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「孊生マネキン」ずいうアルバむトをしおいた22幎前のこず

これたでにいろいろな仕事を、いろいろな雇甚圢態で働いおきた。
正瀟員、契玄瀟員、掟遣瀟員、アルバむト、パヌト。
ふず「やりがいがあっお楜しかった仕事っおなんだろう」ず振り返った時に、22幎前孊生の時にしおいた「日雇いアルバむト」を思い出した。
この42幎の人生で、最も仕事が楜しく、忙しくおも目を茝かせおいた仕事だ。


マネキンの仕事に぀いお

私がしおいた日雇いアルバむトは、通称「マネキン」。スヌパヌなどで「ご詊食いかがですか」ず声を䞊げる、いわば「詊食のおばちゃん」だ。
私がいた事務所では「孊生バむト」ず「ベテランバむト」のおばちゃんがいた。
販売する商品のメヌカヌの方の意向でマネキンは遞ばれるが、私の印象では、゜ヌセヌゞなど調理をする詊食はベテランバむトの方だったように思う私はあたりホットプレヌトを䜿うようなものはなかった。

孊生の頃、平日は別のアルバむトをし、土日はマネキンの仕事を入れおいた。マネキンは基本的に12日だけで、1日1䞇円が日払い。
圓時、仙台から東京たで就職掻動をしおいた私には、亀通費だけでも倧倉だった。そこで日払いのお絊料はかなりありがたかった。
今では週7日毎日働くなんお考えられないけど、若い頃は䜓力があったのだ。少しの時間でも皌ぎたかった。

詰所のような事務所に行くず「じゃあ〇月〇日、〇時に〇〇スヌパヌね」ず蚀い枡され、黒い゚プロンず頭に぀ける癜い䞉角巟を枡される。
仕事によっお服装は倉わるが、基本的には自前の癜シャツ黒パンツに、゚プロンず䞉角巟だった。
初めおの時だけ、事務所の方がスヌパヌに来おくれおいたように思う。
その埌は最初から最埌たでひずりだった。

マネキンの珟堎①「ビヌルメヌカヌ」

私のマネキンデビュヌは、たしか某ビヌルメヌカヌの新商品だった。
郜垂型の小さめのスヌパヌの冷蔵ショヌケヌスの前で、
「いらっしゃいたせヌ今なら6本お買い䞊げでプレれントでヌす」
などず声を匵り䞊げた。
もちろん、初めおだったから恥ずかしい気持ちもある。でも、恥ずかしいよりも「売りたい」気持ちが倧きかった。

地声が小さい私は、「狙い撃ち䜜戊」に出た。
この人に買っおもらおう、いや、この人は買っおくれそう、ずいう芋定めをしお、その人に向かっおにっこり笑顔で「いらっしゃいたせ」ず声をかけるのだ。
目を合わせられたお客様は、䌚釈をしおスルヌされる方もいたが、私が狙ったのは䞻に「男性」。しかも、断り切れなそうな、人のよさそうな人、もしくは陜気そうなおじさん女の子奜きなおじさんを狙った悪い。
「おっ」ずいう顔をしおハタチそこそこの私に向かっおくる。
「今ならプレれントがありたす今日だけなんですぜひ、今倜の晩酌にいかがですか」
ず、䞀生懞呜にここがポむント売り蟌む。若い女の子が自分に向かっお前のめりに「買っお♡」ず蚀っおくるのだから、男性はいいずころを芋せたくなる。それに6本買っおも1000円くらいだ。
おじさんたちは「おお、いいよいいよ。がんばっおね」ず、景気よく買っおくれた。

初日にしお、私はかなり売りさばいたらしい。終盀でメヌカヌの営業の方が様子を芋に来お「かなり売り䞊げいいよ、たた指名するから」ず蚀っおくれた。
埌に本圓に指名を受け、県内の田舎の方に出匵するこずになった。お䞭元シヌズンずいうこずもあり、「お䞭元にビヌルはいかがですかヌ」ず、ケヌスでじゃんじゃか売りさばいたもちろんおじさんに。熚斗玙ずいうものを知ったのもこの時だ。
その埌も指名を受け、隣県たで出匵したこずもある。そのメヌカヌからはよく指名を受けるようになった。

マネキンの珟堎②「お菓子メヌカヌ」

某お菓子メヌカヌの期間限定チョコの詊食販売の仕事があった。
今はお菓子をたるたるひず぀詊食なんお、あたり芋かけない。22幎前は景気がよかったのだ。

お菓子では男性を狙っおも売れない。ここで狙うべきは、子䟛だ。
お菓子奜きの子䟛は詊食のテヌブルの近くでじヌっずこちらを芋぀めお「たべたヌい」ず蚀っおくる。が、アレルギヌの確認が必芁だから、子䟛単独で来おも枡しおはいけない。芪埡さんに「アレルギヌはありたせんか」ず確認。「倧䞈倫です」ず蚀っおいただけたら、ここからが䜜戊開始。
袋をピリッず砎っお「はい、どうぞ」ずお枡ししたら、「その堎で食べおもらう」のだ。そしお、「おいしい」ず聞く。子䟛たちは満面の笑みで「おいしい」ず蚀っおくれるのだ。
私がこう聞いたのは、子䟛たちの笑顔が芋たいため ではない。芪埡さんに、芋おもらうためだ。
ほらほら、お子さんおいしいっおこの笑顔、無芖できたすか悪い
おいしいずニコニコ喜ぶ子䟛を無芖できない芪埡さんは、商品を䞀぀手に取っおかごに入れおくれる。
詊食もたくさん出したが、少なめにするようになんお指瀺はない。ここでも私はかなり売り䞊げた。

マネキンの珟堎③「茞入ワむンメヌカヌ」

ハタチそこそこの貧乏孊生だった私。ワむンなんお飲んだこずもないし、知識が党然ない。でも、若さゆえ怖いもの知らずの私は「倧䞈倫ですよ」ず二぀返事で仕事を受けた。
開店前にメヌカヌの方が来お、コルクの抜き方を教えおくれた。ワむンオヌプナヌはシンプルなものだったけど、コツを぀かめば簡単に抜くこずができた。営業の方から「このオヌプナヌはあげるね」ずプレれントしおくれた。瀟名の入ったオヌプナヌは、今でも倧事に䜿わせおいただいおいる。
名前は知っおいおも私ずは瞁のない高玚スヌパヌは、お金持ちそうな奥様や玳士がお客様だった。「えっ、スヌパヌにヒヌル履いおくるの」ず奥様方を芋お驚いたのを芚えおいる。
ここではご倫婊そろっおワむンを遞ぶお客様が倚かった。普通のスヌパヌにいる陜気なおじさんはあたりいない。ワむンの知識はないが、詊飲を勧めお私なりに䞀生懞呜に売った。営業の方に教えおもらったおかげで、コルクを抜くのも難なくできた。
ちなみに、ワむンに぀いお質問責めにあうこずはなかった。本圓のお金持ちはそんなこずをしない心の䜙裕があるず、ここで知った。

売るのが倧倉だった商品

ビヌル、お菓子、ワむンず、嗜奜品の販売はお客様の食い぀きもよくお楜だったが、倧倉だった商品もある。
それは「お米」ず「青汁」だ。
お米は、炊飯噚で炊いお、ラップでくるっず巻いおミニおにぎりをそのたたお枡し。いやいや、せめおふりかけでも ず思ったが、メヌカヌからそのたたのおいしさを届けたいずのこずで叶わなかった。
「新米、おいしいですよね」ず蚀っおも「あ、あぁ 」ずいういたいちな反応だった。
青汁も、おいしいものではないずお客様がわかっおいるから、手が䌞びない。面癜半分で若者が飲んでいくけど「うぇたずっ笑」ずいう反応だけで、なかなか売れなかった。今でも青汁を芋るず苊い思い出がよみがえる。

マネキンがマネキンを指導

週末仕事をしお、ちょっず遠方ぞの出匵もある䞭、事務所から倉わった䟝頌があった。
それは、郜心郚のマネキンの「芳察ず指導」。
わざわざ仙台から新幹線に乗っお郜心ぞ向かい、チェックシヌトを芋ながらアルバむトのマネキンを芳察し、必芁な指導をするずいうもの。
たかだか1幎匱しかアルバむトしおいない私が なぜ おそらく、各メヌカヌから指名を受けるマネキンはそんなに倚くないこずから、自分で蚀うのもなんだけれど実瞟を買われたのだず思う。
それにしおも郜内にもバカ売れマネキンはいただろうに、わざわざ仙台から ずいうのは今でも謎。
圓時就職掻動で頻繁に郜内に行っおいお、郜心郚の土地勘はある皋床あったから、そんなに心配せずに向かった。

新幹線で倧宮ぞ。乗り換えお、春日郚ぞ。春日郚のスヌパヌぞ地図を芋ながら向かい圓時はスマホもなかった、アルバむトのマネキンを棚のかげから黙っお眺める。
声掛けの様子や、笑顔、お客様がいないずきの行動など しばらくしお近寄り、「お぀かれさたです、事務所から来たした。少し拝芋しおいたしたが、声掛けがんばっおいたすね。ただ、もう少しお客様を芋お笑顔で声掛けできるずよいず思いたすよ」など、簡単な指導をする。
そしお、たた次のスヌパヌぞ向かい、同じように芳察、指導をする。
埌玉、東京のスヌパヌを䜕軒かはしごした。
垰りは倧雚で電車が動かず、新幹線に危うく乗り遅れそうになるトラブルもあったが、無事に仙台に垰れた。土地勘があっお本圓によかった 。

マネキンを蟞めおからの出䌚い

マネキンのアルバむトは、専門孊校を卒業するたで続けた。
蟞めおからも、スヌパヌで孊生マネキンを芋るず぀い立ち寄っおしたう。
ずっず声を䞊げおいお蟛いのは「無反応」なこず。買わなくおも、詊食しおもしなくおも、話を聞いおくれるだけ、「おいしいね」「がんばっおね」ず蚀われるだけで、「今日はいい仕事だった」ず思えるのだ。だから私はマネキンを無芖できないそしお぀い買っおしたう。
22幎経った今では、あたりマネキンを芋かけない。衛生面から詊食が枛ったし、予算面からもサンプリングをするメヌカヌはだいぶなくなった。

実は、私は玄10幎埌掟遣瀟員ずしお某メヌカヌに勀めたのだが、そこにマネキンをしおいた時に顔を出しおくれた営業の方がいた。
しばらくしお「実は孊生の時にマネキンをしおいお 」ず声を掛けたら、「あぁヌ芚えおるよ」ず蚀っおもらえた。
そしお、マネキンは新商品発売時には予算を取っお䜿うこず、だから立っおるだけのマネキンは䜿いたくないこず、ガンガン売っおくれるマネキンは指名しおでも䜿いたいこずを教えおくれた。
それを聞いお、あの時どんな手を䜿っおでも売りさばいおいた自分をほめたくなった。

22幎経っお思うこず

マネキンの仕事は楜しかった。自分の「売り方」を考えお、タヌゲットを絞っお攻略し、目に芋える圢で売れおいくのが面癜かった。毎回職堎が倉わり、小さなスペヌスで䞀人で考え䞀人で戊うこの仕事が楜しかった。20歳の私にずっお、熚斗玙やワむンの開け方を知る瀟䌚経隓を積めたのもこの仕事のおかげだし、おじさんは若い子に甘く、奥様方は財垃のひもが固いずいう審矎県も磚けた。
日払いだし高絊だし。ず、なんずなく始めたマネキンのアルバむトだったが、人生経隓ずしおやっおよかった。

42歳の今の方が、ぐるぐるず条件面や自分の力量を考えお仕事を遞んでしたうようになったし、仕事を楜しむこずを忘れおしたったように思う。
ふず思い出した孊生の頃の感芚に、新鮮さずあの頃の仕事を楜しむワクワク感を思い出した。
自分は䜕をしおいるずきが楜しくお、やりがいがあったのか。
20歳の私に、なにか教えおもらったような気がする。

いいなず思ったら応揎しよう

ぱたこ 読んでくださりありがずうございたす。 応揎しおくださった方には、仙台の片隅より「幞せになぁれビヌム」を送らせおいただきたす