17文字のフレームに、消えゆく景色をとどめるということ。僕がインスタで俳句をひねりだした理由。
17文字という、小さな窓
「十七文字」・・・僕にとって、この数字は、幼い頃から身近にある「窓」のようなものでした。
僕は、全国的にも俳句指導が盛んな町で、小・中・高時代を過ごしました。学校の授業はもちろん、地域の行事でも俳句は欠かせない存在で、街のあちこちに句碑が立ち、公共の施設には俳句投函箱が設置されている、そんな環境。僕じしん、十代の頃にいくつかの賞を頂いたこともあります。
大人になり、その町を離れてからは、俳句を詠むことはほとんどなくなりましたが、心の奥底でその小さな窓は、いつも開いていたのかもしれません。
また俳句を詠みはじめた
日々の記録のひとつとして僕はインスタグラムを愛用しています。その日の朝食だとか、空の写真とか他愛もない写真をアップしているのですが、マンネリ感は否めません。最初は詩でものせようかと考えましたが、画像の邪魔をしない17文字程度の詩であればいいだろうと考えて、俳句を載せることを閃きました。こんな感じです。

早朝の公園、池に映る朝焼けとシルエットを詠みました。

一面の緑の田んぼ。そこに二羽の白鷺。 写真は、白鷺の姿を捉えています。でも、その時の「静寂」や「風のない朝」の空気感を表現しました。
描写と情緒:アンドリュー・ワイエス展で感じたこと。
話は飛びますが、僕は最近、上野で開催された「アンドリュー・ワイエス展」へ行きました。
ワイエスの絵は、徹底した写実描写で知られます。彼が描き続けたのは、故郷の冷徹で、どこか寂寥感の漂う風景や人々。一見、冷たいようにも見えるその描写の中に、彼がその土地、その人に向けた深い愛着や、時間が過ぎゆくことへの焦燥のようなものが、静かに、しかし強く脈打っているのを感じました。描写なのにそこに描写を超えた何かがある。
ワイエスの絵を見ていて、僕は、自分が俳句に惹かれる理由と同じだと思いました。
俳句は、17文字という極めて限られた制約の中で、ありのままの風景を描写します。 俳句の神髄は描写です。その描写のためにことばを選ぶ。「ことばを選ぶ」ということは、その瞬間の光、風、匂い、そして自分の心の動きを、たった一つの音、たった一つの単語に凝縮する作業です。
その中で、ある種の情緒(エモーション)がにじみ出る。
俳句とワイエスの絵画には通じるものがあると確信しました。
意識しなければ、消えていく。――小沢健二「天使たちのシーン」が教えてくれること
風景や経験は、私たちが意識し、書き留めなければ、霧のように消えていきます。
日々の喧騒の中で、見落としてしまうささやかな光の動き、季節の移ろい。「今日は月が綺麗だな」と思っても、それを言葉にしなければ、その「綺麗」はその場限りのものとして過去へ埋もれてしまいます。
この「消えゆく世界」のイメージを、例えば小沢健二の「天使たちのシーン」という曲で補強しようとするのは飛躍でしょうか。小沢健二のファーストアルバム『犬は吠えるがキャラバンは進む』(1993年)に収録されたこの13分36秒の大曲の歌詞は、まさに“意識しなければ消えていく、けれど私たちが生きているからこそ見届けられるシーン”の集合体です。神様が気まぐれに描いたような、世界のあちこちに散らばる、なんてことのない、でも愛おしい一瞬の数々。
私たちは生きて、そこに存在しているからこそ、消えゆく世界の目撃者になれる。そしてそのシーンを愛おしみ、心に留めることができる。
俳句をひねるという行為は、僕にとってまさに「天使のシーン」を見届ける作業そのものです。 世界に溢れる無数の光景の中から、自分の心が動いた瞬間を、十七文字という強固なフレームで捉え、留める試み。それは、自分を取り巻く世界と向き合う静かな儀式のようなものです。
クセになりそうな、この対話。
写真と俳句。 一見、異なる表現のようで、実はとても相性がいい。 写真は、「客観的な現実」を捉え、俳句は「主観的な世界」を凝縮する。
写真を見ることで、俳句の言葉がより具体的に、豊かに立ち上がってくる。 俳句を読むことで、写真の中の風景が、より深く、情緒的に感じられる。
この、写真と俳句の対話のような試みが、僕の中で「新しい写実」の場として、ちょっとクセになりそうです。
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