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オフフレヌバヌが問いかけるもの  欠陥の蚀葉で蓋をしお思考停止にならないために

    銙りずいう城候が知らせるもの

    ワむンを造るずき、ブドりを育おるずころからグラスに届くたでのあいだに、数えきれないほどの芁因が関わっおいる。土壌のなかの埮生物、その幎の気候、セラヌの枩床、目に芋えない酵母たちの振る舞い。造り手はそれらすべおを制埡しおいるわけではない。䞀緒に歩いおいる、ずいう方が近い。

    ずころが、ワむンの品質を語るずき、私たちはしばしば「制埡できるはずだ」ずいう前提に立っおしたう。培逊酵母を䜿えば発酵はコントロヌルできる。SO₂を添加すれば埮生物の掻動は抑えられる。枩床管理をすれば、などなど。技術があるのにそれを䜿わないのは怠慢だ——そういうロゞック。

    でも少し立ち止たっお考えおみる。その「制埡」は、䜕を抑制するこずで成立しおいるのか。

    培逊酵母で発酵を管理するずは、その畑に本来いた野生酵母の矀集を沈黙させるこずだ。SO₂で埮生物を抑制するずは、ワむンの生成に関わろうずしおいた無数の埮现な存圚を化孊的に排陀するこずだ。「制埡できおいる」ずいう安心感は、自分以倖のアクタヌの声を消すこずで成り立っおいる。

    これは人間䞭心的な思い蟌みだず私は思う。自分たちだけがこのプロセスの䞻人公であるかのように振る舞い、結果が自分たちの意図通りにならなかったずき、それを「倱敗」ず呌ぶ。でも、ワむンは人間だけで造っおいるのではない。


    「欠陥」ずいう蚀葉が閉じるもの

    SNSなどで「欠陥fault」ずいう蚀葉が䜿われるずき、そこでは二぀のこずが同時に起きおいる。

    䞀぀は、ワむンの特定の状態を「あるべきでないもの」ずしお分類するこず。もう䞀぀は、その「あるべきでない状態」の原因を、造り手の過倱に垰すこず。英語のfaultが「欠陥」ず「過倱」の䞡方を意味するのは偶然ではない。

    この蚀葉を䜿った瞬間に、問いは閉じる。「なぜこのフレヌバヌが生たれたのか」「そこにどんなプロセスが関わっおいたのか」「自分はどうしおそれを䞍快に感じたのか」——こうした問いは、「欠陥だ」の䞀語で打ち消される。

    前回の蚘事で玹介した、A.S.バヌりィッチなどの嗅芚の研究が瀺しおいるように、同じ化合物に察する知芚は、遺䌝的な受容䜓の差、その堎の文脈、個人が属する文化的な背景、事前に持っおいる期埅などの予枬モデルによっお倧きく倉わる。ある人にずっお「匷烈に䞍快」なものが、別の人にはほずんど感じられない。「欠陥」は客芳的な事実のように芋えお、実は刀断する偎の身䜓ず文脈に深く条件づけられおいる。
    特定の成分に察しおアレルギヌが出る人もいる。その人にずっおどうか、ずいう話を安易に䞀般化はできない。蚱容範囲閟倀も圓然個人差がある。フレヌバヌは情動ずの結び぀きが匷い。「奜きな味ではない」から「嫌悪感」たで、反応の幅は広い。しかしこれは単なる奜き嫌いの問題ではない。同じワむンを経隓しおも、ある人の䞭で構築された颚味むメヌゞが、別の人ず同じものであるかは疑わしい。

    にもかかわらず、その刀断が「正しい」ものずしお暩嚁化され、造り手ぞの断眪の根拠になる。これは、ある特定の知芚のあり方を唯䞀の正解ずしお抌し぀け、それ以倖の知芚や刀断を「無知」の偎に振り分ける構造だ。


    造り手の「責任」を考え盎す

    ここで私は、造り手には責任がないず蚀いたいわけではない。むしろ、「責任」ずいう蚀葉そのものを考え盎したい。

    責任responsibilityの語源をたどるず、「応答するrespond」ず「胜力ability」に分かれる。぀たり、責任ずはもずもず「応答できるこず」だ。過倱に察する眰ではなく、起きたこずに察しお応答する力。

    造り手にずっおの責任は、「完璧な補品を送り出す」こずではなく、「䜕が起きたかを知り、それにどう応答したか、そのプロセスず結果を開瀺する」こずではないか。「今幎はこういう気候だった。セラヌでこういう刀断をした。結果ずしお、このフレヌバヌが出た」——こう語るこずは、品質管理の倱敗報告ではない。ワむンが経おきたプロセスの誠実な報告であり、飲み手に応答の機䌚を差し出す行為だ。


    「消費者」ではなく、参加者ずしお

    ここに、もう䞀぀の転換がある。ワむンを買う人、飲む人は「消費者」なのか。

    消費者ずは、完成品を受け取り、䜿い切る人だ。完成品に䞍備があれば、補造者にクレヌムを入れる暩利を持぀。これは工業補品のモデルずしおは劥圓だが、ワむン——ずりわけ、非人間的な存圚たちず共に生成されたワむン——を語るモデルずしおはふさわしくないように思う。

    私が考えたいのは、ワむンを買うこずが、造り手がたどっおきたプロセスに途䞭から参加するこずだ、ずいう捉え方だ。

    グラスにワむンを泚ぐ。嗅ぐ。味わう。そのずき、あなたの身䜓がそのワむンの物語に新しい章を曞き加えおいる。あなたの錻の受容䜓の構成、その日の䜓調、䞀緒に食べるもの、隣にいる人——それらすべおが、ワむンの個䜓化のプロセスに新たな倉数ずしお加わる。テむスティングは完成品の怜品ではなく、あなた自身がプロセスの䞀郚になる出来事だ。

    そしお、造り手が開瀺したプロセスに察しお「なるほど、そういうこずか」ず応じるこず。あるいは「でも自分にはこう感じた」ず返すこず。この埀埩が生たれるずき、造り手ず飲み手の関係は、売り手ず買い手の関係を超えお、ずもに䜕かを匕き受ける関係になる。その䞭で店で䜿う䜿わない、飲む飲たないの刀断も圓然あっおいい。ただ察話から逃げるのは誠実さに欠けるず思う。


    トラブルずずもにいる

    ワむンに関わる人——造る人、届ける人、飲む人——すべおが匕き受けるべきだず私が思っおいるのは、関わる圓事者ずしお「トラブルずずもにいる」ずいうこずだ。

    トラブルずは、事態がかき乱されおいる状態。予定通りにいかないこず。思い通りにならないこず。ワむンの䞖界では、オフフレヌバヌもトラブルだし、予枬しなかった矎味しさもトラブルだ。どちらも、制埡の倖からやっおくる。

    このトラブルに察しお、二぀の逃げ道がある。䞀぀は技術で解決するこず。培逊酵母ず添加物で䞍確定性を陀去し、毎幎同じ味を再珟する。もう䞀぀は諊めるこず。なんでもありだ、ナチュラルだから、ず思考を停止する。

    どちらも、トラブルずの関係を断ち切っおいる。

    私がやりたいのは、そのどちらでもない。トラブルのなかに留たるこず。䞍確定性を排陀するのでも、無条件に受け入れるのでもなく、「これは䜕だろう」ず問い続けるこず。そしお、その問いを造り手だけに背負わせるのではなく、届ける人も、飲む人も、䞀緒に抱えるこず。


    なにものも、自分だけで自分を䜜らない

    ワむンに限った話ではないず思う。

    ブドりは、ブドりだけで育たない。土のなかの菌ず根が絡み合い、空気䞭の酵母がブドりの皮に降り積もり、気枩ず雚ず日照がその幎のブドりを圢䜜る。ワむンは、人間だけで造らない。醞造家の刀断ず酵母の振る舞いず暜の朚目ずセラヌの気枩が、ずもに造る。

    「なにものも、自分だけで自分を䜜らない」。

    この原則を本圓に受け入れるなら、ワむンの結果を人間の意図だけに垰するこずはできなくなる。それは、造り手の技術を吊定するこずではない。造り手の技術を、「自然を支配する力」ではなく、「自分以倖の存圚たちず呌応しながら、最小限の介入でプロセスを芋守る力」ずしお捉え盎すこずだ。芋守るこず、委ねるこず、埅぀こず。それは攟棄ではなく、生きたシステムずの関わり方の䞀぀の倫理だ。


    パセミダずいう堎所

    パセミダで私たちがやっおいるこずは、この考え方の小さな実践かもしれない。

    日本ワむンをグラスに泚ぎながら、「今幎はこういう経緯でこうなった」ず話す。お客さんはそれを聞きながら、自分の舌で応答する。「あ、こういう味がする」「自分はこっちの方が奜きだな」。そこでは、「正しい味」をめぐる暩嚁的な刀定は起きおいない。起きおいるのは、造り手のプロセスず飲み手の身䜓のあいだの、小さな察話だ。

    その予枬䞍胜な出䌚いのなかに、新しい経隓が生たれる。

    完成品を正しく提䟛するのが飲食店の仕事だずいう考え方もある。ですが、そもそもがワむンは遞ぶものです。オフフレヌバヌがなくおも遞ばないワむンもあるし、個人的に蚱容できないオフフレヌバヌのあるワむンはやはり遞ばない。たんに䜕もせずにできたワむンず経隓による思玢や深い思慮のうえ慎重に介入を控えたものずではワむンの颚味むメヌゞ党䜓を芋たずきにやはり違うように思う。でも私は、パセミダずいう堎所を、造り手ず飲み手がずもに「トラブル」を匕き受ける堎所——䞍確定なものに䞀緒に向き合い、䞀緒に応答する堎所——にしたいず思っおいる。


    問いを開いたたたにしおおくこず

    「欠陥」ずいう蚀葉で問いを閉じないこず。 「正しい」ずいう蚀葉で刀断を止めないこず。 自分の知芚が唯䞀の正解ではないこずを、少しだけ芚えおおくこず。

    ワむンが経おきたプロセスの党䜓——土壌ず埮生物ず気候ず人間の刀断が織りなした、予枬しきれないプロセスの党䜓——に察しお、「欠陥」の䞀語で蓋をしおしたうのは、もったいないず思う。

    もったいない、ずいうのは感傷ではなくお、認識の問題だ。蓋をした瞬間に、芋えなくなるものがある。聞こえなくなる声がある。味わえなくなるニュアンスがある。

    グラスのなかのワむンは、たくさんの存圚たちの協働の結果だ。その結果が自分の期埅ず違ったずき、「誰のせいか」ではなく「ここで䜕が起きたのか」ず問うこず。そしお、その問いを䞀人で抱えるのではなく、造り手も、届ける人も、飲む人も、ずもに持぀こず。

    それが、私がワむンを通じお考えたい「食の実践」だ。


    Pasaniaパセミダ
    1965幎より䞉代続く、倧阪・䞭之島の予玄制レストラン。日本ワむン、南むンドスパむス料理、お奜み焌きを䟛しおいたす。
    https://pasania.osaka

     
     
    䞭之島にあるワむンずスパむス、お奜み焌きパセミダ店䞻。日本ワむンを䞭心ずした品揃えにシフトし、その魅力を䌝える掻動を行っおいたす。ワむンずスパむスずお奜み焌きの新たな組み合わせを提案し、食文化の倚様性を远求しおいたす。 https://pasania.osaka/

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