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小説 加藤清正 十(最終章)

    patent power

    第十章 大がかりなこと
    第一幕 天下泰平


    静謐な宵のことだった。清正は北政所に呼ばれ、聚楽第の奥の間へ通された。
     「秀次様の件──納得いきませぬな」
     清正が口を開いた。北政所は黙って、庭の灯籠の灯を見つめていた。
     「利休様、そして秀次様……二人とも、死なねばならなかったのか」
     「千の口を、塞がねばならぬ。そう言っておったそうね、利休は」
     「まこと、恐ろしい言葉です」
     北政所は振り返り、静かに清正を見つめた。
     「清正、そなたは生きよ。戦で死ぬな。」
     「……おふくろ様、もう天下は泰平でございます。戦で死ぬようなことは万に一つもございません。」
     「ただし、見よ。戦の裏に蠢く者たちが誰か。何を目指しておるのか。そなたがそれを記せ。後の世に“密事”を伝える者が要る」
     清正は、そのとき初めて北政所が政の中枢にいる存在であることを肌で知った。
    天正十五年(1587年)秀吉が九州を平定し、惣無事令が発令され、全国の大名に対して戦の全面的な停止と所領の安堵を約束してからのち、戦は全くなくなっていた。
    秀次の死までの穏便な治世も手伝って文治の概念が広く世の中に染み渡ったこともあり、世は泰平で好景気に沸いていた。
    ただし、そこに至るまでの「不審な死」は到底拭い去れるものではなかった。

    第二幕 大がかりなこと

    秀吉はイライラしていた。
    「治部少輔はまだ帰らんのか!」
    石田三成の官職名である。秀吉は二の丸の自室で扇をぱちぱちさせながら、近習者にやつあたりをしていた。
    「殿下、お待たせして誠に申し訳ございません」
    三成が汗もたくだく平伏しながら部屋に入ってきた。
    「待ちかねたどころではない! まだ口を塞がなければならない輩がおるのか!」
    三成は平伏したまま、
    「その通りでございます」
    と言った。
    「・・・虎か?」
    「・・・はい」
    「ことの次第を詳しく申せ」
    秀吉はちょっとさみしい涙目になりながら、畳の縁をみていた。
    「はい、先年の聚楽第の騒動での件、伊賀者に任せましたところ、その落書きを行った下忍が伊賀の里へ帰る途中に、清正公の手の者に捕らえられた由にございます」
    「それで、その下忍は口を割ったのか」
    「それが当初は一言も口を割りませんでしたが、袂に聚楽第への地図らしき走り書きの紙切れが入っており、その字が伊賀者特有の隠れ字であったことが疑心を呼び、「貴様が口を割らなければ、伊賀の里四つの村と村人、ことごとくわが軍勢にて攻め滅ぼす」と脅されてのち、仕方なく、事の次第を明らかにしてしまった由」
    三成は最後に顔をあげ、伊賀者への免謝を申し出た。豊臣政権の文官筆頭として、諜報機関との折衝はこれからも重要である。ここでつまずきを作っておきたくはない。
    「伊賀への懲罰は後回しじゃ。それより、虎はおねのもとに行ったぞ」
    「北政所様のところへ! これは・・・・」
    「うん。なにもかも喋っておろう」
    「・・・ど、どうされます殿下」
    「どうもこうもないわ。虎には死んでもらわねばならん。千の口は塞がねば!」
    「しかし、清正公は武芸の達人、織田家家臣団だったころから筆頭の腕前、また、護衛の者も十人前後、常におります。」
    「なんとかせえ! ここであやつが全部喋ったら、また戦になろう!惣無事令まで出して、天下に泰平をもたらしたわしの顔に泥を塗るつもりか!」
    「まさかそのようなことは、滅相もないことでございます。・・・しかし、おっしゃる向きごもっとも。すでにこの国に戦は起こりもうしますまい。ことここに至ってはご自身も警戒されておられるでしょうから、宴席での毒殺という訳にも参りますまいし・・・」
    「・・・おぬし、さっきなんといった?」
    「は? なにかお気に障ることを拙者もうしましたか」
    「いや、「この国ではもう戦は起こらん」といわなんだか?」
    「はい、確かにこのひのもとでの戦はもう起こり申しますまい、と確かに申しました」
    「・・・では、外の国で起こればいいのだ」
    「は!? 殿下いまなんと!?」
    「だから、惣無事令を出してから、戦が起こったのではわしの関白時代の名に傷がつく!しかし外の国との戦なら惣無事令に傷はつかんだろうが!」
    「・・・いやはや、確かにその通りでございますが・・・外の国と申されましても・・・」
    「虎がその戦で死んでくれたら、あとは金子を巻いて外の国と和議を結べばいいのだ! すぐに支度せい!」
    時は文禄元年二月、これが世に言う「秀吉の朝鮮出兵」であった。この出兵は国内で大変異論が噴出したが、もう関白・太閤とまでなった秀吉に逆らえるものはなく、惣無事令にも違反していないため政権への信頼も別段揺るがず、このまま何千、何万という人がまたしても戦争に駆り出されていった。たった一人の武将を始末するために。
    当然、ことの真相を最初から最後まで知ってしまった加藤清正本人の戦死が目的で始められた戦である。一番槍は加藤清正、ということになった。
    しかし・・・・
    彼は死ななかった。無類の戦上手で、結局、文禄の役、それに続く慶長の役の二度にわたって先陣を切らされ、しかも途中の補給作戦も石田三成の策謀でわざと失敗させられ、窮地に追いやられても、彼と彼の部下の一致団結した働きで、結局二度の外戦でも、彼は本土の土を踏んだのであった。

    第三幕 秀吉の死

    そうこうしている間に、事の真相のすべてを知っている人がまた一人、死んだ。
    秀吉本人である。
    梅毒とも痴ほうともいわれているが、判然としない。病死であったことだけは確からしい。
    結局、加藤清正を戦死させたいためだけに攻め込んだ朝鮮からはことごとく兵が引き上げられ、その中に加藤清正も存在し、結果彼は大坂城の二の丸の大広間に座ることなる。
    秀吉の葬儀のためである。
    「これまでにしてくれよな。戦は」
    誰かがそう呟いた。
    結果として二度にわたる朝鮮の役の終戦処理をしたのは、徳川家康であった。
    いまでも韓国では家康の人気は高い。
    その家康が清正に近づいて、こう言った。
    「全部話して、うちの来ないか」
    清正はもう、豊臣政権にはうんざりしていた。
    太閤殿下も亡くなった。北政所様も御出家された。もう自分の知っている豊臣政権時代は終わったのだと思った。
    思えば自分ももう三十六歳だ。中年だ。そろそろ安定の道を歩んでも良いと思うのだ。
    家康公は嫌いではないが、どこか三成のにおいがする。官僚っぽいところが。
    ちょうどこういう公家に京都であったことがあるな。とも思った。
    「・・・どうなんだ?」
    家康の返事に清正は二言返事で了と返した。 

                             (完)

     
     
     
    文明を技術と特許の目で読み解く文筆家。 AIとともに思考する特許技術者。 開発系OSINT。 未来を公開情報から読み解く人。 技術哲学者 外注できる知財部員。 patent power代表。

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