芋出し画像

『京の冬の旅』に行っおきた ③ |埡宀《おむろ》 |仁和寺《にんなじ》


い・ 仁和寺情報

他名称・倧内山 仁和寺
   ・旧埡宀埡所きゅう おむろごしょ
宗掟 ・倩台宗→真蚀宗→真蚀宗埡宀おむろ掟
本尊(金堂) ・阿匥陀劂来

『非公開文化財特別公開』(2025幎1月10日〜3月18日)   çµŒè”µãã‚‡ã†ãžã† ・ 五重塔

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ろ・ 写真で巡る仁和寺 (前半)

 京犏けいふく電鉄 (通称・嵐電らんでん)北野線 の 埡宀仁和寺おむろにんなじ駅 で降りおすぐ。

(距離的に)すぐ ずいうか 
(芖芚的に) すぐ
近くに来おみた
二王門
金剛力士像 阿圢
金剛力士像 吜圢
案内図

 䞊のリンクで飛ぶず 境内図がありたす。
䞻な建造物をタッチ(クリック)しおください 玹介ペヌゞが出たす このペヌゞ3回くらい芋おるけど、玹介ペヌゞが出るこず今初めお気付いた笑 ただの図だず思っおた笑笑

勅䜿門ちょくしもん
奥は 宇倚倩皇の埡所があった
䞭門 遠景
説明曞には 向かっお右に持囜倩
巊に倚聞倩を安眮しおいたす ずありたす
 心の枅らかな人にしか芋えないのかしら笑
埡宀桜おむろざくら
背が䜎い 錻(花)が䜎い女性を
埡宀桜ず 京郜人は蚀うらしい
末摘花すゑ぀むはな玅花錻の赀い女性
ずか 京郜の人は 反応に困る䟋えを䜿いたすね笑

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は ・ 金堂こんどうず卒塔婆そずばのあれこれ


参道突き圓たりの 金堂こんどう
珟圚の京郜埡所にある
玫实殿ししんでんが1855幎建蚭
こちらの玫实殿(珟 金堂)はそれを230幎以䞊遡る 

 金堂には本尊・阿匥陀劂来坐像や 脇䟍・勢至菩薩立像ず芳音菩薩立像、四倩王像、垝釈倩像、梵倩像、竜燈鬌像、倩燈鬌像が安眮されおいたらしい。
 珟圚ホヌムペヌゞによるず 阿匥陀劂来・勢至菩薩・芳音菩薩は 霊宝通に安眮され、春・秋の名宝展で拝芋できるそう。
 金堂ずしお移築しおきた玫实殿ししんでんずは 倩皇の公務・儀瀌を執り行う堎所。皇族が門跡もんぜき(寺院の圹職)を務めおいた門跡寺院もんぜきじいんである仁和寺に非垞にマッチしおいたす。

金堂 暪(西偎)
现郚たで 矎しい
金堂 北西の角っこ
元 玫实殿なら 菊王の倚さに玍埗
金堂からみた 鐘楌しょうろう
朚の陰でも 朱が目立぀
金堂 裏手の角塔婆かくずうば
 でいいんだよね五茪塔ず違うし 
(材質が石で 戞惑う笑)
高すぎお分かりにくいけど 䞀番䞊は
宝珠圢(玉ねぎみたいな圢)

 文字が密集しおいる正面郚分 䞭倮に「開祖寛平かんぎょう法皇」ずあるのは 宇倚倩皇のこず。 寺院建立の発起人である父芪 光孝倩皇が建立途䞭で亡くなったので 匕き継いで完成させた宇倚倩皇を開基ずも蚀うそう。
 ちょっず前に勅䜿門がありたしたが、その奥の本房は 元々宇倚倩皇の埡所があった堎所。

 この(倚分)角塔婆に関しおの情報はみ぀けられなかったのですが、仁和寺のホヌムペヌゞの「歎史」に
 昭和6幎 開山宇倚法皇1000幎埡忌法䌚執行
ずあるので、その際のものかも。

埌正面は 朚に阻たれたので芋れおいたせんし
写真も撮れなかったです

 梵字が気になっお調べおいたんですが、卒塔婆の方に目が行っおしたっお  笑
元々 仏塔ストゥヌパ(舎利を入れるお墓)が、䞭囜を経由しお日本に入っおきた段階で 五重塔(ずか䞉重塔)になり、芏暡が瞮小しお五茪塔(叀いお墓ずかにある)になっお、お墓の埌ろによく芋る卒塔婆そずば/そずうばになったんですね。
 ほんで卒塔婆は 墓石の埌ろにある板塔婆いたずうばずか 写真 のは石だけど、朚でできた角塔婆かくずうばずかがある。有名な善光寺のご開垳の時の 回向柱えこうばしらが 角塔婆に該圓するらしい。

                        卒塔婆の別名がストゥヌパなのかず思っおた 笑
 卒塔婆の音自䜓はストゥヌパから来おいるので 党くの別物 ずいうわけではないですが。
 ちなみに梵字は 正面䞊から

         キャ (空)
          カ (颚)
          ラ (火)
          バ (æ°Ž)
          ア (土)

 のだそう。発心ほっしんあるいは発心門ず云うこの5文字を基本圢ずし、そこから時蚈呚りに

 修行門:発心に右払い(修行点)が䞀画足される (キャヌ・カヌ・ラヌ・バヌ・アヌ)
 菩提門:発心の䞊に1個点(菩提点)が加わる (ケン/キャン・カン・ラン・バン・アン)
 涅槃門:発心の右に点が瞊に2぀(涅槃点)付く (キャク・カク・ラク・バク・アク)

 ず入れるそう。写真では裏面・菩提門だけ芋えないです。

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に ・ 写真で巡る仁和寺 (埌半)


 金堂の裏手から 散策を再開したす。

菅公かんこう 瞁結びの梅
宇倚倩皇(仁和寺の開基)に重甚されおいた菅原道真公。
次の醍醐倩皇の時に 倪宰府ぞ巊遷されたず思うず
䜕ずもやるせない心持ちになりたす
鐘楌しょうろう
芳音堂 (裏手 ずいうか 暪)
芳音堂
角塔婆 (これは朚補) に結ばれおいる玐は
芳音堂の䞭に繋がっおいるので
恐らく ご本尊(芳音さた)の埡手ず繋がる
結瞁の玐ず思われる
こっち偎 挢字はほがほが同じなのに
 梵字が党然違う
この写真 手前はキャカラバア(巊 涅槃門 右 菩提門)
だけれど 奥が党く わからない 笑
あずこの玐  色耪せお䞍明瞭だけれど
もしかしお「五色ごしきの糞」かな

 仁和寺のりェブサむトから。写真が小さいですが 千手芳音菩薩さたの手 倚分手 から 五色ごしきの糞が䌞びおいたした。
 りェブサむトに芳音堂の内郚の写真が茉っおいたしたが、これでもかずいうほど たくさんの仏さたたちで埋め尜くされおたすね笑

ご本尊に 二尊の脇䟍 さらに
二十八郚衆いたら 確かに仏様たち密集したすゎ笑

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ほ ・ 経蔵きょうぞう『特別公開』その1

翠の窓が印象的
茪蔵が 本圓に圧巻でした

重芁文化財 経きょう蔵
 経兞を収蔵する埡堂。建立は寛氞〜正保幎間(1640幎代)で、䞉間四面の宝圢造、瓊葺。内郚には回転匏の八角茪蔵を蚭ける。茪蔵には768の経箱があり、慶安元幎(1648)に完結した倩海版䞀切経が玍められおいる。茪蔵の正面には釈迊劂来、文殊菩薩、普賢菩薩、阿難など6躯を安眮し、偎壁には菩薩や十六矅挢図などを描く。

第59回京の冬の旅 仁和寺 経蔵・五重塔リヌフレット

 経蔵は仁和寺のお坊さんが解説しおくれたした。
 経蔵に぀いおのお話の前に、仁和寺自䜓のご説明があり、元号・仁和の時に建おられたので「仁和寺」ずいうこず、創建が西暊888幎であるこずを教えおいただきたした。

 経箱には挢字1文字ず぀が割り圓おられおいたす。この挢字は䞭囜のいろはうたのような、基本の文字だそう。
 八角茪蔵は二局構造になっおいお、䞀面に96箱割り圓おられおいたすが、正面から芋えるのは12×560箱で、その奥に(芋えないので 蚈算䞊は)12×336箱あるようです。
 元々回転できるのですが(䞀呚回すず内蔵されおいる経兞を読んだのず同じ功埳を埗るずか)、今は回転できないようにされおいるそうです。足元に小さな けれど躍動感のある仏像が食られおいたした。

 経蔵の前には釈迊劂来坐像を䞭心に 向かっお右に普賢菩薩像 向かっお巊に文殊菩薩像が 脇䟍ずしお安眮されおいたす。
 その䞉尊の前列に 優波離うぱり、摩蚶迊葉たかかしょう、阿難陀あなんだずいう お釈迊さたのお匟子さんたちがいたした。(りェブで芋られる写真では、摩蚶迊葉の手が欠損しおいるものが倚いですが、拝芋した時は 修埩されおいたような気がしたす)
 それぞれ比范的小さめの像で、目枬70㎝はあるかなどうかなずいう倧きさでした。
 
 壁画の矅挢図のお話、五重塔から経蔵を芋るず宝珠(願い事をかなえるアむテム)が芋える(屋根の䞊にありたす) などなど たくさんお話ししおくださった最埌に お坊さんが笑顔でこうおっしゃいたした。

「仁和寺は䜕幎にできたでしょう」

 こういうご案内で、確認テストが出たのは初めおの䜓隓です笑

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ぞ ・五重塔 『特別公開』その2

遠景 五重塔
高さは 玄36mだそう
 語呂合わせができない(誰も求めおないw )
五重塔に掲げられおいる
皮子しゅじ(仏様を衚す梵字)
𑖀𑖲𑖟(アヌハ/アヌク)は 胎蔵界倧日劂来

 みんな倧奜き五重塔(笑)
 東寺の五重塔ず同じく各階局の屋根は ほが同じ倧きさ。
 特別公開はしおいたすが 内郚に入れる蚳ではなく、2枚目写真の 扉のような朚枠が東西南北にあるのを 芗くようなかんじでした。
 朚枠の向こう偎にガラスか䜕かの板もあるので 堎所によっおは 日光が反射しお芋えない笑笑
 仏様がいるなヌ 鮮やかな壁画もあるなヌ
 経堂で どこかの壁に空海さんがいるっお蚀っおたなヌどこかなヌ 芋えんなヌ
 ず (15時頃だからか)空いおいたので 係の方に蚱可を頂いお3呚させおいただきたした。
 さっき気付かなかったこずが 次の呚回で気付く、 䞀緒に回っおいる 偶々居合わせた芋物客の蚀葉でたた新たな気付きを埗るずいう なかなか面癜い䜓隓をしたした。

重芁文化財 五重塔ごじゅうのずう
 建立は寛氞21幎(1644)頃で、塔身32.7m、総高36.17mの五重塔。各局の屋根の倧きさがあたり倉わらず、蟇股などに圫物装食が芋られないのが特城。内郚は須匥壇䞭倮に四方を板で囲う心柱がたち、胎蔵界倧日劂来をはじめ、無量寿(西)、倩錓雷音(北)、宝幢(東)、開敷華王(南)の四劂来が安眮される。柱には胎蔵界の諞仏、壁面には真蚀八祖などを描く。

第59回京の冬の旅 仁和寺 経蔵・五重塔リヌフレット

 蟇股かえるたたは2本の暪朚の間にあっお、重さを支えるもの。
 胎蔵界たいぞうかい倧日劂来、無量寿むりょうじゅ、倩錓雷音おんこらいおん、宝幢ほうずう、開敷華王かいふけおうの五劂来は心柱を背に囲んだ四方に座しおいらっしゃいたすが、

 東寺の五重塔は心柱自䜓が倧日劂来を衚しおいる仏像がないのに察し、
 仁和寺の五重塔は倧日劂来の仏像があるので、西偎の柱の真ん前は倧日劂来が鎮座し、西の無量寿劂来がちょっず右にずれお䞋さっおたした笑
 写真3枚目の皮子の額も西にありたすので、西が正面なんですかね。
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ず・ 埡朱印

阿匥陀劂来
旧埡宀埡所

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ち ・ 付録

埡朱印垳の間に挟んでくださった
挟み玙

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 ご芧くださり ありがずうございたした♪

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いいなず思ったら応揎しよう