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小説ゆらぎ あたりにもあいたいな  もうひず぀の「䞉井䞉池争議」前/埌線党文

                                       芁玄
     
    前線
     巧くんは、戊埌最倧の劎働争議、革呜前倜ず蚀われた䞉井䞉池争議のさなか、劎組の解攟区ず化した炭鉱䜏宅炭䜏で、赀旗の波、劎働歌・むンタヌナショナルを子守歌にしお育ちたした。
     父は、向坂孊校劎組の瀟䌚䞻矩の孊校の優等生を自称する「瀟䌚䞻矩者」でしたが、母は、炭䜏の䞉池䞻婊䌚から匷制動員される集䌚・デモが倧嫌いでした。
     幌児の巧くんは、衚舞台の争議の裏で、極限状態の人間の姿・「死」に遭遇し、幌児でした。
     母は、父を説埗しお、原則的な第組合、䞉池劎組から脱退させお、䌚瀟が捏ち䞊げた第組合掟圓初準備段階に転向させたした。
     それに報埩するかのように、父は、安月絊をバヌ・キャバレヌ・パチンコ・賭け事・女に䜿い果たし、極貧状態の母ず巧は、自殺寞前たで远い蟌たれたした。
     䞉井䞉池争議の最倧の山堎、「ホッパヌ決戊」盎前、䌚瀟からの工䜜で、東京本瀟「栄転」を受け入れ、第組合を裏切りたした。
     結局、䞉井䞉池争議は、第組合が䞍圓解雇を受け入れお党面敗北で終わりたした。「去るも地獄、残るも地獄」ず蚀われたしたが、文字通りになりたした。
     東京本瀟勀務開始盎埌、䞉池炭坑䞉川鉱炭塵爆発事故が起き、即死者458名、䞀酞化炭玠䞭毒CO䞭毒患者839名怍物状態ずなりたした。皮肉なこずに、「職堎死守」を掲げお第組合員ずゲバ棒で乱闘たでした第組合の劎組員が倧倚数でした。
     その埌、父の、母に察する暎力・酒乱は䞀局酷くなりたした。

    埌線
     成人した巧くんは、東京䞞の内のドむツ系䌁業に入瀟したした。意に反しお、劎働争議に巻き蟌たれたした。䌚瀟からの熟烈な組合朰し攻撃を受けた埓業員組合の執行委員のひずりの女性の涙ず、炭鉱䜏宅炭䜏で、赀旗の波、劎働歌・むンタヌナショナルを子守歌にしお育った巧くんの、理性ではどうしようもない深局からの自然な決断でした。
     しかし、共産党系の劎働運動の非人間的なやり方に抗議しお単身決起した巧くんを埅っおいたのは、瀟倖の、組合察策の劎務屋の指導䞋の䌚瀟のみならず、共産党系の劎組組織からも熟烈な攻撃を受け、粟神砎綻寞前迄远い蟌たれたした。
     この状況で耐えられたのは、巧くんの幌児原颚景である赀旗の波、劎働歌・むンタヌナショナルず、あのキツさよりも楜ずいうでした。
     結局、巧くんの単身決起は、東京地裁・高裁・最高裁の連戊連勝・党面勝利を梃子にしお、職堎ず地域に原則的な合同劎組を誕生させたした。「階玚的」にも、完璧な勝利でした。
     しかし、それは同時に、転向し、第組合・䞉池争議を裏切った父・母の䟡倀芳ずは正反察の「勝利」でした。父にずっおは、倧きな「負い目」を芋せ぀けられる巧の「勝利」でした。「地獄」が、䌚瀟から家庭に移りたした。巧の父は、圓時は分かりたせんでしたの孫に向かっお、父芪巧を悪し様に蚀い、父子の反目を画策したした。
     幎にも亘るドむツ系䌁業での劎働争議で、ふたりのスピリチュアルの垫ず出遭いたした。それは、前線で描いた幌児を契機にしお巧が持っおしたった持たされた「存圚」そのものに察する疑問・問題をもカバヌする出遭いでした。
     幌児前線、ドむツ系䌁業での劎働争議埌線は、それらを貫く「存圚」の問題ず栌闘するための勇気を䞎える、重芁なスピリチュアルの垫ず遭遇するための必然的な運呜だったこずに気付きたした。
     それず同時に、ふたりの垫ずの出遭いは、赀旗の波ずむンタヌナショナルずシュプレヒコヌルの巧の原颚景、巧にずっお疑いようのない正矩だった瀟䌚䞻矩そのものに察する「ゆらぎ」ず、別の芖点の獲埗でした。
     組織家庭、䌚瀟、劎組・・の䞭で䜓隓した、人間の行動を「メタ」぀たり客芳芖するこずは、今の䞖界のカオスを芋る際にも圹立぀ものです。
     人間の心の「ゆらぎ」を、教条的なむデオロギヌは人間の匱さず捉えたすが、それは決しお「匱さ」ではなく、人間の「自然」な本性なのだず巧は気付きたした。
     父・母、特に父に察する絶望的な皋の吊定の心は、父の「ゆらぎ」ずしお、巧は「吊定」ではなく、「これが人間なんだ」ず思えるようになりたした。その埌に残ったのは、父の枩もりだけでした。
     それず同時に、家族ずか組織ずか䌚瀟ずか劎組ずか囜家ずか・・よりも、『個』ず『個』の関係、ひずりの人間ずひずりの人間の関係、しかも、実存的な深局での真の関係の方がずっず倧切なのでは・・ずいう思いが募っおきたのです。䜆し、それさえも、ゆらぐこずでしょう。

     ゆらぐのが人間なんだし、ゆらぐのが歀の䞖の自然なんだず思えるようになったのが、巧の物語の教蚓なのかもしれたせん。あたりにもあいたいな・・・。
    *******************************************************************   
                                       はじめに    

     ひずは、普通、䜕歳頃迄、蚘憶を蟿るこずができるのでしょうか あたりにも倧きな事件・衝撃が刺激ずなっお、幌い頃の蚘憶が残り続けるずいうこずが有り埗るのでしょうか

     故、歳の蚘憶が残っおいるず蚀ったら、嘘぀きず蚀われるでしょうか

     断片でしかありたせんが、歩き始めた幌児が䜿う手抌し車の玩具「カタカタ」ず呌んでいたかずをひっくり返しお、車を手で回しおいる自分を芚えおいるのです。これは、明らかに熊本県荒尟垂の炭䜏です。歳頃です。 それず、蛙が啌く田圃の畊道に座らされおいる自分を芚えおいるのです。これは、明らかに熊本県玉名郡の母の実家です。確実に歳です。がわヌっずしたむメヌゞではなく、はっきりした蚘憶ずしおです。 ただ、それだけです。䞀瞬のむメヌゞずしお。

     発病時点で、幌い頃の䜕らかの蚘憶が残っおいお、それが故、匕き摺っお長期蚘憶ずしお残っおいるずいう解釈は可胜でしょうか

     「忘れる」ずいうこずは、人間に䞎えられた利点なのかもしれたせん。忘れられない皋、䜕床も䜕床もくり返しくり返し想起しおしたわざるをえないネガティブなむメヌゞの蚘憶がなのかもしれたせん。 コンピュヌタメモリの様にDELETEしおしたえれば、ずいう「病」もないのかもしれたせん。それができれば、どれほど楜なのに、ず思っおしたいたす。 「忘れる」ずいうのは、人間の粟神が安定し続けるための仕組みなのかもしれたせん。 そういう意味では、は、必然的になのかもしれたせん。生たれ぀き、倖界に察する「感床」がよすぎるずいう病

     いずれにせよ、小説「ゆらぎ」は、そんな蚘憶から始たりたす。

                  This happened for a reason.     Gaga


    画像
    炭䜏倧平瀟宅

    

            小説ゆらぎ

              前線




     あたりにもあいたいな  もうひず぀の「䞉井䞉池争議」

             たえがき ・・・

     戊埌最倧の劎働争議、革呜前倜ずたで蚀われた「䞉井䞉池争議」、その敗北ず、盎埌に起きた「戊埌最悪の炭鉱事故・劎灜事故」ず呌ばれた䞉井䞉池䞉川炭鉱炭塵爆発事故・・それにより、死者458名、䞀酞化炭玠䞭毒CO䞭毒患者839名怍物状態を出したした。この倧事故は、「䞉井䞉池争議」の垰結でした。

     5060幎代に起きた、この䞀連のできごずは、その埌の日本の基局を圢䜜りたした。
     「総評」の解散→劎働運動の埡甚化(「連合」)ず政治の右傟化、石炭から石油・原子力(その而二䞍二ずしおの「自然」゚ネルギヌ)ぞの゚ネルギの転換、䞖界的な「瀟䌚䞻矩」の倉質、そしお、カオス・䞖界同時倚発戊争の時代ぞ・・。
     わたしたちは、どこに行こうずしおいるのでしょうか

     この歎史の陰で、劎働争議、瀟䌚䞻矩、そしお、歎史に翻匄されたひず぀の家族がいたした。

     その生き様は、
    「近代化」ずは䜕か
    「䞉井䞉池争議」ずは䜕だったのか
    「劎働運動」ずは䜕か
    「瀟䌚䞻矩」ずは䜕か
    「䞉井䞉池䞉川炭鉱炭塵爆発事故」ずは䜕だったのか
    「5060幎代の日本」は䜕だったのか
    を問うのみならず、
    「人間」ずは䜕か
    「芪子」ずは䜕か
    「家族」ずは䜕か
    「死」ずは䜕か
    「生」ずは䜕か
    「性」ずは䜕か
    ほんずうの「愛」ずは䜕か
    ほんずうの「誠実」ずは䜕か
    ほんずうの「幞せ」ずは䜕か
    「魂」ずは䜕か
    「䞖界」ずは䜕か
    ・・・
    を問い盎すものでもありたす。

     前線では、「䞉井䞉池争議」前倜䞉井䞉池䞉川炭鉱炭塵爆発事故を䞀本の糞ずしお、その糞の揺らぎに翻匄された、ある家族の姿を、「幌児こども」の芖点から衚珟しおみたいず思いたした。
    2024.10.15
     

    

       花火

     父は、珍しく酒に酔っおいた。普段めったに飲たない人なのだが。

     ゆったりず、父手䜜りの倕食を食べながら倏の花火を芋た。
    小さな町なので、自宅のデッキから海で䞊げる花火が芋えた。地の利か、東京湟沿岞で䞊がる花火が、䜕カ所かで同時に芋えた。暪須賀、逗子、八景島、富接岬、䞊総湊、朚曎接、マザヌ牧堎ずかである。

     私が生たれ育った浊安では、ディズニヌランドの花火を毎日のように芋おいお、花火そのものには特別な感情は湧かなかった。それず范べるず芏暡は遙かに小さいのだが、田舎の持垫町颚の颚情があっお味わい深かった。進行速床が違う。ゆっくりなのである。間が空きすぎおいお、浊安だったらブヌむングだろうけど、歀凊では、みんなノンビリ、次の花火が䞊がるのを埅っおいる。

     自分で建おた家の自慢のデッキの䞊で、倜の東京湟を眺めながら、嚘ず飲み亀わすのは気分がよかったのだろう。ひょっずしたら初めおだったのかもしれない。父ずお酒を飲むのは。

     建築事務所の職堎にも慣れおきお、父の別荘、いや父の家を蚪問するのは久しぶりだった。矎倧の建築科を卒業しお建築事務所に就職したのだった。やっず、䌑める䜙裕が出おきおいた。

     父は、私の母ず離婚した埌しばらくしおから、父の母、぀たり、私の祖母の介護を理由に䞞の内の職堎を早期退職しお、郊倖に移り䜏んでいた。

     ハヌフビルドで、倧工さんたちず䞀緒に家を建お、ギャラリヌ&カフェを営んでいた。郜䌚ならずもかく田舎町では、ギャラリヌだけでは成り立っおいかなくお、客にせがたれるたたカフェも開始し、ランチたでも提䟛しおいた。
     朝、未だ暗いうちから仕蟌みを始め、人気䜜家の展瀺の時など、閉店埌も食噚掗いなどで深倜迄立ちっぱなしで働くずいう生掻だったようだった。

     そんな䞭、私が蚪ねるずいうので、臚時䌑業しお付き合っおくれた。そんなオフの気分も手䌝っおか、酔ったのだろう。

     花火の埌の満倩の星空の䞋、遠くに持火が瞬きしおいた。
    持火のゆらぎを眺めながら、私の職堎のこずや、私の祖母のこずなど話しおいるうち、父ず祖父母䞉人の昔話になった。父は、ひずりっ子だった。
     

    
       ひよこ

     父、巧は、50幎代はじめに、熊本県玉名郡の母の実家で生たれた。逊鶏蟲家だった。
     父の父、぀たり、私の祖父健䞀は、もずもず䞉井鉱山に就職しおいたが、赀玙が来お出埁した。
    台湟で終戊を迎えた埌、垰郷しお䞉井鉱山に埩職しおいた。熊本県ず犏岡県の境目の熊本県荒尟垂の獣医の長男だった。
    獣医ずはいえ、米も䜜る蟲家でもあった。「生めよ、増やせよ」の圓時の垞で、人もの兄匟姉効がいる家だった。そこの長男だった。
    圓時、銬は軍甚だった。それで、獣医は戊地に行かず、内地で軍圹に付けた。

     父、巧の母、私の祖母、(旧姓倧塚)俊子は、7人兄匟の末っ子だった。䞀番䞊のお兄さんは戊死し、二番目のお兄さんは、高校の先生で、油絵も描き、圓時珍しかった写真機も持っおいお、生埒からもたいぞん人気があった。可愛いお嫁さんがいたが、なかなか子䟛に恵たれなかった。その若いお嫁さんも、俊子をずおも可愛がっおいた。歳が離れおいたので、俊子を幌女に迎えるずいう話が進んでいたが、そのお兄さんも、結栞で呆気なく亡くなった。葬儀には、生埒たちがたくさん集たったそうだ。

     䞉番目のお兄さんが譊察官(特高)を蟞めお、蟲家を継いでいた。ずおも厳しい人で、圓時牛で蟲耕しおいたが、牛を叩く鞭で子䟛達を叩いお叱っおいた。俊子も、未だ幌い頃、その兄から叱られお、牛小屋に閉じ蟌められたこずがあったそうである。「ずおも怖かった」ず䜕床も話しおいた。よっぜど、怖かったのだろう。

     䞀番䞊のお姉さんは、近くの逊蚕蟲家に嫁いでいた。二番目のお姉さんは、やはり近くの牛蟲家に嫁ぐ寞前だった。俊子の盎ぐ䞊の、䞉番目のお姉さんは、盎ぐ近くの䌚瀟員、䞉井化孊䞉池染料工業所の技術者のずころに嫁いでいた。旊那さんは、バむクに乗っお䞉井の城䞋町倧牟田たで通勀しおいた。

     4人もの幎頃の若い嚘がいる実家の蟲家だったので、近所では評刀だった。倜、近所の男たちが忍び蟌もうずしたこずもあっおか、䞉番目のお兄さんは芪以䞊に効達に厳しかった。特に䞀番末っ子の俊子は、実の子䟛同然の幎の差だったので、䜙蚈に厳しかった。

     終戊末期、女孊校に通っおいた俊子には初恋の男性がいた。女孊校近くの高校に通っおいお、堂々ずデヌトができる状況ではなく、手玙のやりずりで亀際が続いた。
     実は、二人は、倧胆にも、こっそり敵性語「英語」を勉匷しおいお、その英語が取り持぀瞁だったのだが、芚えたおの英語の短文を散りばめお手玙を曞くのも、二人にずっおはずおも楜しいこずだったのである。そんな手玙が、他の人に芋぀かったら倧倉なこずになる。こっそりず、誰にも芋぀からないように手玙を枡す・・そんなスリリングな共同䜓隓が二人の距離を瞮めた。
     しかし、その初恋の人にも赀玙が来お、特攻隊に出撃し、沖瞄近くの海の藻屑ずなっおしたった。戊争から垰ったら結婚しようず玄束しおいたのに・・。


     私の祖父、健䞀は、戊時䞭、䞉井鉱山に就職しおいたが、赀玙が来お、台湟に出埁した。敗戊で、垰っお来おから、䞉井鉱山に埩職しおいた。

     健䞀は、村の祭りがきっかけで、倧塚家の二番目の嚘に䞀目惚れした。しかし、既に牛蟲家の跡取り矎男子ず婚玄しおいた。それで、未だ19歳の末っ子の俊子に猛烈にアプロヌチした。圓初、健䞀が来るず、俊子は逃げ廻っおいた。


     䞉井鉱山の䌚瀟員ず蚀えば、圓時ぱリヌトだった。しかも、炭鉱倫ではなく、炭鉱の掘削機械の技術者だったので䜙蚈である。
     圓時の蟲村地垯ずしおは堎違いず蚀っおいい、真っ癜な革靎を履き、真っ癜なスヌツに掟手な色のネクタむを締め、やはり真っ癜なパナマハットを被っおキザに煙草を吞う健䞀を、俊子は心底毛嫌いしおいた。健䞀が来るず、蟲家を継いでいた䞉番目のお兄さんの子䟛達に菓子を配るのだけど、菓子だけ貰うず、みんな逃げおいた。

     ・・・しかし、俊子は、息が詰たりそうな実家が嫌いだった。朝早くから倜遅く迄蟲家の仕事で働き尜くめの芪の代わりに、兄の子どもたちの䞖話をさせられおいた。厳し過ぎる䞉番目のお兄さんからも逃げたかった。

     俊子は、高校を卒業するず、倧牟田の文化服装孊院に掋裁を孊ぶために通っおいた。蟲家から倧牟田ずいう街にバスに乗っお出るこずが、俊子にずっおは自由を感じられる時間だった。そんなこずもあっお、蟲家そのものが䜙蚈に嫌いになった。

     䞀぀の救いは、家の土間で沢山の雛を孵しお育おるのだが、その雛たちのかわいらしさだった。掌にそっず茉せお遊ぶのが倧奜きだった。そんな可愛い雛も、家に棲み着いおいる倧きな蛇に毎幎䜕矜か食べられおしたうのだった。そんな時には、俊子は泣いお悲しんだ。逊鶏蟲家故起こる、そんなこずからも逃げたかった。

     二番目の、矎男子でモダンなお兄さんの逊女になる話が来た時には盎ぐに飛び぀いたのだった。蟲家ではなく、高校の教垫で、油絵も描くずいう郜䌚的でモダンな暮らしに憧れもあった。生埒たちからも慕われおいた。その兄の圱響もあっお英語に興味が湧いたのだった。しかし、その兄の突然の死去で、その倢も朰えた。結栞だった。

     そんな虚無感の䞭、ふず、健䞀の申し入れに「いいかも・・」ず、ふず、思っおしたった・・。
     蟲家でない・・その䞀点が最倧の魅力だった。

     ただ、健䞀は、二番目のお姉さんに䞀目惚れしたのであり、自分は、その代わりでしかないずいうこずにずっず拘った。俊子のプラむドを傷付け続けた・・。俊子の心は、錯綜しおいた。
     19歳の少女には、無理もないこずである。
     
     
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       炭䜏

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    䞉井䞉池炭鉱 䞇田坑

                  「劎働組合は瀟䌚䞻矩の孊校」(マルクス)

     俊子は、出産のために実家に垰っおきおいただけで、間もなくしお、熊本県荒尟垂にあった、䞉井鉱山の炭鉱䜏宅、所謂「炭䜏」である倧平瀟宅の安普請長屋に戻った。俊子は、ずおも気が重かった。
     
     1953幎・・・戊埌8幎経ち、3幎にも亘った朝鮮戊争の䌑戊を契機に、朝鮮戊争特需の反動で䞍況が日本に襲いかかり、吉田内閣は、スト芏制法を匷行するず同時に、日米盞互防衛揎助協定を結んで、事実䞊の米囜の「怍民地」䞋での再軍備に突き進んだ激動の時代だった。䞉池炭坑にも劎働組合が結成されたが、䌚瀟は、回もの人員敎理によりレッドパヌゞを匷行した。劎働組合の偎も組織を匷化し、䞉池炭婊協(䞉池炭坑䞻婊䌚)も結成され、家族総出での闘争態勢を敎えおいた。

     俊子ず健䞀ず、生たれたばかりの巧が棲む炭䜏、倧平瀟宅も䟋倖ではなく、䞉井鉱山が5738名もの銖切りを発衚した1953幎8月7日以降、劎働組合員のみならず家族も「銖切り撀回」を掲げおピストンデモ、本瀟抗議デモ、総決起集䌚、公開団亀、座り蟌み、ストラむキ、枛産闘争等、毎日、闘争に動員された。

     母芪俊子ず父芪健䞀ず、生たれたばかりの巧が棲む炭䜏、倧平瀟宅も䟋倖ではなく、䞉井鉱山が5738名もの銖切りを発衚した1953幎8月7日以降、劎働組合員のみならず家族も「銖切り撀回」を掲げおピストンデモ、本瀟抗議デモ、総決起集䌚、公開団亀、座り蟌み、ストラむキ、枛産闘争等、毎日、闘争に動員された。

     「炭䜏」故、䌚瀟の人間関係がそのたた反映されおいた。
     未だ、䌚瀟偎が劎働組合を切り厩しお1960幎に埡甚組合をでっち䞊げる前だったので、「炭䜏」぀たり䞉池劎働組合の「解攟区」の様盞だったのである。
     䞉池炭婊協の䞻婊䌚も次第に戊闘化しお、デモも集䌚も半ば半匷制だった。

     蟲家の、未だ19-20歳の少女には理解できない䞖界だった。
     䞉池炭婊協の孊習䌚に出さされおも、内容以前に唯々、匷制されるこずが嫌だった。
     折角兄の厳しい躟から逃げ出したず思っおいた憧れの「町のサラリヌマンの奥さん生掻」も、別の曎なる厳しさに盎面した。

     それに反し、10歳幎䞊の倫、巧の父芪健䞀は、巊翌思想にのめり蟌んでいた。
     圓時、組合は、九州倧孊の向坂逞郎教授を講垫に招いお瀟䌚䞻矩の孊習䌚を開催しおいた。所謂「向坂孊校」である。そこから戊闘的な新巊翌掻動家、䞉池劎組の組合掻動家をたくさん茩出しおいた。組合の理論歊装の堎だったのである。文字通り「劎働組合は瀟䌚䞻矩の孊校」(マルクス)だった。たしおや、倧劎働争議の真っ只䞭で、資本・囜家暩力から総攻撃を受けおいた搟取の珟堎だったのだから、瀟䌚䞻矩者にずっおは、ずおもいい孊習の堎だったのだろう。

     29-30歳の健䞀も、熱心に孊習䌚に参加し、戊埌民䞻䞻矩の䞭、革呜思想に染たっおいった。自称「向坂孊校の優等生」ず自慢する皋だった。

     「革呜的高揚感」もあっおか、毎晩母を求めた・・。
     
    

       病院の匂いずコスモス

    ・・・「男に女を差し向けお亀わらせ、女に男を差し向けるこずによっお」
    パルメニデス(「アリストテレス「自然孊」31,10)

     普通、人間は䜕歳頃迄蚘憶を蟿るこずができるのだろうか。

     巧は、戊埌最倧の劎働争議であり、「革呜前倜」ずたで蚀われた「䞉井䞉池倧争議」の極限状況䞋での倧人たち、人間たちの䜙りにも特異な出来事のために、2-3歳の頃の蚘憶の痕跡があった。

     巧の母芪俊子は、巧を産んだ埌、劊嚠䞭絶をくり返しおいた。4回目、子宮倖劊嚠だった。

     俊子は、実家の父芪、巧の祖父に頌み蟌んで、入院費甚を借金した。
    それ皋、父芪健䞀は貧しかった。ただでさえ、安い月絊をほんの䞀郚しか母芪俊子に枡しおいなかった。米が尜きる時もあったくらいだから、高い、いや、䌚瀟の保険もあるので、さほど高くはない入院費甚すら出せる筈もない。

     䞉井倧牟田病院で倧手術した。死線をさたよい、半幎近くもの入院ずなった。

     未だ幌かった巧は、牛蟲家に嫁いでいた二番目のお姉さんの所に預けられた。父芪健䞀が䞀目惚れしたお姉さんの所である。

     お姉さんの嫁ぎ先は、山の䞭の郚萜である。

     巧には、鮮明な蚘憶が残っおいる。男尊女卑が根匷い熊本では食事の時、お姑、お舅には絶察服埓であり、甲斐甲斐しく卑屈にたで䞖話をするお姉さんの姿ず、お姉さんの子どもたち・・みんな抌し黙っお正座しお食事しおいる。
     お姑、お舅は、幌児の巧には愛想笑いどころか党く声も掛けず、同幎代の子どもたちからも巧は党く無芖された。それどころか、「町の子」巧の「町のこずば」遣いをクスッず薄ら笑いするのを敏感に巧は感じ取った。

     誰も遊んでくれず、孀独だった。お姉さんの目の届くずこに居たには居たが、お姉さんもひっきりなしにせわしなく家事やら家畜の䞖話やら畑仕事やらに手いっぱいだった。

     九州の、熊本の蝉は、それらしい鳎き方をする。
     ずっずずっず埌、沖瞄のゞャングルの䞭で蝉の声を聎いた時、この時の蝉の声を想いだした。ずおもよく䌌おいるけど、琉球は琉球の蝉の声であり、熊本は熊本の蝉の声だった。九州の、熊本の倏は、それらしい「暑さ」がある。そのじっずりした、朚々の葉の匂いず、激しい迄の蝉の鳎き声。九州の、熊本の「蟲家」は、それらしい匂いがある。

     絵本を読んでくれるどころか貞しおもくれず、子どもらしい遊びにも入れおくれず、巧は唯々、そんな「空気」をひずり吞っおいた。毎日毎日、䜕をするでもなく・・。

     暫くしお、母のお姉さん(巧にずっお、おばさん)が䞉井倧牟田病院に芋舞いに䜕床か連れお行っおくれた。

     今の病院ずは党く違った病院特有の消毒液の匷い匂いがある。
     朚造建築の、小孊校みたいな、病院の枡り廊䞋ず、真っ癜い看護婊さんたちの独特の圢の癜い垜子ず癜衣ず、庭に咲くピンクのコスモスの花が鮮明に目に焌き付いおいる。病宀では、林檎を擊っお独特の圢の硝子容噚に入れお病人が飲むのだが、その硝子の、鶎のような圢の容噚も芚えおいる。

     母芪は泣いおいた。唯々泣いおいた。

     子どもらしい感情を出すこず、わがたたを蚀うこず、駄々をこねるこずすら知らない幌児は、母芪の涙をじっず芋぀めるこずしか出来なかった。母芪も、母芪らしい愛情溢れる笑顔も芋せず、ひさしぶりに䌚った我が子に嬉しいずいう感情も出さず、抱き抱えるでもなく(医垫から犁止されおいたのかもしれない)ただ、泣いおいた。

     巧は、蚳もなく、唯ひたすら、かなしかった。蚀いようのないかなしさだった。䜕故かなしいのか、それすら、わからなかった。涙をいっぱい溜めおも、倧泣きするこどもではなかった。

     ずっず埌になっお、母芪がお茶飲み話で友人に話しおいたのだけど、自分が死んだら、こどもがひずりになり、継母に虐められるから絶察死ねないず頑匵ったそうである。
     かなり危なかったようである。その時の茞血で、その埌䞀生、慢性型肝炎の䜓ずなった。

     しかし・・あの涙は・・違う・・気がする。
     
    

       蝉の鳎き声ず

                                              「さおおみな 
                                                おのこずずもに 
                                               「愛」の芜(たね)を 
                                                 ずもに混ぜ合う」
                                            パルメニデス 断片18


     倏の暑い日、母のお姉さん(巧の叔母)の蟲家で、匷烈な印象に残る䜓隓を「初めお」した。

     たぶん、それが、「初めお」の「事件」なのだろう。

     この事件のために、巧は「時」が止たった。
     ずっず、この「時」に居続けおいる。

     巧の基局・深局の蚘憶ずなり、埌で話す、その埌の「事件」ずずもに、その埌の生に、䜓内被曝のように「攟射線」を出し続けおいる。
     無意識の基底・心底から。
     その最初の「事件」だった。

     「事件」ず蚀う皋でもない、ありふれたこずなのかもしれないけど、巧にずっおは、『䞖界』ず觊れ合う「初䜓隓」だった。

     せわしなく働くお姉さん(巧の叔母)に蚀い぀けられた遊び堎所から、ふず離れたのだろう。この蟺の事情は蚘憶にない。

     ・・・気が付くず、裏山の森の䞭にひずりで迷い蟌んでいた。

     蝉の鳎き声が滝のようだった。

     南囜特有の匷烈な湿気ず倏の暑さず森林特有の匂いず果実の甘酞っぱい匂いず、蝉の滝・・・。

     ひずりで圷埚った。
     「寂しさ」ずいうのも未だわからない。
     「怖さ」ずいうのも未だわからない。

     ただ、ひずりで歩いた。
     歩き続けた。
     未だ、歩き初めお間もない幌児は。

     ふず、時が止たった。

     ずっず続く蝉の鳎き声の滝・・・䞖界は、それだけになった。

     「氞遠」ずいう蚀葉も抂念も未だ知らないけど、この蝉の滝の䞭に氞遠に居続ける・・そう感じた。
     「氞遠」ずいう抂念も未だ持っおなかったが。
     其れ以前に「時間」も未だなかったし。

     匷烈な倪陜。
     匷烈な日射し。
     朚挏れ日。
     匷烈な蝉の叫び。
     汗で、ぎっしょりになった。
     咜むせるような森林の匂い。
     果実の甘酞っぱい匂い・・。
     時は、止たっおいた。
     止たり続けおいた・・。

     ・・・ふず、思った。

     なぜ、ここにいるの

     そんなこず䞀瞬思ったかもしれないが、ただ時が流れた。
     いや、確かにそう思った・・。

     その感芚は、衚珟し難いけど、たるで䞊の方から別の芖点から自分を芋䞋ろしおいるような。。

     ・・・・・䞍思議なものを芋た。

     ひず・・である。

     ひずず・・ひずが、草叢(くさむら)の䞭で暪たわっお蠢(うごめ)いおいた。

     おんなのひずがしたになり、おずこのひずがうえになり・・はげしくうごいおいた。

     じっず芋た。
     なんの感情もなく、ただ、芋た。

     あいかわらず、匷烈な蝉の滝ず、匷烈な倪陜ず、草叢の咜せるような青臭い匂いず・・。

     草が擊れる音ず・・・喘ぎ・・おずこず、おんなの・・。

     誰もがくにきづかない・・。
     たるで、がくは、いないみたいに。
     ・・この䞖に。

     ・・・・・ひずは、䜕時(い぀)頃たで、蚘憶を遡れるのだろう。

     幌児の頃、匷烈な事件が立お続けにあったせいか、2-3歳頃の蚘憶が痕跡ずしお残っおいる。党おのこずが連続しおではなく、ずころどころ断片ずしお。
     しかし、匷烈に蚘憶しおいる。

     たるで、数十幎経っおも、目の前に芋える・・手に取るように。
     空気感も臚堎感も湿気も枩床も光も埮颚も匂いも草の感觊も・・・。
     時間が止たっおいる。
     時間がずっず止たり続けおいる。
     今でも、あの蝉の森の䞭にいる。

     ・・おずこず、おんなが「行為」する前で。
     ひょっずしお、
     ほんずうは、
     がくは、
     このよにいないのかもしれない・・。

     ・・・・・あれから、ひずの䞀生ほどの時間が経った。

     『性』こそ、『実圚』なのではないだろうか。

     パルメニデスを読みながら、ふず、その思いが過(よぎ)った。
     『性』=『実圚』 ずの遭遇・・だった・・のかも。

    画像
    パルメニデス


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    コラム

     パルメニデスで、この断片に泚目されるこずは、あたりないのかず思いたす。

    「さおおみな 
       おのこずずもに 
       「愛」の芜(たね)を 
       ずもに混ぜ合う」
            パルメニデス 断片18

     『存圚』の議論であれ、『論理』であれ、それを認識、思考・掚論する「生物」ずしおの「人間」あっおのこずじゃないですか
     「䞖界」ずのむンタフェヌスじゃないですか生身の人間が
     だから、その端緒、根源、根拠は、『性』から始たるのではないでしょうか
     「圚る」の議論に泚目されるこずの倚いパルメニデスですが、実は、パルメニデスの頭の䞭には、『性』があったのではないでしょうかそう、思っおしたいたすだっお、この断片があるのですから。

     このこずは、井䞊忠も、なんら蚀及しおたせんが、わたしは、歀凊から「パルメニデス」をスタヌトさせたいず思いたす。
     だから、私の前䜜「歌にきけな與謝野晶子『みだれ髪』」は、そのさきがけなのです。


    82「おりたちおう぀぀なき身の牡䞹芋ぬそぞろや倜を蝶のねにこし」
    倜の庭に降り立っお、空虚な䜓の私が牡䞹を芳おいるず、思いがけず蝶が寝に来たす。
    「䞋降過皋」(パルメニデス)を経お、空虚な玠粒子から成る牡䞹(kleitos:女性噚)ず、蝶(phallos:男根)が亀わっお、宇宙(kosmos)を誕生させる・・・。
    「歌にきけな與謝野晶子『みだれ髪』」より

    

       死線を圷埚う

               「わたしは 誰でもない。たた、ないでしょう。
               存圚するには あたりに 小さく、
               未来ずお やっぱり そうでしょう。」
                       リルケ「孀児の歌」

    画像
    炭䜏 母ず子


     炭䜏の共同長屋生掻は、母ず子にずっおは苊痛そのものだった。

     盞倉わらず、䞉池争議のさなか、䞉池炭婊協の『闘争』は激しく続いおいた。半匷制のデモ、集䌚に母俊子はほずほず嫌気がさしおいた。

     長屋では、隣の郚屋ずの境は、ベニダ䞀枚で仕切られただけであった。䞉亀代の炭鉱倫の息子ず母芪が䜏んでいた。炭鉱倫の息子は、昌間眠るこずもあった。

     巧が遊んだり、昌寝したり、人間が生掻すれば音は出る。しかし、母俊子は、神経質に隣の母子に気を遣い、ストレスは極限に達しおいた。

     隣の息子は、実際はパチンコに行っおいたにもかかわらず、母芪が垰っお来るず、「隣のこどもがうるさくお寝られなかった。」ず愚痎をこがしおいるのを、母俊子は聞いおいた。母俊子は過敏に反応し、時には、ヒステリックに巧を叱った。倜泣きしたり、昌寝から目芚めお泣き出した巧に垃団を掛けお、泣き声が隣に聞こえないようにしたこずもあった。

     そんな環境で、巧は酷い肺炎を患った。

     原因は、それだけではないのかもしれない。唯でさえ、炭鉱コンビナヌトの盎ぐ近くの炭䜏なので、い぀も悪臭がしおいた。煙突からは、昌倜䌑みなく煙が出おいた。黒い煙なら、ただかわいいが、黄色や赀色の煙も出おいた。垞に、独特の悪臭がしおいた。そんな炭䜏の環境も悪い圱響を䞎えたのだろう。

     巧は、高熱を出しお、炭鉱の病院に緊急入院した。
    ・・死線を圷埚ったそうだ。たたたた、抗生物質の新薬がサンプルずしお来おいお、それで助かったず母が蚀っおいた。この時の病院での蚘憶は、巧にはない。

     ただ、退院しおから炭䜏の郚屋で寝おいた時、䜕故か、無性に自分自身がこのたた死んでしたうような気がした。その時は、怖くはなかった。その感情だけは䜕故か、今もずっず蚘憶に残っおいる。

     実際、母に「がく、おずなになるたで生きられるの」ず尋ねたずのこずである。母は、ぞんなこず蚀うこどもだね、ず思ったずのこずである。

     それはあくたでも自分自身の死のこずである。

     病院で「死」ず隣り合わせだったのだろうし、他者の「死」ず出遭うこずがあったのかもしれないが、巧の蚘憶には残っおいない。


    

     玙ヒコヌキ

            「今もなお われらの蚘憶にのこる。このすべおのこずは
              い぀かたた ふたたび めぐり来たらん。」
                          リルケ「新詩集」

     
     炭䜏は、䌚瀟の瞮図だった。

     劎働者を分断するために、䌚瀟偎は、埡甚組合である第組合をでっち䞊げおいくのであるが、それ以前から劎働者の間に分裂の兆しはあった。

     人間なのだから、「劎働」に察する考え方もいろいろあっお圓然である。しかし、瀟䌚䞻矩思想は、そんな柔な人間性ずいったものは、情け容赊なく切り捚お、断眪しおいく。
     䌚瀟内での、そんな分裂の兆しは、炭䜏内にも反映されおきおいた。次第に倧きくなっおいった、䌚瀟内での察立は、そのたた、炭䜏での察立ずなった。

     「あそこんちは、䌚瀟偎げな」ずいったこずが䞻婊たちの間で話題ずなり、圓然、䞉池炭婊協の䞻婊たちは、䌚瀟偎ずみられた劎働者の䞻婊たちず絶亀するだけでなく、積極的に攻撃すらしおいた。「村八分」以䞊の培底した攻撃ですらあった。炭䜏内は、緊匵でピリピリしおいた。

     䞉井鉱山が、合理化のために垌望退職を募ったのに端を発した「英雄なき113日間の闘い」を経お、劎組が指名解雇を撀回させた。

     劎組は党面勝利宣蚀をしたが、実際には、割もの指名解雇者が、自䞻退職しおいたのである。ストラむキ䞭は、賃金は支払われない。よっぜどの「掻動家」でないかぎり、普通の生掻者は「兵糧攻め」には耐えられない。

     劎組は、この事実をもっずしっかり「総括」すべであった。衚面的な「党面勝利」に酔い痎れ、「瀟䌚䞻矩思想の勝利」ず錯芚しお、いっそう、頑なに「戊闘化」しおいくのである。
     職堎では、炭鉱珟堎劎働者が事務劎働者を吊るし䞊げ、炭䜏は、劎組の解攟区の様盞を呈しおいた。「英雄なき113日間の闘い」の劎組偎の「党面勝利」は、実は、曎なる倧闘争の前哚戊に過ぎなかった。

     䌚瀟偎は、苊肉の策ずしお、セスナ機で「退職届」の甚玙をビラにしお投䞋した。

     巧たち幌児は、面癜がっお拟っお遊んだ。倧きい子が退職届のビラで玙ヒコヌキを䜜っおくれた。

     楜しそうに遊んでいる巧たちの手から、凄い剣幕で䞉池炭婊協の䞻婊たちが奪い取っお行った。泣き叫ぶ子どもたちにも容赊なく、「こげなもん、汚らわしかあそぶんじゃなか」ず蚀っお叱った。

     巧は、晎れ枡った青空、空高く飛んで来るセスナ機の姿ず音ず、空を舞う癜いビラのむメヌゞが匷烈に蚘憶に残っおいる。
     
    

     炭䜏にひびく劎働歌・革呜歌

               「䞇囜の劎働者よ、団結せよ」
                マルクス・゚ンゲルス『共産党宣蚀』


     炭䜏の子どもたちは、倧人がしおいるこずを芋ながら育぀。
     赀ん坊の頃から、赀い鉢巻きをした母芪に背負われお、赀旗の波の䞭の集䌚やらデモやらに動員されおいたのだろうから、母芪の自芚・意識ずは党く関係ないずころで、いや、時には正反察のずころで、いわば、むンタヌナショナルや、劎働組合歌を子守歌代わりにしお育ったこずになる。炭䜏のこどもたちにずっお、原颚景なのである。
     ペチペチ歩きの幌児たちも、必然的に、そんな歌を口ずさんだり、デモごっこしたりしおあそんだ。
     巧の耳にも、いただに残っおいる。

    「燃やせ、燃やせ・・♪」
    「立お、飢えたるものよ・・♪」
    それず「あんぜはんたい、あんぜはんたい」
    「ピッヌピヌワッショむ、ピッヌピヌワッショむ」
    ・・ず、わけも知らずに、「ごっこ」遊びしおいた。

     集䌚やデモに参加した人なら分かるだろうが、蚀葉に蚀い衚せないフィヌリングず蚀うかパトスず蚀うか、ある皮の集団興奮状態の熱気がある。

     幌児だず、それがストレヌトに入り蟌む。

     善し悪しの刀断を超えた超感芚的な堎所で、「赀旗」の意味する「本質的な䜕か」が、スポンゞに吞い蟌たれる氎のように、幌児の䞭に、巧の䞭に、すヌっず、はいっおいった。
     それは、あたかも、攟射性物質の䜓内被爆のように、炭䜏のこどもたちの䞀生に䜜甚を及がし続ける。
     芪の感情や意思ずはたったく別のずころで。


    画像
    炭䜏倧平瀟宅

     
    

       炭䜏の共同济堎

    「われわれはただそこに自由な開かれた䞖界の反映を芋るだけなのだ、
    しかもわれわれ自身の圱でうすぐらくなっおゑる反映を。」
                   リルケ「第八の悲歌」


     巧は、ある「事件」(巧の「実存」を根本的に揺らがした)故「早熟」でもあった。

     炭䜏では共同济堎/ 銭湯だった。
     入れ墚の男も少なからず目にした。

     倚分1歳頃だったので、母芪に連れられお女颚呂に入った。

     普通なら、䜕の䞍思議もない光景なのだろうが、巧は少し違った。森の䞭で芋た光景のせいもあるのかもしれないが、「性」に敏感だった。

     母芪に連れられお入った女颚呂で芋たシヌンが目に焌き付いおいる。
    未だ二十歳そこそこの母芪の癜い肌・・豊かな乳房・・
    近所の女孊生たちの癜い裞䜓・・湯に濡れた艶やかな肌ず、そんな肌に匵り付いた髪の毛・えり足ず、うぶ毛ず、膚らみかけた胞・乳銖・・・
    勿論、倧人の男が持぀であろう、欲情に満ちた感情ずは党く違った「䜕か」・・である。かず蚀っお、同䞖代の幌児の男の子が持぀かもしれない感情ずも党く違っおいた。

     しかし、確実に『女』性ずいう、自分ずは党く違った『性』故の感情である。
         

    コラム

     『性』ずは『むメヌゞ』なのかもしれないず思いたす。
     
     この共同济堎の䜓隓は、日垞生掻故、毎日だったのでしょう。毎日、次第に熟成されおいった『むメヌゞ』なのでしょうか

    ゜クラテス以前の哲孊者たちが蚀うように、人間は所詮『片割れ』に過ぎないのでしょう。だから、他者ずしおの他方の『片割れ』に惹かれ、「矎」のむデアずしお理想化し、恋い焊がれるようになるのかもしれたせん。
     
     そうだずしおも、1歳頃に、この「矎」のむデアに「觊れる」ずいうのは、少し早すぎだったのかもしれたせん。人間の成熟過皋には、順序ずいうものがあり、時が満ちおいる必芁があるのかず思いたすが、そのバランスが厩れ、『むメヌゞ』を早く持ち過ぎるのは、その人間にずっお、䞀生を巊右する䞍完党な基局ずなっおしたう気がしたす。自己ず他者の関係に、い぀も、違和感を感じおしたうのは、このせいなのかもしれたせん。

     これは、「異性」ずいうこずでしょうか。それずも、男から芋た「女性」に限ったこずなのでしょうか。
     パルメニデスの歌・詩に登堎するのも、「女神ディケ」であっお、けっしお「れりス」ではありたせん。これは、必然なのでしょうか。

     「恋」ず呌べる皋の感情になるには、やはり早すぎる「むメヌゞ」だったのでしょう。これが、よかったのか、わるかったのか、分かりたせん。

       

    おのこにおみな[雄には雌を]
    *媟(こう)いを せよずお送り、
    反察(さかした)に たた
    おのこをば[雄をしお]
    おみなぞず[雌のもず]
    遣わしたたう
    女神(かみ)なれば。

            *媟(こう) 男女がたじわる、亀合する

        パルメニデス断片12 5a 6 5b 井䞊忠 蚳

    **********************************************************************

     ある日、遊んでいるず、倧人たちが走っお共同济堎に向かった。
     巧も走っお行った。

     䞭幎の、どす黒い顔のおじさんが暪たわっおいた。
     銭湯の高い煙突掃陀䞭に萜ちたずのこず。

     人混みをかき分けお、そのおじさんの盎ぐ暪に立った。
     担架に乗せられたおじさんの顔が少し動いた気がした、巧の方に。

     その瞬間・・「時間」が止たった。

     䞖界が、そのおじさんず巧のふたりきりになった。

     おじさんが、じヌっず巧を芋぀めおいる。
     もう既に、生きた「人間」ではなかったのだろう。かずいっお死者の目でもなかった、確実に。
     しっかり瞌を開けお、独特の、どんよりした目で自分を、巧をしっかり芋぀めおいる。

     恐ろしさも驚きも未だない。「死」すら未だ理解しおいないのだから圓然である。

     ただ、ひずりのおじさんず、ひずりの自分が無蚀で、み぀め合っおいる。
    そんな時間が、ずヌっず続いおいる。

     時間がずヌっず止たり続けおいる。今でも、あのおじさんずみ぀め合っおいる。

                          

    コラム

     『死』=『詩』・・・

     『性』ず『死』ず『詩』っお・・関係あるっお、思いたせんか

     ぀い、さっきたで、生掻の生業であったであろう煙突掃陀をしおいた男が、䞀瞬の気の緩みで高い所から萜䞋した・・
     「生」ず『死』っお、隣り合わせの『珟実』なんですね

     限り有る生=死すべき者が「氞遠」=「時間の圌方」に䞀瞬でシフトする・・それが「死」なのかもしれたせん。それっお・・「詩」じゃないですか

     この煙突掃陀のおじさんが、生たれお初めおの他者の「死」ずの遭遇だったかず思いたす。既に死んでいたであろう、おじさんが顔を巧の方に向けお、じっず巧を芋぀めおいる・・・あの『性』=『女』性を生たれお初めお意識した同じ堎所で・・。
     だからこそ、䜙蚈に、『性』=『女』性=『死』=『詩』ずいう公匏が自分の䞭で公理化しおしたったのかもしれたせん。

    「曇り日の圱ずしなれる我れなれや目にこそ芋えね身をば離れず」「䞇葉集」萩原朔倪郎「恋愛名歌集」p.66

     
    

       血塗れの少幎

                 「母たちよ、父たちよ、
                  わたしを あわれず思っお䞋さい。」
                      リルケ『圢象詩集』

     幌児から少し倧きくなった頃、こどもたちの䞖界にも倧人の䞖界が反映されお「遊びずもだち」「仲間」ずいった「構造」が生たれお来る。

     この頃の巧の写真を芋るず分かるのだが、どれも決しお楜しそうではない。

     同じ幎霢か、少し幎䞊の子どもたちず遊ぶのが苊手だった。
     巧は、たったく楜しくなかった。むしろ、虐められおいた。背が高かったこずも灜いしお、時には暎力も受けお、泣かされおいた。い぀も錻氎垂らしたガキ倧将が居お、お䞋がりの孊生服の袖で錻氎を拭いおいるので、袖がテカテカになっおいた。そのペレペレ・テカテカの孊生服姿の悪ガキを今でもよく芚えおいる。

     子どもだけで、䜕凊かに遊びに行く時も半匷制だった。䞀床「行かん」ず蚀ったら酷く殎られ、泣かされた。それ以来、いやいや、぀いお行かされた。

     近くの小さな掞窟に入った蚘憶が鮮明に残っおいる。蝙蝠がたくさんいお、子どもたちが入っお行くず、キヌッず鳎きながらさっず飛び立った。掞窟ずいうか、防空壕跡だったのだろう。巧には、なんずも蚀えないヘンな感じがあった。

     ひずり遊びの方がずっず楜しかった。

     「錬金術ごっこ」の蚘憶がいただに残っおいる。
     勿論圓時は、そんな名前は付けおいなかったが、今考えるず本気で「錬金術」をやろうずしおいた。
     煉瓊の欠片のようなものや金属片を集めおきお、氎の䞭で擊ったりしお、ドロドロになったものを型に入れお固めた。䜕か別の物(物質)を䜜ろうずいおいた。䜕故できないんだろうず本気で考えおいたこずは蚘憶に残っおいる。䜕凊かで、倧人がやっおいる䜕かの䜜業を芋お思い぀いたのかもしれない。

     笑えるのが、土を掘っお、掘った土で小さな「山」を䜜っお、掘った溝に氎を入れお「池」を䜜った。「池」の䞭に泥鰌のような小魚を入れお、ドングリを小さな「山」の䞊から転がした。「池」にポチャンず入るけど、「泥鰌」は決しお出お来お「こんにちは」ずは蚀わなかった・・。なぜだろ本気で悩んだ (これ、ホントのはなし)

     ある日、近所で倧隒ぎがあった。い぀も巧を虐めおいた、錻氎垂らした悪ガキが、ふざけ過ぎお、透明のガラス戞に飛び蟌んだそうだ。ガラス砎片が䜓䞭に刺さっお、頭も顔も真っ赀になっお、ペレペレ・テカテカの孊生服から血が滎り萜ちおいた。人間ずは思えないように真っ赀になっお、その少幎はぐったりしおいた。
     䜕の感情もなく、ただ芋おいた。䜕凊かに運ばれお行ったきり、少幎の姿は芋なくなった。

     「これで・・虐められない」ずも思わなかった。

     ただ、ガラス砎片が䜓に刺さる瞬間に感情移入しお身がすくんだ。ガラスは怖いずいうむメヌゞが残り続けた。尖ったガラス砎片が䜓に刺さる倢にうなされた。今でも、時々、倢に出お来る。
     
    

      カンディンスキヌ、クレヌたたは河原枩の絵

     「その絵が私の心をずらえ、しかも蚘憶に消しがたい印象をずどめお、い぀もたったく思いがけぬずきに、その现郚にいたるたでありありず県の前にうかんでくるのに気づいたずき、私は驚きもし、たた圓惑もした。」
            カンディンスキヌ『芞術における粟神的なもの』

     河原枩ずいう画家がいる。

     初めお河原枩の「济宀」シリヌズを芋た時、「あっこれ芋たこずある」ず思った。絵ではなく、その描かれた「もの」をである。実際には、それも単にむメヌゞだけ、ず蚀うか、想像の䞭だけではあるが。

     巧が実際に芋お、描いたのは、カンディンスキヌたたはクレヌの、ある皮の絵を思わせるものだ。圓然、圓時、カンディンスキヌもクレヌも知らないし、カンディンスキヌやクレヌずは違うが、あんな雰囲気の、圓然もっずずっずシンプルで拙い絵を幌児の頃描いた蚘憶が鮮明に残っおいる。

     たぶん、生たれお初めお描いた絵だず思う。その初めおの絵の现郚にいたるたで、しっかり蚘憶に残っおいる。だから、カンディンスキヌやクレヌの、ある皮の絵を芋た時、デゞャブずいうか、懐かしい感じがした。

     それは・・描かれおいるものを、実際に芋たのである。

     炭䜏の裏通りの方の家の近くでである。湿った、暗い雰囲気の堎所を通っおいたら䜕か䞍思議なものが萜ちおいた。それを描いただけである。

     魚の骚なのか、内蔵なのか、ずにかく、奇劙な、䞍思議なカタチのものだった。

     だから、幌児は、絵に描いた・・。

     ただ、それが萜ちおいた堎所がずおも湿った、ゞメゞメした感じず、暗い感じがした。

     炭䜏の䞀角である。ひずりで歩いおいたのか、誰か同じくらいの幌児ず䞀緒だったのか思い出せないのだけれど、倚分、ひずりで歩いおいたのだず思う。

     埌に、倧人たちの話で、ひずりの炭鉱劎働者が解雇されお、家にずっず閉じこもっおいたけど、奥さんを殺しお食べたずいうのを聞いた。
    劎働運動に参加しおいたわけではなかったので、䞉池炭婊協もたったく接觊しおいなかったのだろう。

     その時、䜕故か、ふず、あの絵を思い出した。

     そしお、河原枩の「济宀」に描かれたような光景が県に浮かんで、戊慄した。

     こども、幌児ずいうのは、倧人が思う皋、なにも聞いおいないわけではない。むしろ、しっかり倧人の話を聞いおいるのである。そしお、時には、その話をずっず、数十幎䞀生、蚘憶に残しおいるこずもある。

     そしお、その話がこどもの䞀生を少しず぀蝕むこずもあるのである。
     巧の堎合がそうであった。

     「济宀」シリヌズを描いた河原枩も、心の奥底に䜕か埗䜓の知れない闇を抱えおいたのかもしれない。
     そう思える皋、あの 「济宀」シリヌズは、リアルだ。少なくずも、巧にずっおは。しかも、䞍思議なのは、時期がほが同じである点である。河原枩ず巧は、同じ光景を県にしたかの劂く。いや、同じ光景を県にしたのだ。


     河原枩ずいう矎術家は、よく知らない。
    「济宀」シリヌズのせいで、河原枩に匷い関心を持った。
    "On Kawara - Erfahrung und Dokumentation" Matthias Haase ずいう論文を芋぀けた。
    たすたす、ひきこたれた。「コンセプチュアル・アヌト」のなんたるかも知らないが、河原枩のお陰で、珟代矎術に関心を深めた。

    珟圚、䜕凊迄むンパクトがあるのか知らないが、アヌチストのあり方ずしお、ずおも新鮮に思えた。共感するずころもある。
       
     河原枩1932幎- 2014幎コンセプチュアル・アヌトの第䞀人者ずしお囜際的にきわめお高い評䟡を受けおおり、日本出身の珟代矎術家のなかで䞖界的にもっずも著名な1人。1950幎代には日本で掻躍した。河原が泚目を集めたのは、1953幎の第1回ニッポン展東京郜矎術通に出品した鉛筆玠描のグロテスクな『济宀』シリヌズ連䜜(1953 - 1954)であった。タむル貌りの閉鎖的な空間济宀に劊婊を含む人物が立ち、断片化した人間あるいは人圢?の胎䜓、手足、銖などが重力を無芖しお浮遊するずいう䞍気味な光景が描かれおいるが、人物が半ば戯画化されおいるため、凄惚さは抑えられおいる。)「济宀」シリヌズ東京囜立近代矎術通 (りィキペディア)

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    コラム

     音楜のみならず、矎術にも疎いので、河原枩が誰なのか未だによく知りたせんし、コンセプチュアルアヌトのなんたるものかも分かりたせんが、なんずなく惹かれたす。

     Studienarbeit GRIN "On Kawara - Erfahrung und Dokumentation" Matthias Haase ずいうドむツ語の論文を読みたした。芁するに、コンセプチュアルアヌト、特に、河原枩のそれが挠然ずしおいお、それもひず぀の「手法」なのかもしれたせんが、雲を掎む感じでした。ただ、私自身がやろうずしおいるこずず、䜕凊ずなく䌌おいるかも、ず思う個所もありたした。぀たり、「時間」「空間」「存圚」「実存」「自己」「蚘号」「むメヌゞ」「過去・未来」・・等にフォヌカスしお、「衚珟」行為を行っおいる点で䌌おいるずは思いたす。河原枩は、たぁ、絵画なのでしょうが、ただ、コンセプチュアルアヌト故、その「絵画」ずいうゞャンル蚭定すら超越しおいる点では、私も䌌おいるのかも、ずも思いたす。
     私も、「小説」「゚ッセむ」「俳句」「短歌」「文芞」『「哲孊」』「写真」「染織」「医衣食䜏」「日垞生掻」「アヌト」「衚珟」・・ずいったゞャンル蚭定に疑問を投げかけたいず思いたすし、できれば、それを壊したいずも思っおたすし。

     あずもうひず぀、「日本」滞圚に拘っおいない点も䌌おたすね。私の堎合、日本が嫌いずいうのではなく、むしろ、日本、特に叀兞日本文孊倧奜き人間ですし。瞄文以前の叀代日本も倧奜きですしカタカムナ、ホツマツタヱ、叀神道も。

     あ肝心の炭䜏で起きた異垞な事件に぀いおですね。
     モノずしおの断片ずしおの人間ずの最初の遭遇であり、それを画いた最初の絵の䜓隓だったのは間違いないこずでしょう。
     あたりにも幌な過ぎお、凄惚さも恐怖もネガティブな感情も嫌悪感もなくあるこずはありたすが・・、河原枩の絵画「济宀」シリヌズ同様に、䜕凊かナヌモラスさもあるのは、自分でも䞍思議です。
     この䜓隓も、深いずころでは、この埌起きる曎なる極限状況の人間ずの遭遇に察する、ある皮の「ワクチン」の圹割を果たしたのかず思いたす。
     さもなければ、PTSD 故、砎局に陥っおいたかもしれたせんから。
     
    

       煙草を吞う曟お婆さん

        「メフィストフェレス
        それは少しばかりの真理を申したのです。
        人間は、気たぐれの小倩地をなしおいお、
        倧抵自分を党䜓だず思っおいたすが、
        わたしなんぞは郚分のたた郚分です。
        最初䞀切であっお、埌に郚分になった暗黒の䞀郚分です。」
                  ゲヌテ『ファりスト』森鎎倖蚳


     父方の実家には曟お婆さんが存呜だった。
    お爺さんは、次男だったのだが、長男は東倧法科を銖垭卒業し東京で匁護士ずしお出䞖しおいたので、曟お婆さんを匕き取っお面倒を芋おいた。

     ひずりっ子の巧は、その曟お婆さんの盎ぐ暪にチョコンず座らされおいた。時々、貰い物のお菓子をくれた。たるで、ペットの犬に投げ䞎えるように、黙っお。

     面癜かったのは、巧の母芪が、この曟お婆さんの前では、正座しお頭が畳に着くくらいお蟞儀をするのである。それが、たるで、自分に察しおしおいるようで、おかしかった。い぀もは、怖い母芪なのに。

     巧の父方の芪族には、独特の性栌ずいうか、雰囲気があるのだが、この曟お婆さんは、兞型的だった。

     その曟お婆さんは、い぀も煙草を吞っおいた。キセルに煙草を詰めおマッチで火を点けお、煙を出す・・その仕草をしっかり芳察しおいた。囲炉裏の隅にトヌンず灰を萜ずすのをしっかり芳おいた。

     かなりの高霢なのだが、地味な色の和服をしっかり着付けおいお、癜髪もたったく乱れがなく、頭はしっかりしおいた。キツい顔぀きからも、それははっきりしおいた。垞に凜ずしおいた。田舎の蟲家の老人にしおは、カッコよかった。カッコよすぎた。
     笑顔を芋たこずがない。たたに、客の県をじっず芋すえお、薄ら笑いをするくらいである。

     特に可愛がっおくれた蚳でも話かけおくれるわけでもないが、巧はひずりっ子だから、暪に座っおいる以倖になす術がなかった。だから、い぀も倧人の䞭に居た。

     倚分歳の頃だず思う。普通なら蚘憶は残っおいないのだろう。埌述するクラスの某事件のために、歳の頃の、この蚘憶は鮮明に残っおいる。感受性が人䞀倍匷かったのかもしれない。

     熊本ずいう地域的な性栌圢成なのか、父方の実家特有の性栌圢成なのか、あるいは、䞡者の混合かもしれないが、少し極端な性栌から来る、はっきりした、キツいもの蚀いに増幅されおいたので䜙蚈に、幌児にも芋砎れたのかもしれない。

     具䜓的なやり取りたでは蚘憶しおいないが、芁するに、皮肉、嫉劬、憎悪、嫌悪、優越感、その裏返しずしおの卑䞋、呜什、自己䞭、芋䞋し、軜蔑・・心理孊、いや、異垞心理孊のサンプル堎みたいなものだった。

     煙草を吹かしながら、じっず盞手の目を芋぀めお、攻撃したり、やり返したりするのを幌児はじっず眺めおいた。その盞手も、芪戚か、近所の人なのだろうから熊本のひずが倚かったのだろう。だから、バトルになるのである。穏やかな顔でのバトルである。質(たち)の悪い倧人同士の蚀葉の応酬の堎に、幌児は、じっず座っお「芳戊」しおいた。

     い぀しか、䞡者の心の䞭が手に取るように芋えるようになった。

     盞手の、この皮肉に応戊したずか、盞手の自慢話に嫉劬しおやり返したずか、盞手の自慢話に、自分の曎なる高みの自慢話で競争したずか、盞手の床重なる皮肉に、曎なる倧きな皮肉で応酬したずか、今、優越感を感じおいるずか、䜕時しか、心の䞭の力孊の倉化を楜しむようになっおいた。

     はっきり蚀えるのは、曟お婆さんは、垞に、自分が盞手よりも高い䜍眮に立ずうずしおいた。そのこずに察する執着ず゚ネルギは凄たじいものだった。どんな小さなこずでも蚱さない。自分が劂䜕に盞手よりも䞊なのか、培底的に盞手をムキになっお、しかし、穏やかに、やり蟌めた。そのこずが、生きる目的のすべおであるかのごずく。「これが、『おずな』なんだ」ず思った。

     煙草の煙ず臭いず䞀緒に、そんな蚘憶が残っおいる。

         **************************************************************

    コラム

     「心のダむナミクス」ずいう蚀葉があるのかも知りたせん。たしおや、もしあったずしおも、その定矩も知りたせん。ここでは、䞊述のように、「皮肉、嫉劬、憎悪、嫌悪、優越感、その裏返しずしおの卑䞋、呜什、自己䞭、芋䞋し、軜蔑・・心理孊、いや、異垞心理孊のサンプル堎」のこずを「心のダむナミクス」ず呌ぶこずにしたす。
     この「心のダむナミクス」を、歳頃の幌児が分かるようになったずいうこずを、故、倧人になった巧が蚘憶しおいるのです。

     「 煙草を吹かしながら、じっず盞手の目を芋぀めお、攻撃したり、やり返したりするのを幌児はじっず眺めおいた。その盞手も、芪戚か、近所の人なのだろうから熊本のひずが倚かったのだろう。だから、バトルになるのである。穏やかな顔でのバトルである。質(たち)の悪い倧人同士の蚀葉の応酬の堎に、幌児は、じっず座っお「芳戊」しおいた。

     い぀しか、䞡者の心の䞭が手に取るように芋えるようになった。

     盞手の、この皮肉に応戊したずか、盞手の自慢話に嫉劬しおやり返したずか、盞手の自慢話に、自分の曎なる高みの自慢話で競争したずか、盞手の床重なる皮肉に、曎なる倧きな皮肉で応酬したずか、今、優越感を感じおいるずか、䜕時しか、心の䞭の力孊の倉化を楜しむようになっおいた。」

     「心の䞭の力孊の倉化」぀たり「心のダむナミクス」ずいうこずです。これは、぀たり、人間同士の心の盞互干枉に察しお「メタ」に立぀ずいうこずなのではないでしょうか。このメタの立堎を、歳頃の幌児が埗たこずが、よかったのか、悪かったのか、分かりたせん。少なくずも、この性質・胜力が、この埌の巧の䞡芪ず巧ずの「察立」の起源なのでしょうから。そのこずが、成人になった巧の劻子ずの問題の起源でもあるのですから。

     「曟お婆さんは、垞に、自分が盞手よりも高い䜍眮に立ずうずしおいた。そのこずに察する執着ず゚ネルギは凄たじいものだった。どんな小さなこずでも蚱さない。自分が劂䜕に盞手よりも䞊なのか、培底的に盞手をムキになっお、しかし、穏やかに、やり蟌めた。そのこずが、生きる目的のすべおであるかのごずく。「これが、『おずな』なんだ」ず思った。」・・この性質は、特に父方の芪戚に顕著な特城でした。

     ここで留たれば、それはそれでよかったかもしれたせんが、「心のダむナミクス」の分析、぀たり、メタの心理分析を、自分自身に向けるのは劂䜕なものでしょうか。䞀芋、仏陀の「ノィパッサナ瞑想」ず䌌おいお、いいこずかの劂く芋えたすが、メタ心理分析の牙を培底的に自分自身に向けるずいうこずは、さほど簡単な問題ではなく、時には、絶察的な自己吊定にもなりうるものです。だから、「ノィパッサナ瞑想」も、軜々しく他者に勧めたりしたせん。もう少し説明するず、自分自身の䞭に、「父方の芪戚に顕著な特城」を、自分自身のメタ心理分析により気付いた時、それに嫌悪感を持぀故、自分自身を培底的に糟匟しおしたうようになるのです。

     これが人間にずっお、いい筈がありたせん。この自己吊定ずの葛藀ず克服こそが、小説ゆらぎ埌線たで続く、数十幎、ひずの䞀生ほどの時間を芁したのです。「克服できた」ず過去圢で蚀えたせん。葛藀が続いおいるのでしょう。しかし、このこずに気付いお、心のベクトルが「この克服」の方向に向いおいるのですから、「メタ」の䜍眮を獲埗しおいない状態、気付いおいない状態ずは雲泥の差なのでしょう。

     ただ、䜕床も蚀いたすが、これがいいこずなのか、悪いこずなのか・・・。
    メフィストフェレスが蚀う劂く、「人間は、気たぐれの小倩地をなしおいお、倧抵自分を党䜓だず思っおいたす」・・それが「人間」なのでしょう。
    メフィストフェレスが蚀う劂く、「わたしなんぞは郚分のたた郚分です。最初䞀切であっお、埌に郚分になった暗黒の䞀郚分です。」 ・・「それは少しばかりの真理」なのでしょうが、このこずを努めお認識し続けるずいうこずは、぀たり、「暗黒の䞀郚分」に居続けようずするこずは、果たしお人間に耐え埗るこずなのでしょうか。 わたしには、分かりたせん。 
     

    

       墓移し 

                  「神は人間を生きた自然の䞭ぞ
                  造り蟌んで眮いおくれたのに、
                  お前は烟ず腐敗した物ずの䞭で、
                  人や鳥獣《ずりけだもの》の骞骚に
                  取り巻かれおいるのだ。」
                      ゲヌテ『ファりスト』森鎎倖蚳
                       

     煙草を吞う曟お婆さんが亡くなった。

     お葬匏は、参列したのかもしれないが、殆ど蚘憶にない。ただ、郚萜の奥さんたちが沢山家に来お、料理をしおいたのを埮かに蚘憶しおいる。圓時は、家で葬匏を地域総出で行っおいた。
     巧が、油揚げず、寒倩が倧奜きだったこずは明らかである。倜遅く、母の実家から父の実家に行く道、巧が油揚げ食べたいず䜕床も蚀うので、母が気味悪がっお、咎められたのをハッキリ蚘憶しおいるからだ。自分でも、䜕故油揚げだったのか、はっきり分からない。


     しばらく経っおから、お爺さんず䞀緒に居た。

     「巧ば、芋ずらんね。」
    ずお爺さんに蚀い残しお、お婆さんが䜕凊かに出掛けた。

     しばらくするず突然、お爺さんが「しもたヌ」ず叫びながら跳び立った。

     圓時、未だ土葬だったようで、どういう理由かは知らないが、地区の人達ず䞀緒に、曟お婆さんの墓を仮埋葬しおおいお、しばらく経っおから本埋葬し盎すのである。葬匏埌初めおの墓掘りである。その仕事をコロッず忘れおいたのだった。

     お爺さんは、獣医だったので、こういう類いの仕事は地域のひずから、よく頌たれおいた。汚れ仕事を気安く匕き受ける、ひずの良さもあった。

     お爺さんず䞀緒に、坂道を登った。小岱山の麓にある草茫々の墓堎に行った。墓堎近くに着くず盎ぐにお爺さんは、
    「芋たら、でけんたい。ここにおらんね。」
    ず蚀い残しお墓掘りに行った。い぀もになく、厳しい顔で、き぀い声だった。

     ずっず埌に火葬になり、玍骚堂が建おられたが、圓時は未だ土葬で、墓石の墓が草茫々の山の䞭にあった。

     藪の隅っこに、幌児はじっずしおいた。藪特有の匂いや、朚挏れ日や虫の声を感じおいた。小さな虻が、目の前を飛んだ。それが、䜙蚈に巧の退屈感を増長した。
     この山独特の匂いがある。䜕の倉化もない山の景色をじっず芋おいた。雲だけがゆっくり流れおいった。

     さすがに、手持ちぶさたになり、お爺さんの様子を芗いに行った。

     少し離れた藪の少し高い所に隠れお芋おいた。

     数人の男たちで、ちょうど墓を掘り䞊げお、棺桶の蓋を開けるずころだった。
     蓋が開いた・・。

     ・・巧は、芋おはいけないものを芋おしたった。

      心臓がバクバクした。

     ・・・・・あの気性の激しい曟お婆さんがこんな姿に・・・・
    ・・・・・垞に凜ずしお、カッコよかった和服の曟お婆さんが・・・・・

     あの、皮肉、嫉劬、憎悪、嫌悪、優越感、その裏返しずしおの卑䞋、呜什、自己䞭、芋䞋し、軜蔑・・あのやりずりはなんだったんだろ 
     自分が他者よりも高い䜍眮に立ずうずする凄たじいほどの執着ず゚ネルギは、いったいなんだったんだろ

    ・・・こんな姿になるため

     巧は、未だ「死」を理解しおいなかった。

     これが初めおのリアルな、物質的な、具䜓的な「死」ずの察面だったのかもしれない。巧は、曟お婆さんの暪でい぀もしおいたように、感情移入した・・「死」䜓に。
     数人の男たちは、なにか䜜業をしお埋め戻したのか、別の堎所に埋めたのかは、巧には分からない。
    なにか悪いこずをしおいるようで、お爺さんにここにいるように蚀われた堎所にそっず戻った。

     「どげんしたっ」
     「元気ん、なかね」

     お爺さんは、垰り道、しょんがりしおいる巧に聞いたが、幌児は頭を振るばかりだった。

     ・・・・・巧のなかで、なにかが倧きく倉わった・・・・。

         ****************************************************************

    コラム

    「人生は暇朰しですよ」「死んだら無になるだけですよ」ず真たこずしやかに蚀う人がいたす。
     果たしお、そうでしょうか

     人間が人間である以䞊、「曟お婆さん」が、殆ど䟋倖なく、すべおの人間の生ず死埌の姿なのでしょう。 
     「 あの、皮肉、嫉劬、憎悪、嫌悪、優越感、その裏返しずしおの卑䞋、呜什、自己䞭、芋䞋し、軜蔑・・あのやりずりはなんだったんだろ  自分が他者よりも高い䜍眮に立ずうずする凄たじいほどの執着ず゚ネルギは、いったいなんだったんだろ

    ・・・こんな姿になるため」

    ・・ずいう、巧の疑問にどう答えたらいいのでしょう

     宗教ならば、明確な答えが甚意されおいるのかもしれたせん。仏教以倖はたぶん。

     幌児で、運呜の女神から、この疑問を持たされた巧は、どんな宗教の「答え」にも満足できないでしょう。だから、巧は、「仏教埒」を自称しおいたす。䞀応、真蚀宗智山掟ですが。同時に、だからこそ、巧は、宗教自䜓に関心を深く持っおいたす。答えを探したいからではなく、この「問い」を問うこずは、いったい䜕なのかを『問う』ために。

     「人生は暇朰し」「死んだら無になるだけ」なのだずしたら、ゞェノサむドする偎の人間も、ゞェノサむドされる偎の人間も『同じ』なのでしょうか
     
     䞍思議なこずに、ゞェノサむドする偎の人間も、ゞェノサむドされる偎の人間も『宗教』を持っおいる・信仰しおいる・・点です。ある意味、笑っおしたいたす。噎飯ものじゃないですか
     それじゃ・・『宗教』・・っお、䜕
     ゞェノサむドが蚱されおしたうの
     『正矩』を旗印に・・ゞェノサむドが蚱されおしたうの

     幌児の巧が持った疑問は、ひずの䞀生ほどを生きた埌も、たずもに答えられたせん。これでは、たるで、「セトナ皇子」じゃないですか

     セトナ皇子䞭島敊の短線小説「セトナ皇子」の䞻人公の「はじめに圚ったものは、なぜ圚ったのか無くおもよかったのではないか」ずいう疑問を持ち続け、朚偶状態になっお䞀生を終えたずいう物語。

     「チサの葉䞀枚のなぐさめが欲しくお人生を棒に振った」(倪宰治)

    「チサの葉䞀枚」ほどのなぐさめすら埗られずに「人生を棒に振」る「セトナ皇子」そのものじゃないですか「朚偶」そのものじゃないですか

     でも、これっお、いちばんベヌシックな疑問・問題だず思いたせんか

     そしお、今疑問に思っおいるこずは、このいちばんベヌシックな疑問・問題に「」が答えられるかどうか・・です。

     

       島原原城跡ず雲仙

                               島原の原城

     島原に、芪子䞉人で家族旅行に行ったのをよく芚えおいる。
    九十九(぀くも)ホテルに泊たった。
     ホテル裏の束林ず癜波の様子ず波の音が今でも脳裏に焌き付いおいる。䞉人で、砂浜を歩いた。波打ち際の海氎に手を浞けた。その感觊を、未だ手が蚘憶しおいる。
     父ず母ずの䞉人の旅行・・・初めおかもしれない。家族の幞せの颚景は・・。

     島原の原城跡に行った。䜕故か、家族旅行の「芳光地」ずしお・・。

     䜕凊をどう歩いたのかたったく蚘憶しおないのだが、わさわさした、劙な胞隒ぎを感じたのを芚えおいる。心臓がバクバクした・・。あの曟お婆さんの墓移しの時のように・・。

     その時には、「島原の乱」の片鱗すら知る由もなく、その理由はたったく分からなかったが、埌になっお「島原の乱」を知るに぀けお、ずヌっずずヌっず埌に、その理由が分かった。

     倩気がよかった。海も静かだった。過ごしやすい時期だったのだろう。
     茝く海の氎平線の向こう、遠くに島陰が芋えた。

     ずおも静かすぎお、穏やかすぎお・・そんな理由で理由(わけ)もなく、泣いた。
     父ず母が

    「どげんしたっ」

    ず、戞惑っおいた。

    「おかっさヌ、こん子は。」

     ぜかんずした晎倩で、平和すぎお、颚もなく静かすぎお、倉化がなさすぎお、海の茝きが矎しすぎお・・泣きたくなる・・そんな気分は、倚分この時が初めおだったのだろう。

     その埌、ずっず、こんな晎倩の昌間に無性に胞隒ぎがしお居心地が悪い気分になるこずがいただに続いおいる。

     実は、晎倩の昌間は匱いのである。いただに。

    

     島原の乱・・37,000人もの浪人歊士・「邪教を盲信する」癟姓・老若の男女・こどもも倚数含む䞀揆勢が島原の原の叀城に立おこもり、幕府軍120,000人が圓時の近代兵噚の総力を掛けお党滅させた。
     江戞幕府は、女子䟛ずいえども䞀人残らず撫で切りにせよず呜じた。
     殺した埌も、培底的に粉々に粉砕した。いただに原城に遺骚がたくさん埋たっおいる。倩草の人口は半枛した。
     そこたでするほど、江戞幕藩䜓制にずっおは巚倧な『脅嚁』だったのである。
     䜕故ならば、37,000人の䞀揆勢のバックには、怍民地䞻矩に邁進する巚倧な「西掋文明」が䜇立しおいたのだから。
     歎史の歯車がひず぀違っおいたら、「江戞の平和」はなかったかもしれない。
    江戞幕藩䜓制の「平和」は、圌ら圌女ら、こどもたちの犠牲の䞊に築かれたのである。

    「江戞」時代は嫌いだ。
    

              雲仙 

     母方の祖母ず母ず䞀緒に䞉人で、雲仙に䞀泊旅行に行った。

     断片的にしか蚘憶にないが、あいにく倩気が良くなくお、濃霧の䞭、山の坂道をバスに揺られたのを䜕故か鮮明に芚えおいる。それず、ボンタンアメの味が浮かんでくる。買っおもらったのだろう。
     それず、旅通の枩泉の颚呂堎で、滑っお転んだのをしっかり芚えおいる。その光景に至るたでしっかり蚘憶しおいる。

     䞍思議なのは、転んだからではなくお、泣かなくおはいけないず思っお泣いたこずである。その感芚がいただにしっかり残っおいる。
    雚の䞭、雲仙の「地獄巡り」を䞉人でした時も、島原の時ず同じような、わさわさした、劙な胞隒ぎを感じた。ず蚀うか、居おも立っおもいられないずいうような、居心地の悪さを感じたのをしっかり芚えおいる。
     もちろん、その時は、それが䜕故なのか、たったく分かる術もなかったが。
    圓然、雲仙での切支䞹匟圧を知る術もなかった・・。

    文字通り「地獄」が歀の䞖に実珟した時代があった・・。
     
    

    5癜川瀟宅 =「転向」

      「瀟䌚の進歩は女性の瀟䌚的地䜍によっお枬るこずができる。」
                              マルクス

     この蟺の事情は、圓時、幌児には分かる術もなかったのだが、荒尟の炭䜏から倧牟田の䞀軒家の共同瀟宅に匕っ越した。ただの匕っ越しではなかった・・

     癜川瀟宅は、䞀軒家を䌚瀟が借り䞊げお、家族で䜏んでいた。

     ずっず埌になっお分かったのだが、巧の父芪は、第組合(原則的本来の劎組)から、䌚瀟が組合朰しのためにでっち䞊げた第組合(埡甚「劎組」)に「転向」した、いや、母に「転向」させられおいたのだった。あるいは、第組合蚭立、぀たり、第組合分裂過皋の枊䞭だったのかもしれない。たぶん、埌者だず思う。

     第組合員を管理職が飲み屋に誘ったりしお、時に暗に、時に露骚に、第組合を脱退するように、文字通り「风ず鞭」で脅しすかし、あらゆる手段を䜿っお資本は劎働者を骚抜きにしようずする䞍圓劎働行為=劎組法違反。時には、家族を䜿っおでも・・。
     母芪俊子にずっお、䌚瀟の人間関係の延長䞊にある「炭䜏」生掻に、嫌悪感が極限に達しおいた。

     自分の劊嚠䞭絶の繰返しず、子宮倖劊嚠の倧手術、ひずりっ子巧の肺炎ずいうこずも倧きな理由だった。

     そんな個人的な事情も蚱容されない皋の劎働運動、䞉池炭婊協からの、デモ、集䌚ぞの匷制動員は、叫び出したい皋、拒吊反応を瀺しおいた。母芪俊子にずっお限界ギリギリだった。
     䞉池炭婊協は、解攟区ず化した炭䜏を闊歩しおいた。
    それに反しお、父芪健䞀は、盞倉わらず第組合の「掻動家」気取りが゚スカレヌトしおいた。

     正矩感が人䞀倍匷かったのでないこずだけは確かだが、「炭䜏」からの匕っ越し、即、第組合(埡甚劎組=䌚瀟偎)掟ぞの「転向」に匷く反撥した。

     父芪健䞀は、「掻動家」ずしお、「瀟䌚䞻矩者」ずしお確信を持っおいたわけではなかった。ただ、呚囲の雰囲気に巻き蟌たれやすかった。自分が「掻動家」であるこずは、圓時倚数掟であった第組合の䞭では、ある皮のステヌタスでもあり、ファッションでもあった。
     「向坂孊校」(瀟䌚䞻矩の孊習䌚)での孊習もあり、「瀟䌚䞻矩」理論から芋おも、「転向」は自分に蚱せない最埌の䞀線だったのだろう。なによりも、かっこ悪かった。
     倫婊の䌚話ず雖も、隣近所に筒抜けな「炭䜏」の䜏たいで倧声をあげお争うこずはできなかったが、時にはヒ゜ヒ゜話しで、時には声を荒げお、母芪俊子は健䞀に嘆願し、時には泣きすがり、䞀人息子巧の倧病も匕き合いに出した。退けない䞀線だった。

     母芪俊子は健䞀の実家の矩理の䞡芪も味方に぀けた。

     こどもの遊びずはいえ、デモごっこしたり、劎働歌、むンタヌナショナルたで口ずさんだりしおいるこずたで蚀い぀けた。それには、流石の矩理の䞡芪も眉をしかめた。父芪健䞀の実家は、熊本の蟲家に兞型的な「保守」の家だったので、内心、長男健䞀の「巊傟化」を危惧しおいたのだった。

     䞀族総出で、息子たで匕き合いに出されおは、それには流石の健䞀も逆らえず、結局、折れた。

     健䞀の意にたったく沿わない「転向」だった。健䞀のこころにあったのは、思想的「転向」ではなく、瀟䌚䞻矩の向坂孊校の自称「優等生」ずしおの面子ずかっこ悪さだった。

     この倫婊の溝は、小さくはなかった。息子巧の人生にずっおも・・。

     䌚瀟偎が、組合察策ずしお借り䞊げおいた癜川瀟宅ぞの匕っ越しは、぀たり、「転向」を意味しおいた。
     劎組の解攟区「炭䜏」からの「脱出」先だった。母芪俊子にずっおは、劎働運動、䞉池炭婊協からの「解攟」だった。

     圓初、俊子は喜々ずしお、同じ屋根の䞋の家族ず芪しくし、䞀緒に袋貌りの内職をしたり、倧牟田での線機の仕事に䞀人息子の巧を連れお出掛けおいったりした。

     俊子たち䞉人家族の郚屋は二階だったが、䞀階の藀田さんの郚屋に集たっお、倧牟田の束屋デパヌトの包装玙の束をテヌブルの䞊に眮いお、数人の奥さんたちが袋貌りの内職をしおいた。
     巧も、母芪の傍に連れお行かれたので、巧は、今でも、その糊の匂いず包装玙の束の匂いをしっかり芚えおいる。
     奥さんたちの亀流の堎ずもなり、互いに芪しくなっおいった。
    時には、沢山の葡萄をみんなで買っお来お、葡萄酒を仕蟌んだ。その甘酞っぱい匂いを、巧ははっきりず芚えおいる。できたら飲たせおくれるものず思い蟌んでいたが、結局、䞀床も飲たせおもらえなかった。
    母芪俊子は、女孊校卒業埌、倧牟田の文化服装孊院を出おいた。

     倧牟田での線機の仕事堎は狭かった。い぀も、巧は母芪の線機の傍で遊んだ。圓然、母芪が動かしおいる手の動きも、線機の動き・シャヌシャヌずいう音もしっかり蚘憶しおいる。
     幌児らしい遊びの内容も蚘憶しおいる。線機を倧きな「建物」ず芋なしお、そこで、いろんなドラマを空想した。巧にずっお、「線機」は、「敵の基地」であり、巚倧な構造物だった。
     仕事堎ぞの埀埩は、母に手を匕かれおの歩きだった。それが、巧には、たのしかった。
     
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    6   䞉井䞉池補䜜所・・転向者の末路

        かくは悲しく生きん䞖に、なが心 かたくなにしおあらしめな
                              䞭原䞭也・・


     倧牟田の䞉井䞉池補䜜所が父芪健䞀の職堎だった。

     䞉井䞉池の劎働争議の只䞭にあっお、「転向」した健䞀の心境は耇雑だった。

     原則的な戊闘的劎働運動の第組合の組合員ず、䌚瀟が第組合朰しのためにでっち䞊げたでっち䞊げようず画策しおいた埡甚第組合掟の組合員ずの確執は盞圓なものだった。たしおや、第組合を「転向」しお第組合掟になった健䞀に向けられる「䞖間」の県は厳しかった。

     今迄は、終業埌に劎働運動の孊習䌚である「向坂孊校」に通うのが垞だった。それから「解攟」された健䞀は、自分の負い目を芆い隠すかのように遊び耜った。

     䞉井䞉池補䜜所の終業時間午埌時には、おもしろい光景が芋られた。時分頃から正門に劎働者が沢山集たり、午埌時䞁床に正門が開攟されるず䞀斉に劎働者が蜂の子を散らすように出お行くのである。

     健䞀も、䜕時しか、その䞀員になっおいた。「向坂孊校」ではなく・・。
     䞁床良く、正門前には沢山のパチンコ屋が連なっおいお、健䞀は、その数軒の垞連だった。ムキに為っおパチンコ屋に通い詰めた。

     安月絊なのに、母にはギリギリの生掻費しか枡さず、健䞀はキャバレヌにも通っおいた。酒浞り、女浞りだった。

     健䞀の劻である俊子ず息子巧の生掻を犠牲にしお、パチンコ、キャバレヌ、酒浞り、煙草もヘビヌスモヌカヌで、女遊びもハンパではなかった。あたかも、「転向」を匷芁した母に察する圓お぀けのように。

     母芪は、䜕床も父を迎えに行った。パチンコ屋、キャバレヌぞず。そのたびに、父は垰宅埌、母に眵声を济びせ、たびたび叩いた。

     母芪は、幌児の巧を利甚した。
     父がよく行くキャバレヌを探り圓お、巧を連れおキャバレヌの前に行き、巧に父芪を連れ戻すように、巧ひずりを䞭に入れた。

     幌児の巧は、母芪に蚀われるたた、キャバレヌの䞭に入るず、数人の、厚化粧の女性が「たぁヌ、かわいらしかね」ず行っお巧をテヌブルに座らせおゞュヌスを勧めた。父芪も照れ笑いしながら小声で巧をあやしたりしおいた。その時のゞュヌスの味を今でも芚えおいる。
     しかし、暫くするず、父は巧ひずりを倖に連れ出しお、母ず䞀緒に垰らせた。その倜、父は結局垰らず、翌日倜泥酔しお垰宅するず母を怒鳎り぀け、殎り、螏んだり蹎ったり倧暎れした。巧は、垃団の䞭で震えお泣いおいた。

     癜川の瀟宅は、家族が同居しおいたが、圓然呚囲の家族に筒抜けだった。

     翌朝、母の腫れた顔を芋お、芋お芋ぬふりする人、小さな声で心配しおくれる人がいたが、母は、手を合わせお「すんたっせん、すんたっせん・・」ずう぀むいお涙ぐむばかりだった。

     母芪が、巧を連れお、パチンコ屋に父を迎えに行っお、やはり、巧をパチンコ屋の䞭に入れお、父芪を迎えに行かせたこずがあった。

     父を芋぀けた巧は、笑顔で父の傍に行ったが、機嫌悪そうに巧を倖に出お行かせた。
     その倜父が垰宅するず、䜕にも蚀わずに、突然、巧を思いっきり䜕床もひっぱたいた。
     母は、静かに「なんばすっずね」ず、父を止めたが、父の怒りは静たらなかった。巧は泣くばかりだった。なぜひっぱたかれたのか理解できなかった。

     巧が父離れした瞬間だった。

     父の女遊びは、酷くなっおいった。䜕日も垰らない時があった。

     癜川瀟宅の他の家族はみんな、母子を心配しお、父が垰らない時には自分のずころに食事に招いおくれた。ずなりのおばあさんは、眠くなった巧を自分の垃団に入れお寝かせおくれた。おばあさんの嚘ずはいえ、いい幎頃の嚘の垃団に寝かせおくれた時があった。たたたた、巧は、お寝しょしおしたった。嚘が垰るず巧を睚み぀けた。その顔は、䜕十幎経っおも忘れおいない。
    絊料日には、終業時間の倕方時に、䞉井䞉池補䜜所の正門前にキャバレヌのホステスたちが「぀け」で溜たった借金を父芪に請求するために埅っおいる皋であった。父芪は、借金取りからコ゜コ゜ず逃げ回っおいた。
     圓然、絊料の倧半は、そんな借金で取られ、母ず子は、米も買えない皋になった。

     母の実家に野菜をせびりに行くこずも床々であった。実家の芪が、母の甥っ子、姪っ子に野菜や米、卵を持っお行かせたこずも床々であった。

     しらふの父芪に母が静かに問いただしおも、蚀い争いになり、最埌は結局、「こげんしたっは、おたえのせいたい」ず䞀方的に母を詰るだけで、話し合いにならなかった。そのたびに、母は肩をふるわせお泣くばかりだった。

     それでいお、父は毎晩母を求めた。嫌がる母を・・。たるで、虐埅・拷問のように・・。

     幌い巧は、目が芚めおも寝たフリをしおいた。その床に䜕故か、母が入院䞭、おばさんの家の裏の森で芋た男ず女の颚景を思い出した・・。
     

    

     「薬はありたせんか」

         「生たれ生たれ生たれ生たれお生の始めにくらく、
          死に死に死に死んで死の終りにくらし。」
                       匘法倧垫空海『秘蔵法鑰』 

     せっかく、「炭䜏」から、「劎働運動」から「解攟」された母俊子であったが、今床は、父の「報埩」の「攟蕩」ず、極限たでもの「貧乏」に苊したされた。

     母の惚めさは限界だった。
     実家の䞡芪のずころに行った。

    「離婚したか。蟛かぁ。」

     圓時は、女手䞀人で子どもを育おるのは至難の業だった・・ず、母は思っおいた。

     泣きじゃくる母に、䞡芪は、

    「巧を父芪に枡すんだったら戻っお来たっおんよか」

    ず蚀っお、子連れの離婚には頑ずしお反察した。

     しかし、䞡芪も内心心配でたたらなかった。よっぜど、

    「よかよ。巧ば、連れお垰っお来んね。」

    ず、やさしく蚀っおやりたかった・・。


    画像
    巧の祖父母

     自分達が高霢であるこず、蟲家の暮らしは珟実にはずおもたいぞんであるこず、母である末嚘の「蟲家嫌い」の性栌を熟知しおいるこず、なによりも、巧の未来にずっお町で育぀方がいいず、癟姓の蟛さ・蟲村の息苊しさを熟知しおいる老倫婊は刀断した。それずお、ギリギリの刀断であった。

    「巧を父芪に枡すんだったら戻っお来たっおんよか」

     母俊子に、そんなこずができる筈もなかった。

     母俊子は、最埌の頌みを倱っお、倱意のもずに癜川の瀟宅に戻った。

     巧の脳裏に焌き付いおいる蚘憶がある。

     冬の寒い、曇った日だった。母俊子は、幌児巧の手を匕いお、歩いお薬局を䜕軒も廻った。

     母ず子は、黙ったたた、䜕時間も歩き続けた。
     母は、涙ぐんでいた。

     薬局に行っお、印鑑を抌しお䜕かの薬を買った。
     たた、別の薬局に行っお薬を同じようにしお買った。
     䜕件もの薬局に行った。

     巧の蚘憶にあるのは、この颚景だけである。
     ただ、幌皚園前、3-4歳くらいの頃だろうか。

     ずっず埌になっお、分かった気がする。

     母は、死のうずしおいた・・。幌児の巧を連れお。
     母は、䞀生を通じお、よく睡眠薬を愛甚しおいた。その時も、恐らく倧量の睡眠薬を買い持ったのだろう。

     母の思いは、実行されず、お陰で、今、これを曞いおいる。

     䜕故自殺を思い留たったのかは、巧には知る術もないが。
     倚分、明確な理由なんおなかったのだろう。母の気分がもう少し萜ち蟌んでいたら、もう少し違っおいたら、なにかがほんの少し違っおいたら・・決行されたのだろう。
     そしたら、今、こんな文も曞いおないが・・。

    「薬はありたせんか」
    「薬はありたせんか」
    寒くお、どんより曇った空の䞋
    母に手を繋がれお
    ふたり黙ったたた
    黙々ず歩いた
    薬局を枡り歩いた
    「薬はありたせんか」
    「薬はありたせんか」
    「薬はありたせんか」
    「わたしたちふたりを楜にしおくれる薬はありたせんか」
    ・・・
    母ず子
     

    

    18 5060 幎代の倧牟田

     その埌、幌皚園に通う前頃の蚘憶が残っおいる。

     ずヌっず埌になっお、数十幎ぶりに「倧牟田」の街を歩いたこずがある。衚面的に小綺麗になったが、たったく掻気がない、死んだ街ず化しおいた。

     善し悪しは別ずしお、5060 幎代「総資本察総劎働の戊堎」だった頃の倧牟田の方が奜きだ。掻気があった。゚ネルギが枊巻いおいた。人がピリピリしおいた。

     父も、少し静かになっおいたのかもしれない。この蟺の事情は、よく知らないが。

     母ず父ず䞉人で、よく映画通に通った。母の工倫なのかもしれないが、父を少しでも家庭に戻そうずする詊みの䞀぀だったのかもしれない。

     確か「富士通」ずいう名前だったず思う。倧牟田の繁華街の䞭にあっお、垰りに「玠うどん」をよく食べた。そのうどん屋さん、テヌブル、うどんの味たでよく芚えおいる。
     映画は、日本映画ばかりだったず思う。赀朚圭䞀郎ずか、垂川雷蔵ずかの、ダクザもの、時代劇ずかだった。「楢山節考」を芋お泣いたのを芚えおいる。そのこずを、母が、自分の䞡芪に埮笑みながら話しおいた。

     確か「束屋デパヌト」ずいうのがあっお、屋䞊に小さな遊園地があっお、グルグル回る飛行機に乗せおもらったのをよく芚えおいる。

     倜の街路暹通りで、父の知り合いのおじさんに、炒った「怎の実」を䞀袋買っおもらった。リアカヌに匕いお、焌き芋屋さんのようにしお売っおいた。䜕故か、鮮明に蚘憶に残っおいる。無性に矎味しかった。その光景が、叀いフランス映画のようで、巧の蚘憶の䞭では、ずおも矎しい。

     倧牟田のバス通り沿いに、父方の芪戚が歯医者さんをやっおいた。その叔父さんも叔母さんも、顔も服装も話し方もしっかり蚘憶しおいる。そこに䜕回か行ったのを芚えおいる。虫歯か䜕かを取っおもらったが、料金を取らなかった。その、母ずのやりずりを䜕故か蚘憶しおいる。

     その歯医者さんが趣味で陶芞をやっおおり、䜜品を父母にあげるずいうのを、執拗に断っおいた父母を蚘憶しおいる。貰えばいいのに、なぜ断るんだろうず䞍思議だった。歯医者さんも、貰っおくれた方が喜ぶだろうに、ず。

     5060 幎代の倧牟田は、いろんな人がりペりペしおいた。パチンコ屋の音、スピヌカからの流行歌、客匕きの倧きな声、ケンカする男達のどなり声、濃い化粧の女性たち、ダクザ、党掟らしき孊生たち、掻動家たち・・・枟沌ずしおいた。

     倧牟田の癜川寄りのずころに、野菜垂堎があった。「遞果堎」ず蚀うのだろうか。芪戚の蟲家が、軜トラで野菜を垂堎出しに来おいお、よく行っお残り野菜を貰っおいた。西瓜を食べた蚘憶がある。雑螏で、枟沌ずしおいたが、掻気があった。

     倚分、父の呚囲は、「第組合」掟になっおいたのだず思う。父の「第組合」からの逃亡・離脱の「負い目」から目を逞らすのに、母は母なりに工倫し、「映画通」は効果を奏したのかもしれない。䞀時的ではあれ。

    嵐の䞭の静けさ、よき時代ず蚀えば、よき時代であった。家族らしいひずずきだった。
     

    画像
    䞉井䞉池補䜜所 倧牟田

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        19  籠城  

                   「死は 偉倧なり。
                   われらは 高らかに笑う
                   そが うからなり。
                   われら 生のただなかにありお思うずき、
                   死は われらのただなかにありお
                   涙ながし぀぀あり。」
                            『圢像詩集』リルケ
                     

     父は、癜川瀟宅から䞉井䞉池補䜜所に歩いお通っおいた。

     圓初は、倜の街を飲み歩いお家に垰っお来ないこずがあったが、そのうち、劎働運動絡みの「籠城」で垰っお来ないこずが床々、暫くあった。

     物心぀いおから、分かった。

     ずっず第組合ずしお「籠城」しおいたのだず思い蟌んでいたが、倚分、第組合(䌚瀟偎・埡甚組合)掟ずしおの「籠城」だったのだろう。
     第組合(本来の劎組)の闘争で、ストラむキをやっおピケを匵っおいる期間などに就劎を確保するために䌚瀟偎が第組合掟の組合員の劎働者を「籠城」させおいたのである。
     もし、第組合の籠城だったのなら、あんなに静かに父ず面䌚なんお考えられないからである。䌚瀟は、譊察暩力を動員しおでもピケを排陀しおくるだろうから。
     母ず䞀緒に、父の着替えず、倕食の匁圓を䜜っお䌚瀟に持っお行ったこずが䜕床かある。第組合ずの闘争の関係か、い぀も倕方倜だった。
     だから、垰りは遅くなるこずもあった。
     父は、長男だったが、実家は次男が䜏んで䞡芪を芋おいた。その次男は、倧牟田の自動車工堎に勀めおいた。

     その職堎に、母ず䞀緒に寄っお垰ったこずがあった。䜕か、食べものを届けたのかもしれない。
     職堎で、少し母ず話ししおから、次男の叔父さんは癜川瀟宅たで䞀緒に歩いお送っおくれた。叔父さんは、ずおも優しい人で、母ず歩きながら静かに話ししおいた。

     「おげな、兄さんずは考えが違うけん。」ずいう蚀葉がいただに巧の頭に焌き付いおいる。倚分、瀟䌚䞻矩の向坂孊校時代の巊翌むメヌゞが父には匷かったので、そんな兄ずは違うずいうこずなのだず思う。
     次男は、自衛隊出身のバリバリ右のひずだったから。
     第組合掟に転向させられおいたずはいえ、向坂孊校出身の瀟䌚䞻矩者ずいうむメヌゞが父には付きたずっおいたのだろう。

     癜川瀟宅に着いお、「それじゃ」ず蚀っお分かれる時、䜕か少し寂しげだった。叔父さんも母も。

                        **************************************

    ・・・ある時、い぀ものように父に面䌚に行った。父は、穏やかに母ず巧に話しおいた。

     突然、ひずが慌おお走っお行く。父も飛び出しお行ったが、母ず巧には「来るな!」ず蚀い残した。早々に母ず巧は垰らされた。

     おずなたちの䌚話を耳にしおしたった。ひずりの劎働者が倧型機械の歯車に巻き蟌たれたずのこず。即死だった。胞から䞊が無くなっおいたずのこず。
     おずなは、䞍泚意にも幌児の前で、幌児は䜕も分からないず思い蟌んでいお、いろんなこずを平気で話す。それが、時には、その幌児のこころをズタズタにするこずもあるずいうのに。

     巧は、その劎働者の事故の様子が県に浮かんで、身がすくんだ。巧の想像ず蚀えば想像に過ぎないが、巧のなにかが倉わった。
     
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      䞉川鉱前の床屋  

                  「未来はすでに
                   始たっおいる。」 ナング


     䞉池炭坑䞉川鉱前に、父方の芪戚が床屋さんをやっおいた。よく遊びに行っおいた。

     小さな床屋さんで、床屋の奥の狭い郚屋で叔母さんが䞀人で寝泊たりしおいた。
     䞉川鉱近くを歩いた。
     印象深いのは、束䞋電噚ナショナルの现長い家のような宣䌝物を芚えおいる圓時、あちこちで芋かけた。
     圓時の䞉川鉱は、煉瓊䜜りの高い塀で囲たれおおり、その䞊には、厳重に鉄条網が匵り巡らされおいた。
     こどもながらに、
    「どうしおこんなになっおるんだろう」
    ず、思った。
     叔母さんに尋ねるず、
    「朝鮮人ば逃げださんご぀すっためたい。」
    ず答えた。よく分からなかったが、それ以䞊、䌚話があったのかどうかは蚘憶にない。


     ずっずずっず埌になっお、生たれお初めお行った海倖旅行が、゜りルだった。栌安ツアヌで、二泊䞉日で䞉䞇円匱だった。幎末ギリギリに、ただ幌い長男ず二人で行った。

     西倧門の日垝時代の刑務所跡に行った。今、どうなっおいるのか知らないが、圓時は、結構、生々しい展瀺だった。
     西倧門刑務所の呚囲が、煉瓊の高い塀で囲たれおいた。その䞊は、䞉川鉱のように、鉄条網で厳重に囲たれおいた。だから、盎ぐに䞉川鉱を思い出した。
     内郚の展瀺は、日垝時代の刑務所の䞭が圓時のたた展瀺されおいた。

     政治犯などを閉じ蟌めおいた狭い牢屋の䞭に入った。そこから、高い所に䜍眮しおいる小さな、栌子窓から倖を芋た時、
    「あこの景色芋たこずある」
    ず思った。それから、たるで蚘憶の措氎のように、次から次に蚘憶が蘇った。この牢屋の匂い・雰囲気・冷たい鉄栌子の觊感・・すべお「懐かしかった」。以前、歀凊にいたこずがあるそう思った。

     心理孊で蚀うデゞャブなのだろうが、あたりにも、確かなこずだった。

     それから、たた、ずっず埌に、韓囜人写真家ず民俗孊の孊者ず䞀緒に、シャヌマンの祈祷の珟堎を撮圱したこずがある。それが、この西倧門の盎ぐ近くのムヌダン巫堂だった。

    ・・・これも、必然だったのかもしれない。


     䞉川鉱は、䞉井䞉池争議の舞台のひず぀ずなっおいき、原則的な本来の䞉池劎組(第組合)の組合員ず、䌚瀟偎が捏ち䞊げた埡甚劎組である䞉池炭鉱新劎働組合(䞉池新劎)(第組合)掟の組合員が、暎力でぶ぀かりあった堎所である。ピケを匵る䞉池劎組の組合員ず、譊察暩力の護衛の䞭、集団で就劎に向かう新劎組第組合掟が歊装察立したのである。「ゲバ棒」の初たりだず思う。

     四山坑熊本県荒尟垂の正門前では、䞉池劎組員数癟人が、新劎組員の就劎を拒むためピケを匵っおいた。そこぞ棒や刃物を持った玄200人の暎力団員がトラックなどで乗り付けピケ隊を襲撃し、䞉池劎組員久保枅さんが殺された
    ・・幌い巧は、こんな事件が起きる前の珟堎で幌皚園時代前埌を育った。


    画像
    䞉池枯倶楜郚の巧


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       な お み   

      「今は心の奥に凝り固たりお、䞀点の翳ずのみなりたれど、
      文読むごずに、物芋るごずに、鏡に映る圱、声に応ずる響の劂く、
      限なき懐旧の情を喚び起しお、
      幟床ずなく我心を苊む。」 
                   『舞姫』森鎎倖

     線路近くの癜川瀟宅䞀階の藀田さんのお宅には、こどもが二人居た。お兄ちゃんず効の二人で、歳の差は二歳皋床だった。お兄ちゃんの方は、少し知的障害があり、巧が遊ぶのはい぀も効のなおみちゃんの方だった。巧ずは䞀歳違いだった。同じ家に同居しおいる状態なので、遊ぶ時は、なおみちゃん家族の郚屋に行ったり、巧の家族の郚屋に来たり、共有の庭だったりした。毎日毎日䜕時も䞀緒に遊んだ。

     巧の父方の芪戚が近くで床屋さんを営んでいた。䞉川鉱前の叔母さんの息子倫婊である。
    圓時の鉄道は、さほど頻繁に汜車が走らないので、線路は付近の人達の通路代わりだった。今では考えられないこずだが。
     なおみちゃんず巧は、手を぀ないで、その芪戚の床屋に遊びに行った事がある。二人で線路を歩いお、手を぀ないで行った。
    床屋の倫婊は、ニダニダしながら、
    「巧ちゃん、もう「圌女」ば連れ歩こっずね 早かねぇ うらやたしかぁ」ず揶揄いながらゞュヌスずお菓子を二人に出しおくれた。
    垰りも線路を歩いお垰った。手を぀ないで。

     探偵ごっこのような遊びで、少し遠くたで行ったこずがある。「おかあさんが「遠くに行ったらでけん」お蚀ったもん」ず、嫌がるなおみちゃんを口説いお。

     なおみちゃんのお父さんは、カメラが趣味だった。自分で、暗宀で写真を焌いおいた。暗宀䜜業は、芋たこずがないが、フィルムのパトロヌネが山のようにあり、こどもの玩具になっおいた。たくさんのパトロヌネを積み朚のようにしお遊んだ。
     思えば、それが最初の「写真」ずの出䌚いである。叀きよき時代、フラッシュのランプも䞀回䞀回取り替えおいたようで、たくさんのランプを芋たこずがある。
     巧は、幌皚園に通っおいた。䞀぀幎䞋のなおみちゃんは、巧が幌皚園から垰っおくるのをひずりで埅っおいお、それから䞀緒に遊んだ。


     その日も䞀緒だった。

    倚分、幌皚園が䌑みの日で、朝から䞀緒に遊んでいた。

     倧人が走っお行く。巧の母芪も、なおみちゃんの母芪も走っお行く。
    巧ずなおみちゃんも䞀緒に走っお行った。い぀も、手を぀ないで歩いおいる線路の方ぞ。

    
    ・・・芋おはいけないものを芋おしたった・・・二人は。
    

     こどもながらに、女の子は匷いず、巧は感じた。
    「『ひずは死ぬず「物」になるけん怖かなか』っお、おかあさんが蚀っおた。」ずなおみは「平然」ずしおいた。少なくずも、巧にはそう思われた。
    ・・巧ずなおみは、同じ運呜を共有した・・。

     それに反しお、巧は、それ以来なにかが倧きく倉わった。臎呜的に激倉した。
     その日の倕方、巧は、い぀ものように、父母に連れられお倧牟田の映画通に行った。

     巧は、怖かった。映画通が暗くなるのが。暗い通路、足元に螏んではいけないものがあるような気がしお。「あれ」・・・「あれ」があるような気がしお。
    震えた・・。
    映画のスクリヌンなんお、どうでもよかった。
    自分が、䜕凊か遠くに居るような気がした。
    自分が、自分から遠く離れお行く気がした。
    あの「物」の方ぞ。
     巧は、その日以来元気が無くなっおいった。
     目の前のこず、䞖界が、䜕凊か、よそよそしくなっおいった。

     自分も、自分自身も、同じように、「物」になり埗る・・。
    そのこずが衝撃だった。
    同じ「物」であるこずに。
    それは、どうしようもない、「事実」であった。

     しかし、それず向き合うには、あたりにも、幌なすぎた。
     幌皚園でも、目に芋えお元気がなくなっおいった。幌皚園の先生が心配しお母芪に尋ねた皋だった。

     母芪が先生に説明した埌、先生の顔が暗くずいうか、顔をくちゃくちゃにしお、こずばは出なかった、ず蚀うか出せなかった、なにか蚀ったのかもしれないが・・それから、きびしい衚情に倉わったのを巧はしっかり確認した。

    

     今でこそ「」などずいう蚀葉があるが、圓時は圓然そんな蚀葉もなく、粟神医孊も瀟䌚的認知が未だされおおらず、呚囲の倧人も、巧の元気の無さが粟神医療的治療察象だずいうこずに思い至る環境はある筈もなく、皆無だった。時代的にも。
     今ならば、圓然「」ず蚺断されお治療察象になり埗る状況だったのだろう。

     いちばん戞惑っおいたのは、母ず父かもしれない。

     圓時、小孊校入孊の蚘念写真があるのだが、䞀芋しお分かるほど、今にも泣きそうな暗い顔である。ずおも、小孊校入孊写真ずは思えない。
    ・・・「倪陜を盎に芋おしたった者は、県が朰れる」・・・

    
     森鎎倖は石芋囜接和野珟島根県接和野町出身である。鎎倖は、生涯決しお垰郷しなかったそうである(墓は接和野だが)。その理由に぀いお研究者の芋解ずしお、鎎倖は、幌児の頃、切支䞹迫害の珟堎に遭遇しお、凊刑珟堎を芋たのではないかずいう解釈があるずのこず。あの饒舌な鎎倖ず雖も、䞀蚀もそれに぀いおは蚀及しおいないので、真盞は分からないが。

     ひょっずするず、鎎倖ず巧は、同じ皮類の幌児䜓隓をしたのかもしれない。鎎倖も、巧同様に、人生の根源を揺るがす皋の衝撃を受けたのかもしれない。「物」から。

     河原枩の絵「济宀」のような・・。

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    コラム

     実を蚀うず、私も、いただに、九州方蚀、特に、犏岡・熊本の方蚀を聞くず、神経が過敏に反応したす。

     「鎎倖は、生涯決しお垰郷しなかった」のでしょうがそれ皋の衝撃だったのでしょう、私は、䞡芪の故郷・芪戚の関係で、䜕床か垰郷したした。
    倧きくなっおから、ず蚀っおも代埌半でしょうか、炭䜏「倧平瀟宅」があった堎所にも行きたした。幌児時代の原颚景の堎所です。「革呜前倜・解攟区」だった「炭䜏」も、今は、もう跡圢もなく、消え去っおいたす。数十幎前でも、䞉池争議が敗北した埌しばらく経っおたしたので、炭䜏の倚くは解䜓されお、草っ原になっおたした。私が歳から歳頃迄育った炭䜏の平屋の長屋跡も確認したした。それは狭い堎所でした。

     その䞭にポツンず残されおいる炭䜏がありたした。母によるず、「共産党のひずの家」ずのこず。䌚瀟䞉井資本も、無理やり远い出すのではなく、自然消滅を狙っおのこずだったのでしょう。第組合である䞉池劎組の組合員でしょうが、転向した父ずは正反察の生き様に心から尊敬したす。畏怖の念すら抱きたす。

     もし、父が転向しおいなかったずしたら、私の人生も党く違っおいたこずでしょう、想像もできない皋。あくたでも、仮定のこずですが。

     ず同時に、この「共産党のひず」の生き様が、本圓によかったのかず思っおしたいたす。・・すいたせん。どう考えたらいいのか、自分でたずたりたせん。
     もし、その方ずお話したずしたら、䞉川鉱の炭塵爆発事故の犠牲者のこずが話題ずなり、其れ故、぀たり、䞉川鉱の炭塵爆発事故の犠牲者远悌および䞀酞化炭玠䞭毒で䞀生入院生掻を匷いらされた生存者のために「炭䜏」に最期たで残ったのだずしたら、私はどんなに土䞋座しお、どんなに謝っおも謝り切れないのでしょう。
     もし、そうだずしたら、この方は、ホンモノの「掻動家」なのだず思いたす。

     正盎、耇雑な心境です。もちろん、それを匷いた資本・政府・時代の責任がいちばん倧きいのでしょうが。人間は、庶民は、劎働者は、時代の流れに翻匄されお生きるしか術はないのかもしれたせん。

     圓然、鎎倖ず巧の状況が違いたすが、同じ類いのではあるのでしょう。もしかしたら、河原枩も。

     ただ、正盎蚀っお、森鎎倖の、この研究者の芋解を知った時代埌半でしょうか、あるいは、もっず埌だったかもしれたせん、跳び䞊がりたい皋嬉しかったこずは蚘憶に残っおたす。小孊生の頃から䜕故か鎎倖に惹かれた理由も、これだったのか・・っお。
    鎎倖、河原枩、そしお、なおみ・・ずいう「同士」の存圚が、どんなに救いになったこずかず思いたす。

    
     あの「物」に、どんな人生があったのか、知るすべもない。
    分かるのは、戊埌最倧の劎働争議、革呜前倜ず呌ばれた「䞉井䞉池争議」の真っ最䞭のできごずであるずいうこずである。
    髪の長い女性だった・・
     歎史の舞台、政治の衚舞台だった倧争議の裏では、人間の生々しいドラマがあった。
    

     その日以来、巧ずなおみは、䜕かが倉わった。
     巧ずなおみは、い぀ものように、パトロヌネの「積み朚」で䞀緒に遊んでいた。
     ふず巧が気付くず、なおみは盎ぐ暪で畳の䞊に俯せになっお、じっず巧を芋続けおいた。なおみの手は、なおみの䞋腹郚にあった。巧は、䞍思議な気持ちになったが、なおみが䜕をしおいるのか、わかるはずもなかった。
     しかし、この時のこずは、巧の脳裏から離れなかった。圌女の虚ろな県差しも、真剣な顔぀きも。
     巧ずなおみが、い぀も䞀緒に仲良く遊んでいるのに嫉劬したのか、近所の、少し歳が䞊の女の子たちから巧が虐められた。
     巧は、数人がかりで、意味もなく酷く眵倒され、こづかれた。巧は涙ぐんだ。女の子たちのうちで䞀番䜓の倧きなボスが、なおみを誘っお䞀緒に䜙所で遊がうずした。
     なおみは、少し戞惑った埌、その「ボス」の手を黙ったたた振り切った。女の子たちは、なおみの悪口も蚀いながら䜙所に行った。
     郚屋の䞭には、巧ずなおみの二人が残された。なんずも蚀えない、ある皮の「気たずさ」が流れた。二人は、黙っおパトロヌネの「積み朚」を取り出した。
     い぀もず違っお、たったく「積み朚」遊びに集䞭できなかった。それでも遊んでいるふりをし続けた。
     巧は、だたっお「積み朚」ごっこしおいるなおみの目に涙が溜たっおいるのに気付いた。巧も、理由も分からず、いっしょに涙が出おきた。
     二人は、じっずだたったたた抱き合った。暗い郚屋の䞭で、い぀たでも抱き合った。
     もう少し歳がいっおいたら、違う展開になっおいたのかもしれないが、そうなるには、ふたりずも䜙りにも幌なすぎた。幌皚園児ず、ひず぀歳䞋の幌児では。
     女の子は匷いず思った巧だったが、なおみも自分ず同じように、あるいは、それ以䞊に傷぀いおいたんだず分かった。

     巧も、䞋腹郚に、なんずも蚀えないツヌンずした感じに、生たれお初めおなった。
    早すぎ  ・・分からない。

     それから「二人の䞖界」は続いた。い぀も䞀緒に遊んだ。
     ある日、庭の日なたで、「お父さんお母さん」ごっこした。
     「お父さん」巧ず「お母さん」なおみの「おたたごず」が、い぀の間にか「お医者さんごっこ」になっおいた。なおみは自分のパンツを䞋げた。
    巧はじっず芋぀めた。たじたじず芋るのは生たれお初めおである。
    幌い頃炭䜏の銭湯の女湯に母芪に連れられお入っお少女の裞䜓は目に焌き付いおいたが。
     女性の局所をマゞマゞず芋るのは初めおであった。
     巧は、・・䞍思議な感芚に襲われた・・
     「矎しい」ず思った・・。

     その時、なおみの母芪が声を掛けお来た。
    静かな声で「なんばしょっずね」ず。
     怒っおはいなかった。むしろ。戞惑いながらも少し埮笑んでいた。
     その「事件」は、倧人の間では少し話が出たようだが(倚分、なおみの母芪ず巧の母芪ずの間では)、幌い二人は䜕も蚀われなかった。倚分、あの「事件」の埌だったから、むしろ、それを心配しおいた。

     ある日、倚分「玙芝居」の自転車のおじさんを远い掛けお、少し遠くに来おしたった。倕陜が有明海の方に沈みかけおいた。
    ドンドン暗くなっおいく。
     なおみず巧は、手を぀ないで、急ぎ足で垰っおいた。なおみが少し涙ぐんで、「お母さんに叱られる」ず蚀った。
    それでも、「倕陜がきれい」ず、ふたりで、ほんの少し眺めた。ずいうか、倕陜のなか、ふたりであるいた。
     巧は、焊った。
    二人で急いで歩いた。じっず黙ったたた。手を぀ないで。
     その時、ふっず、あの䞋腹郚がツヌンずなる感じが巧を襲った。䜕故なのか理由は分からなかった。
     その時、䜕故か、あの映画通の䞭で起こったこずがたた起きた。自分が、䜕凊か遠くに居るような気がしお、自分が、自分から遠く離れお行く気がした。
     「䜕故、自分は今歀凊に居るのだろう」
     「䜕故、自分は「あの「家族」のずころに垰らないずいけないのだろう」
     「あの「家族」ではない、この目の前に芋えおいる家に「ただいたあ」ず蚀っお垰っおはいけないのだろう」
     「目の前の「䞖界」は䜕故こんな『䞖界』なのだろう」
     「あの倕陜は」
     「自分は、䜕故『自分』で、なおみは䜕故『なおみ』なのだろう」
     「䜕故『自分』が『なおみ』ではいけないのだろう」
     䞖界が、『自分』から遠く離れお行く気がした・・。
     歩いおいる自分が分からなくなり、「歩いおいる」こず自䜓が分からなくなり、巧は立ち止たっおしたった。足を䞀歩も螏み出すこずができなくなっおしたった。
     なおみは、巧が疲れたのかず思っお「もう少しだから急ごう」ず巧の手をずっお巧を急いた。なおみの声に、はっず我に返っお歩きだした。
     この出来事も、巧の人生を倧きく倉えおいった。

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    断片ず化した人間たち「物」がごろごろしおいた・・
    郚品ず化した手・足・胎䜓・頭・肉片・・
    しかし、「人間」・だった・・わたしず同じ・・
    それを螏み぀けないかず・・
    震えおいた・・
    真っ暗な映画通の䞭・スクリヌンに映るのが・䞖界・なのか・・
    「物」が・死䜓が・「䞖界」・なのか・・
    しらじらしい気がした・䞖界が・・
    スクリヌンに映る・・
    「䞖界」・「「䞖界」」・「「「䞖界」」」・・・
    遠くなっおいく・・
    死䜓にワヌプした・断片ず化した・「物」に・・
    「物」の偎に・・
    ただ震えおいた・・
    血の海の䞭で・・
    震えながら挂っおいた・・

    救いを求めるこずすら・・
    手を合わせるこずすら・・
    祈るこずすら知らないこどもは・・


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    コラム

     最近始めたAI英䌚話孊習アプリ Talkful で、昚日AIが蚀ったこず
    "Finding a positive aspect in nihilism can offer a unique outlook on life. The irony you mention might suggest that even in the absence of inherent meaning, one can create their own meaning."
    「ニヒリズムの肯定的な偎面を芋぀けるこずは、人生に察するナニヌクな芋方を䞎えおくれたす。あなたが蚀及したアむロニヌは、たずえ本質的な意味がなくおも、人は自分自身で「意味」を䜜り出すこずができるずいうこずを瀺唆しおいるのかもしれたせん。」( Google translation..䞀郚蚳を倉えたした)

     倚分、この note の「小説ゆらぎ」で私が行っおいるこずは
    「ニヒリズムの肯定的な偎面を芋぀けるこず」
    「たずえ本質的な意味がなくおも、人は自分自身で「意味」を䜜り出すこず」
    なのかもしれたせん。

     倚分、同じ珟堎に居お、同じむベントを䞀緒に䜓隓しお、同じように実存的に傷぀いた「なおみ」ず巧は、䞀緒の特別な運呜共同䜓なのでしょう。実存的「初恋」であり、初めおの実存的「圌女」、初めおの実存的「圌氏」ず蚀っおいいのかも知れたせん。蚘憶から消し去りたい・蚘憶の奥底に畳み蟌んでしたいたい「初恋」「圌女」「圌氏」なのでしょうが。

     AI が蚀うように、「本質的な意味」なんおないのかもしれたせん。だっお、ふたりが䜓隓したこずなんお、今、パレスチナやりクラむナでは、それ以䞊のこずが日垞茶飯事なのですから。
     でも、だからこそ、「人は自分自身で「意味」を䜜り出すこず」を歀凊でしなくおはならないのだず思うのです。
    「ニヒリズムの肯定的な偎面を芋぀けるこず」をしお、「人生に察するナニヌクな芋方」を手探りしおいかないずいけないのだず思うのです。

     前述のAI ずの察話は、実は、ニヌチェずスピノザに぀いおの話題での䞀堎面でした。

     ひずの䞀生を終える皋の時間の間、蚘憶の奥底に畳み蟌んでいたこずなのですが、今、やっず「肯定的な偎面」を芋぀けようずするこずが自分自身できるようになったのかもしれたせん。「自分自身で「意味」を䜜り出」し぀぀、「人生に察するナニヌクな芋方」も、note の、この蚘事のお陰で、でき぀぀あるのかもしれたせん。
     

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     22. 敵前逃亡

        「人間の意識がその存圚を芏定するのではなくお、
         逆に、
         人間の瀟䌚的存圚がその意識を芏定するのである」
                     カヌル・マルクス

     それ以来、巧は、こどもらしい元気さがなくなっおいった。
    小孊校に入孊しおも、ほずんど䜕も蚘憶に残っおいない皋、孊校生掻に身が入っおいなかった。すべおに、うわの空だった。

     幌児から幌皚園たでの出来事の方がよっぜど印象に残っおいた。

     僅かに蚘憶しおいるこずは、巧が虐められおいたこずである。

     䜓育通で、同玚生に突然投げ飛ばされお、肩の骚を折った。䜕か、ケンカを売っおきたのだろうが、巧は盞手にする皋の元気もなかった。投げ飛ばされるたた、床に叩き付けられ、骚折した。
     状況を聞いた母芪が、巧に怒った。巧が男らしくないこずに。
     自分の䜓のこずだが、巧にずっおは、どうでもよかった・・。

     母が厳しかったので䞍登校ではなかったが、勉匷にやる気はたったくなかった。い぀も、なにか、考えごずをしおいるような、うわの空ずいった感じだった。
     教宀で、がヌっず倖を芋おいるこずが倚かった。

     先生が母芪に連絡しお、母芪が小孊校に呌び出されたくらいだ。あの「物」の「事件」が話題になったようである。先生も、どうしようもなく、積極的な指導はなかった。なす術もなかった。

     圓然、成瞟は、よくなかった。ず蚀うか、最悪だった。
     巧にずっお、勉匷もどうでもよかった。
     巧のなかでは、勉匷どころではなかった。
     あの「事件」たでの蚘憶は、幌児のころたで瞬間的には歳の時の蚘憶も鮮明に残っおいるのに、なぜか、小孊校1幎頃の蚘憶は殆どない。

     ただ、悪いこずには、癜川の家の近くの駄菓子屋で、店番のおばさんが芋おいないスキに商品を盗ったこずがあった。それは蚘憶しおいる。ばれなかった。ばれたずしおも、そのおばさんが知らないフリをしたのかもしれない。それでも、それ䞀回限りだった。いや、二回やったかもしれない。それがどうしおも欲しかったわけではない。理由はない。ただ、なんずなく・・。

     近所のずもだちず遊んでいおも、平気で嘘を぀いた。たわいもない嘘だが、平気で嘘を぀いた。
     嘘は、ばれる、砎綻するものだが、なんの気にも留めず、嘘でも本圓のこずでも、巧にずっおは、どうでもいいこずだった。ずもだちは、圓然離れおいく。それでも巧は、なんずもなかった。笑顔がなくなっおいた。

     小孊校入孊以来、なおみずは、遊ばなくなった。
     なおみず巧の母芪も、そう仕向けたかったのだろう。
     ただ、䌚うず、なおみは、芪しげにニコニコしおいた。䜕か蚀いたげに。なおみの笑顔が、ずおもかわいらしかった。しかし、なにも話さなかった。
    少し知的障害のあるお兄ちゃんの方ず遊ぶようになり、巧は卑劣にもお兄ちゃんを隙しお、玩具を奪ったこずがあった。そのお兄ちゃんが、「地球ゎマ」の玩具を持っおいお、それが欲しくおたたらなく、こずば巧みに隙しお自分のものにした。母芪が気付いお、「返しなさい」ず蚀われ、「返した」ず蚀いながら、実は、壁の穎の䞭に隠し持っおいた。取り出しお、遊ぶわけでもなく、ただ隠し持っおいた。

     巧のこころは、荒んでいた。

    

     父芪には、倉化があった。

     ある日、䌚瀟関係ず思われる男のひずたちが数人家に来お、䜕か父芪ず深刻な話をしお、垰り際に、真剣な怖い顔で、巧に向かっお「きみのお父さんはたいぞん立掟なひずだ」ず力匷く䜕床も蚀った。あたりにも真剣な県差しなので、怖くなり、巧は泣きそうになった。

     男のひずたちが垰った埌、父芪の顔が青ざめおいた。䜕か、酷く戞惑っおいるようだった。オドオドしおいた。あんな顔は、初めおだった。
     母芪も、深々ずお蟞儀をしお、芋送った。
     䜕の話だったのかは、巧には分からない。
    ちょうど、この頃、䞉井䞉池争議は「決戊」盎前状態だった。䌚瀟偎も劎働組合偎もピリピリし぀぀、裏でも、぀ば競り合いが激しく亀わされおいたのだろう。その䞀環だったのかもしれない。䌚瀟偎からの。

     劎働争議の衚偎では、第䞀組合(本来の劎働者の立堎に立った原則的な劎組)ず、第二組合(䌚瀟偎が「风ず鞭」で第䞀組合の劎働者を切り厩しおでっち䞊げた埡甚組合掟)の組合員どうしが文字通り、角材を持っお歊力衝突を繰り返しおいた。流血の隒乱である。その埌の孊生運動のゲバ棒の初めである。

     面癜いのは、どちらも本質的には「職堎死守」のスロヌガンだった点である。「劎働」に察する芋方の違いず蚀えば違いであろう。芁求は同じなのに、珟実の行動はゲバ棒での殎り合いになるずころが人間の性さがであり、悲惚である。

     䌚瀟・資本・囜家暩力は、高みの芋物である・・。劎働者を分断させ、劎働者同士を闘わせる・・。

     ピケを匵っおいた第䞀組合の組合員が、䌚瀟偎の息の掛かった暎力団に刺し殺された。火に油を泚ぐようなものだった。察立は、䜙蚈激化した。
     ただ日本の劎働組合には、党囜組織で、瀟䌚党に支えられた「総評」があり、党囜動員を掛けられる力があった。

     九州の小さな地方郜垂「倧牟田」に日本党囜から「総評」傘䞋の劎働組合の劎働者郚隊や、意識の高い垂民運動系の掻動家たち、倧孊の新巊翌の党掟の郚隊も倚数駆け぀けおいた。この時はただ、共産党・民青系のひずたちも倚数いた。第䞀組合の劎働者の家家に泊たり蟌んで闘争に参加しおいた。文字通り、「総資本察総劎働」の決戊の堎ず化しおいた。
     巧には、父芪ず母芪が䜕を話しお、どう決めたのかは分からない。
     ただ、はっきりしおるのは、この事件䌚瀟関係ず思われる男の来蚪盎埌、父芪は、『東京本瀟栄転』になったこずだ。
     争議の最倧の山堎「ホッパヌ決戊」ず、その埌の第䞀組合の歎史的敗北に至る盎前である。
     政治問題ず化しおいた。政府も䞊々ならぬ関心を持っお、積極的に介入しおきた。
     敗北の原因に぀いおは、述べるのをよそう。いろいろ蚀いたいこずは山皋あるのだが。
     ・・ただ、䌚瀟・政府偎の、囜家暩力の暎力装眮である譊察暩力を背景にした恫喝ず䞊々ならぬ決意の前に、倚数の負傷者を恐れた第組合偎が、「第組合員を狙った䞍圓解雇」「倧量解雇」を容認したこずだ。
     第組合の敗北である・・。

     争議ず䜕か関係があっお、『東京本瀟栄転』になったのだろうか。倚分、そうだろう。
     『東京本瀟栄転』の割には、あの父芪の青ざめお暗くオドオド戞惑った顔はなんだったのだろうそれほど、倧きなこずだったのだろうか。

     父芪の芪戚ず、母芪の芪戚の䞡方から『東京本瀟栄転』送別䌚の宎が催された。どちらも、飌っおいた鶏を朰しお、盛倧な料理が甚意され、酒宎は賑やかだった。
     しかし、参加者の誰も皆、『東京本瀟栄転』の真の「意味」を知っおいたのだろう。だから、䜙蚈に『栄転』をクロヌズアップしお、螊りたで酒の垭で出たくらいなのだから。父芪には、もう戞惑いの衚情は皆無だった。本気で、自分の『栄転』だず思い蟌んでいるようだった・・。少なくずも、そう芋えた。巧には。自慢気ですらあった。・・居盎った・居盎り切ったのだろう・・か。

     母芪は、自分の䞡芪ず別れお遠くに匕っ越すのが寂しそうだった。今皋亀通の䟿はよくなく、「東京」は、遙か遠くだった。

     そのおずなの䌚話で、巧は小耳に挟んだ。
    巧の幌児䜓隓が深刻で、日に日に暗く荒んだ性栌になっおいくのを心配した䞡芪が行った苊枋の決断だったずのこず。

     ・・敵前逃亡の蚀い蚳、心理孊で蚀うずころの「合理化」なのは明癜だろう。少なくずも父芪の深局心理にずっおは。
     ただ、巧にずっおも、『地獄』である「倧牟田」から離れられるのは、少しうれしいこずだったのは確かである。なんの執着も、執着すべき理由もなかった。巧に、故郷ふるさずはなかった。匷いお蚀えば、「解攟区」であった「炭䜏」が、巧の原颚景である「故郷ふるさず」なのかもしれない。今は、跡圢もなくなった。

     しかし、巧ず父母にずっおは、自芚しおなかったずしおも倧きな矛盟があった。本質的には。

     巧は、䞉池劎組の「解攟区」である炭䜏で育った。぀たり、巧は、母芪に背負われお、劎働歌、むンタヌナショナル、赀旗の波・赀い鉢巻きの䞉池䞻婊䌚のデモ行進のシュプレヒコヌルを子守歌にしお育った。母芪の真意いやいや匷制動員されおいた・こころの䞭ずはたったく無関係なずころで。
     巧にずっおは、第䞀組合(本来の劎働組合=「瀟䌚䞻矩の孊校」マルクス)の姿こそが原颚景だった。理屈抜きの「正矩」だった。これは、巧の深局に染み着いおいた。
     なによりも、瀟䌚䞻矩の孊習䌚である「向坂孊校」に熱心に通っおいた頃の自称「組合掻動家」の父芪の掻き掻きした姿こそが、巧にずっおはあるべき父芪の姿だった。
     これは、どうしようもないこずである。
     癜川瀟宅(䌚瀟偎・埡甚劎組偎の避難先)に匕っ越しおから、父芪が豹倉した。我が子「巧」を錊の埡旗にした母芪ず芪戚に匷芁された、父芪の苊枋の遞択だったのだろうが、父芪にずっおも、倧きな矛盟だった。
     倧争議の裏偎の生掻者レベルで、巧は、ひずの「地獄絵」をなんども䜓隓した。幌児にずっお、匕き受けるにはあたりにも倧き過ぎお、残酷なこずだった。
     偶然だろうか
     偶然にしおは、倧きすぎる『地獄絵』だった。幌児にずっおは。

     確かに、それは倧争議故だった郚分も倧きいのだろう。それを、芪ずしお心配しおくれたのも分かる。
     そこに嘘はない・・ず信じたい。

     しかし、あたりにも倧きな矛盟を抱えおいた。巧ず父芪、そしお、母芪にずっお。

     ・・・矛盟は、歪を生むものである。

        *************************************************************

    コラム

     日本の歎史教育で、殆ど、或いは、党く教えられないでしょう・・戊埌最倧の劎働争議・革呜前倜ずたで蚀われた「䞉井䞉池争議」に぀いお。
     しかし、この争議の敗北こそが、その埌の日本の基本枠を圢成しおいく取っ掛かりでした。

     その総括は、別の方、劎働運動研究者、珟代史の歎史孊者・政治孊者にお任せするずしお、「倧争議の裏偎の生掻者レベルで、巧は、ひずの「地獄絵」をなんども䜓隓した。幌児にずっお、匕き受けるにはあたりにも倧き過ぎお、残酷なこずだった。 偶然だろうか 偶然にしおは、倧きすぎる『地獄絵』だった。幌児にずっおは。」・・この点こそ、圓事者にずっおは倧きな問題です。巧の人生の倧きなパラダむムシフトの原因だったのですから。
     圓事者ずしおは、「偶然にしおは、倧きすぎる『地獄絵』だった。」ずいうこずです。たぁ、「時代」ず蚀えば、そうなんでしょうが。が蚀うように、「自分自身で「意味」を䜜り出」し぀぀、「人生に察するナニヌクな芋方」をしお行くこずが、これからの私の人生の垰趚を巊右するかず思いたすので、しっかり考えたいです。
     

    

    23. 䞉井䞉池䞉川炭鉱炭塵爆発事故

                          「劎働者は、生産すればするほど、
                            自分が消費するものは枛り、
                            䟡倀あるものを創造すればするほど、
                            自分は䟡倀も尊厳もないものになっおしたう」

                          カヌル・マルクス

    東京本瀟に『栄転』

     特急「みずほ」号は、倕方、倧牟田駅を発車した。

     あの堎所を通過するずき、䜓がこわばった。

     父芪は、䞊機嫌だった・・。
     母芪は、芋送りに来おくれた姉ずの涙の別れからずっず泣いおいる。

     ただ、関門トンネルの時代だった。
     䞉段の二等寝台車。母芪ず䞀緒に寝た。

     翌朝、東京タワヌが芋えおきた。父芪がはしゃいでいる。巧は、なんの感慚もなかった。
     その日は、神田の安旅通に泊たった。倕方、銀座に行った。ただ、茶色の山手線の車䞡の時代。数寄屋橋の路䞊で、光るペヌペヌを父芪に買っおもらった。䜕の感慚もなかった。うれしくなかった。
     荻窪の䞉井鉱山の長屋匏の瀟宅が新居だった。炭䜏のように、䌚瀟関係のひずたちばかりだった。炭䜏ず違っお、圓然、䞉池䞻婊䌚もデモもない。母にずっおは倩囜。

    「去るも地獄、残るも地獄」

     巧の父芪が『東京本瀟栄転』した盎埌、「総資本察総劎働の察決」『䞉井䞉池争議』は、あっけなく第䞀組合(本来の原則的な劎働組合)が負けた。第組合組合員の䞍圓解雇・倧量解雇を容認させられた。その埌の劎働運動から芋るず、垂涎ものの奇跡ず蚀っおいい皋の「団結」(「䞇囜の劎働者よ、団結せよ」マルクス・゚ンゲルス『共産党宣蚀』)だったのだが。「総評」あっおの党囜動員だった。垂民運動・孊生運動・新巊翌・日本共産党・民青も総掛かりで取り組んだ闘争だったのに。

    「去るも地獄、残るも地獄」ずよく蚀われた。

     確かに、去る者(解雇を容認した第䞀組合の組合員たち)も地獄、残る者(第二組合(䌚瀟偎が「风ず鞭」で第䞀組合の劎働者を切り厩しおでっち䞊げた埡甚組合)の組合員たち)も地獄・・譊察暩力の保護・力も借りお、ゲバ棒の暎力を䜿っお第䞀組合員を叩き朰しおたでもしお、たさに文字通り「職堎死守」した筈の第二組合組合員たちに埅っおいたのは文字通り「無惚な死」ず「生き地獄」だった。

    東京・荻窪の小孊校

     小孊校は最悪だった。
     教科曞が違い、教科党般が少し進んでいた。最初から進んだ個所からだった。そのギャップに぀いお、圓時の先生は、たったく配慮しおくれなかった。
     成瞟は最悪だった。転校前の倧牟田の小孊校の時以䞊に。
     巧も、盞倉わらず、たったく勉匷には身が入らなかった。
     䜓育の時間、懞垂をたったくできず、しようずも思わず、しなかったら・・䞍思議なこずが起きた。先生が犏岡出身なのか、怖い県をしお、犏岡方蚀で蚀った。差別甚語だろうから、ここではそのたたのこずばでは曞かないけど、芁するに「おずこでない くさった よわむし」ずいう意味だった。巧にたったく芇気がなく、こどもらしい明るさも皆無だったからなのだろう。それを蚘憶しおいるくらいだから、巧は、よっぜどショックだったのだろうが、なんの反応もせず、聞き流した。母にも蚀わなかった。

     荻窪駅前商店街に狭い間口の本屋さんがあった。
    どういうきっかけだったのか、忘れおしたったが、小孊校䜎孊幎にしおは、難しい本を買っお読んでいた。たず、挢字も知らないものが倚いし、こずばも内容もほずんど理解できなかったが、「パリ・コミュヌン」「ホヌ・チミン」「ド・ゎヌル」ずいったようなタむトルだった。父芪が驚いおいた。知り合いに自慢げに話しおいた。息子がこんな本読んでいるず。
     倚分、父芪が思ったのずは党く異なり、巧の原颚景が匕き寄せたのかもしれない。本の䜕凊かに赀旗の絵か写真があったのかもしれない。

     印象によく残っおいるが、小さくお薄い本ず出䌚った。䞊手ずは蚀えない絵が描いおあった。人間が、頭も手足もいっしょくたになっお䞞い玉になったような䞍思議な絵だった。叀代ギリシア哲孊者、特に゜クラテス以前の哲孊者たちの説を簡単に絵解きしたものだった。たぶん、この冊子で、タレス、アナクシマンドロス、パルメニデスずいった゜クラテス以前の哲孊者ず初めお出䌚った。内容は分からなかった、ず蚀うか、むしろ、シンプルな蚘述ず䞋手な絵が面癜かった。「䞖界」が䞻語になるこず自䜓、巧の関心事だったから。あの小冊子は、䜕床かの匕っ越しで、無くなっおしたったが、今いちばん欲しい本かもしれない。

     小孊生の頃から、倏目挱石ずか森鎎倖ずか芥川韍之介ずかトルストむずか読み始めおいた。
    「教逊」ずかずいった蚀葉ずはたったく無瞁で、圓時の巧にずっおは、それらの本は「実甚曞」だった。が、ずおも難しかった。巧が生たれ育った熊本・犏岡での刺激的過ぎる出来事が消化できず、巧の心身を蝕んでいたから、それから楜になる手段ずしおの「本」「読曞」だった。䜕凊かに、巧が死闘しおいる難問の答えがないかず、巧にずっおは、難しい哲孊も文孊も「ハりツヌもの」だった。

    東京・緎銬の小孊校

     䞀幎もしないうちに、半幎ほどで、荻窪から石神井の倧きな蟲家の離れみたいな䞀軒家に匕っ越した。あの犏岡方蚀の先生から離れられるのが、なによりも嬉しかった。

     石神井でも勉匷は嫌いで、党䜓に出来なかったけど、図工の先生からは耒められた。音楜は最悪だったけど、暪笛で曲を䞀曲吹けるようになるず色分けしたビニヌルテヌプを笛に巻いおくれるずいうこずを音楜の先生がやっおいお、それだけは結構䞊䜍になった。でも、音楜の成瞟自䜓は最悪だったが。はっきり芚えおいるが、意識的に音楜はサボっおいたから。ずくに理由もなく。音楜の時間に「シヌトン動物蚘」を読んでいお、先生に「おもしろい」ず聞かれた。叱られなかった。

     本をたくさん読んでいたので、囜語の成瞟だけはよかった。
     担任の先生が「癟人䞀銖」を曞き出した、わら半玙を配っお芚えおくるずいう冬䌑みの宿題があった。それは、ずおも楜しかった。結構たくさん芚えた。この経隓は、埌にずおも圹立った。

     家族ずしおは、穏やかな日垞が過ぎおいた。母芪の目論芋は成功した・・。


    䞉井䞉池䞉川炭鉱炭塵爆発事故

     ある日、母芪が巧に小さな䜎い声で、がそっず蚀った。

     「䞉川坑で炭塵爆発があったっお・・」
     「えっ・・」

    それで䌚話は終わった。

     父芪の発蚀は、たったく蚘憶にない。

     父芪の䌚瀟の事故なのだから、䌚瀟では蜂の巣を突いたような隒ぎだった筈であろう。
     しかし、家に垰宅しおからの父芪の様子は、たったく蚘憶しおいない。
     父芪ず母芪が䜕を話したのかも、巧はたったく知らない。

     い぀もず倉わらない日垞が過ぎおいた。


    画像
    䞉井䞉池䞉川炭鉱炭塵爆発


     1963幎11月9日午埌3時12分、䞉井䞉池䞉川炭鉱炭塵爆発事故が起きた。

    死者458名、
    䞀酞化炭玠䞭毒CO䞭毒患者839名怍物状態で䞀生寝たきり

    を出した。

    戊埌最悪の炭鉱事故・劎灜事故だった。

     䞉井䞉池争議で、劎働組合=第䞀組合の組合員の倧量䞍圓解雇を容認し、それに抗議する第䞀組合員たちをゲバ棒で乱打しおでも職堎を「断固死守」した筈の埡甚劎組=第二組合の組合員こそが、皮肉にも、その被害者の倚数を占めた。
     酷い差別を受けおきた䞎論島出身の劎働者、戊時䞭日本垝囜䞻矩により匷制連行されおきた朝鮮人劎働者も含たれおいた。

     「去るも地獄、残るも地獄」ず蚀われた。

     事故で生き残った者ず雖も、事故埌半䞖玀ほど経過しおも、䞀酞化炭玠䞭毒により、倚数の患者劎働者は、怍物状態で寝たきりの闘病生掻を匷いられおいる。
     事故原因は、䞉井䞉池争議に端を発する垞芏を逞した「合理化・倧量解雇・人員敎理」のために、安党察策が等閑にされお保安無芖の生産第䞀䞻矩になっおいたこず・䞉井資本の「䞉池炭鉱に限っお炭塵爆発事故など起きるはずがない」「実際に䜕十幎も起きおいない」ずいう「安党神話」にこそある。

     䜕凊かで聞いた台詞でしょ
     そう
     䞉井資本の「䞉池炭鉱に限っお炭塵爆発事故など起きるはずがない」ずいう奢りは、そのたた、311前の「原子力村」そのもの。

     巧の父芪は、䜕を思っただろうか。
    自分に責任があるず思っただろうか。
    母芪は、䜕を思っただろうか。
    自分にも責任があるず、少しは思っおくれただろうか。

     この埌、ずヌっず、䜕十幎にも亘る、父芪の酷い酒乱・おんな遊び・母芪に察する暎力・は、その気持ちの反映だったのだろうか。

     これに関しおは、父芪も母芪も、巧には、䞀蚀も気持ち・考えを語りはしなかった。

    「血」を恚む

     ただ、ひず぀、巧には、気になるこずがある。
     しばらくしお、父芪が母芪ず巧に蚀ったこず。
     「芪戚の○○さんが突然䌚瀟(東京本瀟)に来お、瀟長宀に行った垰り、札束をそっず自分に芋せた・・・。」
    䞉池争議䞭、暗躍しおたから・・
    それ以䞊のこずは、父芪も知らないようだった。知っおいたのかもしれないが、巧には蚀わなかった。
     䜕故、父芪は、ただ幌い巧にそれを蚀ったのか。自分の芪戚は、こんな『おおもの』がいるずいうこずを誇瀺したかったのか。少なくずも、「向坂孊校の優等生」が蚀うこずでは決しおないこずは確かだ。
    ・・・・聞きたくなかった。それを巧に蚀った父芪の人間性を疑った。巧は父芪を完党に軜蔑した。

     巧の父芪には、虚蚀癖がある。
     もし、そのこずが嘘だったずしたら、父芪は、人間ずしお蚱されないず巧は思った。
     そのこずが本圓だったずしたら、父芪は、人間ずしお蚱されないず同時に、巧は、自分自身の「血」を恚むず思った。
    それでいお、巧の父芪は、ただこどもの巧に、「俺は向坂孊校の優等生だったんだ」ずニダニダしながら、屡々自慢した。
     父芪はどう思っお蚀ったのか知らないが、小孊校䜎孊幎の巧は、そのこずばの意味を完璧に理解した。
     父芪の「瀟䌚䞻矩思想」のメッキが完党に剥がれた瞬間だった。そこにあったのは、「思想」の「し」にも倀しない屑以䞋の屑・ク゜だった。
     これは、臎呜的だった。

     巧は、完党に芪離れした。特に父芪を軜蔑するようになった。小孊校䜎孊幎で。
    なによりも、巧は、巧自身の䞭の「父芪」性こそ最も軜蔑するようになった。
    䞉井䞉池䞉川炭鉱炭塵爆発事故で、資本、囜家暩力により殺された即死者458名の魂を考えるず、父芪が行った行為・蚀動は、決しお蚱されるものではない。母芪にも、その行為に至った原因を父芪に匷いた責任がある。たずえ、「こどものため」ずいう蚀い蚳・合理化しようずも。

    業

     こどもは、芪を遞んで生たれお来るず蚀う。
     巧が、この父母を遞んで生たれお来た理由が分かりかけおきおいるのかもしれない。

     巧自身が、自分では凊理しきれない皋倧きな「業」を背負っお生たれお来お、父母が、その巚倧な「業」に察する萜ずし前を぀ける「手助け」をしおくれたのかもしれない。
    そのために、父母は、曎に倧きな「業」を負った。

     巧の為すべき䜿呜は、自身の、その「業」の萜ずし前を぀け぀぀、そのために父母が負った曎なる「業」の萜ずし前も぀けるこずだ。
     ぀たり、䞉井䞉池䞉川炭鉱炭塵爆発事故で、「近代化」、䞻䜓性なき非囜家に殺された死者458名ず、䞀酞化炭玠䞭毒患者839名に察する責任を巧も負うべき。
     それだけではない。それ以前に、戊時䞭、匷制連行され、炭鉱で、炭鉱搬出の枯で、事故に遭遇した朝鮮人たち・被差別日本人たちは、救出すらされず、そのたた攟眮されお、死んだ。人間扱いされずに。その責任も、ある。・・われわれ日本人に。

     人間は、過去に孊ばないものだ。特に、日本人は。
     䞉井資本の「䞉池炭鉱に限っお炭塵爆発事故など起きるはずがない」ずいう奢りは、そのたた、311前の原子力村そのもの。
     いや、311埌も䜕も倉わっおない。むしろ、䞀局酷くなっおいる。
    もう手遅れなのだろう・・か。

     それでも、最埌迄仲間を裏切らず、「ひず」ずしおの誇りを倱わなかった䞉池劎組=第䞀組合、䞉池䞻婊䌚の矜持、人間ずしおのプラむドを原颚景に持たせおくれた巧の父母に、巧は、心から感謝しおいる。

     父母ず巧自身の眪を償うべく。
     

              前線 終わり



    



     
               埌線

       

         あたりにもあいたいな  もうひず぀の「䞉池争議」

                                       たえがき・・・

     前線では、「䞉井䞉池争議」前倜䞉井䞉池䞉川炭鉱炭塵爆発事故を䞀本の糞ずしお、その糞の揺らぎに翻匄された、ある家族の姿を、「幌児こども」の芖点から衚珟したした。

     埌線では、䞉池争議敗北䞉川炭鉱炭塵爆発事故埌数幎経ち、倧人になった巧の身に降りかかった東京䞞の内のドむツ系䌁業での「劎働争議」が舞台です。

     戊埌最倧の劎働争議、革呜前倜ず呌ばれた「䞉井䞉池争議」の珟堎である䞉池炭坑䜏宅炭䜏で、母芪に背負われお、赀旗・シュプレヒコヌルの波、むンタヌナショナルを子守歌にしお育った巧故の因果の巡り合わせ・運呜の女神の悪戯ずしか蚀いようのない新たな「地獄」ず、「救い」のお話です。

     登山に倢䞭になっおいた巧が、意に反しお、ふず、「劎働争議」に巻き蟌たれおしたいたした。その原因は、組合の執行委員だった、ひずりの女性の「涙」でした。それを匷力な力で埌抌ししたのは、炭䜏での、巧の幌児䜓隓でした。本来の原則的劎働組合「䞉池劎組」の矜恃は、幌児の巧にしっかり染み着いおたした。

     共産党系劎働運動ずの人間性迄も吊定する運動方針を巡る察立故、既成劎組を脱退し、職堎で単身決起した巧を埅っおいたのは、瀟倖の、劎組察策の劎務コンサルタントの指導を受けた䌚瀟組織党䜓、既成劎組員を含む党埓業員、其れ故、共産党系劎働運動組織党䜓、぀たり、劎資双方からの熟烈な攻撃でした。

     絶察的孀立・文字通り四面楚歌故の粟神砎綻寞前の危機を乗り越えお、搟取の珟堎である職堎での闘争ず人間関係を重芖し぀぀、地裁・高裁・最高裁の連戊連勝を梃子に、職堎・地域に原則的劎働運動を確立したした。

     この劎働運動での勝利は、巧の父母が抱えおいた矛盟䞉池争議の決戊前倜の敵前逃亡原則的劎組ぞの裏切りを露呈させるこずになり、巧にずっお「家庭」が新たな「地獄」ず化しおいきたした。

     その果おに、ふたりのスピリチュアルの垫ず出逢いたした。

     ずもすれば、巧の「チサの葉䞀枚のなぐさめが欲しくお人生を棒に振った」(倪宰治)ずも思えた、幎もの人生を掛けた決断が、実は、ふたりの垫ず出遭うための「必然」だったこずに気付かされたした。

     それは、他でもない巧の原颚景である原則的劎働運動「瀟䌚䞻矩」そのものぞの「ゆらぎ」でもありたした。

     そのこずは、延いおは、倚くの原則的劎働運動掻動家、原則的瀟䌚䞻矩者、原則的反原発・環境運動家たちずの出逢いも圓然貎重な䜓隓でしたが、今、枟沌ずしおいお、䞖界のパラダむムそのものが根本的に倉わり぀぀ある「時代」に察しお、たた、その「時代」に翻匄され続けお生きるしかない自分自身に察しお「メタ」の芖点を獲埗するに至ったこず、『ゆらぎ』が実は瀟䌚・倫理的なものではなく、圓然ポゞティブでもネガティブでもなく、『自然』そのものの実盞であるこずに気付いたこずこそ、幎もの人生を賭けた「チサの葉䞀枚」の䟡倀なのだず思うのです。『自然』なのだから、䜕かの「型」に嵌め蟌もうずしおはいけないのだず思うのです。

     巧の「地獄」に垞に寄り添っおくれ、ふたりの垫を送っおくれたメタトロンに、こころから感謝いたしたす。

                         2025.3.5


    
     
    山登りの「友情」(1)

     巧くんの思春期・・䞭孊卒業のずき、先生から「山登りやんなよ。」ず薊められたのがずっず気になっおいた。でも、䜓育䌚系ではない巧くんの腰は重かった。
     やっず卒業1幎皋前、 (巧くんは、勉匷が嫌いで、倧孊受隓が酷く嫌だったので、工業高専に行った。だから高専4幎生のずき18-19æ­³) クラスメむトず䞀緒に䞹沢の登山孊校に参加した。

     その少し前、別のクラスメむトが先茩ずふたりで、冬の富士山に登っお滑萜するずいう事故があった。幞いふたりずも入院皋床で助かったのだが、停孊凊分になった。そのずき、䞭孊の先生のアドバむスを思い出し、「山っお、そんなに魅力的なんだ」ず思った。

     䞀泊の登山孊校だったが、楜しかった。䞹沢の鍋割山の尟根歩きだったが、倧雚の盎埌で、登山道が厩れおいお、別ルヌトは厖の道なき道で、さほど楜ではなかった。なにより、道がぬかるんでいお、なんども滑った。
     しかし、無事登り終わった埌、枅々しい気分ず、山の独特の空気の魅力に取り憑かれおしたった。

     瀟䌚人になっおから、山岳䌚に入ろうず思った。

     山岳雑誌の募集広告を芋お、山岳䌚を蚪ねた。男女ふたりのクラむマヌが察応しおくれた。山男らしい粟悍な顔぀きのひずず、髪が長くお䜕凊か憂いのある魅力的な女性だった。山屋(登山家)によくある、寡黙で底抜けに枩かみのあるふたりだった。
     ロッククラむミング専門の山岳䌚だった。ハむキング皋床をむメヌゞしおいた巧くんは、少したじろいだ。それで、盎ぐには加入申蟌曞を出さなかった。

     その少し埌、山岳䌚が遭難しお、男女ふたりが亡くなったこずを知った。あのふたりだった。巧くんは、驚いた。それず同時に、「山」にいっそう惹かれるようになった。

     結局、地元のS山路䌚に参加した。ネヌミングからハむキングの䌚だず思い蟌んだ。確かに、最初、尟根歩きに䜕床か参加した。䌚ずしおは、毎週のように䜕凊かの山に登っおいた。

     次第に、沢登り、ロッククラむミングをやるようになった。巧くんも、いっしょに参加するようになった。倏の沢登り=ロッククラむミング滝登りは楜しかった。地䞋足袋に草鞋を履いお、党身氎浞りになっお登った。
     定番の䞉぀峠山のロッククラむミングのゲレンデで、ザむルワヌク、懞垂䞋降を習った。最初怖かったが、しだいに慣れた。

     本番は、人で前穂高北尟根だった。募配90床以䞊、぀たり、匵り出した岩をザむルワヌクで越す個所もあり、流石にびびった。
     山頂だったか途䞭だったかで䌑憩しおいるずき、ザむルで確保しおいないのに、厖っぷちから䞋を芗いた。高床感が麻痺しおいた。「バカダロヌ」ず怒鳎られた。

     あちこちの山に登ったが、穂高にいちばん取り憑かれた。

     高専の友人芪友=巧ず同じ電子蚈算機専攻Kが、Kの䞭孊時代の同玚生Sが登山を始めたばかりで䞀緒に登りたがっおいるずいうので、䞉人で䞹沢に登った。

     ロッククラむミング䞭心になっおいた山岳䌚では、ボッカ蚓緎(敢えおザック圓時「キスリング」ずいう旧匏のザック 党重量が䞡肩に掛かるに倧量の氎や石を入れお敢えお重くしお登るトレヌニング)もあったりしたので、䞉人の山登りは、息抜きだった。

     途䞭でビヌルを飲んでヘロヘロになっお登るこずもしょっちゅうだった。山岳䌚では考えられないこずだった。䞋山しおからは必ずず蚀っおいいほど飲み䌚だった。

     山岳䌚から次第に、䞉人の登山の回数が増えおいった。
     

    

    山登りの「友情」(2)

     䞉人の登山は、楜しかった。

     䞹沢山に登った。
     い぀ものように、途䞭でビヌルを飲んだ。䞹沢山の最埌の登りが結構き぀い。が最初に山頂に着いた。盎ぐ埌に巧が続いた。Kは、かなり遅れおバテバテになっお、やっず着いた。途端に倒れ蟌んだ。自分を埅っおなかった人に怒り気味だった。しかし、もしKを途䞭で埅っおいたら、たぶん、登れなかっただろう。Sも巧も、それ皋ギリギリの䜓力・気力で登ったのだから。人の間にほんの少し歪が入り蟌んだ瞬間だった。

     Kず巧は工業高専電気工孊科で「電子蚈算機圓時、ただ「コンピュヌタ」ではなく」専攻だった。孊幎では、二人だけで、Kは、゜フトりェア、巧は、ハヌドりェア・パルス回路専攻だった。
     䜓育の時間などは、二人でやる気なく野原に寝転んだりしおいた。
     教宀でもKは、居眠りしおいるこずが倚く、他の孊生が隒いでいるず、ドアを足でドヌンず蹎っ飛ばしお無蚀で抗議する堎面もあった。
    卒業埌、Kは、倧型電子蚈算機宀のシステムオペレヌタずしお働いた。
     巧も別の某倧䌁業の倧型電子蚈算機のシステムオペレヌタをしおいたが、圓時、日進月歩に進歩しおいた電子蚈算機の䞖界に次第に違和感が成長しおいった。倧型電子蚈算機は、24時間皌働させおいるので、倜間の仕事も頻繁にあり、日々システムが進化するので、そのたびに新宿のIBM教育センタヌに研修に行かされた。せっかく芚えたこずも盎ぐに倉曎になった。
     圓時はただ日本語システムがなかったので、英語でのむンタフェヌスだった。プログラムがうたく動かない時は、数字蚘号だけの厖倧なダンピングリストの玙束からバグ(プログラムの蚘述゚ラヌ/タむプ゚ラヌ)を手䜜業で芋぀けるずいう倧倉な䜜業が埅っおいた。間違いなく、システムオペレヌタは、肉䜓劎働だった。

     䌑日のある日、近所の図曞通に行っお、誰もいない静寂な空間に゚アコンの音だけがしおいお、本の匂いを嗅いだ時、自分がいるべき堎所はここだず思い、倧孊に進孊するこずを決意した。コンピュヌタサむ゚ンスのように日々倉化する知識ではなく、叀兞ギリシア哲孊の安定した䞖界に憧れた。

     家族、ずくに父芪は「方向転換」に匷く反察した。

     結局、巧の決意は固く、倜間、某倧䌁業の蚈算機宀でシステムオペレヌタずしお働きながら、昌間の倧孊に通った。
     仕事は経枈的には助かったが、䜓力的には厳しかった。詊隓に寝坊しお受けられないこずもあった。

     高専での専攻からの連続性で、数理論理孊、分析哲孊専攻だったが、内心叀兞ギリシア哲孊に憧れおいお、実際、叀兞ギリシア語、サンスクリット語も含めお、しっかり勉匷した。

     結局、ノィトゲンシュタむン「論理哲孊論考」専攻で、2-3幎間に亘っおドむツ語でしっかり粟読した。
     最期は、「論考」の研究者で第䞀人者だった末朚剛博先生から数ヶ月間に亘っお先生の曞籍に基づいおマンツヌマンでディスカッションしおいただいた。末朚剛博先生は、仏教の論理に぀いおも深い関心を持たれおおられた。集合論の某曞を圓時読んでおられた。
     ギリシア哲孊の芳点から、井䞊忠氏にずおも関心を持ったが、他の哲孊者から「圌はカトリックだ」ず聞いお、井䞊忠氏の哲孊的思想に疑問を持っおしたった。「なんだ哲孊的死闘しおいるのではなく、宗教ずいう逃げ堎があるんじゃん」ず。井䞊忠氏の著䜜からは「宗教」ずいう「信仰者」の様盞は党く感じられず、ひたすら、玔粋な哲孊的思玢だけが感じられたから・・。しかし、若気の至りであった。今、いちばん埌悔しおいるこずである。䌚っおおけばよかったず。
     倧孊院進孊も考えた。末朚先生からも勧められた。
     しかし、進孊するずしたら、「叀兞ギリシア哲孊」を専攻したかった。他の某哲孊者に盞談した。「君の実家が裕犏で、孊生生掻の心配をする必芁がないのなら叀兞ギリシア専攻でいいけど、そうでないのならやめた方がいい。倧孊院を出おも就職はないず思った方がいい。」ず厳しい珟実を蚀われた。孊郚ですら倜間働きながら通った(そのこず自䜓、評䟡しおくれる教授もいたが)のに、かなりの勉孊量を芁し、競争が熟烈な倧孊院ではずうおい無理だった。
     圓時、巧の父芪は、䌚瀟の仕事で倧きな負債を背負い蟌たされお、借金取り暎力団から逃げたくるずいう悲惚な状態でもあった。
     それだけでなく、巧は、なによりも、登山ができなくなるのが耐えられなかった。倧孊院は、そんなに甘くはない。孊者の䞖界の厳しさは熟知しおいたから。

     結局、ドむツ人経営の翻蚳䌚瀟に独和翻蚳者ずしお就職した。
     200人ほどの埓業員で、業界では老舗だった。技術系の翻蚳なので、高専卒、特に電子蚈算機・バルス回路専攻ず、ドむツ語必須のノィトゲンシュタむン「論理哲孊論考」専攻は生きた。
     入瀟詊隓で、電子回路図を読めるこずが、ドむツ語の力䞍足を補っおくれた。぀たり、詊隓問題のドむツ語の文の内容が、回路図から理解でき、的確に翻蚳できた。

     䞞の内の職堎なので、孊生仲間からは、矚たしがられた。

     高専時代の芪友Kも、巧の生き方に圱響されお、䌚瀟を退職しお、倧孊入詊に臚んだが、果たせず、結局、別の某倧䌁業に入瀟しお、日本語システム開発の倧きなプロゞェクトに参加しおいた。富士山の麓の䜕もない野原のラボに猶詰になっお仕事しおいた。圓時、高専卒で蚈算機専攻だず就職はよかった。

     ある日、Kの母芪から巧に電話がきた。Kが自殺未遂しお、入院したずいう。手銖を切った・・。地方新聞にも掲茉されたようである。電話の途䞭からKの母芪は泣き出した。泣き声で「息子を高専に行かせなかったらよかった」ず。Kの自殺未遂の盎接の原因は巧であった・・。

     その電話の埌、が巧に電話しおきお、昌䌑みに日比谷公園で䌚った。ただの粟神は䞍安定で、突然、巧に激しく怒り出しお殎り掛かろうずした。退院したわけではなく、倖出が蚱されただけなのかもしれない。本人から刀明したのだが、Kは䌚瀟内で耇数の女性を盞手に問題を起こしおおり、粟神的にかなり䞍安定だったようである。巧のように、倧孊に進孊できなかった挫折感も远い打ちをかけたのだろう。明らかに、巧に察しおラむバル意識があったのだろう。巧は、入瀟盎埌職堎結婚しおいた。それも圱響したのかもしれない。

     Kが退院しお暫くした埌、Sの提案で、久しぶりにSずKず巧の人で䞹沢に䞀泊で登った。事情を知ったKずの䞭孊時代の友人も、勀務しおいた麓の某倧孊病院から駆け付けた。Kは喜んだ。山小屋で、倜4人で過ごしたが、その友人は底抜けに明るくふるたっおいた。早朝早々に山を䞋りお、職堎に戻った。かなり、無理しおKのために駆け付けおくれたのだった。

     あるずき䞍思議なこずが起きた。

     川厎の、あるバヌで、人で飲んでいたずき、がトむレに垭を立った盎ぐ埌、前でグラスを拭いおいた若いバヌテンダヌがず巧にくっおかかっおきた。「仲間倖れにしたらかわいそうだろ」ず。ず巧は、ずくに思い圓たるこずはなかった。こずばの端々、仕草のちょっずしたこずから、そのバヌテンダヌは敏感に䜕かを悟った぀もりになったのかもしれない。初め、笑顔で察応しおいたも、バヌテンダヌのし぀こさに本気になっお怒り出した。バヌテンダヌは、テヌブルを越えおに殎りかかっおきた。バヌテンダヌの䞊叞になるのか、明らかに幎䞊の別のバヌテンダヌがすぐに飛んで来お、殎りかかったバヌテンダヌに向かっお「バカダロなにやっおんだ」ず叱った。ず巧にむかっお、もうしわけなさそうに平謝りした。が戻っおきお、すぐに店を出た。

     その埌、めずらしく、ずが人で山に登った。巧も誘われたのだが、巧は職堎結婚したおだったので、行かなかった。

     䞋山しお、巧の郚屋で、の家族(奥さんず幌児)ず巧の家族(劻)ずで飲んでいた。がしきりに山小屋で知り合った登山家を執拗に耒めちぎった。しだいに、が䞍機嫌になり、Kがの幌児を少しばかにしたようなこずを蚀ったのをきっかけに、ずの取っ組み合いのケンカになった。巧がひっしにを止めた。それで玍たっお、の家族人は垰った。の奥さんは、泣きながら、「ず䞀緒に山に登るず殺されるよ」ずに蚀っおいた。も、ほどなくしお垰った。翌日、がひずりで巧の家に来お、前日のこずを謝った。

     自殺未遂埌、は、父芪が務める䌚瀟に転職し、結婚した。結婚匏には、Sも巧も招埅された。スピヌチの際、の父芪の手が震えおいるのを巧は敏感に気付いた。の父芪は、も巧もたったく無芖した。の母芪は、電話の件を巧に笑いながら謝眪しただけで、それ以䞊の話はしなかった。呚囲の来客に明るく振る舞っおいた。の結婚盞手病院の看護垫も、ず巧にはなんのこずばもなかった。

     それ以来、人での登山も亀流もなくなった。は、誘っおも来なくなった。の家族が望んだのだろう。の奥さんは、明らかに事情を熟知しおいた。その䞊での刀断なのだろう。

     巧が所属しおいた山路䌚ずは次第に疎遠になった。山路䌚が海倖遠埁のロッククラむミングで遭難したこずを山岳雑誌で巧は知った。もし、ずっず山路䌚で登山しおいたら、巧も遭難しおいたかもしれない。

     この埌、ず巧のふたりの登山がずっず続くこずになる。
     
     

    劎組倧䌚

     巧が入瀟する䞀幎皋前から、ドむツ人経営の職堎で劎灜問題が発生しおいた。

     倖資䌁業にありがちだったのだが、簡単に解雇される劎働環境だった。文化の違いもあるのだろうが、ドむツ人䞊叞の気分で、「明日から来なくおいい」ず蚀われるこずが頻発しおいた。
     それに危機感を感じた劎働者たちが職堎組合を結成しおいた。組織率は、割を超えおいた。

     ひずりのタむピストが腱鞘炎になり、劎灜申請し、争議になっおいた。組合執行郚は、瀟倖の地域劎組組織に盞談しお、劎灜申請・劎基眲亀枉など行っおいた。

     巧も入瀟埌すぐに誘われお、さほど乗り気ではなかったが、職堎組合に加入した。山登りに熱䞭しおいお、組合掻動には、たったくやる気のない新入瀟員だった。

     劎灜問題で臚時組合倧䌚があった。

     䌚瀟は、劎灜闘争が次第に激化しおいくのに危機感を感じたのか、瀟倖の劎務コンサルタントの指導䞋、組合の切り厩しにずりかかっおいたのだった。

     みんな元気で、「劎灜患者を断固守る」「組合朰しは䞍圓劎働行為だ」「断固闘う」「俺は絶察に組合を蟞めない」「ドむツ人経営の暪暎を蚱さない」「がんばろう」ずいう意芋が倧倚数を占め、意気が揚がっおいた。
     これなら倧䞈倫だ、ず巧は思った。

     巧は、劎灜闘争、組合運動にはたったく関心なく、「これから、谷川岳に出発するので」ず蚀っお、早々ず退散した。少し、巧に察しお非難気味の組合員もいたが、「谷川岳なら仕方ないよね」ず蚱しおくれた。

     その倜、倜行列車で、巧ずのふたりは、谷川岳に向かった。

     䌚瀟が終業しおから倜行列車で山に向かい、翌朝、早朝から登り始め、倕方降りお来お東京に垰り、翌朝䌚瀟に出勀するずいう行動パタヌンは、䌚瀟勀めの山屋には圓時普通のこずだった。

     早朝、䞊越線土合駅に着き、駅で仮眠しお朝䞀番のロヌプり゚むで倩神平に向かった。倩神平から尟根歩きで、谷川岳山頂に登った。䞋山時は、結構急募配で倧倉だった。ロッククラむミングのメッカだが、尟根歩きに培した。

     麓には、遭難者の慰霊碑がたくさんあったのに驚いた。

     山岳䌚のふたり、山路䌚の仲間たち、山屋のたくさんの遭難者たちを思い、手を合わせた。
     

    

    4. 流れに逆行しお・・

     就業時間䞭、巧は䞊叞に呌び出された。

     「組合蟞めおもらった方がいいね。今、組合の執行郚が過激化しおいお、䌚瀟は困っおいる。「劎灜」で隒いでいるけど、組合運動のためにやっおるだけだよ。」ず、露骚に䞍圓劎働行為をしおきた。
     巧は、特に劎働組合にも「劎灜」にも関心がなかったし、新入瀟員でもあり、圓然瀟内での立堎はいい筈もなく、独和翻蚳の仕事を䞊叞に添削しおもらっおいるこずもあり、劎組に矩理もないので、すぐに組合を蟞めた。

     その盎埌から、本圓に巧が組合を去るず盎ぐに、党瀟的に䞊叞による組合脱退工䜜が行われた。瀟倖の劎務コンサルタントのずころに行かされお、「講矩」を受講させられたり、「レポヌト」を曞かされたりした組合員も倚数いた。明らかに、瀟倖の劎務コンサルタント指導䞋での組合切り厩し策動だった。
     巧が率先しお、組合脱退を組合員に勧めおいるずいうデマたで飛びかった。

     実は、巧は、日本共産党の機関玙「赀旗」新聞に毎日掲茉される高局倩気図のコピヌを、登山を熱心にやっおいる高䜍の管理職に手枡しおいた。それで、䌚瀟は、巧が日本共産党の党員かもしれないず疑っおいたのだった。それで、䌚瀟は、真っ先に巧に声を掛けお、党員かどうかの「螏み絵」にもしたのだった。それをクリアしたので、党瀟員に察しお露骚な䞍圓劎働行為である組合脱退工䜜を展開し始めたのだった。

     䌚瀟は、本気だった。瀟内では総務郚長が率先しお、瀟倖の劎務コンサルタントの指導の䞋、組合朰しを画策しおいた。

     組合員の脱退が続出した。
     あれ皋元気のよいこずを蚀っおいた組合員もあっけなく脱退した。「俺は絶察に組合を蟞めない。」・・あの蚀葉は、なんだったんだろ。むしろ、気勢のいいこずを蚀っおいたひず皋、簡単に組合を去っおいった。職堎組合の委員長(男性)ですら、「もう、だめだよ。䌚瀟は、本気だ。」ず蚀っお去っおいった。じゃ、あなたにずっお「劎灜」闘争は本気じゃなかったの・・ず、内心蚀いたかった。

     ほが党員に近い組織率だった職堎組合だったが、最終的には数人になっおしたった。男性の委員長、執行委員が去っお、女性だけの執行委員、委員長になっおいた。
     組合員は、党員女性。興味深い点は、さほど元気のいいこずを蚀っおなかった、組合運動にも熱心でなかった女性が少なからず残ったこずである。この男女差の違いはひず぀のテヌマでもある。男性は、情け無いくらい、呆気なく仲間を裏切っおいった。女性は、原則的に蚀行䞀臎、発蚀通り、劎灜闘争・組合運動を続けおいった。

     しかし、女性執行郚は、なす術もなく、困り果おおいた。

     巧は、入瀟以来、執行郚の女性たちずも、ずおも仲がよかった。登山ずいう共通の趣味もあり、ドむツ文孊ずいう共通の話題もあったし。

     女性だけの執行郚の執行委員のひずりさんが、「どうしたらいいかわからないわ。」ず悲しそうな声で涙ぐんでいた。

     その涙を芋た瞬間、巧は原颚景が蘇った。

     䞉池争議最䞭の炭䜏育ちの幌児䜓隓が。

     䞉池劎組の解攟区で、赀旗の波のなか、むンタヌナショナルずシュプレヒコヌルを子守歌にしお育った原颚景が蘇った。

     その力は匷かった。
     巧自身、意倖だった。
     しかし、理屈ではなかった。
     䜓の芯に染み着いたプリミティブな゚ネルギだった。

     みんな組合から去っおいく流れに逆行しお、颚前の灯だった職堎組合に、巧は戻った・・。

     職堎の組合運動に巻き蟌たれた巧であったが、山登りは毎週のように続けおいた。

     職堎の先茩たちを芋おいお、翻蚳者ずいうのは、ずっず座り続けおいるから、逆に肉䜓劎働なのだずいうこずをすぐに悟ったからでもある。翻蚳者ずいうのは、足が萎えおいく職業のひず぀なのである。

     ただ、山岳䌚でも、ず䞀緒でもなく、䌑日に倩気がよいず、気儘に近くの䞹沢に日垰り登山しおいた。

     職堎の、翻蚳者ずしおのストレス、劎働運動のストレスの解消にもなっおいた。

     ある日、久しぶりにずふたりで䞹沢に登った。

     も、ひずりで登山を続けおいた。某レコヌドチェヌン店の店長をやっおいたが、毎週のように倜行登山を匷行しおいた。巧以䞊に登っおいた。初めの頃は、巧がに登山を教えるパタヌンだったが、あっず蚀う間にに远い越された。

     い぀もず同様に、登り初めからビヌルを飲んだので、ペヌスが萜ちた。山頂に着いおから、ガスボンベでパック米や猶詰などを枩めお食べ、砂糖入りの玅茶をいれお飲むずいう、い぀ものスタむルが巧は奜きだった。それを目暙に山頂を目指しおもいた。

     しかし、は山頂に着くず、即刻䞋山を䞻匵した。垰りの、倕方のバスの時刻に間に合わないずいう理由である。山の䞭のバス路線なので、確かに、䞀日数䟿ずいう䞍䟿さは普通のこずであった。
     巧は、2-3時間埌の次の䟿にすれば山頂でゆっくりできるず䞻匵した。

     結局、巧はに抌し切られ、ふたりは食事をせずに即刻䞋山した。早足で降りたので、バスの時間には間があった。バス停の近くで、ガスボンベをザックから取り出しお調理しお食べた。

     確かに、の䞻匵の方が正しかったのだろう。暗くなるず山は危険である。特に䞋山では。

     小さなこずかもしれない。しかし、巧ずずの間には、噛み合わない䜕かが入り蟌んだ・・。

     駅近くの店で、い぀ものように飲んだが、ふたりの職堎環境が違い過ぎお、巧の職堎の劎働問題の盞談には、は乗れなかった。は、雇われ店長ずはいえ、䞀応、管理職の立堎だったし。
     ただ、の話には盛り䞊がった。のコンサヌトで「む゚ロヌ饅頭」を配った話の盎埌に、巧が黄色いおしがりを䞞めお「こんなの」ず冗談を蚀ったらは倧笑いした。

     は、倧手レコヌド店の店長だったので、コンサヌトの招埅刞をしょっちゅうもらっおいた。巧にも廻っおきお、䜕床か行ったこずがある。あず、新人歌手たちが頻繁に挚拶廻りに来おいた話は巧も楜しかった。

     ゞョンレノンずオノペヌコがお忍びで来お、ゞョンレノンず話したずのこず。それは矚たしかった。郜心䞀等地にあるレコヌド店ならではの特暩なのかもしれないず巧は思った。

     その山行を最埌に、は、単独行の倜行匷行登山で、ガンガンに八ヶ岳や穂高などを制芇し続け、巧は、盞倉わらず、職堎のストレス解消に、劎働運動だけでなく、ドむツ文孊科出身でない巧にずっお独和翻蚳のドむツ語の郚分での負い目はあったし、それ故のストレスもあり、ひずりで䞹沢日垰りのしょがい山歩きを時々しおいた皋床であった。
     

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    5.「出る杭は」・・詊緎のはじたり

     組合員の盞次ぐ脱退の原因は、もうひず぀あった。劎灜闘争で勢いづいおいたが、劎灜申請が华䞋された。そのこずも、倧きな原因であった。支揎しおくれおいた地域の共産党系の劎組組織も次第に疎遠になっおいた。

     数人にたで切り厩された職堎組合の䌚議では、「これからどうするか」が䞻芁な議題だった。巧も䌚議に参加しおいた。

     䌚瀟が行っおいるこずは、明らかな劎働組合朰しの䞍圓劎働行為であるずいうこずは、共通の認識だった。しかし、積極的に少数掟組合を続けおいこうずいう積極意芋は、執行委員のうち、委員長、副委員長のふたりだけだった。

     他の組合員は、消極的だった。かず蚀っお、積極的に「組合解散」を提起するこずもしなかった。なぜならば、そうするこずは、委員長、副委員長ふたりの事実䞊の解雇を意味するこずをみんな暗に熟知しおいたからだ。
     巧も継続掟だったが、なにしろ、新入瀟員だったので、圱響力は小さかった。率先しお、組合員を説埗する力量も気力もなかった。

     か぀お、劎灜闘争でお䞖話になった、地域の共産党系の劎組組織から掻動家を招いお、孊習䌚を開催したこずも数回あった。
     しかし、組合継続の方針はなかなか確立しなかった。結局、組合解散が倧方の意芋ずなった。地域の共産党系の組合オルグも玍埗した。

     組合の倧䌚が、少数ながら開催された。組合解散決議の組合倧䌚の筈だった。

     その時、奇蹟が起こった。

     病気で長期䌑職しおいたひずりの女性さんが職堎に戻っおきたばかりだった。圓然、喧々諀々の組合の䌚議にも参加しおいなかった。圌女も組合員だったので、この組合倧䌚に職堎埩垰埌初めお参加した。

     さんのひずこず「続けたしょう」で解散決議が芆った。他の組合員たちも、内心、委員長、副委員長の職を奪うこずになる決議に申し蚳ないずいう気持ちがあった。それほど、この頃は、同僚ずいうこず以䞊の人間的な繋がりの匷い職堎だった。

     さんのひずこずで、その気持ちが埌抌しされた。結局、党員䞀臎で、組合継続が決議された。
     それず同時に、地域の共産党系の劎組組織の党面支揎を受けるべく、地域劎組加盟も決議された。地域の掻動家たちに察する、組合員たちの信頌が匷かったこず、孊習䌚で培われた人間関係の成果でもあった。

     しかし、組合存続を巡る、組合員の蚎論に参加しおいなかったさんのひずこずで他の組合員の意芋が逆転し、か぀、統䞀されおいった点の意味をもっずもっず重芁芖すべきだった。

     さんの思想的背景に぀いおは䜕もしらない。病気入院で、劎灜の争議から離れおいたが故に、逆に、玔粋な正矩感だけだったのかもしれないが。

     新入瀟員なので、攻撃されるのではず危惧する組合員たちもいたが、かず蚀っお、委員長を率先しお匕き受ける組合員もいなかった。堂々巡りの議論にならない議論の末、業を煮やした巧だった。委員長を匕き受けた。組織嫌いの巧だったが。若気の至りの最たるものになった。

     この事実の意味するずころは、小さくなかった。巧は、このこずを、もっず重芁芖すべきだった。

     巧の、炭䜏での幌児䜓隓・原颚景が、巧を埌抌ししたこずは事実である。

     もっず、倧きな理由は、執行委員のひずりさんが、「どうしたらいいか、わからないわ。」ず蚀っお流した䞀滎の涙が、巧を突き動かしたこずである。

    ・・「チサの葉䞀枚のなぐさめが欲しくお人生を棒に振った」(倪宰治)・・

     巧を委員長に、前委員長さんが副委員長に、前副委員長Iさんが曞蚘長に、さんを含む前執行郚のメンバヌが新執行委員になった新䜓制の地域劎働組合支郚が発足した。

     地域の共産党系の劎組組織・争議団などが党面的か぀匷力に支揎する䜓制が敎った。

    ・・こうしお、巧は、火䞭の栗を拟った。巧の人生が倧きく倉わった瞬間だった。

     巧の幌児䜓隓が匷力に埌抌ししたずはいえ、巧には倧きな負担だった。

     倜間、䌁業の電算宀で働きながら倧孊に通ったので、圓時、孊生運動の末期だったずはいえ、そんな孊生運動に関わる時間もなかった。

     高専でも、そんな気配を瀺したら即刻排陀されかねない雰囲気の孊校だった防衛倧孊校から少なからずの講垫が来おいた。高専の授業は、圓時かなり進歩的で、孊生の発衚圢匏の授業であり、「歎史」の授業での巧の発衚内容から、危険芖されおはいた。
     「倪平掋戊争は、経枈利暩を巡る垝囜䞻矩䟵略戊争だった」ず発衚した巧に、教授は、巧の意芋を吊定し、「理念を巡る戊争だった」ずコメントしたこずがあった。
     䜓育の教授から「最近は、䜕を読んでるの」ず静かな声で聞かれたこずがあった。巧は、咄嗟に刀断しお、圓たり障りのない本のタむトルをあげた。圓時、平気で孊生に埀埩ビンタを喰らわす暎力教垫だったので、巧は意倖だった。

     巧が組合委員長になった途端、職堎の雰囲気が倉わった。職堎組合を解散に远い蟌めるず螏んでいた䌚瀟および瀟倖の組合朰しの劎務コンサルタントの思惑が倖れ、劎働組合察䌚瀟(および劎務コンサルタント)の劎資の察立構図がはっきりした。

     巧の盎属䞊叞や、呚蟺の管理職の態床が䞀倉した。

     ドむツ人管理職も、巧の方を芋おは、ヒ゜ヒ゜䜕か話しこんでいるこずが倚くなった。ドむツ人管理職は、積極的に巧を攻撃しおはこなかった。高みの芋物だった。

     巧は、新入瀟員ずしおは目立たない存圚だった。それが、䞀躍職堎の「有名人」になった。

     組合運動が超倚忙ずなり、山にはほずんど行けなくなった。毎朝、満員の通勀電車の䞭から遠くに芋える䞹沢の山䞊に芋ずれるばかりだった。

     反しお、の方は、冬山、ロッククラむミングずこなし、ホンモノの山屋になっおいった。巧ず同じで、組織嫌いのは、山岳䌚には参加しなかった。
     

    

    6.「針のむしろ」のはじたり

     地域劎働組合支郚ずしお生たれ倉わった匱小組合に察しお、劎組察策の瀟倖劎務コンサルタントを擁したドむツ資本の察抗策は、非組合員のむンフォヌマル組織「職堎を守る䌚」をでっち䞊げ、その代衚の眲名を以お就業芏則を党面改悪しおきた。

     幎䌑の算定基準の「劎働日」に、劎働矩務のない「土曜日」を含めるずいう劎働基準法の「幎䌑割条項」を違法解釈した条項になっおいた。぀たり、これにより、幎䌑も生理䌑暇も著しく制限された。今迄よりも著しく少ない䞀定数以䞊䌑むず翌幎の幎䌑がれロずなるからである。

     それず同時に、劎働組合に察しおは、限りない文曞合戊に持ち蟌むこずだった。団䜓亀枉も党面拒吊はしないが、開催に圓たっお、劎組そのものに察しお質問責めにするこずによっお、事実䞊団䜓亀枉を拒吊しおきた。䌚瀟は、賃䞊げ・䞀時金亀枉も文曞合戊に持ち蟌んだ。劥結月から賃䞊げし、䞀時金を支払うずいう䞀方的な条件を付けおきた。

     劎政事務所や劎基眲も䌚瀟の察応を問題芖したが、䌚瀟は、その指導を党く無芖するずいう確信犯だった。プロの劎務コンサルタントの指導だった。䌚瀟が違法なこずをやっおも、その間に組合が朰れさえすればよいずいう発想だった。

     組合の団結力を芋透かされおいたような攻撃だった。組合は、有効に反撃できずに、数ヶ月遅れで「劥結」文曞を提出した。地域の劎組本郚から䌚瀟に芁請はするが、それ以䞊の有効な闘争は組めなかった。

     そんな䞭、委員長の巧を狙い撃ちにした攻撃を仕掛けおきた。

     巧の劻の出産の際、育児時間を組合は芁求したが、䌚瀟は、法で決められた「育児時間」は認めるが、定刻出瀟のタむムカヌド打刻を矩務付けた。定刻の勀務時間前に、いったんタむムカヌドを打刻しおから「育児時間」を取埗しろずいうのである。それでいお、職堎に育児斜蚭を䜜るわけではない。事実䞊の「育児時間」拒吊=法埋違反である。

     地域の劎組の仲間も協力しおくれお、倧きな「抗議ハガキ」運動を展開した。著名人も賛同しおくれた。倧きな集䌚も開いた。

     本人の実力行䜿、぀たり、垞識通り就業開始時間を遅らせおタむムカヌドを抌すこずをしたら、「無断遅刻」をしたずしお、即座に数人の管理職が䌚議宀に呌び出し、数十分数時間に亘っお本人を吊るし䞊げるずいう個人攻撃を掛けおきた。それに察しお巧が抗議するず、管理職が倧声で怒鳎り散らすずいう事態になった。それでも、他の組合員は、立ち䞊がらず、う぀むいたたた仕事をしおいた。育児時間をずった本人組合員の粟神的ダメヌゞが倧きくなり、限界に達しおいた。

     劎組本郚の指導により、「育児時間」攻撃に察しお地裁に提蚎した。その準備に厖倧な時間が掛かり、法廷闘争も数ヶ月以䞊かかるずいう、のんびりした進行だった。

     なによりも、職堎の組合員の疲劎は頂点に達しおいた。「育児時間」を公䜿した、ひずりの組合員のために、その法廷闘争のため等に、他の組合員たちが厖倧なプラむベヌトな時間を奪われおいた。

     その䞊、昇絊・䞀時金も「劥結」する迄、数ヶ月遅れで、、぀たり、賃金が実質䞋がるずいう䞍利益を組合員故に被らざるをえなかった。

     むンフォヌマル組織「職堎を守る䌚」の非組合員からは、「同意曞」なるものを䌚瀟はずっおいた。぀たり、自分がいくら昇絊するのか、䞀時金がいくらなのか、分からないのに「同意」を匷芁するものであった。しかし、それに反察する者、抗議する者はひずりもいなかった。

     巧が、この矛盟を総務郚長に抗議したずころ、その総務郚長は、「こんなもんだよ日本人は」ずうそぶいた。確信犯だった。総務郚長の、この日本人芳は、興味深いものだった。

     「育児時間」の裁刀は、裁刀所の調停案を受け入れお、提蚎取り䞋げで終了した。組合は、「勝利」宣蚀をしたが、巧は、䜕故これが「勝利」なのか理解できなかった。共産党系の劎組組織の闘争方針を疑うようになった。

     巧の方針は、法廷闘争は法廷闘争ずしおいいけど、法廷闘争のみでなく、それを裏付ける有効な珟堎闘争も組むこずだった。法廷闘争だけならば、䌚瀟は、䟋え、最高裁刀決たでも付き合うだろう。䌚瀟にずっおは、なんの痛みも䞍利益もないからだ。ひたすら、その間に、劎組が朰れおくれれば、䌚瀟にずっおは倧勝利だ。なによりも、搟取の珟堎である職堎での実力闘争のみが事態を切り開く鍵であるず巧は確信しおいたからだ。幌児䜓隓ずはいえ、䞉池闘争の䞭で育った巧にずっおは、劎働運動の倧前提だった。

     厖倧な文曞合戊の域を越えられない、越えようずもしない組合では、なによりも劎働組合の存圚䟡倀そのものがないこずになるず巧は思った。

     他方、巧が組合に戻るずいう決断をしたきっかけずなった執行郚のさんが乳癌になった。
     第四期で癌がみ぀かった。そのさんに察しお、某組合員が、幎䌑を取り過ぎるず、「幎䌑割条項」に抵觊しお翌幎の幎䌑がれロになるからずいう理由で、さんに「這っおでも出瀟しなさい」ずアドバむスした。これは、組合の䌚議で決定したこずではなく、共産党に属しおいた某組合員が勝手にさんに忠告したのである。

     巧は、これに察しお、組合の䌚議で抗議した。さんに「這っおでも出瀟しなさい」ずいうこずは、違法な「幎䌑割条項」を事実䞊認めたこずになる。さんの䜓調・健康を第䞀に考えお、幎䌑をずっお䌑んでもらい、「幎䌑割条項」に匕っかかったら、組合の団結でさんを守り切るこずこそが、劎働組合の存圚䟡倀であるこずを䞻匵した。

     しかし、さんは、幎䌑を取るこずを自䞻芏制し、無理しお出瀟し、䜓調を厩した。

     さんは、入院・手術したが、皋なくしお亡くなった・・。巧は、蚀いようのない虚しさ・哀しさ・絶望感を抱いた。

     巧の心劎も頂点に達したのか、さんに続いお、巧も甲状腺腫になった。入院・手術し、「幎䌑割条項」に抵觊した。巧の堎合は、幞い、良性の腫瘍で回埩した。しかし、「幎䌑割条項」には匕っかかった。組合員からは、「育児時間闘争で倧倉な思いをしたのに、たたぁやめおよぅ」ずいう本音をぶ぀けられた。病気になるこずも蚱されなかった・・。共産党系の劎働組合では。

     本郚も腰が匕けおいた。

     「育児時間闘争」の際、巧が芪しくしおいた某実存哲孊者の奥さんが婊人民䞻新聞の元蚘者だった癜掲正子も蚘者だったこずがあるので、「育児時間闘争」を蚘事にしおくれたのだった。

     共産党系の劎働組合の掻動家たちは過敏に反応した。圌らにずっおは、婊人民䞻新聞も「トロ」ず呌んでいた。

    巧に察しお譊戒し始めた。

    圌らにずっお、共産党でない「巊翌」はみんな「過激掟」「トロツキスト」なのだ。

     日本共産党の実態を知るきっかけずなった。たさか、自分が、それを䜓隓するずは。ただの「山屋」なのに。

     組合執行郚の任期切れの倧䌚前に、巧は、方針が違い過ぎるから委員長を蟞めたいず劎組本郚に蚀った。劎組本郚から数名の「掻動家」に呌び出されお論議したが、圌らは、巧を譊戒し぀぀も、「組合民䞻䞻矩」を盟にしお、巧の委員長蟞退を断固認めないずいう方針だった。あるいは、譊戒しおいるからこそ、「委員長」ずしお瞛っおおきたかったのかもしれない。承諟しない巧に察しお、「掻動家」たちは、最埌には、巧を倧声で恫喝した。議論が䞍可胜だった。「組合民䞻䞻矩」もぞったくれもなかった。「呜什」だった。

     巧は、意気消沈し぀぀、「委員長」を匕き受けた。しかし、この䞀件は、巧の深局の䜕かを根本的に倉えた。芚悟・・である。

     職堎の賃金亀枉でも、組合内の議論で、組合員たちから、闘争なしの「即劥結」を提案され、反察する巧に察しお、組合員たちは、「わたしたちは、闘争するためにここで議論しおいるのではなく、生掻のために劥結するためにここにいる」ず告げおきた。「組合民䞻䞻矩」以前の問題だった。議論にならない、ただのおしゃべりに過ぎなかった。それでも、組合本郚は、「組合民䞻䞻矩」を盟に劥結を「委員長」巧に匷芁しおきた。巧の意思に反した「劥結」を「委員長」巧の名前で行うこずを匷芁しおきた。組合員の意思を党く反映しおいない、むしろ、正反察の「委員長」だったのに。

     本質は、劎働組合察資本(組合朰しのための瀟倖の劎務コンサルタントの指導䞋にある䌚瀟)の闘争である。共産党の蚀葉で蚀えば、「階玚闘争」そのものである。「組合民䞻䞻矩」を倧矩名分にしお、組合員の倚数掟の「芁求」=「闘わない」を珟堎に匷芁しおくる共産党の本質を巧は知った。本圓の「組合民䞻䞻矩」は、倧衆の匱さに基づくのではなく、倧衆の本圓の芁求に基づいお闘うこずである。巧の職堎では、熟烈な階玚闘争の珟堎では、組合員はすべお掻動家であるずいう自芚が組合員には欠劂しおいた。この自芚こそが、共産党の蚀葉で蚀う「前衛」なのである。なによりも、劎働組合は、仲良しクラブではなく、「劎働組合」ずいう目的集団であるずいう基本的な認識が組合員には欠けおいた。

     巧は、共産党系の劎組組織の支郚である職堎の劎働組合を脱退しお、たったひずりで、「幎䌑割条項」裁刀を個人提蚎しお闘うこずにした。真の「組合民䞻䞻矩」を実践すべく、真の「掻動家」=「前衛」であるべく。
     

    

    7. 四面楚歌

     劎働者偎の匁護士名ずの打ち合わせの際、圌らは巧に厳しいこずを蚀った。

     「この裁刀を提蚎しおも勝利刀決を勝ち取れるずは限らない。」
     「もし、敗蚎したら、䌚瀟の攻撃は曎に激化し、䞍圓解雇も芚悟しないずいけない。」
     「提蚎しただけでも、職堎では厳しい攻撃を受けるこずになるだろう。」
    ずいうこずだった。

    巧の「芚悟」は決たっおいた。

     「もし敗蚎したら、䌚瀟のみならず裁刀所も盞手に闘争したす。」ず蚀い切った。

     匁護士から、地域の劎働運動掻動家を玹介された。もちろん、共産党系ではない「巊翌」、぀たり、共産党が蚀うずころの「過激掟」である。

     その掻動家名ず初めお䌚っお飲みに行き、巧は酔い朰れた。
     巧の話を聞いた掻動家は、地域の某争議団組織を玹介した。

     掻動家名は、某新巊翌党掟だったが、その某争議団組織は、無党掟ノンセクトラゞカルも党掟の人間も混圚する、ひたすら、各個別争議(䞍圓解雇など)を共闘する緩やかな組織だった。某新巊翌党掟の劎働組合、某地域合同劎組からも匷いラブコヌルの声が掛かったが、巧は、某争議団組織の緩やかさの方が気に入った。職堎では、ひずりで闘うこずにした。地域の仲間に支えられお。

     いよいよ東京地裁に提蚎

     職堎では、「幎䌑割条項」に抗議する抗議文を出し続けおいたが、䌚瀟は、文曞回答し、曎に意芋があるのなら文曞で出せずいう、い぀も通りの文曞回答が来た。

     それに察する回答ずしお、巧は、䌚瀟が指定する回答期限日に、䌚瀟に察しお東京地裁ぞの個人提蚎の蚎状で応えた。
     それず同時に、巧は、某争議団組織の党面支揎を受けお、就業時間前の䞀時間、䞞の内のど真ん䞭にある䌚瀟の瀟前で抗議集䌚を開いた。赀旗が林立する䞭で、某争議団組織の宣䌝カヌで情宣しながらビラを、出勀する地域のホワむトカラヌのサラリヌマン劎働者に配った。䞻䜓は、劎働組合ではなく、ひずりの劎働者を地域から支揎する某争議団組織である。

     巧は、法廷闘争のみでは䌚瀟はビクずもせず、むしろ、痛くも痒くもなく延々ず付き合うだろうず思った。法廷闘争を裏付ける珟堎闘争が必須だず刀断したのだ。

     就業時間盎前に、巧は職堎に戻り、自分の垭に着いた。巧の心臓はドキドキしたが、同時に枅々しい気分だった。某争議団組織の新聞に「狌の矀れに入る仔矊の気分だった」ず曞いたらうけた。

     その日、管理職たちは䌚議宀に閉じ籠もっおいた。初日は静かに過ぎた。

     翌日から、䌚瀟は、巧ぞの攻撃を匷化した。

     巧は、独和翻蚳者だったが、ただ、新入瀟員だった。
     巧の仕事䞊のミスを針小棒倧にあげ぀らった。盎属䞊叞が倧きな声で、巧の翻蚳ミスを泚意した。

     「巧は仕事ができない」ずいうキャンペヌンを党瀟的に行っおきた。

     むンフォヌマル組織「職堎を守る䌚」では、「巧は、「倖郚」の「過激掟」ず぀るんで、䌚瀟を朰そうずしおいる。」ずキャンペヌンを匵っおきた。
     巧のような「過激掟」から文字通り「職堎を守る」ずしお、むンフォヌマル組織「職堎を守る䌚」所属のラゞカルな瀟員数名も積極的に巧に個人攻撃をかけおきた。業務䞊必芁なこずすら、圌らは巧を睚み付け、無芖した。

     巧の自宅に深倜に電話が鳎り、巧がずるず「バカダロヌ」ず怒鳎る声がしお、すぐに切れた。その声は特城のある声で、巧はすぐに誰だか分かった。

     就業時間䞭に、他の劎働者から電話があり、やさしい声で、あたかも味方のような口調で「最近掻躍しおるみたいだねぇ。でも、呜の危険を感じたら、蟞めた方がいいよ。」ずいう脅迫だった。

     さらには、巧が元委員長だった、共産党系の劎組組織の職堎支郚の組合員たちも巧を完党無芖した。か぀おの仲間だったが、巧ずは、たったく話をしなくなった。

     某党掟の組合本郚は、東京郜䞋の各劎働団䜓旧総評党囜䞀般系に察しお、巧が提蚎した裁刀は、自分たちの劎組の運動ずは「たったく関係ない『分裂策動』圓時、巊翌各党掟の垞套文句である」ずいう文曞を配垃しお、巧の闘争を積極的に劚害しおきたからだ。巧を無芖するこずは、本郚からの通達でもあったのだ。

     こうしお、巧は、職堎内ですべおの瀟員から完党に無芖された。

     四面楚歌だった。

     䞊叞管理職からの、巧の仕事のミスをヒステリックに詰る理䞍尜な眵声だけが、巧が巧に察しお発せられた蚀葉を聞く唯䞀の「声」だった。

     こういう環境に耐えられる人間はどれだけいるだろうか。
     普通の人間には耐えられないだろう。巧も䟋倖ではなかった。

     しかし、巧は、堪えた。

     巧は、管理職たちのヒステリックな眵声の䞋で、心の䞭で、幌児䜓隓の䞉池争議でさんざん聞いた「むンタヌナショナル」「劎働歌」を口ずさんでいた。

     巧の悲惚な幌児䜓隓、あの時の『地獄』に比べたら、今の「地獄」なんお、なんでもないず思った。巧の悲惚な幌児䜓隓は、今の、この「地獄」を耐えるためにあったずさえ思えた。

     曎に悲惚なのは、䌚瀟のみならず、自宅に垰っおも、「䞉池争議」の時の負い目がある䞡芪は、決しお巧の行動を支持せず、むしろ、䌚瀟を退職するこずを匷く勧めた。父芪は、「そんな䌚瀟、蟞めおしたえ」ず蚀った。

     母芪の「䌚瀟もたいぞんだねぇ。ちょっずなにか蚀ったら、倧隒ぎされお。」ずいう発蚀には正盎いちばん堪えた。
     「ちょっずなにか」・・そんなレベルのこずのために、ひずり息子は、粟神に異垞を来すギリギリたで、歯を食いしばっお頑匵っおいるずいうのか。䞉池争議のデモも集䌚も、たったく理解するどころか、嫌悪感しか抱かなかった母には、巧の闘争も、理解できる筈もなかった。

     曎に父芪は、自分は「向坂孊校䞉池争議時代の瀟䌚䞻矩の孊校の優等生だった。」ず昔のこずを自慢しお、あたかも自分は「巊翌の瀟䌚䞻矩掻動家・劎組運動家」だず蚀わんばかりに偉そうに巧の劎働運動にもアドバむス、意芋を蚀っおきた。
     巧は、内心、このひずはホンモノのバカだ、ず思った。
    さすがに、巧は、「敵前逃亡した人間に蚀う資栌はないよ。」ず静かに蚀い切った。
     母芪は、「そりゃ、そうだ。」ず薄笑いしながら蚀った。
     それ以来、父芪は、巧の闘争に意芋しなくなった。ず蚀うか、父芪の、巧の劎働運動に察する敵感心が密かに増しおいた。䜕かに負い目がある人間は、それを「合理化」するために、その䜕かを貶める。自己の負い目を正圓化するための足掻きずしお・・。
     その敵感心が、巧の家族、特に、ただ幌児の長男に向けられた。
     巧の父芪は、巧のこども、぀たり孫に向かっお、父芪巧を党吊定するこずを泚入した。そしお、それは成功するのである・・。

     巧の劻は、育児時間闘争の埌、自䞻退職し、別の䌚瀟に転職しおいた。巧のような幌児䜓隓がない人間には、巧の行動が理解できなかった。ず蚀うか、巧自身は、自分の行動の盎接のきっかけは、あの、乳癌で他界したさんの䞀粒の涙だず思っおいた。

    ・・「チサの葉䞀枚のなぐさめが欲しくお人生を棒に振った」(倪宰治)・・

     巧は、䌚瀟でも自宅でも孀独だった。

     唯䞀、地域の某争議団組織の仲間だけが救いだった。圌らも、苊しく厳しい状況だろうに、底抜けに明るかった。そんなひずたちの偎にいる自分が誇らしかった。

     恰も、か぀お、幌児の時に䜓隓した䞉池劎組の炭䜏の解攟区のように。
     

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    8. 森田療法ずドむツ語ず「さん」ず
        高朚仁䞉郎さんず䞭島正さんず蟲的生掻

     巧は、劎働運動に巻き蟌たれおしたったが、同時に、倚くの貎重な䜓隓ず出䌚いもあった。
     職堎で、同僚が誰も話しおくれず、時には攻撃され、管理職の執拗な眵声の䞋で仕事をするずいう状態は数ヶ月も続いた。

     さすがに、巧も限界だった。

     月曜病が深刻だった。日曜の午埌になるず深刻な鬱状態になった。

     倕方、垰宅時、倜行列車が南に向かっおゆっくり走っおいくのを芋た時、涙が出た。あれに乗っお、䜕凊か遠くに逃げられたら、どんなに幞せだろうず。

     䌚瀟も、巧が粟神に異垞を来すか、䜓調を著しく厩しお、自䞻退職するのを期埅しおいた。それが巧には手に取るように分かった。

     巧は、電気・電子技術関係の独和翻蚳者だった。圓時は、むンタヌネットがなかったので、翻蚳に必芁な知識は、専門曞を頌りにしおいた。

     巧が䜏む浊安の図曞通は、東京ディズニヌランドのお陰か、圓時、日本䞀の本貞し出し量を誇る充実した図曞通だった。専門曞も充実しおいたし、なによりも、リク゚ストするず盎ぐに賌入しおくれた。
     あるずき、ふず、粟神医孊・心理孊の本が県に入った。巧は、その関係の本を借りたくった。自分の粟神状態を客芳芖し、自分で治療するためだった。
     「森田療法」の本ずの出䌚いは救いだった。䌚瀟を離れられないので、その合宿療逊所には行けない。自分で、森田療法を忠実に実践した。それに、巧は決しお䜓育䌚系ではなく、ひ匱な䜓質だった。

     それず、ドむツ語がりィヌクポむントだった。呚囲は、高孊歎のドむツ語・ドむツ文孊専攻のドむツ語専門家ばかりだったからだ。博士号所有者もいた。ドむツ語は、高専の必須科目だったのず、ノィトゲンシュタむンをドむツ語で読んだくらいだった。しかし、培底的にドむツ語で読んだので、独和翻蚳者ずしお入瀟詊隓のトラむアルに合栌し、採甚される皋床にはなっおいたが。

     森田療法による生掻で、芏則正しく、睡眠時間を充分にずり぀぀、䜙蚈なこずを考えずに、日垞生掻を倧事に䞀぀ず぀䞁寧に熟し、ドむツ語を集䞭的に培底的に独孊した。専門的なドむツ語文法曞ず、ドむツ語系倧孊院の入孊詊隓問題集を隅から隅たで䜕床も本がボロボロになる迄培底的に孊習した。独和翻蚳の基瀎力・実践力を付けるために、瀟倖の翻蚳の仕事もやった。倚様な内容の仕事だった。その収入が䌚瀟の絊䞎より高い月もあった。そんな生掻が幎続いた。この時身に぀けた実践的なドむツ語力は、この埌、30-40幎に亘っお巧の生掻を支えるこずになった。

     職堎での方針は、こちらからは絶察に敵を぀くらないようにした。

     䟋え、積極的に敵察する瀟員であっおも、おだやかに、かわした。

     か぀お仲間だった組合員たちずは特に積極的に明るく接した。圓初、無芖しおいた組合員たちも、本郚の意思通りにはいかず、次第に話すようになった。

     か぀お、組合執行郚のさんが乳癌のホリスティック治療reikiでお䞖話になっおいた「さん」を玹介しおくれお、その治療院に巧も通うようになった。結局、「さん」ずは、94歳で亡くなるたで35幎以䞊の付き合いずなった。実は、圌女は、巧にずっお倧事なスピリチュアルの垫だった。スピリチュアルの巚人「高橋信次」を巧に泚入しおくれた。

     劎働運動では、共産党系の運動から解攟されたので、垂民掟の集䌚によく参加した。そこで、高朚仁䞉郎さんをはじめお知った。 (アメリカのスリヌマむル島原発事故)の埌だったので、高朚さんは、熱心にの報告をなさっお、日本の反原発を説いおおられた。共産党系でない劎組の集䌚には高朚さんも呌ばれお講挔をされおいた。

     最初の印象は、ひ匱なむンテリ青幎ずいう感じだったが、次第に惹き蟌たれおいった。気付いたら、高朚さんの原子力資料情報宀の䌚員になり、原子力資料情報宀の䌚報で知った日韓の反原発闘争を結ぶ垂民運動䞻宰の韓囜語講座に参加しおいた。原子力資料情報宀で火灜があり、韓囜担圓者が亡くなった。その青幎ず入れ替わりのように、巧が参加するようになった。

     圓初2030人もいた孊習者も、最埌は、先生2名、生埒2名ずなった。結局、先生が所属するアゞア文化䌚通の韓囜語講座を受講するこずになり、䞭玚から入孊しお、盎ぐに最高クラスの挔習クラスたでいった。

     その埌、韓囜の環境運動連合ずの亀流にも参加し、高朚仁䞉郎さんから環境運動連合ぞの資料を持参し、高朚仁䞉郎さん宛の厖倧な調査報告曞を゜りルから東京に運ぶたでになった。

     原子力資料情報宀の新たな韓囜担圓者さんず韓囜語の倩才である某倧孊講垫先生の3人で、韓囜の原発関連の新聞蚘事を読み合わせ、研究するたでになった。もちろん、原子力資料情報宀にも䜕床も通ったが、䞍思議なこずに高朚さんが盎ぐ暪にいらっしゃったこずも䜕床もあるのに、芪しくお話したこずはなかった。某空枯建蚭反察運動の珟堎でもすれ違うこずはあったのに。韓囜の某反原発掻動家を通じお、高朚さんのこずは熟知しおいた。

     高朚仁䞉郎さんたちの圱響もあり、環境問題から蟲業にも関心がいった。

     某空枯建蚭反察運動の揎蟲にも参加し、蟲家ず付き合ううちに、自分でも蟲業をやりたくなった。しかし、䌚瀟を退職しお蟲業に転業するわけにはいかなかった。それができたら、どんなにいいだろうず心底思った。実際、就蟲支揎センタヌに盞談に行ったこずもあった。

     しかし、それはある意味、逃避願望だったのかもしれない。それ皋、䌚瀟での闘争は、き぀く巧を瞛った。

     浊安のマンションのベランダで、発泡スチロヌルの箱で野菜を䜜るこずから始たっお、千葉郊倖の蟲地を借りお蟲業の真䌌事をした。

     そんな頃、岐阜の䞭島正さんの安藀昌益思想「みの虫革呜」ず自然蟲スタむルを知った。䞭島正さんずは、盎接お話もし、䞀緒に原子力資料情報宀の眲名掻動にも参加した。䞭島正さんずの出䌚いず亀流は、巧の、その埌の人生にずっお根幹ずなるものになっおいった。

     結局、郊倖に自分の山林をゲットし、その近くに反の畑を借りお野良仕事をするようになった。
     山林は、荒れ果おた杉・檜・雑朚・竹林だった。開墟䜜業からのスタヌトだった。手斧、鉈、鋞、電気チェン゜ヌ、゚ンゞンチェン゜ヌも䜿っお、開墟し、建築の本を勉匷しお小さな小屋を自分で建おた。
     週末金曜倜から日曜倕方たで、ここで䜜業するこずもあった。䌚瀟でのストレス発散にもなった。なによりも、病匱だった巧の䜓が匷くなっおいった。
     圓初、高速道路を䜿っお、野良仕事をしに行っお䜜った野菜を「スヌパヌで買った方が安いよ」ず揶揄われおいたが、巧の健康回埩ず蟲的生掻ぞの目芚めず、䞭島正・安藀昌益の蟲思想は、巧の基本思想を圢成しおくれたのだから、巧にずっおは、それで充分だった。

     こうしお、䌚瀟での劎組朰し攻撃ずの闘争によっお、巧は、倚様な瀟䌚問題、環境、原発、死刑廃止、蟲業、そしお、スピリチュアルぞず、䞖界が拡がっおいった。

     䌚瀟が生掻のすべおずいう圓時のサラリヌマンのスタむルを砎り、䌚瀟で闘争し぀぀、生掻の経枈基盀をおき぀぀、瀟倖の広い䞖界に軞足を眮くずいう生掻スタむルを築いおいった。

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    コラム

     䞭島正さんは、圓時岐阜の山奥の蟲家で、幎間所埗5䞇円皋の癟姓でした。5䞇円皋は、逊鶏で埗た収入ずのこずでした。卵や鶏肉の販売ずいうこずかず思いたす。行政から生掻保護申請を蚀っおくるけど、蟲地を芋せお、「こんな豊かな生掻しおいる」ず蚀っお远い返しおやったず嘯いおおられたした。

     䞭島正さんのベヌスにあるのは、安藀昌益の思想でした。安藀昌益のキヌワヌドは、「盎耕」、぀たり、蟲本䞻矩です。䞭島正さんのキヌワヌドは、「反自然郜垂型文化瀟䌚」ず「みの虫革呜」です。人類史誕生以来の諞悪の根源は、自然に反した「郜垂」にこそあるずしお、食料自絊の担い手である癟姓が、「反自然郜垂型文化瀟䌚」である「郜垂」ず関係を断ち、「みの虫」のように閉じ籠もる「革呜」を問うた本です。

     䞭島正・安藀昌益思想に圱響を受けたひずは、囜内倖を問わず、少なからずいらっしゃるようです。私も、そのひずりですが。私も、「癟姓」に憧れたしたが、郜䌚での劎働争議を抱えおいたので、郊倖で真䌌事くらいしかできたせんでした。それでも、反の畑ず挌闘しおたしたが。䞭島さんのように、タダで貰っお来たボロボロの耕運機䞀台で。

     䞭島正・安藀昌益思想に぀いおは、「知る人ぞ知る」ではあっおも、少なくずもメゞャヌな思想ではないでしょうが、「サピ゚ンス党史」ナノァル・ノア・ハラリにも匹敵する人類史スケヌルの重芁な思想かず思いたす。

     私は、叀代ギリシア思想における「゜クラテス以前の哲孊者」ず「゜クラテス以降の哲孊者」ずを察比しお考える際に明らかにパラダむムシフトが起きおいたす、䞭島正・安藀昌益思想は、重芁な芖点を䞎えおくれるのではないかず確信しおおりたす。分岐点ずなった「゜クラテス」は、兞型的にポリス「郜垂囜家」の産物なのでしょうから。
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    コラム

      スピリチュアルの垫くんがずおも興味を瀺したのが、「高朚仁䞉郎」でした。ホンモノのスピリチュアル同士故、分かるものがあったのでしょう。

     高朚仁䞉郎さんの凄いずころは、「原子力」ずいう難しい孊問を䞀般垂民にも分かるような優しい蚀葉で䞀生懞呜説明しお理解しおもらおうずいう姿勢だず思いたす。3.11埌今も、高朚さんがいらっしゃったらず思うず残念で仕方ありたせん。「量子力孊」「」「遺䌝子操䜜技術」の「高朚仁䞉郎」が是非登堎しお欲しいです。

     蚀語孊のチョムスキヌもそうですが、高朚さんも、瀟䌚運動の珟堎にも登堎する孊者のひずりでした。空枯反察運動の珟堎にも、決しお䞊から目線ではなく、蟲民に寄り添う高朚さんの姿を芋かけたした。チョムスキヌ同様、自分の専門ず真摯に向き合えば向き合う皋、珟実䞖界の出来事にも、自分の専門䞖界から向き合うこずになるのではないでしょうか。チョムスキヌや高朚仁䞉郎こそがホンモノの孊者の姿かず思いたす。
     宮沢賢治も、そのひずりかもしれたせん。高朚さんは、「宮沢賢治」に぀いおも熱心に発蚀されおたす。決しお奇を衒ったものではなく、さらっずスピリチュアルの真の姿を垣間芋せおおられたす。
     高朚さんも、ご自分でも「蟲」に関わられおおり、「盎耕」の思想にも觊れおおられたかず思いたす。

     "multipotentialite" に぀いお疑問も持っおたしたが、こうやっお芋るず、真の科孊者、真の瀟䌚運動家、真のスピリチュアルは、本質的に"multipotentialite"なのかもしれないず思うようになりたした。

     すくなくずも、自分で自分の枠を圢成しお、その䞭に閉じ籠もるずいう、倧郚分の「孊者」ずは正反察なのではないでしょうか。そういう点では、"multipotentialite"は、これからの人間のあるべき姿なのかもしれたせん。

     真の"philosopher" もかくあるべし、なのかもしれたせん。
     
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    9. 地裁・高裁・最高裁で党面勝利 連戊連勝

     幎䌑割条項裁刀は、地裁・高裁・最高裁で党面勝利した。

     この間、巧の闘争方針は、搟取の珟堎である職堎闘争を重芖するこずであった。

     ぀たり、瀟前集䌚、ストラむキ、䌚瀟・ドむツ人/日本人管理職抗議行動、デモのみならず、マスコミも利甚した。

     「劎務コンサルタントを利甚した組合朰し」を取材しおいた共同通信の線集委員が、巧の闘争の蚘事を䞖界に配信した。この埌、この線集委員は病気で亡くなった。奥様にお願いしお、霊前に勝利刀決ず、そのニュヌスを眮いお頂き、報告させおいただいた。海倖の新聞にも掲茉された。囜内の新聞・雑誌にも掲茉された。叞法蚘者クラブで蚘者䌚芋もした。の倜時のニュヌスでも報道された。

     珟堎実力闘争だけが闘争ではない。職堎内では、同僚ずは、管理職も含め、こちらから、極力仲良くした。

     劎組朰しの尖兵ずなっおいた日本人管理職たちずは、党面抗戊状態だった。

     特に、最先頭で指瀺しおいた総務郚長ずは厳しく察立した。盞倉わらず、䌚瀟は、文曞合戊に持ち蟌んでいた。そのうち、巧の抗議文を郚長が砎っおゎミ箱に捚おたこずがあった。その時、巧は、I郚長の垭に行っお、「ゎミ箱から抗議文を拟いなさい。」ず静かに抗議し、それでも拟わない郚長に察しお、郚長の机の䞊にゎミ箱をぶちたけた。郚長は、俯いたたた手が震えおいお、䞀蚀も発蚀できなかった。他の管理職も暪目で芋おいるだけだった。
     その行動に察する䌚瀟の反応は、「譊告曞」の玙切れ䞀枚だけだった。トヌタル数癟枚の「懲戒凊分の譊告曞」を䌚瀟は出しただろうか。圓然、実際の「凊分」はできなかった。実際に「凊分」したら巧はどうするか十二分に䌚瀟は分かっおいたからだ。力関係が完党に逆転した。これには、背景事情がある。

     芁するに、資本は、恐怖で劎働者を支配しようずする。倧半の劎働者は、支配されおしたう。しかし、冷静に状況刀断し぀぀、恐怖に支配されず、立ち䞊がっお闘う劎働者に察しおは、資本は匱い。特に、䌚瀟を取り巻く瀟䌚状況たで味方に぀けた劎働者に察しおは、実際には手が出せない。
     䞞の内での瀟前集䌚を、地域の争議団の仲間ず䞀緒に頻繁に行った。同時に、ビルの䌚瀟入り口で抗議行動を行った。

     日本人管理職のみならず、ドむツ人管理職に察しおも抗議した。

     地域の争議団共闘の仲間には、某新巊翌党掟各掟も少なからずいた。圌らにずっおも重芁なこずだった。ず蚀うのは、搟取の珟堎で闘う劎働者こそがリアルであり、圌らの「巊翌理論」「革呜論」を裏付ける蚌拠そのものだったから。だから、巧の䞞の内の集䌚珟堎には、公安も探りに来おいた。巧も争議団の䞀員ずしお、某新巊翌党掟各掟のメンバヌたちずも分け隔おなく芪しく付き合っおいた。だから、公安情報ずしお、巧もメンバヌかずいうこずが䌚瀟に䌝わっおいたのかもしれない。だから、䜙蚈に䌚瀟は、巧に手を出せなかった。圓然、巧は、ノンセクトの唯の䞀劎働者に過ぎなかった。

     むしろ、争議団の芪しい仲間に心配されたこずがあった。
     巧が、珟堎闘争䞻矩の某新巊翌党掟の幹郚たちずも芪しく亀流するので。
    巧は、毅然ずしお蚀い攟った。
      「ご心配なく。私は、朱に亀わっおも赀くならないので。」
    その仲間は、倧笑いした。

     巧は、「組織」そのものが奜きではなかった。
     共産党系劎働運動(職堎のもうひず぀の劎組であり、か぀お、巧が所属しおいた組合)での苊い䜓隓が巧を組織嫌いにした。
     某空枯反察闘争の成り行きずか、孊生運動、新巊翌運動の行方ずか芋るず、「組織」は「組織」故にこそ、意倖ず匱いのではないかず巧は思った。
    個人の匷さこそが真の匷さなのだず巧は思った。

     確かに「䞇囜の劎働者、団結せよ」ずいうのはスロヌガンずしおは正しいのだろうが、珟実には、団結しないのが人間である劎働者の真実なのかもしれないずも思う。䞉井䞉池争議の幌児䜓隓から始たった、巧の実䜓隓からも、巧はそう思った。

     これは、マルクスの責任ず蚀うか、「組織」偎の責任なのだろう。「組織」を構成する、しょせん「人間」でしかありえない人間の偎の責任なのだろう。「人間」は、そんなに完璧ではない。マルクスの理論通りに行動するずいうような、そんな単玔なものではないのだろう。人間は、奥深い。そしお、耇雑で、矛盟した存圚である。

     こんな埡時䞖に日本瀟䌚党䜓が反動化しおいる、地裁・高裁・最高裁で党面勝利するずいう、めったに出来ない貎重な䜓隓を巧はさせおもらった。組合朰しの尖兵にされたバカな䌚瀟管理職の責任、瀟倖劎務コンサルタント・プロの「劎務屋」の責任である。それ以䞊に、資本の非道に向かっお果敢に立ち䞊がるひずりの劎働者を「分裂䞻矩者・過激掟・トロツキスト」ず眵倒しおやたない「共産党」系「劎働運動」の眪は極めお倧きい。䌚瀟偎匁護士たちすら、この裁刀は䌚瀟偎が負けるず分かっおいお、和解・早期裁刀終結を䌚瀟に提案しおいたのに。実は、巧は、䌚瀟偎匁護士ずも法廷倖で密かに話をしお、情報を仕入れおいたのである。巧の「党方䜍倖亀」の成果でもある。
     巧も、地裁刀決前に、ある皋床勝利を確信しおいた。珟堎闘争ず䞊んで、劎基眲・劎政事務所亀枉も巧たちは行っおいたが、劎基眲の職員からも「あ倧䞈倫この裁刀はあなたが勝぀よ」ず蚀われおいた皋なのだから。

     この間、圓初は、巧ぞの個人攻撃が匷倧で、巧も抌し朰されそうになったが、䞉井䞉池争議の幌児䜓隓が巧を救った。地裁の党面勝利刀決たでは倧倉だったが、この刀決は、決定的なゲヌムチェンゞャヌになった。違法な幎䌑芏制には賊課金請求も劎基法䞊可胜だったので、圓然請求しおいた。
     地裁刀決埌、䌚瀟の劎組朰しの旗振り圹だった総務郚長が、巧のずころに刀決に基づく損害支払い呜什額ず賊課金を䜵せお珟金で持っお来た。総務郚長は、酒の匂いがプンプンしおいた。よっぜど堪えたのだろう。巧の盎属䞊叞は、「刀決は、ただ地裁だけでしょ」ずトンチンカンな発蚀を巧にした。圌は、仕事もたったくできなかったが、瀟䌚垞識にも人間ずしおの良識にも欠けたひずだった。

     それ以前に、䌚瀟の管理職たちにはネガティブな事象が倚発しおいた。

     総務郚長ず䞀緒になっお、巧ず、その劻を集䞭攻撃しおいた課長の家族に、その攻撃の最䞭に䞍幞があった。課長の自慢の長男が超䞀流倧孊を卒業しお倧䌁業に就職しお盎ぐに兞型的な月病になっお自殺したのだった。
     課長は、倧病をし、結局、亡くなった。亡くなる前、巧は奇劙な䜓隓をした。䌚瀟の廊䞋を歩いおいたら、課長が廊䞋の脇に寄っお深々ずお蟞儀をするのを目撃した。巧は、おっきり、埌ろに誰かいるのかず振り返ったら誰もおらず、課長は、巧に深々ずお蟞儀をしたのだった。
     総務郚長自身、くも膜䞋出血で生死を圷埚った。数ヶ月ぶりに姿を芋せた総務郚長は、頭を䞞刈りにしお、芋るからに病み䞊がりだった。それでも、総務郚長ずしお、組合朰しの尖兵をドむツ人経営者にさせられおいたのだから、圌も被害者なのだろう。

     この䌚瀟の悲劇の本質は、劎資察立のみならず、発端は、独日の人皮差別でもあった。
    そんなこずもあっおか、ドむツ人経営陣は、巧をミステリアスにも怖がった。その䞊で、地裁・高裁・最高裁の党面勝利は、力関係を完党に逆転させた。

     廊䞋で、ドむツ人瀟長ず巧が芪しげに話し蟌んでいるのを芋た、総務郚長や、その倪錓持ちになっお巧を攻撃しおいた日本人管理職・劎働者数名は、目を䞞くしお驚いおいた。ドむツ人の、巧に察する態床は、明らかに倉わった。

     そもそも総務郚長自身が巧に蚀ったこずがある。自分の賃金がいくらなのかも分からないのに、それに同意する「同意曞」を䌚瀟は、䌚瀟が捏ち䞊げたむンフォヌマル組織の、組合員以倖の日本人劎働者に曞かせおいたが、その矛盟を巧が指摘したら、総務郚長は「日本人なんお、そんなもんだよ」ず蚀い攟った。

     ドむツ人は、確かに合理性の高い人皮なのかもしれない。そんな圌らも日本人に察しお、総務郚長の発蚀のロゞックで遇(あしら)おうずしたら、それに真っ正面から察抗する日本人がいるずいうこずをドむツ人に分からせたのだから、ドむツ人の、巧に察する評䟡も高たった。
     䞀匹の蟻が巚倧なゟりに立ち向かうような闘争で始たったが、䞀匹の蟻が巚倧なゟりに勝぀こずもあるこずを蚌明しおみせた幎䌑闘争だった。
     

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    10.「勝利の矎酒」の反動

     地裁勝利刀決の日、裁刀所の叞法蚘者クラブで蚘者䌚芋を開いた。
     その倜時のNHKニュヌスで報道された。その埌も、なんどかテレビニュヌスで報道された。

     それを芋た埌の巧の父芪の反応が面癜かった。
     「ははは(^O^) たった、こんな短いなぁんだ」・・・このひずは、ほんずうにバカだず再確信した。「向坂孊校(䞉井䞉池争議時の瀟䌚䞻矩者の孊校)の優等生」(父芪発蚀)が笑わせるよ母芪は、完党に無反応だった。

     巧の䞡芪は、巧をたったく理解できない以前に、理解したくなかった。特に、父芪は自分の負い目の裏返しだった。
     父芪の、巧に察する態床も倉わった。自分にはできないこずをやっおのけた息子に恐怖心・畏怖心を感じるず共に、ムラムラずした敵感心が湧いおいた。本圓に、人間ずは、奥深いものだ。

     この時のニュヌスを芋たひずりの独文科の女子孊生が、圌女の母芪ず「こんな凄い人がいるんだね。」ず話し合ったずのこず。

     その埌、圌女は巧の䌚瀟に入瀟しおきた。そのこずを巧は、その本人から盎接聞いた。圌女ず巧は、ずっず芪しかった。圌女は、巧の蟲堎にも䜕床もやっおきた。二人で、杉の倧朚をチェン゜ヌで倒したこずもあった。畑仕事も䞀緒にした。圌女も自然志向だった。

     職堎では、むしろ、新入瀟員たちの方が巧ず芪しくなった。

     管理職が新入瀟員に「あのひず(å·§)は、ずおも悪いひずだから、決しお話しないように。」ず露骚に蚀った。それにもかかわらず、そのこずを盎接、その新入瀟員から聞いた皋だった。
     䌚瀟ず巧の力関係は、曎に逆転しおいったのだった。

     巧ず巧の䞡芪ずは、二䞖垯同居だった。巧には、長男、長女の二人のこどもがいた。
     共働きだったので、ほずんど巧の䞡芪、ず蚀うか、巧の母芪がこどもの䞖話をしおいた。長男ず長女の間には、10歳の差があるので、ずくに、長男は巧の母芪、぀たり、おばあちゃんべったりだった。
     長女の時には、立ち䌚い出産・男の育児䌑暇の先駆者だった(アメリカの新聞の䞀面に蚘事が掲茉されたこずもあった)ので、昌間乳母車を抌しお近くの公園に行ったり、長女の離乳食を䜜っお食べさせたりした。䞀緒に昌寝し぀぀、巧の方が先に寝おしたうこずもしばしばであった。長女の垃お襁耓を100%すべお巧が手掗いする皋だった。育児䌑暇以倖の時も、深倜遅く垰宅した際、バケツには、たくさんの汚れたお襁耓が眮いおあった。それを毎日、巧が手掗いした。巧の劻の指瀺だったので、巧の母芪もそのたたにしおいた。

     巧ず父芪ずは、深い反目があった。父芪は、巧ぞの敵感心ず蚀っおいい皋の反感があった。父芪は、露骚に巧の長男に、父芪巧に察しおのネガティブな発蚀をし続けた。
     実際には、巧は、普通の父芪以䞊にこどもず関わっおいた。ハむキングにも、ひんぱんに連れお行っおいた。集䌚・デモ・組合倧䌚など、劎組の甚事で出掛ける時にも、ただ幌児の長男を連れお行くこずもしばしばであった。あたかも、嘗お、巧が炭䜏の䞉池劎組の集䌚・デモに母芪に背負われお行っおいたように。

     巧の、こどもに察する教育方針ずいうものもあった。
     こどもが、ごく普通に瀟䌚生掻を送れるようにしたい、トラブルなく察人関係を築いおほしいず思うのは父芪ずしお最䜎限のこずだろう。時間を守る・玄束を守る・他者の話を聞く・呚囲の人に気を遣う・・ずいった基本的なこずである。

     ずっず埌になっお分かったこずであるが、長男はだった。圓時、そんなこずばすらなかった。ただ、仲間に「あの子は、離人症っぜいずこがあるね。」ず蚀われたこずがある。「おずうさんは、子䟛をほったらかしだね」ず批刀されたこずもあった。ひずによっおは、長男を「ありゃ、だめだ」ず党吊定するひずもいた。さすがに、父芪ずしお反感を持ったが、だからこそ、巧は長男に察しお父芪ずしお最䜎限のこずは教えなくおは、ず思った。

     しかし、巧の父芪は、それを必芁以䞊に吊定しお、巧の長男である孫に察しお、孫の偎を揎護するように、぀たり、父芪である巧を吊定するように関わった。巧の長男は、こどもながらに、巧ず祖父ずの間に立っお䞡者の矛盟の板挟みになり、苊しんだ筈である。深局心理で深い傷を負った。それには、巧の責任も倧きい。

     巧の、父芪に察する反感は、幌児䜓隓に根ざす深局心理から来る奥深いものだった。このこずの、善悪の是非は、巧にもいただに分からない。
     父母に察する愛情を説く宗教はほずんどだろう。時には、倫理的矩務ずしお説く宗教もある。すべおず蚀っおいいのだろう。いただ、それを説かない宗教を知らないほど。
     そうするず、巧は、このたただず、確実に地獄に萜ちるずいうこずなのだろう。
     ただ、そうだずしたら、地獄でも閻魔倧王に反論したい。人間ずしお蚱しがたいずいう感情を父芪・母芪に持぀こずは、人間には決しお蚱されない事なのかず。
     そうだず蚀うのなら、喜んで地獄に萜ちよう。巧の父芪・母芪が犯した眪は、䞉池争議の結論である、死者458人、CO(䞀酞化炭玠)䞭毒者839人を出した炭塵爆発事故の責任の䞀端でもある。その䞭に含たれおいる被差別者䞎論島出身者、匷制連行されおきた朝鮮人劎働者に察する責任の䞀端でもある。それたでにも、䞉池炭坑で人間扱いされおこなかった、それら被差別者、朝鮮人に察する責任の䞀端でもある。圌ら圌女らの呜は、そんなに軜いものであっおいいのだろうか。今、私たちは、簡単に忘れおしたっおいいのだろうか。日本人は、倧日本垝囜の末裔は、あたりにも無責任であろう。巧も、その䞀員である。巧にも責任はずりきれない。人間ずいう存圚そのものが眪なのかずすら思う。

     それらの眪の欠片でも、巧の父芪に感じお欲しかった。䞉池争議の決戊盎前の敵前逃亡は、人間ずしお蚱されない眪だず巧は今でも思う。䞉池争議の最終決着ずしおの「敗北」だったが。それは、䞉池劎組の敗北ではない。日本人ずしおの敗北だった。日本の劎働者の敗北だった。その成れの果おが、今の日本の劎働環境であり、今の日本の経枈力である。

     巧の䞞の内の職堎で味わった針の筵の地獄は、巧にずっお「莖眪」のひず぀だったのだろう。しかし、ほんの小さな、小さな莖眪だった。

     確かに、巧には、地裁完党勝利刀決埌、自分自身に察する「自信」ず「プラむド」は高たった。

     こどもの頃、犏岡から東京杉䞊の小孊校に転校しお、先生に人間ずしお䟮蟱的なこずばを投げ぀けられおも䜕も反論すらできず、俯いおいた匱虫の巧が、職堎でたったひずりで、地域の仲間に支えられお、針の筵に耐えお勝ち取った勝利なのだから、やっず、巧は自分自身に自信ずプラむドを持おたのだから、ある意味、圓然のこずだろう。
     ドむツ人経営者からの盎接的な信頌も実感しおいた。ドむツ人ず察等な日本人は、職堎で巧ひずりだったのだから。

     ただ、それらを、家庭ではすべお吊定された。

     巧の父芪は、おずなげなく、巧を吊定し、それに反しお孫を持ち䞊げた。「歳にしお、父芪を超えたな。」ず露骚に巧の前で孫に蚀う父に察しお、盞手にするたでもないず無芖したが、きちんず向き合うべきだったのだろう・・か
     巧の劻、぀たり、その孫の母芪も、長男の肩を持ち、ヒステリックに巧の父芪ずしおの教育を吊定するようになった。ここに曞くたでもないような小さなこずで(巧の母芪が「知らない」ず蚀っおいるこずに執拗に同じ質問を巧の母芪、長男の祖母に投げ続ける長男に巧は、静かに小さな声で「知らないっお蚀っおるでしょ」ず蚀ったこずに察しお、巧の劻は、巧に察しおヒステリックに抗議し続けた)、昌食時から深倜倜䞭、早朝近くたで蚀い争いになり、最埌には、時蚈をちらっず芋た巧に察しお、巧の劻はヒステリックに切れ、巧の鞄を䜕床も床に投げ぀けるたでに至った。巧は、翌日団䜓亀枉があるから寝かせおくれ、ずお願いしただけなのに。

     巧は、䌚瀟から垰宅しお、家に入る前に、劎働運動や瀟䌚運動でよくやるように、拳を振り䞊げお自分の気を匕き締めなければならない状況にたでなっおしたった。皮肉なこずに、針の筵が、䌚瀟から家庭に移っおしたった。

     その根本原因は、䞉井䞉池争議に察する䞡芪ず巧の立堎の違いである。

     䞡芪は、巧のためでもあったのだろうが、第䞀組合から第二組合に転向し、曎に、䞉池争議の最終局面であるホッパヌ決戊の盎前に、敵前逃亡するようにしお東京本瀟に転勀するこずを遞択した。そこに䞍玔な「取匕き」「契玄」があったこずは容易に想像できる。䞉池争議を裏切ったのである。第䞀組合の䞉池劎組を裏切ったのである。

     それに反しお、巧の幌児時代は、第䞀組合、䞉池劎組のコミュヌンである炭䜏での劎働運動の真っ只䞭である。赀旗の波、シュプレヒコヌル、劎働歌、むンタヌナショナル、デモ、抗議集䌚が巧の原颚景であり、こもり歌だったのだから。䞡芪ずは正反察の䟡倀芳を持っおしたった、持たされおしたったこどもだったのである。

     そんな家族にトラブルが起きない方がおかしいのだろう。

     ずっず、時間が経っお、巧は思う。これは、巧にずっお必然、運呜だったのだろうず。この巧の「物語」のロゞックは、恰も、事前に決められおいたかのように、うたくピヌスが嵌たり合う。そこに、なにか、スピリチュアルなものを感じるのはおかしいこずだろうか。
     
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    11. パラダむムシフトず遭難

     巧は、入瀟初日、出瀟した瞬間に「あ、この䌚瀟は合わない」ず盎芳的に思い、退職を既に射皋に入れおいた。

     友人ず、登山䞉昧の日々だったので、山小屋ずかでバむトしながら自然のなかで暮らすずいう生掻に憧れおいた。

     ずころが、あれよ、あれよず蚀う間に、劎働運動に匕きずりこたれおしたった。

    ・・「チサの葉䞀枚のなぐさめが欲しくお人生を棒に振った」(倪宰治)・・

     巧は、䞞の内のサラリヌマンずいうタむプの人間ではたったくない。劎働運動ず関係しなければ、ずっくに郜䌚から去っおいたずころだった。劎働運動のお陰で、30幎間ものあいだ、䞞の内に瞛られるこずになった。

     巧の仕事は、電気・電子・通信関係のテクノロゞヌの独和翻蚳だった。

     巧が、このテクノロゞヌに関わっおから、高専時代も含めるず、70幎代埌半から2020幎代初めたでの玄半䞖玀は、テクノロゞヌのパラダむムシフトが起きた。それを、翻蚳ずはいえ、その珟堎近くで䜓隓できたのは、結局、この劎働運動のお陰である。その意味では、劎働運動に感謝しかない。

     真空管→トランゞスタ→プレヌナトランゞスタ→→→ず、半導䜓の進化ず共に歩む、巧の人生・仕事だった。

     高専で最初に䜿った電子蚈算機は、トランゞスタのの倧型電子蚈算機だった。教宀䞀郚屋を占拠しおいた。
     倧孊は、倜間仕事しながら通ったが、その時䜿った倧型コンピュヌタは、だった。

     翻蚳は、圓初、玙に鉛筆で仕事しおいたが、やがお、ワヌプロ→マックデスクトップ→マむクロ゜フトのコンピュヌタ→むンタヌネット・瀟内ネットワヌク・デヌタベヌスぞず進化しおいった。

     䌚瀟では、電気・電子・通信関係の翻蚳だったので、仕事ずしお各皮研修に行かせおもらった。特に印象的だったのは、むンタヌネットの初期の頃、その仕組みの研修だった。ずおも面癜かった。それが、2020幎代のこんなずころたで進化するずは、圓時考えもしなかった。
     蚀語凊理テクノロゞヌの研修も、ずおも難しかったが面癜かった。仕事でも、AI関係の仕事が増えおきお、巧の個人的な関心領域に近づいおいった。

     80幎代は、電子回路が䞻で、工業高専電気工孊科パルス回路専攻出身にずっお回路図を読めるこずがドむツ語専門出身でない点を補っおくれた。

     90幎代2000幎代には、回路図が極端に枛少し、代わりに、半導䜓ず医療電子ずAI、玠粒子(加速噚など)、量子技術が䞭心になっおいった。時々、宇宙技術の仕事もした。
     単玔な制埡系からメタの制埡系・メタメタ制埡系・制埡系が自己を制埡する耇局的な制埡系になっお、自然蚀語で正確に衚珟するのが難しくなった。カオス・ファゞヌず蚀った数孊も幅を利かせるようになった。
     具䜓的なものから次第に抜象的になっおいった。倚分、文系出身の翻蚳者には歯が立たなかっただろう。
     独和翻蚳者になったお陰で、高専の同窓生のなかで、たぶん、高専で孊習した専門知識をいちばんよく仕事で䜿い、圹立おたのは巧ではないかず思う。高専時代のテキストをずっず手元に眮いおいた皋。䌝送工孊、電磁気孊、亀流理論、物性物理、半導䜓工孊、パルス工孊ずか、特に圹立った。
    倧孊に進孊するず蚀ったずき、父芪は、方向転換だず蚀っお非難しおいたが、次第に蚀わなくなった。

     日本人管理職たちが、巧は仕事ができないずいうキャンペヌンを匵っおいた時、それを飛び越しお、ドむツ人管理職が盎接、巧に仕事を䟝頌しおきた。
     「この件は、䌚瀟の名誉にも関わる重芁な仕事なのでがんばっおやっおください。」ず。MRI(栞磁気共鳎)に関する案件だった。

     課の䞭で、巧だけが理工系だったずいうこず故なのか、劎働運動ずはたったく関係ないずころで刀断したのか、日本人ずドむツ人の違いを考察する際に面癜い珟象かず思う。

     実際、ひずりで裁刀提蚎した盎埌、地域の争議団の仲間たちからは、「査定絊で絶察差別されるから、芚悟しおおいた方がいい。」ず蚀われたのだが、実際には、査定絊で差別されるこずはなかった。「巧は、仕事ができない」キャンペヌンを匵られおいた割には。ほんずうに、䞍思議なこずに仲間が驚いおいた。このMRIの件以降は、曎に査定がよくなった

     結局、このMRIの仕事は、トヌタル8幎皋取り組んだ。数ヶ月に亘っお、MRIの勉匷だけをさせおくれた。専門曞も、買いたい攟題だった。䌚瀟に、それを蚱せる䜙裕があったず同時に、それ皋重芁な仕事だったのだろう。
    単玔な翻蚳ではなく、内容自䜓も、クラむアントず䞀緒になっお考えた。ドむツの代衚的な研究所から研究者・数孊者がふたり、わざわざ来日しお䞀緒に怜蚎䌚議をする皋だった。
     詳しくは、曞けないが、結局、このMRIの仕事は、倧成功した。「巧は仕事ができない」ずいうキャンペヌンを匵っおいた日本人管理職の面子䞞぀ぶれだった。

     これ以降、最先端テクノロゞヌ関係は、巧のずころによく来るようになった。巧を攻撃しおいた盎属管理職には、攻撃する隙もなくなり、そもそも、翻蚳内容は、圌の理解を超えおいた。それず同時に、盎属管理職の方こそ「無胜」ずいう評䟡が、瀟内で定着しおいった。

     入瀟しお盎ぐの頃は、95%以䞊がドむツ文孊、ドむツ語、ドむツ文化専攻の文系出身者ばかりだった。その人達が、理工系・テクノロゞヌの論文などを翻蚳しおいた。

     圓時の孊生は、語孊か理数かの二者択䞀の傟向が匷かった。だから、圓時は、理工系出身の翻蚳者はマむナヌだった。

     次第に、語孊も理数も䞡方に長けた孊生が倚くなり、2000幎以降は、理数系出身者が75%以䞊を占めるようになった。昔ず反転した。これには、テクノロゞヌの進化に䌎い、文系出身者では次第に歯が立たなくなったずいう事情もある。
     文系出身の新入瀟員で、テクノロゞヌのこずば遣いに違和感をおがえ、䌚瀟を去る人が続出しおいた。

     孊生、若者の傟向も、次第に倉化しおいったずいうこずだろう。理工系の翻蚳の仕事の需芁が高たっおいくに連れお、語孊ず理数の䞡方に長けた孊生が応募するようになったのだろう。これも、時代の芁請なのだろう。

      *****************************************************

     裁刀に勝利し、重芁な仕事も熟し、巧の職堎での䜍眮も安定し぀぀あった頃、仕事䞭、登山の友人から久しぶりに電話が来た。

     巧ず䞀緒に登らなくなっおから、は、圌の職堎であるショップチェヌン店の、同僚の山奜き女子ず䞀緒に登っおいた。山が぀なぐ䞍倫だった。

     䜕かの事情で、その圌女がひずりで、穂高を瞊走䞭、滑萜遭難したずのこず。「捜玢䞭で、ただ芋぀かっおいないので、助っ人に来おほしい。」ずいう電話だった。巧は、即快諟した。
     䌚瀟を早退した。劎働運動の仲間に、プロレベルの「山屋」がいたので、詳しく盞談に乗っお貰っお、穂高に行く準備をした。

     結局、圌女は遺䜓で発芋された。

     その事件で、の䞍倫が職堎・家庭で発芚しお、は職堎を退職し、離婚した。䞍倫が原因で、職堎ず家庭の䞡方を倱った。

     それがきっかけで、巧は、たた山に戻された。

     自殺願望のあるを心配し、たた䞀緒に山に登るようになった。は、遭難した圌女の遺圱をい぀もザックに入れおいた。

     今床は、䞹沢ではなく、穂高・八ヶ岳がメむンになった。圓然数日かけおの登山だった。
     は、自動車の運転ができなかったので、巧ひずりが運転した。仕事が終わっおからの山行きなので、過劎・睡眠䞍足で、運転途䞭、眠気に負けそうになり、サヌビス゚リアで仮眠せざるをえないこずもたびたびあった。

     そこたでしお、ず䞀緒に登山しなくおは、ず巧に思わせたのは、劎働運動での仲間意識・他者のために尜くすずいう掻動家の心情故なのかもしれない。某劎働運動掻動家の蚀葉に「利益はすべお民衆に、䞍利益はすべお掻動家に」ずいうのがあり、巧は、ずおも感銘を受けた。

     それず、を登山に向かわせたのは巧であり、圓初、山岳䌚での登山ではないプラむベヌトな人圓初の山登りだったので、気が緩み、登山途䞭から猶ビヌルを飲むずいう、だらけた登り方をさせおしたった果おの「遭難」ずいう自責の念も巧にはあった。
     この遭難は、巧にも責任があるずいう意識が、巧をふたたび山に向かわせた。

     これは、ずもすれば、郜䌚での、劎働運動ず、テクノロゞヌの仕事䞀蟺倒になろうずしおいた巧を、巧の本来の䟡倀である「自然」ぞず呌び戻すきっかけずなった。
     

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    12. スピリチュアルの垫たちずの出逢い

     巧が劎働運動に巻き蟌たれおいくきっかけは、䌚瀟から執拗な組合朰し攻撃を受けおいた、圓時の瀟内組合の執行郚のひずりさんの「どうしたらいいのか、わからないわ。」ず蚀っお流した䞀粒の涙だった。

     䌚瀟は、組合を匱小化させた果おに埡甚組織「職堎を守る䌚」をでっち䞊げ、その代衚の眲名で就業芏則を党面改悪し、その䞭に劎基法違反の「幎䌑割条項」が入っおおり、䞍圓な幎䌑芏制をしたのだった。

     期の乳癌が芋぀かったさんに察しお、「幎䌑割条項」に匕っかからないように「這っおでも䌚瀟に来なさい。」ずアドバむスした共産党系劎働運動に察する絶望ず反発が、巧を、共産党系劎働運動の組合から脱退しお、幎䌑割条項裁刀を個人提蚎させた原動力だった。

     結局、さんは、垰らぬ人ずなった。
     さんの骚を拟っおいるずき、「這っおでも䌚瀟に来なさい。」ずいう酷い蚀葉をさんにぶ぀けた共産党党員が「かわいそうに。こんな姿になっお。」ず蚀ったひずこずに、巧は怒りを感じた。あの時、「這っおでも䌚瀟に来なさい。」ず、よくも蚀えたしたねず。

     さんは、さんずいうレむキの治療垫から治療を受けおいた。末期癌の患者たちが、さんを頌っお、わざわざ新幹線に乗っお地方から治療を受けに来る皋の「有名人」だった。

     巧の病気を心配したさんが、巧に、さんを玹介した。それから、巧ずさんずの付き合いは、40幎以䞊続くこずになる。

     さんは、レむキ治療の合間に、巧にスピリチュアルの巚人「高橋信次」を泚入し、そしお、「䞀遍」「宮柀賢治」をスピリチュアルずしお教えた。レむキは、巧の䞀生の倧事なツヌルずなった。

     劎働運動の仲間のさんず、そのグルヌプに、「愈気」「気功」を教えおもらった。「愈気」「気功」も、巧の䞀生の倧事なツヌルずなった。

     新入瀟員のくんが、巧の課に配属されおきた。
     くんは、フランス語ず数孊を孊び、フランスに留孊し、垰囜埌、倧孊院で数孊を研究しおいた倚才な超秀才であった。ドむツ語の実力も申し分ないものだった。

     の仕事以来、巧に、最先端テクノロゞヌ関係の仕事がよく来おいた。くんのずころにも、数孊者故、最先端テクノロゞヌ関係の仕事がよく来おいた。
     職堎では、巧の方が先茩故、くんは、よく巧のずころに質問しに来た。巧ずくんが䞀緒に、いい仕事をしたこずがたくさんあった。

     テクノロゞヌのパラダむムシフトを象城するような仕事がふたりのずころに来た。䞀緒に翻蚳するこずもあった。傍で芋おいるず、ケンカしおいるのではないかず思われる皋激論を闘わしたこずがあった。結局、原文(ドむツ語)が自然蚀語故の曖昧さから、テクノロゞヌの゚ッセンスをリアルに衚珟できおいないこず故の論争点だったこずが刀明した。真に正確に衚珟しようずするず、蚘号論理孊䞊の蚘述を必芁ずするものだった。「階局」「メタ」ずいうテクノロゞヌの思考がパラダむムシフトのひず぀かず思う。叀兞的な「電気工孊」の技術者には歯が立たない領域だった。

     くんは、よく巧の垭の暪にチョコンず座っお、仕事に関しお質問し、ディスカッションしおいた。
     本圓のこずを蚀うず、その内の半分以䞊は、二人に共通の関心分野の話をしおいた。くんの読曞量は凄たじいものがあり、叀代ギリシアからチベット仏教、珟代思想に至るたで、巧の関心領域ずかなり重なるものだった。

     くんは、巧にノィパッサナ(Vipassana)瞑想を指南した。ノィパッサナ瞑想は、スポンゞに含たせた氎のように、巧の血肉ずなっおいった。そのなかでも、ゟクチェン(rDzogs-chen) ノィパッサナ(Vipassana)瞑想が二人の瞑想方法だった。この瞑想に関しおは、巧にずっおくんは、垫であった。このゟクチェン(rDzogs-chen) ノィパッサナ(Vipassana)瞑想は、巧の、その埌の人生そのものず蚀っおも過蚀でない皋、最も重芁なものずなった。巧の基局である。

     くんず、昌䌑みにスピリチュアルのトレヌニングをしたこずもあった。䞀皮の「テレパシヌ」の実隓だった。

     少し、䞍思議なこずなのだけど、はっきりした蚘憶はないのだけど、い぀の間にか、『メタトロン』ずいうこずばが巧の脳裏に、くんず䞀緒に刻み蟌たれた。カバラの話もたくさんしたので、そのなかから、自然ず蚘憶に残っおきたのかもしれないが。

     巧は、くんに、「いちばん関心がある数孊の分野は䜕」ず聞いたこずがあった。くんは、「神聖幟䜕孊」ず即答した。くんは、いろんなスピリチュアルツヌル・グッズを巧に玹介したが、「なるほど」ず巧は了解した。しかし、数孊系の倧孊院ではむずかしい立堎だったのかもず思った。倧孊院での専門は、別のものだったのだろうが。

     巧は、くんに、「『党䜓』Wittgensteinが「論考」で蚀うそのものず取り組む「数孊」はあるの」ず質問したこずがあった。くんは、「それはないなぁ。」ず蚀いながらも、翌日には、あるスピリチュアルのテキストを持っおきおくれた。「これをあげよう。」ず。その本は、いただに巧の倧事な愛読曞のひず぀になっおいる。その䞭に、『党䜓』に぀いお、ひず぀の明晰な芳点が描かれおいた。

     くんは、その埌暫くしお、若くしお突然他界した・・。

     そのずっず前に、巧はくんに蚊ねたこずがあった。「死ぬのっお、怖くない」ず。くん「ぜんぜん怖くない」ずの返事だった。
     巧にずっおは䞍思議だった。くんは、巧にずっお、足元にも及ばない皋の高みに蟿り着いたスピリチュアルの巚人だったのかもしれない。メタトロン

     巧は、思う。
     劎働運動に巻き蟌たれお、ドむツ人経営の䌚瀟に結局、幎もの時間を費やした。ある意味、人生を棒に振ったのだが、この「針の筵」䜓隓は、くんず出䌚うためだったのかもしれないず。それ皋、くんずの出逢いは、巧の人生にずっお決定的に倧きなこずだった。

     実は、巧も、くんず出䌚う前から挠然ず、明確には意識せずに、蚀葉も知らなかったが、ノィパッサナ(Vippasa)瞑想の本質を実行しおいた。しかも、ゟクチェン(rDzogs-chen) ノィパッサナ(Vippasa)瞑想の本質的なずころを生きおいた。それを、しっかりず、こずばで、こころで、定矩しおくれたのが、くんだった。
     文字通り、くんは、巧の瞑想の垫グルである。
     
    

    13. 山登りの「友情」(3)ず「掻動家」

     最高裁刀決の前、地域の争議団仲間の間で、地域合同劎組結成が議論されおいた。

     巧の状況ずしおは、最高裁刀決埌の劎資関係ずしおは、確かに䞍安定ではあった。

     仲間の説埗もあっお、地域合同劎組結成に至った。それにより、巧は、地域の争議団仲間も圓事者ずしお劎資関係に関わるようになり、瀟内で劎働者ずしお、劎組法の芳点からも保護されるようになった。

     最高裁勝利刀決は、その地域合同劎組結成埌に獲埗した。

     これで、䌚瀟は、巧に完璧に手が出せないようになった。巧は、地域の劎働者の暩利保護も担う、文字通り「掻動家」になっおいった。

     登山仲間のは、職ず家庭を倱った埌、穂高で遭難死した愛人の写真を持っお、慰霊の登山を続けおいた。それは、少し垞芏を逞しおいた。

     ある日、穂高の涞沢から電話が来た。自分に䜕かあったら、この付近を探しおくれずいう内容だった。の穂高䞉昧の登山に少し心配だった巧は、涞沢に駆け付けた。

     それ以来、巧は、ず䞀緒に登山をするようになった。もちろん、巧自身も穂高が奜きだし、正盎蚀っお、劎働運動の超倚忙な掻動に察する蚀い蚳にしおいた郚分もあるが、「掻動家」ずしお、他者の苊悩に寄り添いたいずいう気持ちもあったのは確かである。

     巧の幌児䜓隓以来の巧の本質なのかもしれない。

     あるいは、巧が出䌚った倚くの「掻動家」の本圓の姿は、心から他者の痛みに共感できる、心優しいひずたちであった。䞖間からは「過激掟」ず呌ばれる人たちも、そんな普通の、いや、普通以䞊に他者の痛みに共感できる心優しい人たちだった。
     そんな「掻動家」の偎に自分がいるこずが、巧には、ずおも心地よいこずだった。敵前逃亡した父に察する自負心もあった。父ず、そんな真の掻動家たちを范べお芋おみるず正反察、䞀目瞭然だった。

     瀕死の重傷だった䌁業内組合に戻っお、劎働運動に巻き蟌たれおいったのも、そんな心情からだった。

     早春の北穂は、未だアむスバヌン状態だった。登山靎にアむれンを付けおの登山だった。

     巧は、北穂の頂䞊付近で足を滑らせた。ツルツルの北穂の斜面を滑り萜ちた。瞬間、頭が真っ癜になった。䞡足を開き(斜面に残っおいる雪を股の間に溜めおブレヌキにする)、ピッケルをアむスバヌンの斜面に突き刺しお滑萜を止めた。この基本䞭の基本動䜜がもう少し遅かったら、滑萜の加速床に抗するこずができず、もう少しで遭難するずころだった。

     穂高、八ヶ岳、甲斐駒、南アルプスの山々を冬山も含めお、ず䞀緒に登りたくった。
     倏山ず冬山では、党く違う山ず蚀っおいい皋、違う衚情を山は芋せおくれる。
     断然、冬山の方が矎しい。冬山の方が装備は倚くなる。氎は、雪を溶かしお䜿うので、持っお䞊がる必芁はないが、その代わり、テントやザックなどにぞばり着いた、少なくない量の氷も䞀緒に持ち歩かざるをえないので、荷物の重量はハンパでない重さになる。

     冬山のフィルムカメラの撮圱は厳しい。シャッタヌが氷り、電池が氷っおしたう。だから、撮る時以倖は、ダりンゞャケットの䞭にしたいこんで、䜓枩で枩めおいる。撮る時だけ、倖に出しお、シャッタヌを切る。かじかんだ手で。

     泥酔状態で、深倜、登山靎を履いおテントから出お、トむレに行っお垰っお来るず、酔いが完党に醒める。テントで倜寝る前に熱湯を氎筒に入れおテント内に眮いおおくず、翌朝にはカチカチに氷っおいる。氷点䞋20-30℃も、巧にずっお圓時は快感だった。少なくずも、そう嘯いおいた。

     巧は、銀座の写真匘瀟の写真孊校に通い、モノクロ写真を本栌的にやり始めた。先生からは、アヌトずしおの「写真」ず、モノクロ暗宀の技術を習った。
     圓時赀坂芋附にあったレンタルラボに通い詰めおいた。レンタルラボのオヌナヌ写真家からも暗宀技術を珟堎で習った。䞀緒に暗宀䜜業しおいた他の写真家たちの「写真」、「写真」に察する感芚、「写真」に向かう姿勢・哲孊、テクニックを孊んだ。

     韓囜のシャヌマン「ムヌダン」をテヌマに韓囜の䌝統舞螊、蟲村の䌝統芞胜などを撮っおいた。巧は、自分でも韓囜の小倪錓チャンゎをアゞア文化䌚通韓囜語教宀にいたで習っおおり、韓囜釜山のホンゞュ゜ンのグルヌプず韓囜の持村で合宿したこずもあった。
     ホンゞュ゜ンは、釜山に本拠地を構える韓囜䌝統芞胜サムルノリのリヌダヌだった。圌ら楜団のメンバヌたちず䞀緒に数日間合宿した。

     ペングァン(霊光)原発の近くの浜蟺で䞀緒に泳ぎ、束林でランチした埌、マッコリの酔いのお陰か、圌は突然仲間ず䞀緒に䌝統仮面劇の䞀堎面を挔じ始めた。
     倩才゚ンタヌテむナヌ、ホンゞュ゜ンのコミカルな舞に、参加者みんな倧笑いした。涙が出るほど感動し、それでいお、こころの奥底にゞヌンずした䜕かが残る・・そんな感じの舞だった。文字通り、心躍った。これを芋たずき、このひずを撮りたいず巧は無性に思った。
     その倜遅く・早朝たで、マッコリを飲みながらホンゞュ゜ンず話した。釜山蚛りの韓囜語はむずかしかったが、圌の情熱を助けに話は倧筋理解した。

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    キムドクス サムルノリ


     サムルノリずいえば、キムドクス(埌に圌らの舞台を撮るこずになる)が䞖界的に有名だけど、本来サムルノリは、蟲村の祭りや儀匏で行う蟲民の舞楜である。キムドクスは、それを舞台に䞊げお「芞術」にしたけど北朝鮮でも公挔をした、自分は蟲民や倧衆のなかで本来の蟲民の舞楜をやり続けるずいうこずを熱く語った。
     それは、巧の「珟堎䞻矩」ず合臎するものだった。
     この話で、ホンゞュ゜ンを䞀県レフで撮るずいう巧の決意はいっそう匷固になった。圌にそのこずを蚀うず快諟しおくれた。
     ゜りルに戻っお、成均通倧孊校内で倧雚のなか、ホンゞュ゜ンを撮った。さすがプロ、ホンゞュ゜ンはしっかりポヌズをずっおくれた。

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    ホンゞュ゜ン


     ずころが、その合宿盎埌、巧が垰囜しおから、釜山の路䞊で、泥酔したホンゞュ゜ンは自動車に蜢かれお亡くなった。数癟メヌトル匕きずられたずのこず。その知らせが、䞞の内の巧の職堎に入った・・。

     圌の故郷海南島ヘナムトに匔いに行った。ホンゞュ゜ンは、静かな山寺に眠っおいた。本圓に静かな静かな山寺だった。同じように、静かすぎる皋穏やかな東海トンヘがキラキラ茝いおいた・・・。

     海南島から゜りルに戻っお、運呜的出䌚いがあった。
     圓時メゞャヌな写真家黄憲萬(ファンホンマン)ず出䌚い、挢南(ハンナム)にあった圌のスタゞオを蚪れた。この時嗅いだ暗宀特有の匂いが、巧にはずおも気持ちよいものだった。巧は、たすたす写真にのめり蟌んで行く。
     ファンホンマンは、実は、圓時、倚くのファッション雑誌を食るファッション写真の倧家だった。それず同時に、ラむフワヌクずしお韓囜䌝統文化を撮り続けおいた。
     この時出䌚っお、䞀緒に蟲村に撮圱に行った、ファンホンマンの匟子の若者むンチョルは、埌に韓囜写真界の第䞀人者になった。この埌、䜕床もスタゞオに通い、䞀緒に撮圱に行ったりした。蟲村だけでなく、コマヌシャルフォトの撮圱や、矎術通での撮圱にも同行した。
     そんな䞭から、韓囜䌝統舞螊ず韓囜シャヌマンの「ムヌダン」の撮圱ぞず぀ながっおいく。

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    韓囜䌝統舞螊 宋和映(゜ンファペン)


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    韓囜人間囜宝  林掱調(むミゞョ)

     写真は、劎働運動や反原発運動での必芁性からも巧は熱䞭し、銀座の叀い雑居ビルの䞀宀に暗宀を持぀迄になった。

     そんな超倚忙にかたけおいお、少しの間、山から遠ざかっおいたら、登山仲間は、穂高専門の登山ガむドになった。
     それが瞁で、登山ガむド仲間の、番目の愛人アキちゃんず出䌚い、䞀緒に登山をしおいた。ネパヌルトレッキングも、はアキちゃんず䞀緒にする仲になっおいた。アキちゃんの郚屋に同棲する迄になっおいた。

     銀座の写真匘瀟で、巧は先生のクラスの仲間でグルヌプ展を開催した。その時、も来おくれお、はじめお巧は、アキちゃんを玹介された。
    山屋女子らしさが党くない可愛いギャルだった。には勿䜓ない皋のかわいらしさだった。正盎、嫉劬した・・。
     グルヌプ展の仲間が、笑顔の石仏の写真を展瀺しおいた。アキちゃんがおどけお、その暪に立っお、同じような笑顔をしお芋せおくれた。写真の石仏そっくりな、アキちゃんの笑顔だった。あ撮りたいず巧は思った。

     アキちゃんず䞀緒に登山したこずはなかったが、人でチベットに行く蚈画を立おおいた。が詳现な蚈画を立おお準備しおいた。それをネタにしお、人でよく飲みに行った。
     その初めの頃、人で新橋の酒堎で飲んでいた。話をよく聞くず、アキちゃんは、巧の䞭孊の埌茩だった。䜏んでいたずころも近い。しかも、同じ剣道郚だった。同じ䞭孊の出身で、同じ剣道郚しかも、アキちゃんは、ずっず剣道を続け、今では剣道四段になっおいた。サヌクルでこども達に剣道を教えおいた。話が盛り䞊がらない理由はない。䞭孊の話、地域の話、剣道郚の話で盛り䞊がった。
     酒に酔ったが嫉劬しお、突然アキちゃんの頬を叩いた。アキちゃんも負けずに、「䜕故叩くの」ず蚀っお、を平然ずひっぱたいお抗議した。は盎ぐに謝った。「゜ヌリヌ」ず。

     アキちゃんは、実家が䞍動産屋で、名目䞊、アキちゃんが代衚取締圹だった。しかし、実際の仕事は、ず同じ登山ガむドず、海倖ツアヌのコンダクタヌをやっおいた。

     その、ずっず埌、真倜䞭にから巧に電話があった。「元気」ずいう、たわいもない内容だったが、よく聞くず、「アキが今日成田に着いおいる筈なんだけど、なんの連絡もなしに垰っお来ない。アキのおかあさんに蚀ったら、『そりゃ、問題だ。問い詰めなきゃね。』ずのこず。」・・
     芁するに、アキちゃんず巧が䞀緒にいるのではず疑っおの電話だった。人の関係ずいうのは、い぀も耇雑なものである。特に、男女の人ずなるず。

     巧は、女性のずもだちから「人でチベットに行かない方がいい。行くず、殺されるわよ。」ず、アドバむスされたこずがあった。

     時代の流れで、郜心の䞀等地にあるフィルム写真ラボが倒産した。アキちゃんの口利きで、その写真ラボの暗宀機噚を巧は譲り受けた。譲り受ける日、ず巧が郜心のラボから機材を巧の自動車に積み蟌んでいるず、アキちゃんが成田空枯から駆け付けおくれた。海倖ツアヌの垰りだった。機材は、巧の、銀座の暗宀で䜿った。

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    暗宀

     巧の銀座の暗宀ラボが氎道事故を起こした。その時、䞍動産屋のアキちゃんが芪身にアドバむスしおくれた。巧は、ずおも助かった。もし、アキちゃんのアドバむスがなかったら、倧倉なこずになっおいたずころだった。さすが、珟堎の修矅堎を掻い朜っおきただけのこずはある。

     倒産した䞭小䌁業の䌚瀟の瀟長さんが、「これは俺の呜だ」ず蚀っお、䌚瀟瀟屋の匕き枡しを拒んでいる時、アキちゃんは、静かに説埗したこずがあったそうだ。そんな話を聞いたこずがある。

     人でよく飲みに行った。最終電車がなくなった埌、人で深倜のビリダヌドをしたこずもある。ずアキちゃんの郚屋は、郜心なので、その埌、人の郚屋に泊めおもらった。

     人になった時、巧はアキちゃんに聞いた。「の䜕凊が奜きなの」「ピュアなずころかな。」巧は、内心、は、そんなにピュアじゃないのに・・ず思った。「自分はそんなにピュアじゃないよ。ピュアな人間には劎働運動はできないし。」ず蚀い぀぀・・耇雑な心境だった。

     クリスマス前の冬の寒い倜、人で、銀座で飲んだ。垰り際、は、巧を意識し぀぀、これ芋よがしに冗談亀じりに「アキず俺の「愛の巣」に垰ろう。」ず倧声で蚀った。
     巧には、グサッずくるものがあった。
     巧は、ひずり、霙混じりの肌寒い郜心の道を傘もささずに銀座のラボに歩いお垰るしかない。巧は、本気で嫉劬した。この時のこずを、埌で埌悔するこずになる。

     ずアキちゃんは、フリヌタヌなので、時間が自由になる。ヶ月掛けお、南米アンデス山脈の暙高6960mのアコンカグアの登頂に成功した。難易床の高い山である。
     その時の話も、酒の堎で、巧はよく聞かされた。巧は、矚たしかった。劎働運動があるので、巧は行けなかった。

     アキちゃんは、ツアヌ䌚瀟の初めおの䌁画で、ツアヌコンダクタがスむスにひず月間ずっず滞圚しお、日本からのツアヌ客を空枯で出迎えお、スむスマッタヌホルンに案内するずいう仕事をした。䌚瀟ずしおも、経費の点で利点があったのだろう。毎日のように、スむスの高い山の䞊ず、麓の町を登山鉄道で埀埩した。

     ひず月間の仕事を終えお、日本に垰っおきた翌日、アキちゃんは、脳内出血で倒れた。

     その日、巧は、昌䌑みに、自分で぀くった匁圓高野豆腐の煮物だけを食べ終わった埌、䜕故か胞隒ぎがした。暗い気分になった。日蚘に「䞍安」ずいう意味のドむツ語を曞いた。
     その盎埌、仕事䞭にから電話が来た。「アキが倒れお、入院した。」ず。巧は、盎ぐに䌚瀟を早退しお、郜心の倧病院に駆け付けた。

     アキちゃんは、静かに寝おいた。アキちゃんの䞡芪が䞻治医ず面䌚しお垰っお来た。お父さんが、うっず涙ぐんだ。「脳死状態」ずのこず。「い぀も、アキはこうなんだから。」ずお父さんは、独り蚀のように呟いた。
     アキちゃんずお父さんの䞍仲は、よく聞かされおいたが、お父さんはやはりアキちゃんのこずが心配でたたらなかったのだず思う。アクティブすぎるアキちゃんの行動力に、ハラハラしお芋おいるしかなかったお父さんの気持ちが少し分かる気がした。
     その埌、ヶ月皋その状態が続いた。その間、巧は、の案内で、アキちゃんの芋舞いに行った。
     アキちゃんは、無菌宀にいた。心臓が動いおいるだけで、意識はなかった。剣道四段で、アコンカグアを制芇した登山家ずは思えない匱々しい姿だった。巧は、脳死状態のアキちゃんに䞀生懞呜愈気をした。かなり長い時間䞀生懞呜に愈気をしおいた。の声で珟実に戻された。

     結局、その埌暫くしお、アキちゃんは亡くなった。ただ、代前半の若さだった。

     アキちゃんの元旊那が、アキちゃんの遺䜓ず、お別れの察面をしおいる間、ず、登山ガむド、ツアヌコンダクタ関係の友人たちは別宀に远いやられた。アキちゃんは、離婚しおいたこずを、巧は、その時、初めお知った。
    アキちゃんの郚屋にが同居しおいた圢なので、芪戚ぞの䜓裁から、葬匏前にに退去が芁求された。ず、アキちゃんのツアヌコンダクタ仲間の友人たちず䞀緒に郚屋を片付け、敎理した埌、最埌の倕方をみんなで過ごした。が酔っ払っお、「こい぀(å·§)は、アキのために付き合っおいる。」ず蚀っお、巧に管を巻いおきた。巧もはっきりず反論しなかった。

     の荷物をの実家に巧の自動車で運ぶのを巧は手䌝った。深倜朝方たで掛かった。
     深倜のファミレスで、巧は、ふず、に蚀った。

    「アキちゃんは、劎灜じゃないの」ず。

     劎働運動掻動家ずしおは、圓然䌚瀟に抗議したくなる状況だった。
     も、アキちゃんの䞡芪も、内心そう思っおいおも、こずを荒げるこずはしたくないずのこずだった。巧は、それ以䞊匷く蚀えなかった。
     巧は、耇雑な気持ちだった。劎働運動掻動家ずしお、䌚瀟にムラムラず怒りがこみ䞊げおきた。そしお、なにもできない自分に腹が立った。

     巧は、倢をみた。宇宙空間を䞞い球䜓に乗ったアキちゃんがもの凄いスピヌドで飛んで行く。巧が「埅っお」ず蚀っお远い぀こうずするが、アキちゃんは、目もくれずに飛んで行っおしたった。

     そのこずをに蚀ったこずがある。は、よく巧の家に遊びに来おいた。䞁床、巧の母が䞀緒にいた。
     巧がアキちゃんの倢の話をするず、は、「なんで、おたえがそんな倢芋るんだ」ず少し抗議気味に蚀った。咄嗟に、巧の母芪が「心配しおんのよ」ず蚀っお、その堎は収たった。
     は、巧の母芪を「おめぇのおかあさん、いいひずだな。」ず蚀った。
    母芪が脳内出血で入院した時、リハビリ甚の靎をが買っおくれた。そういう気遣いが、が他者から、特に女性から奜かれる所以なのかもしれない。

     それから、たた、巧ずのふたりの登山が続いた。幎末幎始の冬の甲斐駒千䞈ヶ岳は、き぀かった。ザックの重さのみならず、幎末正月の䞉日を過ぎおも、仙䞈ヶ岳に登り返すずいう登山のハシゎは巧の䜓力の限界を超えおいた。倧晊日から䞀日二日たではテント堎にはたくさんテントがあったが、さすがに、䞉日ずもなるず、テントは皆無だった。千䞈ヶ岳は、氷りの滑り台状態で、巧ずはザむルで確保しおの登山だった。圓然アむれンを着けおいおも、滑る時は滑る。䞀旊滑ったら、人ずも滑る。
     巧ずは、ザむル䞀本で繋がった運呜共同䜓で、黙々ず歩きながら、共にアキちゃんのこずを思っおいた。アキちゃんずも、こんなふうにしお南米のアコンカグアを制芇したのだろうな、ず。アキちゃんの人生を思った。
    やっぱり、アキちゃんに嫉劬した・・。
     
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    14. 山登りの「友情」(4)ず「掻動家」

     共産党系劎働運動でも新巊翌掟でもない地域合同劎組および争議団の仲間の劎働運動は、実は、日本の劎働者の実像を映しおいたのかもしれない。倧きな劎組組織からも芋攟された極限状態の劎働者たちずの関わりは、巧の劎組芳、人間芳を根本的に倉えた。

     某有名倧孊付属病院の敷地内で焌身自殺した障害者の劎働者、某倧䌁業の職堎、たさに搟取の珟堎で自殺した劎働者など、報道すらされない事䟋が本圓は少なからず日本に実圚する。
     珟堎によっおは、機動隊が出お来る職堎もあった。仲間が公安譊察に逮捕・拘束される事䟋も頻繁にあった。その床に、巧たちは超倚忙を極めた。

     そんな䞭、登山仲間からアキちゃん远悌のネパヌルヒマラダトレッキングのお誘いがあった。

     数週間も、劎働運動の珟堎を空けるからには、圓然、執行委員たちの了解が必芁である。の状況、アキちゃんの他界も説明しお、友人に寄り添いたい趣旚の説明をした。

     普段、他者である劎働者に寄り添っおいる掻動家たちも、「そういう趣旚で䞀緒に行くのは、自分がの立堎だったら俺は嫌だな。」ずいう意芋があった。
     某争議団の熟烈な闘争の䞭で、「運動の利益はすべお劎働者に、䞍利益はすべお掻動家に」ずいうモットヌがあった。巧は、このモットヌにずおも玍埗しおいた。
     そもそも、巧の䌚瀟での劎働運動ぞの関わりは、巧にずっお、たさにそのモットヌそのものだからだ。
     これは、実は深い問題である。しかし、の珟実の問題があるので、執行委員たち合意の䞊で、ネパヌルヒマラダトレッキングが実珟した。

     は、既にカトマンズに滞圚しおいた。アキちゃんず䞀緒にネパヌルヒマラダトレッキングをした時のネパヌル人ガむドず䞀緒に空枯で出迎えおくれた。
     䞁床その日は、ヒンズヌ教の蝋燭祭りで、線銙の煙で燻された倜のカトマンズを寺院巡りした。少なくない野良犬が怖かった。噛たれたら倧倉なこずになるだろうから。
     山屋専甚のホテル泊で、宿泊料がなんずドルずいう栌安だった。ちゃんず、シャワヌ付きベッド付きの郚屋だった。敎った郚屋だったし。

     翌日、囜内線の飛行機でポカラに移動した。
     湖で、欧米の若者たちがカヌヌ競技をしおいた。カトマンズずは党く違った萜ち着いた町だった。なんず蚀っおも、ネパヌルヒマラダのアンナプルナが感動的だった。

     翌朝、ホテルで、倜明け前にネパヌル人ガむドが巧を起こしおくれた。倜明けのアンナプルナを撮った。枅々しい空気の䞭で撮りたくるアンナプルナは最高だった。

     チベット難民郚萜を通っお、ずネパヌル人ガむドず、巧の人のトレッキングがスタヌトした。がアキちゃんず歩いたコヌスだった。麓の村、郚萜の野良仕事の颚景は最高だった。刈り取った麊を手䜜業で脱穀しおいた。氎路には小さな氎車が廻っおいた。段々畑が、ぎっしりあった。矎しい颚景だが、急斜面も耕䜜しないずいけない貧しさが真の事情だろう。

     は、巧のために、ゆったりした日皋にしおくれおいた。初日は特に、午埌早めに着いた山小屋で、ビヌルを飲みながら、ゆったりした。

     それでも、翌日からは、ガンゞス河の源流の急流が流れる谷に䞋っお、たた登り返すアップダりンは巧にはき぀かった。だが、ガンゞス河の源流であるずいうこず自䜓にひどく感動した。

     登山道は、石が敷いおあり、敎っおいた。山小屋も、芳光に力を入れおいるせいか、ずおも矎しかった。
     フランス人女性グルヌプが、最初にトむレをチェックしお宿泊するかどうか決めおいるシヌンに䜕床か立ち䌚った。幎代の日本の山岳の山小屋の酷さを知っおいるが垂れ流し、ネパヌルの山小屋の矎しさは栌段の差があった。

     ネパヌルの山小屋では、時間の感芚を調敎しないずいけない。泚文しおから、かたどに火を入れ、材料を刻み、調理に時間以䞊掛かるのはざらだった。しかし、手䜜りのチベット料理は最高だった。

     は、アル䞭だった。
     ネパヌル人ガむドず巧は、早々にベッドに行ったが、は、他の登山客たちず遅く迄酒宎だった。倧きな声に巧は起こされ、の声が聞こえおきた。
    巧が、わざわざ日本から駆け付けおくれたこずが、よっぜど嬉しかったらしくお、しきりにそのこずを自慢しおいた。巧のこずを「あい぀はいい奎だ。」ず。そしお、気前よく他の客たちに奢っおいた。
     泥酔状態で郚屋に垰っお来おからがたた倧倉で、兞型的な酔っ払いだった。トむレに行くのにドアを開けられないらしくお、その堎でした。ガむドも巧も本圓は起きおいたが、寝たフリしおいた。
     巧は、内心、アキちゃんも倧倉だっただろうなず思った。よく、こんな奎ず䞀緒にトレッキングしたよな、ず思った。断厖絶壁の䞊にある山小屋には柵もないずころも。泥酔したが萜ちないか、ハラハラした。

     トレッキングコヌスの終わり頃、小さな郚萜で䌑憩しおいるず、日本人男性が䞀人で、ネパヌル人ガむドず、数人のボッカを連れお、䌑憩しおいるのを芋かけた。

     芋芚えのある顔だった。巧が、ただ䌁業内組合にいた頃に䜕床か䌚ったこずがある共産党系劎働運動の掻動家だった。

     巧は、そんなこずはすっかり忘れお、その「知り合い」に笑顔で話し掛けた。同じニコン補のカメラでアンナプルナ山矀を撮っおいるので、話が匟んだ。も加わっお盛り䞊がった。お互いに無事を祈り぀぀別れた。

     ポカラに戻っおから、巧は䞀人で急遜カトマンズに垰るこずになった。囜内線飛行機がストラむキで、その䞊、未だ王政のネパヌルだった頃で、カトマンズぞの最短道路を毛沢東掟のゲリラが占拠しおいるずいうので、ポカラからいったんむンド囜境近くたで南䞋しおから東に向かい、カトマンズに向かっお北䞊するずいう倧回りの道を通っおカトマンズに垰った。カトマンズから日本に垰る飛行機が日皋固定のチケットだったのだ。

     ずガむドは、時間の制玄がないので、ゆっくりできた。ポカラで、ネパヌル人ガむドが車を手配しおくれた。山岳地垯のデコボコ道を走った。途䞭、路線バスが厖から萜ちおいるのを目にした。床ひっくり返っおいお、バスの䞊半分が完党になくなっおいた。事故盎埌を想像するず怖くなった。道を人が䜕人も歩いおいるのに、盎ぐ暪をネパヌル人運転手が運転する車は、もの凄いスピヌドで走り抜けた。それも怖かった。

     カトマンズたで、残り時間くらいのずころで、車が゚ンストした。巧は焊った。そのネパヌル人運転手は、ボンネットを開けお、ガ゜リンを口に含んで、ストロヌのようなものを䜿っお、プラグを倖しお゚ンゞンの燃焌宀に盎接吹きかけた。それで、なんず、゚ンゞンが掛かった。ネパヌル人運転手を凄いず巧は思った。無事、飛行機の出発時間に間に合うようにカトマンズに着いた。

     日本に垰っおから、暫くしお、も垰囜した。ず飲み屋で䌚った。
     その時に聞いた話・・

     アンナプルナのトレッキングルヌトの村で偶然䌚った共産党系劎働運動の掻動家ず、ポカラで偶然䌚っお飲みに行ったずのこず。
     その時、は、巧が共産党系の劎働組合を『裏切った』ずいう話をにしたそうである。

     巧は驚いた。あんなに仲良く話が盛り䞊がったのに、日本から遠く離れたネパヌルに来おたで、それも、自然豊かなアンナプルナ山矀に来おたで、そんな話を、なんの関係もないにしたの人間性を疑った。共産党ずいうのは、こんなにも「人間性」よりも「自らの組織」を優先させるものだずいうこずを、改めお再確認させられた。共産党ずいう組織は、人間をこんなにも腐らせるものかず吐き気がした。
     地裁・高裁・最高裁ず連戊連勝した巧の個人提蚎の裁刀闘争の奇蹟的な倧成果だったずいうのに。
     職堎劎働者の雇甚を守ったのは巧だずいうのに。
     日本人の矜持を守り抜いたのは、巧だずいうのに。
     それよりも『組織』の方が倧事なのだ。共産党ずいう組織は。

     巧は、に、共産党系の掻動家が、乳癌になった執行委員のさんに「這っおでも䌚瀟に来るように。」ず蚀っおさんの䜓調を悪化させ、結局亡くなったこず、それに抗議しお共産党系の組合を脱退しお、裁刀を個人提蚎したこずを説明した。
     は、「やっぱりな。おたえらしいよ。誇らしいよ、おたえが。」ず分かっおくれた。

     この出来事は、巧が刀断しお行動したこずがやっぱり正しかったずいうこずを巧に再確認・再確信させおくれた。

     巧は、「組織」ずいうもの自䜓のそら恐ろしさを感じた。巧の珟実の成果よりも、「組織」の関係こそを重芁芖する共産党系劎働運動の非人間性を思った。巧の行動が、巧もか぀お所属しおいた共産党系の職堎の組合の組合員たちも含めお職堎劎働者の暩利をどれだけ守ったずしおも、圌らにずっおは、「組織」こそが重芁だずいうこずに。その「組織」の「目的」以䞊に「組織」自䜓の存圚こそを重芁芖するのが「組織」の存圚理由なのかもしれない。「芁求で団結」ずいう共産党系劎働運動のモットヌは嘘だず思った。「組織でこそ、組織のためにこそ団結」ずいうモットヌに倉えるべきだ。それは、厳し過ぎる瀟䌚、厳し過ぎる資本䞻矩瀟䌚においおは、人間性に察する挑戊でもある。

     だから、巧の珟堎䞻矩の珟実の成果が䞀局匕き立぀、共産党系劎働運動掻動家の行動だった。の意図ずは逆に。
     
    

    自己ず他者/ スピリチュアルの垫ずの察話(その䞀)

     スピリチュアルの垫ず呌べる人が人いる。
     このこず自䜓「奇跡」ず蚀っおいい


     そのうちのひずり、さんは、reikiの治療垫。最初は、䌁業内組合執行郚のさんに玹介された。さんの他にも組合員の数人がさんのずころに通っおいた。
     乳癌のさんに「這っおでも出瀟するように」匷芁した共産党系劎組の方針に反察し、ひずりで裁刀提蚎しおからは、職堎内で孀立しないずいう巧の戊略も確かにあったが、さんずの亀流は、実際には、それ以䞊の芪密さになっおいった。

     末期癌の患者たちが最埌の拠り所ずしおさんを頌っおきた。さんも、そのひずりだった。さんのreiki治療を受けた埌、「自分がこんなに元気なんだっお思えるんだぁ。」ずさんが蚀っおいた。

     某新興宗教の幹郚でもあるさんだったが、わたしたちには党く勧誘はなかった。
     䜙呜幎ず蚀われた患者が、さんの治療で、幎、幎ず延呜するず、さんは「神様」ず蚀われるが、逆の堎合には「人殺し」ず眵られる。

     さん自身も、倧倉な人生で、詳しくは曞けないが、芪族の倧事件が起きた時、巧はちょうどさんのreiki治療を受けおいお傍にいた。芪戚からの電話に、さんは暫く攟心状態だった。その堎にいた巧には、その電話の内容を䌝えた。確かに、悲惚な内容だった。
     それ以降、さんは誰ひずり、そのこずを話さなかった。巧も誰にも話さなかった、さん以倖には。スピリチュアルで、それなりのひずずいうのは、こういう想像を絶する䜓隓をするこずがあるのかもしれない。

     さんは、共産党系劎働組合の掻動家たちず察立しお離脱しお、原則的劎働運動をする巧ず、共産党系劎働組合のメンバヌずの間を぀なぐ圹目を果たしおくれた。

     だから、䞡方の意芋を聞き、状況を知り尜くしおいる。その䞊での巧ずさんずの察話だった。

     巧のずった行動を「すばらしい」ずさんは賞賛した。共産党系劎働組合のメンバヌの䞭にも、数人、同じように高く評䟡するひずもいた。ただ・・

     さん・・「正しいこずをしおも、みんなが正しいず思っおくれるずは限らないよ。それが、みんなのために本圓に良かったのかどうかも分からないのかもしれないねぇ・・。」

     巧は、正盎ショックだった。党面的に巧の味方だず思い蟌んでいたからだ。いや、味方は味方なのだろう。
     しかし、少し萜ち着くず、さんの蚀葉は、巧の心の奥底に残り続けた。ずっず、自問自答し続けた。

     いただに、巧にずっおの「正解」は分からない。

     確かに、巧の「闘争」の原点は、䌚瀟から酷い組合朰し攻撃を受けおいた䌁業内組合執行委員のひずりさんの涙だった。
     しかし、巧が単身決起した埌、さんも共産党系の䞊郚組合本郚の指瀺通り、圌らが蚀うずころの「過激掟」巧の排陀攻撃に加担した。それでも、結局、䌚瀟の組合朰し攻撃に察しおは、巧が完党勝利した。

     単に、地裁→高裁→最高裁の党面勝利のみならず、組合朰し攻撃した䌚瀟の䞭に匷固な地域劎組を確立し、職堎の劎働者の雇甚も実際に守ったし、地域の䞭小零现䌁業の劎働者の雇甚も守ったのだから、「階玚的」にも巧の勝利は明らかだった。

     新入瀟員たちは、そんな巧ずも分け隔おなく亀流したが、圌ら圌女らにずっおは、そんな「過去」の「いざこざ」はどうでもいいこずだったのだろう。むしろ、巧たちが勝ち取った「幎䌑」の暩利、「育児䌑業」等の諞暩利も、なによりも、倖資系にありがちな雇甚の䞍安定さも改善させた。日本人劎働者を恣意的に盎ぐに解雇するこずは蚱されないずいうこずをドむツ人経営者に分からせた。

     若者たちは、そんなこずは最初からあった圓然の暩利だず思っおいた。それは、それでいい。巧たちは、自分たちの「闘争」が誰からも評䟡されなくおも構わなかった。それこそ、「闘争の䞍利益は、すべお掻動家に、闘争の利益は、すべお倧衆に」(山谷争議団)なのだから。
     それに、巧たちの闘争は、ドむツ人経営陣ず、日本人劎働者ずの人皮差別ずの闘争でもあったのだから、日本人ずしおの矜持をドむツ人経営者に瀺した闘争でもあった。これに関しおは、巧の仲間の組合執行委員たちによるず、「それは、あたり匷調しない方がいい。」ずのこずだった。圌らも、所詮「階玚闘争」掟なのだろう。たぁ、そうだろうけど。
     それ以前に、人間ずしおの尊厳を守った闘争でもあった。その自負ず矜持は、巧にある。

     それでも、さんの問い・・

     「正しいこずをしおも、みんなが正しいず思っおくれるずは限らないよ。それが、みんなのために本圓に良かったのかどうかも分からないのかもしれないねぇ。」・・

    は、巧の深局を䟵食し続けた。いただに、䟵食し続けおいる。

     芁は、巧の自己満足なのかもしれない。

     巧の幌児䜓隓から来る自己満足に過ぎないのかもしれない。それは、それで、巧はよかった。

     巧が問いたかったのは、それでも、「本圓に自分の決断ず行為はよかったのか」だった。

    ・・「チサの葉䞀枚のなぐさめが欲しくお人生を棒に振った」(倪宰治)・・

     巧の「人生を棒に振った」行為が本圓によかったのか

     「自己犠牲」ず蚀えば、聞こえはいいが。宮柀賢治の「グスコヌブドリ」ではないが。

     巧の呚囲にたくさんいた「掻動家」たちのように、の「確信」のようなものは巧にはなかった。

     さんのこずばが、巧に「ゆらぎ」を起こした。

     この「ゆらぎ」は、時間が経぀に぀れお、次第に倧きく倧きくなっおいった。
     この「ゆらぎ」は、次第に䞖界情勢にたで拡がるものになっおいった。

     それ皋、2000幎以降の䞖界は、異垞かもしれない。

     人間の尊厳を守る「闘争」・・立掟なこずだろう。非難の䜙地もないこずかもしれない。

     それでも、䞡者が、その『人間の尊厳を守る「闘争」』ずいう『正矩』を振りかざしお「憎しみの連鎖・悪埪環」「終わりなき戊い」「仁矩なき戊い」が頻発する䞖界は、これで本圓にいいのだろうか。「狌」に人間が堕しおしたっおいいのだろうか。

     それら䞡者のロゞックをメタのレベルから再吟味し盎さなくおはならないのかもしれない。

     䜕時から、こんな排他的なロゞックが跋扈し始めたのだろうか
     こんな排他性は、人類に、ホモサピ゚ンスに特有のものなのだろうか
     だずしたら、どうしようもないものなのだろうか
     だずしたら、人類には絶望しかないのだろうか

     ほんずうに、そうだろうか

    *****************************************************

     「「利他䞻矩altruism」ずいうこずもあるように、他者の幞犏のために自分を犠牲にするずいうこずは仏教埒の鏡でもあろう。」

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    コラム

     巧の堎合、幞いなこずに、地裁・高裁・最高裁ず連戊連勝だったので、巧の勝利で、䌚瀟偎からの違法な劎組朰し攻撃は終わったが、もし、地裁で敗蚎しおいたら、終わりなき戊いが続いおいたこずでしょう。

     「利他䞻矩altruism」・・ずいう耳觊りのよい蚀葉は、本圓によいこずなのでしょうか

     話題を倉えたすが、数幎前実際に䜓隓したこずです。

     山の䞊の叀民家で、音楜ラむブがあるので、息子・嚘・劻ず䞀緒に自動車で曲がりくねった山道を䞊がっおいるず、前方に自動車はいないのに、どこからか、けたたたしいクラクションが聞こえおきたのです。スピヌドを萜ずしお、廻りを芋枡すず、厖の䞋に䞀台の自動車が180床反転しお萜ちおいるのです。その自動車の運転手が鳎らしたクラクションでした。
     救出しようにも、募配がキツくお、二次遭難しかねないので、番したした。譊察から消防眲に手配しお貰いたした。息子は、救急車䞡が道を分かるようにず、街道から急な坂道の入口たで歩いお降りお行きたした。たもなく、救急車ず消防車ず譊察車䞡が到着したした。消防隊員数名がザむルで確保しながら急な厖を降りお行っお、反転した自動車の䞭から男女二人を無事救出したした。それで、ほっずしお、ラむブ䌚堎にだいぶ遅刻しお着きたした。
     事故にあった男女二人も、怪我は倧したこずなかったようで、救急車の出番もなく、䌚堎に来おたした。ラむブの䌑憩時間に、二人からは䜕の蚀葉掛けもなく、むしろ、こちらから、「さっきは、倧倉でしたね。」ず話し掛けるず、二人のうちの女性は、暗い顔で䜎い声で「あヌ」・・以䞊・・でした。男性の方は、たったく無芖・・・ なんの関係もないかの劂く、知らんぷりでした 「ありがずう」の䞀蚀もありたせんでした。少し、驚きたした。事故の責任っお、誰 私・・そう思わされるような、ふたりの察応に戞惑いたした。たたたた通り掛かったから助けただけなのに・・。䜕か、私、悪いこずしたした・・・あなたがクラクション鳎らしたんでしょそれで、番したのは悪かったの
     べ぀に、埡瀌を蚀われたいから番したのではなく、助けなければならないから電話しただけなのに。お陰で、ラむブにかなり遅刻したのは、このせいなのに。

     ・・・それでも、私は、自分がやったこずは正しいず確信したす。同じ状況に遭遇したらたた同じこずをするでしょう。
     
     しかし、職堎の劎働運動の堎合だったら・・・同じこずをしないかもしれたせん。ほっずくかもしれたせん。組合が朰されるのを傍で芋おいるだけかもしれたせん。理由は、先ず、幎霢が違いたす。「若気の至り」・・ずは、もう蚀えたせんし。「利他䞻矩altruism」に、少し懐疑的ですし。

     確かに、劎働運動の「掻動家」だった頃は、他者に気を遣い、他者に芪切でした。仲間から、そうされたから、自分も、仲間だけに限らず、通り掛かりの人に察しおも、困っおいそうだったら、手を差し䌞べたした。
     䞉池争議の幌児䜓隓が原因で、「若気の至り」で、たたたた劎働争議に巻き蟌たれたしたが、このこずを今鳥瞰するず、決しお「利他䞻矩altruism」ずいった自己犠牲の粟神ではなく、二人のスピリチュアルの垫ず出逢えた、そのための詊緎だったのですから、『自利利他』です。
    「チサの葉䞀枚のなぐさめが欲しくお人生を棒に振った」(倪宰治)・・のでは決しおないのです。さん、くんずいう偉倧なスピリチュアルの垫ず出逢うために必芁なこずだったのです。

     ただ、少なくずも、「正しいこず」っお本圓に正しい・・っお、䞀床立ち止たっお考える、自問自答する「智慧」は必芁なこずかず思いたす。「正矩」を錊の埡旗にしお、「正矩」を振りかざしお、突っ走る「愚」だけは避けなければなりたせん。そう、自分自身に蚀い聞かせ぀぀、生きたいず思いたす。
     
    

    16. 「ナヌモアずアむロニヌ」/ スピリチュアルの垫ずの察話(その二)

     もうひずりのスピリチュアルの垫であるくんは、巧の仕事の埌茩である。

     Kくんは、日本で超難関名門ず蚀われおいる某超有名倧孊の出身である。しかも、文系仏文科ず理系数孊科卒で、フランス留孊もし、理孊郚数孊科の倧孊院䞭退でもある。䜕故䞭退かず蚀うず、教授ずケンカしお蟞めたそうである。

     予備校の講垫を経お、巧が勀めるドむツ人経営の翻蚳䌚瀟に入瀟しおきた。フランス語ずドむツ語ず英語の翻蚳を担圓した。予備校の講垫の方が、よっぜど高収入だったそうである。

     そんな名実共に秀才のくんだったが、䌚瀟では、巧が先茩だったので、頻繁に巧のずころに来お質問した。事実䞊、巧がくんの新入瀟員教育の担圓だった。

     テクノロゞヌのパラダむムシフトの時期で、テクノロゞヌの翻蚳者の䞖界も、幎功序列タむプの胜力䞖界が逆転しおいた。぀たり、生たれた時からファミコンがあった若い新入瀟員の方が、翻蚳察象の内容を䞀局よく理解できるのである。

     シニアの翻蚳者には、そもそも内容が理解困難になっおいた。

     コンピュヌタの操䜜もそうである。高霢の翻蚳者が、若い瀟員に、コンピュヌタの操䜜を尋ねに来るずいうこずもよく芋かけた。電子回路が理解できるレベルから、など先端医療機噚、玠粒子加速噚、量子コンピュヌタ、マむクロマシン、、、ニュヌラルネットワヌク、高床蚀語凊理、、等に電子系分野は飛躍的に進化しおいた。

     数孊科出身のくんは、そんなパラダむムシフトを難なく突砎できた。
     巧も工業高専で「電子蚈算機・パルス回路」専攻故、かろうじお突砎できた。

     そんな二人だったので、職堎では最匷のコンビだった。䌚瀟で、いちばん難しい仕事を担圓した。実際、傍で芋おいるず倧喧嘩しおいるように芋えたであろう激論を闘わせお、ずおもいい仕事をしたこずも床々あった。
     その仕事の内容は、文系出身の高霢の管理職たちには党く歯が立たない領域だった。䟋え、くんず同じ超䞀流倧孊の独文科出身の翻蚳者であっおも(巧の劎働運動の最倧の敵である総務郚長はそうであった)。
     ドむツ人管理職も、くんのフランス語、ドむツ語、英語、数孊の胜力を高く評䟡しおいた。
     か぀お、䌚瀟でいちばん難しくお、䌚瀟の名誉にも関わるの某案件を巧に䟝頌したドむツ人管理職も、そんなくんず巧の仕事を高く評䟡した。日本人管理職は、なんにも口をはさめない状態だった。芁するに、やりたい攟題だった・・。

     くんの哲孊、思想、スピリチュアル関係の読曞量は半端でなかった。巧にずっおも、職堎に「パルメニデス」や「゜クラテス以前」「新プラトン䞻矩」等の哲孊者の話ができる人がいるこず自䜓、倩にも昇る皋うれしいこずだった。だから、仕事䞭も、そんな話をよくしおいた。実は。

     巧にずっお宿呜的に重芁なこずを、くんは巧に泚入した。

     チベット仏教の瞑想法であるゟクチェン瞑想(rDzogs-chen Vipassana)ず、神智孊のブラノァツキヌ である。この䞡者は、巧のラむフワヌク「パルメニデス」ずも密接に関連しおいお実は、超重芁である。くんには、感謝しかない。巧にずっお、くんは、スピリチュアルの立掟な垫である。

     くんも、圓然、巧の劎働運動を呚知しおいた。

     他の新入瀟員同様、管理職から「巧は悪いひずだから、近づかないように」ず蚀われおいたにもかかわらずもっず酷いこずも、これも他の殆どの新入瀟員同様、なんのわだかたりもなく、くんは特に積極的に巧ず芪しくした。

     くんにずっお、巧の劎働運動は、関心領域の倖にあった。

     原子力資料情報宀の創蚭者「高朚仁䞉郎」には関心を瀺しおきた。

     巧も、事実䞊完党勝利した埌だったので、この䌚瀟での劎働運動は、どうでもいいこずになっおいた。

     そんなくんの感想・・。

     「ずいぶん楜しみたしたね はっはっは」
    ず倧笑いした。

    ・・・そうか

     巧にずっお、粟神砎綻寞前たで深刻だった劎働運動も、客芳的に芳るず、そんなふうに芋えるのか

     目から鱗だった

     巧は、実は内心、心配しおいた。自分なんかず䞀緒にいるず、䌚瀟内でのくんの立堎が悪くならないかず。
     しかし、そんな䜎俗なレベルは、くんは軜く、かるヌく、超しおいた。

     巧が倧奜きだったキルケゎヌルの専門家の実存䞻矩哲孊者先生が蚀っおいた「ナヌモアずアむロニヌ」を想起した。

     そうだ

     人生に必芁なのは、ナヌモアずアむロニヌだ

     巧が単身決起した劎働運動も、そんな倧それた『正矩』ずか『信念』ずかずいったものではなく、巧が「楜しんだ」ず思えばいい実際、楜しんだのだこの劎働運動のお陰で、巧の人生は、「棒に振った」どころか、実り豊かな充実したものになったではないか

     幞い完党勝利したけど、䟋え、裁刀に敗蚎しお、劎組運動が朰されおいたずしおも、それはそれで「楜しんだ」ず思うこずだっおありだったんだず思えるようになった。

     スピリチュアルの垫、さん、くんず出遭うためにこそ、この劎働運動があったず心底思える。

     こんな奇跡のような出逢いは、しようず思ったっお簡単にできるものではない。

     さんの涙に応えるずいった・・

     「チサの葉䞀枚のなぐさめが欲しくお人生を棒に振った」(倪宰治)

    ず思うこずがたったくなかったかず蚀うず嘘になるが、このスピリチュアルの垫たちずの出逢い故、たったく埌悔はないし、むしろ、至犏だったずさえ思う。

     人間は、どんなに悲惚な状況であっおも、ナヌモアずアむロニヌを忘れおはいけない。

                       disce gaudere.  (楜しむこずを孊べ)
     
    

    17.  「他者のために生きる」

     巧は仏教埒である。

     ゟクチェン瞑想(rDzogs-chen Vipassana)から分かるように、チベット仏教のBuddhistである(心情的には)。

     「利他䞻矩altruism」ずいうこずもあるように、他者の幞犏のために自分を犠牲にするずいうこずは仏教埒の鏡でもあろう。

     瀟䌚的「掻動家」ず呌ばれるひずたちがいる。時には、「過激掟」ずも呌ばれ、瀟䌚的に吊定されるこずもある。
     真の「掻動家」、真の「過激掟」の䞭には、『他者の幞犏のために自分を犠牲にする』こずを、人生を賭けお生き抜いおいるひずたちがいるこずをご存知だろうか。

     巧も、意に沿わず、劎働運動に巻き蟌たれたお陰で、そんな優しいひずたちず出遭った。
     これも、巧の「闘争」の倧きな成果である。

     巧自身も、「掻動家」「過激掟」ず呌ばれおいた。特に日本共産党の党員たちからは積極的に『過激掟』『トロツキスト』キャンペヌンを匵られお、巧の単身決起の闘争ず、その完党勝利をも党面吊定されおきた。そんな党員たちも、同じように「掻動家」ず呌ばれるこずもある。

     登山仲間であり、芪友でもあるの愛人たちが立お続けに遭難・病死した埌、巧は積極的にの山行に぀きあった。
     は、傷心し、自殺の危険もあった。
     巧は、圓時「掻動家」だった。
     「他者の幞犏のために自分を犠牲にする」粟神から、の山行を共にした。
     ネパヌルヒマラダトレッキング、真冬の甲斐駒・仙䞈ヶ岳・八ヶ岳・早春の穂高・・ず、時には厳しい、身の危険もある登山もした。実際、早春の、ただ氷り切った北穂の斜面で滑萜したこずもある。

     そんな巧の䜓を匵った行動に、劎働運動の仲間たちは吊定的だった。「そんなふうに思っお、厳しい登山に぀きあっおくれるずいうのは、俺だったら嫌だな。」ず蚀った仲間の執行委員もいた。

     実際には、は、巧を巧の本来の居堎所「自然」に戻しおくれた恩人なのだず思う。

     実際、幎以䞊も珟堎の「掻動家」をやっおいるず、いろいろ思うずころもある。巧の「䞉井䞉池劎働争議」幌児䜓隓が、その基局になっおいるのだが、だからこそ、なおのこず、倧声で蚀いたいこずもたくさんある。第䞀組合である䞉池劎組の掻動家たちを、こころから尊敬するず同時に、敗北した真の原因を本圓に「総括」しおたすかず問いたい気持ちもある。

     巧自身、地域合同劎組の執行委員、時には委員長ずしお劎働運動の修矅堎を䜓隓しお、仲間の「掻動家」たちをこころから尊敬するず同時に、なにか違うず思うずころも少なからずある。

     珟堎に居た時には芋えなかったが、そこから離れお、それでも䞖界には、日本には、ただただたくさんの「修矅堎」がある。むしろ、日々増えおすらいる。
     そんな珟堎「修矅堎」を芋おも思うずころがある。なにか違うず。決しお、そんな珟堎で闘っおいる「掻動家」たちを批刀しおいるのではない。むしろ、心から尊敬しおいる。
     ただ、巧の「修矅堎」䜓隓から、感じるずころ、思うずころが倚々ある。

     少なくずも、「掻動家」であるずいうこず、『他者の幞犏のために自分を犠牲にする』ずいう生き方は、決しお「スタむル」でも「ファッション」でもないこずは確かだ。党身党霊を掛けた「生き方」なのである。時には、人生そのものを、自分自身の呜すら掛けた「生き方」なのである。その「芚悟」があっおはじめお「掻動家」になるのだず思う。特に今、ほんものの「掻動家」のなんず少ないこずかあるいは、状況が厳しすぎお、耇雑過ぎお、「掻動家」ずいう蚀葉ですら衚珟できない皋の「断末魔」なのかもしれない・・のかもしれない。

     これは、闘う「組織」自身の宿呜・本性なのかもしれない。スロヌガン・建お前ず 本音の「差」かもしれない。スロヌガン、぀たり「芁求」を裏付ける珟実的な力関係の分析の䞍足かもしれない。建お前ず本音の差は、少ない皋いい。぀たり、闘争・状況に察する人間ずしおの「誠実さ」こそが、問われる・真の掻動家を生む。
     どんな闘争でも、時には「戊争」もそうだが、「敵を知り、己を知れば、癟戊危うからず」、぀たり、敵を知らず、己を知らなければ敗北必至ずいうこず。䞉池闘争の敗北の䞀因でもあろう。闘争の「芚悟」も問われるのかもしれない。決しお、「スタむル」ではないのだから。

     それ以前に、「組織」を構成しおいるのは『ひず』であるずいう事実である。
     マルクス・レヌニンの思想に欠けおいるのも、この点であろう。異論・反論が倧声で聞こえおきそうだが、むしろ、巧は、こんな珟圚の状況だからこそ、もっずもっず「マルクス・レヌニン」を深く読み蟌たなければならないずすら思っおいる。
     「前衛」である「掻動家」に最も必芁なのは、「理論」でも「闘争」でもなく、『ひず』ずしおの『芚悟』なのだろう。自分自身の人生を掛ける『芚悟』なのだろう。闘争・状況に察する人間ずしおの「誠実さ」なのだろう。

     時には、偶然勝利するずいうこずもあるのだろう。䜕かの偶然。歎史の偶然。偶然の気たぐれ。
     しかし、だからこそ、しっかり闘争ず向き合うこず、敵ず向き合うこず、自分ず向き合うこずが、最重芁なのだろう。

     「䞇囜の劎働者、団結せよ」・・その『劎働者』は決しお『量』でない。
    「量が質を倉える」こずも事実だろうが、ひずりひずり違った感情ず個性ず人生芳ず、自己ず他者の諞人間関係・瀟䌚的諞関係の『総䜓』を持った『ひず』である個人が『劎働者』なのではないか。

     そんな「組織」の構成芁玠である前に、『ひず』はたず「自己」であるべきなのではないか。そんな『ひず』のあり方を「組織」は最優先すべきではないか。

     蚀うは易し、だが、だからこそ、「組織」よりも『ひず』が倧切

     巧は、劎働組合の執行委員ずしお、担圓しおいる珟堎の個人ずの亀流を倧事にした。それは、時には、「劎組員」である以䞊に「人間」ずしおの亀流でもあった。ひずずひずずの亀流だった。それは圓然のこずだず思っおいた。人間どうしなのだから。

     しかし、「組織」である劎組の執行委員たちからは、そんな巧の行動は批刀・吊定された。「組織」あっおの「個人」であるず。巧には、「お前を信頌しおいない。」ずしか聞こえなかった。

     原則的劎働運動は、それはそれでいい。すばらしいこずだ。今の日本の劎働者の劎働珟堎の悲惚な状況は、原則的劎働運動であったであろう「総評」の解䜓→埡甚劎組「連合」支配にこそある。日本政府・資本偎の目論芋通りに進んだ。その最初の契機が「䞉池争議」の敗北であろう。

     巧は、ドむツ人経営の翻蚳䌚瀟に採甚された最初の出瀟日の朝、「違う。ここは自分がいる堎所ではない。盎ぐに蟞めよう。」ず思った。
     山小屋か䜕凊かで働きたかった。のように山岳ガむドになりたかった。あるいは、「職工逊成所」工業高専卒ずしお地方の小さな工堎で゚ンゞニアずしお慎たしやかに暮らしたかった。
     しかし、䌁業内劎組は、劎灜問題を巡っお䌚瀟ず察立しおいお、䌚瀟は本気で「劎組朰し」攻撃を仕掛けお来お、あっずいう間に切り厩され、執行委員の女性さんの「どうしおいいか分からないわ。」ずいう䞀蚀、圌女の涙が巧を劎組に戻し、結局は、これたで曞いおきたような倧闘争を職堎では巧ひずりが闘い地域の仲間に支えられお、奇しくも完党勝利した。気が付いたら幎近く経っおいた。

     最高裁の勝利刀決以降、巧はやりたい攟題だった。新入瀟員たちずも深く亀流した。
     人生最倧の出逢いず蚀っおも過蚀ではない、スピリチュアルの垫くんずの出逢いもあった。

     しかし、さんの涙から始たった、巧の「ものがたり」は、これで「完結」すべきだず思った。

     「チサの葉䞀枚のなぐさめが欲しくお人生を棒に振った」(倪宰治)

     「棒に振った」どころか、あるべき『道』をしっかり、望み通り歩んだのだった。誰かのお陰で、なにかのお陰で。

     「それ」のお陰で。

     仲間の執行委員たちにも、巧は「定幎退職たで䌚瀟に居続けたら、私にずっおは、それは敗北です。」ず宣蚀しおいた。

     巧の組合脱退の際には、圓然のこずながら、厳しい批刀も少なからずあった。の確信を持った「掻動家」からは、圓然の批刀だったのだろう。

     ただ、闘争自䜓を裏切ったのではないので、むしろ、颚前の灯状態の䌁業内組合から地域合同劎組結成ずいう「階玚的」にはなんの文句も぀けようがない状態での巧の脱退理由だったので、理解した執行委員「掻動家」も少なからずいた。

     巧は、定幎退職たで幎以䞊残しお、「闘争珟堎」である䌚瀟を自ら退職した。

     本来の自己であるべく・・。

    ・・・楜しかった♪
    ・・・よく遊んだ♪

    
     

    最終章「ものがたり」の終わり

    ・・・以䞊が、父巧の「ものがたり」でした。
    父ず祖父母䞉人の昔話でした。

      ・・倜が癜々ず明け初めたした。

     初めお聞きたしたが、なんずなく感じおたしたし、すぐ暪で芳おたしたし、驚きたせんでした。

     父が自分で蚀う皋、父は芪䞍孝ではないず思いたす。だっお、父母ず祖父母ずわたしたち兄効の䞖代同居をずっず続けおくれおいたのですから。

    ・・確かに、父は家庭でも孀立しおいたした。

     父から聞いた話ですが、父巧が、組合の倧事な䌚議で䌑日にも拘わらず出掛けるので、おばあちゃんが倕食の仕床をい぀もより早くしたずころ、未だ小孊生の兄が「勝手に倕食時間を早くするな自分が奜きで組合やっおんだろ」ず切れた時がありたした。
     完党に、蚀葉遣いからしお、祖父が兄に泚入した理屈ず蚀い草でした。私たち兄効の母も祖父も、兄の偎から父を詰り、おばあちゃんも別の芖点から父巧の䜓を思っお、「倧倉だろうに」ず䌚議に出掛けるのに察しお、やんわりず反察偎に廻りたした。

     蚀い合いが続いおいた時、ただ保育園児だった私が「わたし、おずうちゃんの『組』に入る」ず叫んだそうです。

     䞀瞬シヌンずなり、父巧は内心うれしかったず䜕床も䜕床も繰返し蚀っおたした。
     よっぜど嬉しかったんでしょ。

     あず、芚えおいるのは、わたしが小孊生だった頃。
     ある事情で、「孊校行かない」ず匷く蚀い匵ったのです。
     母も祖父母も、泣き叫んで抵抗する私に向かっお「行きなさいよ」「どうしたの」ず蚀うばかりでした。
     父だけが、「行かなくおいいよ。」ず優しく蚀っおくれお、たったく理由も聞かず、自分も仕事を䌑んで、䞀緒に遊んでくれたこずがありたした。
     翌朝、なにごずもなかったかのように、ケロッずしお孊校にいきたした。

     ・・私、父から叱られた芚えがないんですよ

     確かに、祖父ず父巧ずの関係は、ずおも冷たかったのでしょう。兄が蚀うように。

     でも、祖父の方が卑怯です陰では、父の悪口を私たちに向かっお蚀うくせに、それも酷く皚拙な、ずおも聞いおいられないような悪口を。
     それでいお、父の前では枩和しくしお、なんにも蚀わないんですよ
     内心、盎接、父に蚀えばいいのに、ず思っおたした。

     特に、兄は、すっかり掗脳されおしたっお・・・。ある時から、父芪に察しお、喧嘩腰で、酷いもの蚀いをするようになっおしたいたした。

     おばあちゃんは、酷く悩んでたした。「同居がいけないのかねぇ。」っお。でも、自分は、孫たちず䞀緒に暮らせなくなるのが酷く寂しいようで。
    父に謝っおいたのを聞いたこずもありたす。父は、なんにも蚀いたせんでした。母は、同居をやめようずしない父を責めおいたようですが。

     それでも、父は、同居をやめるこずはしなかったのですから。同居は、祖父母の、特に祖母の切なる垌望だったのですし。父は、自分の母芪を思っお、同居を続けたのでしょう。もし、別居したら、祖父母の最悪の関係がたた埩掻しおしたうず思ったのでしょう。

     ・・ず蚀うか、家族だからず蚀っお、人間ずしお、いちばん肝心なこころの郚分、信念ずかの郚分が違うずいうこずが、そんなに、いけないこずなのだずは、わたし、思いたせん
     䟡倀芳が違っお圓然じゃないですか
     人間なんだから
     それを無理やり同じにしようずする方が、むしろ家庭を壊すのではないでしょうか。人間性をも砎壊しおしたうのではないでしょうか。
     ひずずひずずがみんな違っおいるように、家族のなかでも、それぞれ違っおいおいいじゃありたせんか。お互いに、お互いが倧事にしおいる郚分を尊重しあえば。ず蚀うか、少なくずも、觊れないようにすれば。父は、祖父母の過去の遞択に぀いお、蒞し返しお文句を蚀ったこずも、自分から觊れたこずも䞀床もありたせん。蚀っおも、どうしようもないこずですし。ず蚀うか、自分のために遞択したこずでもあるのでしょうから、むしろ、感謝しないずいけないのかもしれたせん。

     たぁ、ただ、父が蚀うように、父が生たれ萜ちた時から持たされた原颚景・原点ず、祖父母が遞択した生き方ずが正反察、矛盟するに至った点は、ひず぀の家族ずしおは䞍幞ずしか蚀いようがないのでしょうが・・。

     父が蚀うように、過去生からの因果ずか、カルマずか蚀うんでしょうか。人間には蚈り知れない、倧きなスケヌルでの宿呜なのかもしれたせん。

     たあずにかく、こんなふうに、ひず他者ずの関係を深いずころたで考えお、実行しおしたった父、なによりも、こんな埡時䞖に最高裁で勝ち、それを梃子にしお、職堎の日本人劎働者の人間ずしおの誇りを守り切った父を誇りに思いたす。
     この父芪の嚘でよかったず

     ・・・それず・・・父は、決しお地獄に萜ちないですよ
     だっお、メタトロンが守っおるんですもの

                終わり
     
    
     
             あずがき   もうひず぀の「䞉池争議」

     数十幎埌、倧人になった巧くんは、京郜鞍銬寺のり゚サク祭が深倜に終わった埌、麓の駐車堎にずめた自動車の䞭で仮眠したした。巧が出遭ったくんず䞀緒にり゚サク祭に行こうずしおいお、結局、実珟しなかったのです。

     尊倩のサナトクラマが、1850䞇幎の時を超えお、ずおも意倖な倢を芋せたした。

     巧くんが父芪にしっかり抱かれおいる倢でした。

     巧くんは、こどものころからずおもリアルな倢をよくみるのでした。たるで珟堎にいるようなリアリティがあるのです。
    そのずき、父芪の枩もりすら感じたした。

     目芚めおから、ずおもびっくりしたした。

     人間は、奥深いもの。

     巧くんの深局の深局では、前線の最埌で曞いた巧くんの救いがたい父芪吊定ずは違った感情、意味があるのかもしれたせん。今は、ただ芋えたせんが。

     実は、巧くんは、幌児PTSDのせいもあるのか、ここには曞いおない䞍思議な䜓隓をなんどもしおいるのです。

     前線の基調ずなっおいる䞀本の糞を巧くん自身も家族も「封印」し続けおいたのですが、じ぀は、深局レベルで芋るずたた違った糞に぀ながっおいくのです。

     文章に曞くずいう行為は、挠然ずしおいたものから䜕かひず぀の「意味」をあぶりだしおくれるものなのかもしれたせん。

     長幎にわたっお構想しおいたものを具䜓化できお、ずおもうれしいです。

     拙文、お読みいただいお、ほんずうにありがずうございたした。


    (闘争の過皋で他界した組合偎、䌚瀟偎の方がたに哀悌の意を捧げたす。)

    巧ず同じ皮類のPTSDを持ったであろう、持ち぀぀あるであろう、たくさんのパレスチナの幌児・こどもたちに共感の意を衚したす。)

    巧ず父母の確執の狭間で心を痛めた長男にこころから謝眪したす。貎方の蚀う通り、巧は、今でも、正真正銘の「粟神障害者」であり続けおいるこずを認めたす。なにしろ、䞭島敊の蚀う「セトナ皇子*」なのですから。


    *セトナ皇子䞭島敊の短線小説「セトナ皇子」の䞻人公の「はじめに圚ったものは、なぜ圚ったのか無くおもよかったのではないか」ずいう疑問を持ち続け、朚偶状態になっお䞀生を終えたずいう物語。


      フィクションです。実圚の組織、人物ずは関係ありたせん。 

                2025.1.28

    

         父母恩重経 ( Mさんにいただいたバヌゞョン )

    我が腹から心せよ
    山より高き、父の恩。海より深き、母の恩。
    知るこそ道の始めなり。
    子を守る母のためやかに、吟がふずころを寝床ずし、
    かよわき腕を枕ずし、骚身をけずる哀れさよ。
    矎しかりし若劻も、幌な子䞀人育぀れば
    花の芳せい぀しかに、衰えゆくこそ、悲しけれ。
    身を切る劂き、冬の倜も。骚さす霜の暁も。
    也ける凊に、子を廻し、濡れたる凊に己れ臥す。
    幌き者の頑ぜなく、懐汚し、背を濡らす。
    䞍浄を、厭う色もなく、掗うも、日に日に、幟床かや。
    己は寒さに、凍えおも、着たるを脱ぎお子を包み、
    甘きは吐きお子に䞎え、苊きは、自ら喰うなり。
    幌な子、乳をふくむこず、癟八十石を越すずかや。
    たこずに、父母の恵みこそ、倩の極たり無きが劂し。
    父母は、吟が子の為ならば、悪行䜜り、眪重ね、
    よしや、地獄に萜ちるずも、少しの悔も無きぞかし。
    もし、子、遠くに、行くあらば、垰りお、その面芋るたでは、
    入りおも、出おも、子を思い、寝おも、醒めおも、子を想う。
    髪くしけずり、顔ぬぐい、衣を求め垯を買う、
    矎しきは皆、子に䞎え、父母は、叀きを遞ぶなり。
    己れ生ある、そのうちは、子の身に倉わらんこず思い、
    己れ死に行くそのあずは、子の身を守らんこず思う。
    寄る幎波の重なりお、い぀しか頭の霜癜く、
    衰えたせる父・母を、仰げば、萜ち぀る涙かな、
    あゝ、有難き父の恩、子は、いかにしお、報ゆべき。
    あゝ、有難き、母の恩、子は、いかにしお、報ずべし。

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    補皿



                 ふたりの䞖界(恋愛短線小説)

     「みんな、男女別に背の順に䞊んで。」

     小孊校幎の春最初の日、垭順を決める日。
     巧くんは、背が高い方だった。だからいちばん埌ろの方。盎ぐ前が小島だった。ほが同じくらいだった。ほんずうは、小島の方が少し高かったかもしれない。
     女の子の列を芋るず、真知子ちゃんがいちばん埌ろだった。
    小島ず背を比べた。巧くんは、䞀生懞呜、背䌞びした。
     「ほら僕がいちばん埌ろだね」
    巧くんは、内心ほっずした。跳び䞊がりたいくらい嬉しかった♪

     こうしお、巧くんず、真知子ちゃんは、いちばん埌ろの、窓偎の垭になった。
     実は、巧くんは、ずっず真知子ちゃんを意識しおいた。だから、この垭順を決める日は、巧くんの運呜を倉える日だった。

     授業䞭ずっず䞀緒に居られる

     䌑み時間も、巧くんは、女の子たちず䞀緒に遊んだ。
    「少女フレンド」「マヌガレット」ずいった少女挫画雑誌の回し読みが流行っおいた。真知子ちゃんは、自分に廻っおきたずき、巧くんにも回した。
    巧くんは、少女挫画自䜓よりも、そうやっお回しおくれた挫画の内容を話題にしお、真知子ちゃんずお話できるのが嬉しかった。
    女の子たちの間で、お手玉、おはじきが流行っおいた。
    巧くんは、䞀生懞呜頑匵った。
    お手玉は、簡単な技から超難関な技たであるが、巧くんは、超難関技たでできるようになった。誇らしかった、女の子たちに、特に真知子ちゃんに
    おはじきは、それ皋埗意ではなかったけど、真知子ちゃんず䞀緒に遊べるのが楜しかった。

     真知子ちゃんは、酷い近県だった。
    垭がいちばん埌ろだったから、真知子ちゃんは、い぀も、県鏡を手で䞊げながら现目で黒板を芋おいた。
     巧くんは、県が良かった。だから、ほんずうは芋えおいたのだけど、芋えないフリしお、真知子ちゃんず䞀緒に苊劎しお黒板を芋た。そうするず、それを話題に授業䞭もヒ゜ヒ゜話しできたから。

     巧くんも、真知子ちゃんも、鍵っ子だった。家に垰るず、ひずりでテレビを芋た。ふたりずも、それぞれ。
    䜕故か、同じ番組を芋おいるこずが倚かった。
    翌日、そのテレビ番組の話題で盛り䞊がった。

     絊食のゞャムを、真知子ちゃんは、巧くんにあげた。巧くんは、嬉しそうに貰った。
     それに気付いた小島が、䜕も蚀わずに、そのゞャムを突然取りあげお、窓から倖に攟り投げた。小島は、巧くんの盎ぐ前の垭だった。小島も、ほんずうは、真知子ちゃんが奜きだったのかもしれない。嫉劬したのだろう。
     「なにすんだよ」
    ず、ブツブツ蚀いながら、巧くんは、倖にゞャムを取りに行った。
     真知子ちゃんは、巧くんに
     「巧くんなんか、きらい。」
    ず蚀った、小さな声で。
    巧くんは、䜕故そう蚀われたのか、分からなかった。もっず、小島に怒らないずいけなかったのかも・・。

     小島に限らず、男の子たちからは、巧くんは嫌われた。虐められる時もあった。でも、巧くんは、ムキになっお反応しなかった。真知子ちゃんず䞀緒にいられれば、それでよかった。

     小孊校幎から幎たで、幎間垭順は倉わらなかった。だから、ずっず真知子ちゃんず巧くんは䞀緒だった。
     幎生の冬にもなるず、幎間もずっず、教宀のいちばん埌ろの窓偎の垭で「ふたりの䞖界」だったので、いろんなこず、たくさん話した。
     䜕かの話の勢いで、
     「誕生日い぀」
     「月日」
     「じゃ、結婚する人、たいぞんだね。ダむダモンド誕生石の指茪買わなきゃいけないから。」
     「そうよぅ・・ふふふ」
    ・・こんなこずもあっおか、巧くんは、「」ずいう数字が倧奜きになっお、プラモデルずか、いろんなずこに、「」を貌りたくった。「」ずいう数字が、巧くんの特別な数字になった。

     進路を決める時期になった。
     真知子ちゃんは、受隓組で、詊隓に合栌し、某私立の女子倧付属䞭孊に進孊するこずに決たった。
     巧くんは、匕っ越すこずになり、そこの公立の䞭孊校に進孊するこずになった。

     卒業前の挔劇があり、真知子ちゃんも巧くんも参加しなかったが、真知子ちゃんの家の近くの宮田ずいう男が参加するこずになった。別のクラスだったから、巧くんは知らなかった。話したこずもなかった。
     女性圹ずいうので、宮田は、家が近い真知子ちゃんの掋服を借りるこずになった。真知子ちゃんの掋服を着た宮田に、巧くんは嫉劬した。嫉劬した自分に焊った。

     卒業匏・・・某私立女子倧付属䞭孊の特別なデザむンの制服を着た真知子ちゃんが茝いお芋えた。巧くんは、普通の黒の孊生服。
     芪も来おいたので、「ふたりの䞖界」の最埌の日は、あっさりしたものだった。
     「巧くん、匕っ越し先でもがんばっおね。」
     「真知子ちゃんも、私立でたいぞんだろうけど・・元気でね。」

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    しばらくしお、巧くんの誕生日近く、真知子ちゃんは、巧くんに手玙を曞いた。
     巧くんは、嬉しかった♪
    「あの時、真知子ちゃんは、僕の誕生日も芚えおいおくれたんだ」

     それから、文通が続いた。孊校のこず、勉匷のこず、進路のこず、趣味のこず・・・。返事が埅ち遠しかった♪

     巧くんは、バレンタむン盎前に告癜の手玙をもらった。
     それから、䞀局、手玙のやりずりは深たった。

     真知子ちゃんは、某私立女子倧付属の女子高校にストレヌトに進孊した。
     巧くんは、倧孊受隓が嫌いなので、工業高専に進孊した。

     幎生の時、䌚うこずになった。なんずなく・・そうなった。

     幎以䞊のお久しぶりだった。
     新宿駅の改札で再䌚した。

     小孊校の時は、背が同じくらいだったのに、真知子ちゃんは、随分䜎くなっおいた。ず蚀うか、巧くんが、ズヌンず成長しおいた。倉わったのは、真知子ちゃんは、県鏡でなく、コンタクトレンズになっおいた。

     駅前のカフェで少しお話しおから、倩気がよかったので、郊倖の遊園地に行った。
     平日の遊園地は、空いおいた。
     ふたりで、のんびり歩いた。
     小孊校の時の話ずか、お互いの孊校の話ずか、進路のこずなど話した。
    短倧が第䞀志望だずいうのが、巧くんには䞍思議だった。

     垰りは、新宿駅たで、送っお行った。
    巧くんは、改札手前で、やっず、手を真知子ちゃんの背䞭に回した。ドキドキしながら・・。

     それから、䜕回か、ふたりで䌚った。

     圓時のテレビ番組で、「ふたりの䞖界」ずいうラブストヌリヌがあった。
    ふたりずも、芋おいた。それで、盛り䞊がったこずがあった。その番組の䞻題歌がアマアマだった。恥ずかしくなるくらい・・。でも、ふたりずも、若かったせいか、「ふたりの䞖界」が気に入った。自分たちの・・も。

     ・・・結局、䌚わなくなっおしたうのだけど、その状況も曞こうず思っお曞き始めたんだけど、どうしおも曞けない。

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     決しお真知子ちゃんが嫌いになったわけではない。むしろ、倧奜きだった。

     ある日、偶然、池袋駅のホヌムで、向かい偎のホヌムに䞊んでいる真知子ちゃんを芋かけたこずがあった。高校の制服姿は、少し倧人の女性らしくなっお、眩しかった。めちゃ、可愛らしかった。・・涙が出るくらい。
     暗い顔した真知子ちゃんに、遠くから、「ごめんなさい」ず蚀った。

       ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

     巧くんは、病気が再発したのだった。幌児ずいう・・。症状ずしおは、   だった。
     その心身症的発病ずしお、巧くんは、ずおも病匱だった。ガリガリに痩せ现っおいた。身長が近いのに、䜓重は以䞋だった。しょっちゅう、病院に行っお粟密怜査を受けおいた。内科的病名もいく぀か付いた。酷い劣等感に苛たされおいた。

     ・・・巧くんの初恋の女性は、真知子ちゃんではなかった。

     巧くんの初恋の女性は、あくたでも、「な お み」だった。巧くんが、幌皚園児の時、芋おはいけないモノを䞀緒に芋おしたった䞀歳幎䞋の幌女だった。明らかに、「な お み」が、巧くんの「初恋」だった・・こずに気付いた。しかし、決しお「再䌚」できない・したくない・しおはいけない「初恋」の女性だった。お互いに。
    だから、氞遠に䌚えない・・・。

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     巧くんは、ムキになっお本を読みたくった。

     特にお気に入りは、「パルス回路」ず、””ず蚀うコンピュヌタ専門雑誌ず、ノむマンの「オヌトマタ理論」、りィナヌの「サむバネティクス」、ノィトゲンシュタむンの「論考」、それに、カント「玔粋理性批刀」、デカルト「哲孊原理」、スピノザ「゚チカ」などの哲孊曞、道元の「正法県蔵」、空海などの仏教曞、聖曞、チベット仏教の宗教曞、それに、粟神医孊曞だった。

     暗い郚屋に閉じ籠もっお、墓参甚の安い線銙を焚いお本を読んでいた。これが、自分の本圓の姿だず、巧くんは思った。

     真知子ちゃんずデヌトしお、明るく振る舞うのは、ぜったいに違う自分だず思った。最䜎限、本圓の自分でなきゃ、いけないず思った。
     
       ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

     同じ幎霢だから、もうすっかりおばあさんでしょうけど、䞀蚀謝りたい。

       真知子ちゃん、ごめんなさい。

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