白いカーテンを引くように
5月が一番しんどい。
大人になった今では薬もマスクもある。でもあの頃はそんな対処法も知らなかった。
まだ風の冷たい北海道のグラウンドで、土ぼこりと花粉に塗れながら体育の授業を受け、教室に戻っても鼻水が止まらずティッシュ箱を抱えたまま座っていた。
そんな状態で座っていた教室に、国語教師のTは毎回ハリセンを持って現れた。
中学校に入学したばかりの春。私が初めての運動部に入りヘトヘトになっていた頃のことだ。
もう定年を迎えているのでは、という風貌のTは、私達が集中していなかったり問いの答えを間違ったりすると、自作の大きなハリセンで頭をはたくのだ。そしてそれは、たまに新調された。私達は、誰も興味のないそのアップデートの報告を、教壇から毎度聞かされるのだった。厚紙を二重にしてみた、とか。
ハリセンって、昔のお笑いじゃないんだから。仮にも平成の中期なのに。そういえば、漫画のだめカンタービレにもハリセン持った教師出てきたな。
特別威圧的というわけではない。けれど、彼が一人でおふざけのつもりでやっているその光景に、心の中で、ハァ…と深い息を吐き出していた。自作のハリセンを振り回す老人と、それをただ受け入れるしかない私達。今日もやってるぜ。
そんな授業の中、教室の窓の外から聞こえる、他のクラスの体育祭の練習の音。私の席は窓際だ。外を見る。なんて青い空なんだろう。
私は机と椅子を窓の下にぴったりと寄せ、するっと白いカーテンの内側に入る。日差しが暖かい。転落防止の銀色の手すりに頭を預ける。なんだか私の部屋という感じ。
最初は青空に誘われて入っただけだった。けれど、そのうちTを避けるためになっていった。Tには幾度となく怒られたが、それからも国語の授業中は頑なにカーテンの内側に入り続けた。
夏は開けた窓からの風がその空間に溜まり、心地よい。授業は多分聞いていた。悔しいけれど、あいつに習ったオツベルと象を、きっと忘れることはないだろう。のんのんのんのん。
窓際の席じゃなくなった後のことはよく覚えていない。
なぜそんなことしてたのか?
ただ、空が青かったから。
人が密集する場所でじっとしていると、自然に過ごせなくなる。電車や試験会場などがそうだ。
向かいに人がいたらどこを見ればいいのかわからないし、真後ろに誰かが座った時なんか、背中も強張るし息も苦しくなる。しまいにはお腹まで壊してしまう。どうしたものか。
全員が同じ方向を向いて息を潜めている教室なんかは、その最たるものだった。
高校生になっても、苦手な環境を避けることは続いた。
片道一時間かけて通学し、数えきれないほどの遅刻をしながら、私はしょっちゅう、所属する部の部室に登校していた。
寒くて薄暗くて、誰もいない空間。六畳ほどの室内は、暖房なんてあったのだろうかと思うほど、いつも底冷えしていた。
冬になると、ダウンを着たままでも体は冷え、足先はキンキンに固まった。独特の、少し湿っぽい匂い。
完全な静寂。
誰が置いていったのか、ボロボロのグレーの二人掛けソファーと、いろんな漫画。そして、棚の一番上に横たわっていた、どこかのお土産であろう赤い箱入りのマムシ酒。
まともな机はなかった。教室にあるような木の椅子が一脚あるだけで。
私はいつ行ってもソファーの真ん中に陣取り、その椅子を机代わりにノートを広げて宿題をやった。大抵は数学だった。宿題が多いのに、家でちっともやっていなかったからだ。
視界の端では、何年も放置されたままの瓶の中で、マムシだけが静かに年を取っている。
それでも、私はそこにいた。教室に行くより、あの異質な特等席のほうが気に入っていたのだ。
朝、しょっちゅう部室の鍵を借りにいく私を、事務員さんはすぐに覚えてくれた。いつ行っても快く鍵を貸してくれるその優しさに甘えながら、教室へ向かう踏ん切りがつくまで、もしくはその日の宿題があらかた終わるまでそこで過ごした。
そうするしかなかったのだ。
大人になってから、特定の場所に逃げ込むことはなくなった。自分でいくらか環境を選べるようになったからかもしれない。相変わらず人が密集する場所は苦手だし、すぐお腹も壊すけれど。
今は外ではなく、頭の中に居場所を作る。考え方を整えてみたり、本を読んだり、こうして文章を書いてみたりすることも、その一つなんだろう。
教室にマイルームを構え、部室に逃げ込み、大人になって頭の中に引きこもる。進歩しているのか、していないのか。
白いカーテンは、今は内側にある。
持ち歩けるから、案外便利かも。
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