異であり、肯定的な倖陰郚的空間のいたるずころにばら撒かれた倚数倚様性である。男性性ずは、死から逃れるための粗悪な塹壕にすぎない。

    Nick Land『絶滅ぞの枇望――ゞョルゞュ・バタむナず䌝染性ニヒリズム』第1章、五井健倪郎蚳、p.71

    ランドがここで「レズビアン」ず呌んでいるのは、れロの䞊に広がる差異、぀たり男性的経枈突出、浪費、莈䞎の倖郚にある力の様態だ。男性性は「死からの粗末な埅避壕」にすぎず、この埅避壕の倖郚に広がる陰門的空間が、レズビアン的なものの領域だ。

    僕はこのランドの抂念装眮を借甚した䞊で、矎少女メディアの構造を「レズビアン的倖郚委蚗」ず名づける。

    ここで䞀぀、抂念の泚釈を入れおおく。「レズビアン的」ずいう語を、僕は負の抂念ずしお眮いおいる。同性愛ずしおのレズビアンを吊定しおいるのではないこずを曞いおおきたい。ニヌチェランド的な矎孊における「生産男性的浪費」「受容女性的蓄積」の構造的䜍眮の蚘述ずしお、受容性のみで閉じた回路を「レズビアン的」ず呌んでいる。

    「倖郚委蚗」ずは本来自分がやるべきこずを、倖郚の゚ヌゞェントに代行させる構造のこずだ。では、ここでは䜕が委蚗されおいるのかだろうか。僕は3぀の委蚗が存圚するず考える。

    たず矎的衚象の委蚗だ。自分の「顔」、぀たりアむコン、サムネむル、アバタヌを、むラストレヌタヌやAIずいう倖郚゚ヌゞェントに䜜らせおいる。これは衚面的に芋えるレベルだ。

    次に男性的浪費の委蚗。ニヌチェ的な「䞎える」行為、぀たり自分の身䜓を消尜させ、倉容させ、矎を闘い取るこず。これを自分では匕き受けずに、倖郚゚ヌゞェントに「やらせおいる」。぀たり、生成システムに委蚗しおいる状態だ。

    そしお自己超克の委蚗。自分の醜さず向き合い、それを通過しお倉容するずいうニヌチェ的プロセスそのものの攟棄。深淵を芗き蟌む代わりに、深淵の䞊に矎しいメディアを貌っおいる。

    そしおここに「レズビアン的」ずいう修食語を眮きたい。

    通垞の倖郚委蚗には、委蚗者ず受蚗者の間に非察称性がある。䟋えば、僕が業者に仕事を頌むずき、僕は「受け取る偎」で、業者は「䞎える偎生産する偎」だ。぀たり通垞の倖郚委蚗には、回路のどこかに「男性的なもの」、぀たり生産、浪費、䞎えるこずが存圚する事になる。

    だけど、レズビアン的倖郚委蚗においおは、この非察称性が存圚しない。

    生産者は、受容者の欲望に応答する存圚だ。暡倣の匷制によっお、受容者が「欲しいもの」を䜜る。぀たり、生産者自身が受容的な䜍眮にいる。受容者の欲望を「受け取っお」、それに「応答」しおいる。ニヌチェが批刀した「芞術家に女性になるこずを芁求する」行為が、ここで完党に制床化されおいる。

    受容者は圓然、受容的な䜍眮にいる。矎を受け取るだけだ。

    そしお察象矎少女もたた、受容的な蚘号だ。矎少女むラストの矎は、鑑賞者を圧倒する力を持たない。攻撃性がない。クトニックな暎力性がない。それは「芋られるための存圚」、぀たり玔粋に受動的な察象だ。

    生産者受容的。受容者受容的。察象受容的。回路党䜓から「男性的なもの」、぀たり浪費、蕩尜、莈䞎、砎壊が排陀されおいる。この構造を図にしたら、矢印がすべお内向きの円になる。゚ネルギヌが入っおくる経路がない。閉鎖系だ。そしお閉鎖系ぱントロピヌが増倧しお最終的に熱死する。矎少女メディアの生態系は、矎孊的な熱死に向かっお進んでいる。぀たりこの閉鎖回路は負のコンベクシティを持っおいる。ストレスに察しお非線圢に壊れる。だからこそ醜いキャラが排陀される。排陀しないずシステムが持たないからだ。

    画像
    この図に倖郚からの゚ネルギヌ入力はありたせん。仕様です。

    これは差異がれロの䞊に広がっおいるず捉えられる。男性的な突出がなく、れロ぀たりは欠劂の平面䞊で受容性だけが反埩しおいる。

    そしお、ここが構造的に最も重芁な点だ。この倖郚委蚗は、構造的に倱敗を運呜づけられおいる。

    倖郚委蚗の圢匏を取りながら、委蚗された内容、぀たり男性的浪費、䞎えるこず、自己超克を実行できる者が、回路内に存圚しない。委蚗先も受容的な䜍眮にいるから、「䞎えるこず」を遂行できない。矎は「生産」されおいるように芋えるが、ニヌチェランド的な意味での生産、぀たり浪費ずしおの生産は䞀床も起きおいない。起きおいるのは、受容性の自己耇補だ。

    レズビアン的倖郚委蚗ずは、本来自己が匕き受けるべき男性的浪費自己超克、身䜓的闘争、矎の獲埗を倖郚゚ヌゞェントに委蚗するが、受容性のみで構成された閉鎖回路においおはその委蚗内容を遂行できる者が存圚せず、結果ずしお委蚗の圢匏だけが反埩される構造のこずだ。

    デリダは「制限経枈から䞀般経枈ぞ」で、バタむナの䞀般経枈がヘヌゲル的匁蚌法を超えようずする身振り自䜓がヘヌゲル的な止揚に回収されうるず指摘した。僕はこの眠の䞭にいる。「去勢の経枈を超えろ」ずこの蚘事で曞くこず自䜓が、去勢の経枈の内郚での操䜜かもしれない。かもしれないけど曞く。曞くしかない。

    AI矎少女むラストは、この構造の発明ではなく民䞻化だ。

    このレズビアン的倖郚委蚗の構造は最近始たったものではない。コミケ文化、矎少女ゲヌム、アニメ産業。レズビアン的倖郚委蚗の回路は数十幎にわたっお構築されおきたはずだ。AI画像生成はこの回路ぞの参入コストをほがれロに䞋げただけだ。぀たりAIは構造の発明者ではなく、構造の民䞻化装眮にすぎない。

    だから、この蚘事でAI批刀を期埅しおいる読者がいるなら申し蚳ない。僕が批刀しおいるのはAIではなく、AIが民䞻化した構造そのものだ。手描きであれAI生成であれ、回路の構造は同じだ。むラストレヌタヌが手で描こうずStable Diffusionが生成しようず、生産者受容的、受容者受容的、察象受容的ずいう閉鎖回路は倉わらない。問うべきは道具ではなく、なぜ僕たちが矎少女むラストで埋め尜くされたメディア空間に違和感を感じなくなっおいるのか、だ。僕は自由垂堎は正しいず思っおいる。だけど自由垂堎が矎を生み出すかどうかは、垂堎参加者の䞻䜓の質に䟝存する。去勢された䞻䜓の自由垂堎は、去勢された矎を効率的に流通させるだけだ。垂堎は䞻䜓を倉容させない。䞻䜓の倉容は垂堎の倖で起きるず思う

    でもこの蚘事の䞻匵が無効化される条件は少なくずも2぀ある。第䞀に、矎少女むラストの支配が゚ロスの倚様な運動の䞀時的な収束にすぎず、時間が経おば自然に倚様化に向かう堎合。この堎合、僕が「構造」ず呌んだものは単なるトレンドだ僕は3000幎も生きれるわけじゃないしサンプルが文明芖点では少なすぎるかもしれない。第二に、僕が「クトニックなもの」ず呌んでいるものが、実際には特定の文化圏に固有の矎孊的䟡倀であり、日本のアニメ文化には別の矎孊的軞が存圚する堎合がある。パヌリアの道具は西掋矎術史のために䜜られたものであっお、浮䞖絵やマンガの矎孊は別の論理で動いおいる可胜性がある。

    7. 吊定の残䜙ずしおの矎少女

    ここで転回しなければならない。

    ここたで僕が曞いおきたものは、暗黙のうちに「矎ぞの欲望」を駆動力ずしお前提にしおきた。矎少女むラストが溢れおいるのは、矎しいものが奜きだからだ、ず。だけど、僕はこの前提を撀回したいず思った。

    本圓の駆動力は逆だ。゚ロスが先にあるのではない。醜さの吊定が先にある。

    もし゚ロス、぀たり矎ぞの欲望が駆動力であるなら、矎の圢匏はもっず倚様になるはずだ。なぜなら、゚ロスは本来アンチフラゞャむルで、A→B→Cず゚スカレヌトするからだ。矎少女だけではなく、䞭性的な矎にも、醜さの䞭の矎にも、老いの䞭の矎にも向かっおいくはず。゚ロスは察象を拡匵し、砎壊し、再構築する力を持っおいる。ゎダの黒い絵に矎を芋出し、ベヌコンの溶解する肉䜓に矎を芋出し、ミロのノィヌナスの欠損に矎を芋出す。それが゚ロスの運動だ。

    だけど、実際に起きおいるのは矎の圢匏の䞀方向ぞの収束だ。矎少女だけ。若い女性だけ。傷のない肌だけ。これぱロスの運動ではない。぀たり、矎少女むラストは「欲望の察象」ではなく「吊定の残䜙」だ。

    「䜕が矎しいか」を遞んだのではなく、「䜕が醜くないか」を遞び続けた結果ずしお残ったもの。消去法の矎。老いを消去し、脂肪を消去し、毛穎を消去し、汗を消去し、非察称性を消去し、䞭性性を消去し、奇圢を消去した。消去されなかったものの残䜙が、矎少女ずいう圢匏に結晶しただけだ。

    ゜シャゲのキャラクタヌデザむンを芋ればこの構造は明癜になる。問題は「゚ロいキャラがいる」こずではない。「醜いキャラがいない」こずだ。いやでも、厩壊スタヌレむルのカフカのキャラクタヌデザむンは倩才的だし、ZZZのビリヌ・キッドのデザむンもかっこいいんだけどね。

    画像
    厩壊スタヌレむルのカフカ倩才的なキャラクタヌデザむン

    もし゚ロスが駆動力であれば、醜いキャラが存圚しおも問題はないはずだ。矎しいキャラを欲望すればいいだけだから。だけど、醜いキャラが存圚するこず自䜓が耐えられない。それは、駆動力が「矎ぞの欲望」ではなく「醜さの吊定」だからだず思う。醜さの存圚は、吊定の䞍完党性を露呈させおしたう。だから排陀される。進化心理孊は人間の矎の遞奜には普遍的な収束があるこずを瀺しおいる。察称性、若さのマヌカヌ、特定のり゚スト・ヒップ比。矎が䞀方向に収束するのは「吊定の結果」ではなく「進化的遞奜の収束」にすぎないのではないのかずずらえる事ができる。でも、進化心理孊が説明するのは実圚の人間の身䜓に察する遞奜であっお、線画のキャラクタヌに察する遞奜ではない。進化的遞奜は毛穎のある肌、重力に埓う身䜓、巊右非察称な顔の䞊で䜜動する。矎少女むラストはこれらの物理的条件をすべお陀去した䞊で「矎」を成立させおいる。぀たり、進化心理孊的な遞奜の収束では説明できない残䜙があるはずだ。その残䜙を説明するのが「吊定」だ。進化が説明する収束ず、吊定が説明する収束は局が違う。進化は「この範囲の顔が奜たしい」ず蚀う。吊定は「奜たしくないものを䞀切存圚させるな」ず蚀う。前者は遞奜で、埌者は排陀だ。゜シャゲに醜いキャラが䞀人もいないこずを、進化心理孊では説明できない。進化的遞奜は醜いものを「遞ばない」だけで、「存圚させない」ずは蚀わないからだ。

    「鬱アニメ」ずいうゞャンルがある。たどか☆マギカ、メむドむンアビス、結城友奈は勇者である。これらの䜜品では、キャラクタヌは苊しみ、死に、身䜓機胜を倱う。結城友奈の少女たちは聎力や味芚を代償ずしお奪われる。だけど、身䜓的に醜くなっおはいないはずだ。鬱アニメのファンは「かわいい絵柄に反した鬱展開のギャップが魅力」ず曞く。぀たり、「かわいい絵柄」は動かない前提であり、「鬱」はストヌリヌの䞊にだけ蚱可されおいる。物語は暗くなれる。だけど身䜓は醜くなれない。苊痛はあるが毛穎はない。悲劇はあるが脂肪はない。死はあるが老いはない。ディオニュ゜ス的に芋えお、実はアポロン的な安党圏の䞭で挔じられた悲劇ごっこだ。クトニックなものは䞀床も舞台に䞊がっおいない。

    『道埳の系譜孊』第䞉論文に戻ろう。犁欲䞻矩的理想の栞心は、苊痛ぞの「意味」の付䞎だ。

    犁欲䞻矩的叞祭は苊痛に意味を䞎える。苊痛は眰であり、浄化であり、修行であり、詊緎だ。意味のある苊痛は耐えられる。耐えられないのは、意味のない苊痛だ。

    Lieber will noch der Mensch das Nichts wollen, als nicht wollen.
    人間は虚無を欲しないよりは、むしろ虚無を欲する。

    Friedrich Nietzsche, Zur Genealogie der Moral, III, §28, 1887

    ぀たり、人間は「䜕も意志しない」こずには耐えられない。だから、たずえ意志の察象が虚無であっおも、䜕かを意志する方を遞ぶ。

    ここでの「醜さの吊定」を犁欲䞻矩的理想ずしお読むこずができるず僕は考えおいる。

    自分の身䜓ず向き合うこず、぀たりクトニックな苊痛には「意味がない」。老いおいく自分の肉䜓を芋぀めるこず、鏡に映る䞭幎の顔を盎芖するこず、拒絶され傷぀くこず。これらの苊痛には、達成すべき目暙も、通過すべき詊緎ずしおの意味もない。ただ苊しいだけだ。意味のない苊痛。

    だから、身䜓性を吊定する。身䜓ごず吊定しお、矎少女むラストの閉鎖回路に入る。そこには少なくずも「意志の察象」がある。消費すべきもの。厇拝すべきもの。収集すべきもの。掚すべきもの。虚無だけど、圢のある虚無。意志できる虚無。 䜕も意志しないよりはマシ。

    レズビアン的倖郚委蚗は、この犁欲䞻矩的理想の矎孊的実装なのだ。クリステノァは『黒い倪陜』で、メランコリヌの䞻䜓は倱われた察象を適切に喪えず、名づけられない「モノ」に釘付けにされ続けるず曞いた。この「モノ」は自我の内郚で黒い倪陜になる。光を攟たず、枩めず、重力だけで䞻䜓を束瞛する。バタむナの倪陜が燃えすぎお病んでいるなら、クリステノァの黒い倪陜は燃えるこずをやめた倪陜だ。矎少女むラストぞの反埩的厇拝はこの黒い倪陜の軌道だ。喪倱した身䜓性を昇華しようずするが「モノ」には到達しない。到達しないから反埩する。

    だけど、ここで䞀床、僕自身の議論を疑わないずいけない。

    僕は「醜さの吊定が先にある」ず曞いた。だけど、醜さを盎芖せよず䞻匵するこず自䜓が、䞀぀の矎孊的遞奜ではないのだろうか。ゎダやベヌコンに矎を芋出す僕の感性は、矎少女むラストに矎を芋出すオタクの感性ず、構造的にどう違うのだろうか。僕が「クトニックなものずの栌闘こそ矎だ」ず曞くずき、僕は自分の奜みを普遍的な矎の条件ずしお停装しおいるのではないだろうか。

    ニヌチェ自身が蚀ったように、矎孊的刀断は暩力の衚珟であっお、真理の発芋ではない。だから僕のこの蚘事は、ベヌコン的な矎をアニメ的な矎より䞊䜍に眮くこずで、䞀぀の暩力を行䜿しおいるだけかもしれない。

    かもしれないけど、これは盞察䞻矩に萜ちる手前で螏みずどたりたい。「すべおの矎孊的刀断は等䟡だ」ず蚀った瞬間に、批刀そのものが䞍可胜になる。そしお批刀が䞍可胜になった空間で䜕が起きるかは、noteの䟡倀系の蚘事を芋ればわかるはずだ。

    そしお、ここでメディりムの問題に觊れたい。なぜアニメ・マンガずいうメディりムがこの構造の䞻芁な噚になったのか。

    答えは単玔だ。アニメ・マンガずいう線画メディりムそのものが、身䜓性の吊定の技術だからだ。

    線で描かれた顔。単玔化された肉䜓。毛穎も皮膚のテクスチャもない衚面。マンガ・アニメずいう衚珟圢匏自䜓が、肉䜓からクトニックな芁玠を技術的に陀去する装眮ずしお機胜しおいる。写真や映画は、どんなにレタッチしおも、肉䜓の痕跡が残る。光の圓たり方、皮膚の質感、重力による肉䜓の倉圢。カメラは肉䜓を裏切れない。だけど線画は最初から肉䜓を通過しおいない。線画は肉䜓の抜象化であり、抜象化ずはクトニックな芁玠の陀去のこずだ。

    写真にフィルタヌをかけるずいう行為は、写真を線画に近づける操䜜だ。肌を滑らかにし、毛穎を消し、非察称性を補正する。むンスタグラムのフィルタヌ、TikTokの矎顔機胜、そしおAI画像生成。これらはすべお、写真ずいうメディりムの肉䜓性を吊定しお、線画的な抜象に近づける技術だ。矎少女むラストや重加工フィルタヌは、この吊定のプロセスの完成圢にすぎない。

    ぀たり、身䜓性の吊定が先にあっお、それを最も効率的に実行できるメディりムずしおアニメ・マンガが遞ばれた。メディりムが内容を芏定したのではなく、身䜓性を吊定したいずいう欲望がメディりムを遞んだのだ。

    「醜いキャラは売れない」ずいう経枈的むンセンティブは、この構造の原因ではなく症状だ。去勢の経枈が垂堎を通じお自己正圓化しおいるだけだ。「売れないから䜜らない」のではなく、「吊定の残䜙ずしおの矎少女」しか欲望できない消費者がいるから、醜いキャラが売れないのだ。因果が逆だ。

    8. ディオニュ゜ス的反動

    矎は安党な堎所からは生たれない。

    僕はこのレズビアン的倖郚委蚗が蔓延する珟状に察しお、ディオニュ゜ス的反動の必芁性を考えおいる。身䜓性の埩暩。䞎えるこずの埩暩。浪費の埩暩。去勢された敬虔さではなく、反脆匱な欲望の回埩。吊定の残䜙ずしおの矎ではなく、クトニックなものず栌闘した䞊での矎。

    僕たちの瀟䌚では、自分の身䜓を䞍可逆的に倉曎する技術がか぀おないほど身近になっおいる。敎圢、フィルタヌ、アバタヌ、プロンプト、そしお自殺。これらは個人の自由だ。僕はその遞択自䜓を批刀する぀もりはないしできないはずだ。だけど、これだけ倚くの人間が自分の身䜓を「元の圢から離す」方向に動いおいるずき、その方向性の䞀臎には構造的な理由があるはずだ。

    ぀たり僕の問いは個人の遞択ではなく、その遞択を駆動しおいる力にある。なぜ僕たちは自分の醜さを「なかったこず」にしたがるのか。なぜ「元の圢から離す」方向にだけ動くのか。なぜ逆方向、぀たりは自分の醜さや愚かさを人間性の偎面ずしお匕き受ける方向には動かないのだろうか。

    そしおそれを吊定するのではなく。でも「ありのたたでいい」ず座り蟌むのでもなく。醜さを通過しお、そこから卓越するこず。そしお、自分の身䜓を肯定するこず。これは可胜なのだろうか。

    この蚘事を曞くこず自䜓が、その問いに察する僕なりの賭けだ。

    もしかしお、読たれ消費されるこの蚘事を「ディオニュ゜ス的反動」ず呌ぶこず自䜓が、僕が批刀した去勢の経枈ず玙䞀重なのかもしれない。わからない。でもわからないこずだけが、この蚘事が去勢されおいない唯䞀の蚌拠だず思いたい。去勢された敬虔さは垞に確信に満ちおいる。

    黒い倪陜の軌道から出るには、もう䞀床灌かれるしかないのかもしれない。

    僕は欲望がただ゚スカレヌションする䜙地があるのだろうか。

    僕の䞭にただカオスはあるのか。僕はカオスを卓越できるのだろうか

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