好きを貫いて生きていけ
小さいころから「女の子らしいもの」が苦手だった。
室内で同じ年頃の子がおままごとで遊んでいる傍らで、屋外で他の子たちと川の中にざぶざぶ入って石を積み立てて遊んでいた。
いかに石を高く積み上げられるかに毎日本気を出していたので、今も浅瀬の川を見ると入りたくなってしまう。変な形の石も、長めの木の枝だって今も好きだ。
お人形遊びより外で遊ぶ方が性に合っていたのだと思う。苦手の始まりが何だったかは、もう覚えていない。
とはいえすべてが苦手というわけではなく、よく女の子向けの児童文学を読んでいた。ラメ加工されているキラキラの表紙も、ぱっちりとした目がかわいい女の子の挿絵も好きだった。
毎月おこづかいを握りしめて買うのはコロコロコミックや週刊少年ジャンプだったけど、たまにちゃおを買うこともあった。アニメのCMで流れていた、ビーズを入れてハンドルを回せばアクセサリーができるおもちゃが欲しかったこともあった。あれって今でも売ってるのかな?
自分でも不思議な程に、その境界は曖昧だった。今はある程度把握しているが、まだはっきりと自覚していなかった頃は、ここから先は無理だけど、ここまでなら平気、のラインが分からなかった。
だから、「嫌い」ではなく「苦手」なだけだと思っていた。
たまたま自分の好きなものに「男の子らしいもの」が多かっただけで、自然と与えられる「女の子らしいもの」に手が伸びなかっただけ。そう思っていた。
他の男の子たちに交じって遊んでいても、力の差が分かるようになってきた頃、周りの子が「女の子らしいもの」を普通に受け入れていることに気付いた。みんななんてことないように可愛い服を着て、好きな男性アイドル話で盛り上がっている。
決してハブられていたりイジメられていたわけではないけど、なんとなくの疎外感は感じていた。そして誰のせいでもなく、それが自分の要因のせいだというのも、ひしひしと感じ始めた。
クラスメイトの真似をしてみれば、みんなと同じになれるのかな。
そう思って試しに何度かスカートを履いてはみたものの、上手くいかなかった。鏡に映る自分を見てこれは違う、と思った。
休み時間、女の子が教室で絵を描いて、男の子が外でドッチボールをする中、どっちに行っても馴染めていないような気がした。
もしかして生まれてくる性別を間違えたんじゃないか?
なんて疑問が生まれたのもその頃だった。
小学校高学年になって、家庭科の授業の一環で裁縫セットを購入することになった。
その時自分は少し悩んだ末、あのドラゴンの裁縫セットを選んだ。
理由は単純で、かっこよかったから。
ここで本来なら「女の子らしいもの」を選ぶべきだったかもしれない。でもどうしても選べなかった。かっこいいと思ったのは本当だけど、「女の子らしいもの」を選べなかったから、ドラゴンを選んだ、とも言える。結果だけ見れば、消去法とも言えるだろう。
でもそっちのほうが「らしい」、と思ったんだ。
ドラゴンがいいと伝えたら、母には苦笑されたけど、反対されることはなかった。「それを選ぶと思ったよ」とすら言われた。
手元に届いて実際に使うようになっても、誰にも驚かれなかった。
気恥ずかしさや浮いているような感覚は確かにあった。それでもかっこいい方がいい、「らしい」方がいいんだという気持ちの方が勝っていた。
あの選択を後悔したことはないし、家族や当時のクラスメイト含め、誰も茶化さないでいてくれたことに本当に感謝している。
という話を、実は先日、
ある方にお話する機会があった。
緊張して伝えたいことを全部話せなかったけど、あなたのように自分もみんなと違うものを選んだ。実家を出るタイミングで一緒に持ってきて、今も使っているんだ、と。
その方はうんうんと話を聞いてくれ、一言当時の思い出を話されたのち、すがすがしい笑顔でこう言ってくれた。
「好きを貫いていて素晴らしい!」
胸をぎゅっと掴まれたような感覚があった。
帰りの電車の中、何度も頭の中でその言葉を咀嚼した。
「女の子らしい」ものは今も苦手だ。
生まれてくる性別を間違えたかもしれないという気持ちは消えずにずっと残っている。
大人になってから服やメイクを齧っても、自分の理想のかっこいいに、自分の身体は程遠い。どれだけ手を伸ばしても届かない。
でも迷いながらも好きを貫き続けた先で、今の生き方になったのなら、一生手が届かなくてもいいかもしれないと思う。
それと上手く付き合う方法を、今の自分は知っている。
この身体もこの思いも紛れもない自分自身なのだから。
ガラスの靴を履いてドラゴンの剣を握りしめたって良いでしょうよ、と。
ガラスの靴も勇者の剣もここで装備していくから見ててよ
