
【独身偽装小説】第27話|最後のデート
これは、自分自身を偽って溺れた男が
人生を裁かれる物語。
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秋も深まる頃。
この日も、幸助は結子とラブホテルにいた。
最近では、土日に資料作成を済ませ、平日は会議だけにして、極力結子に時間を割く習慣ができていた。
「裁量労働制」——それは、幸助がこの会社に入社して良かったと思うことの一つだった。
「コウくん、あーん」
リモート会議中、結子が横からチーズケーキを食べさせてくれる。
いつもなら仕事に集中すると食べることを忘れて不健康に痩せがちな幸助が、結子と付き合うようになってからは、少しずつ健康的になってきていた。
周りからも「澤井くん、最近なんか雰囲気変わった?イキイキしてるね」と言われることがある。
時子は俺の変化に気づいているのか、最近筋トレに精を出していることを突っ込まれた。
「激務だから、家族に心配かけないように体力つけようと思って」
その一言で、“家族思いの夫であり父”は完成する。
⸻

昼間から肌を重ね、リモートワークを口実に、ベッドの中で互いの温もりを貪るように触れ続ける。
「ねぇ、もしかして今も会議入ってるの?」
「うん。でもカメラオフでマイクはミュートにしてる。」
「バレないの?」
「……大丈夫。何回もやってるし。」
そう言いながらも、幸助は結子の胸元に手を滑らせる。
柔らかい感触を確かめるだけで、理性が飛びそうになる。
「…んっ、コウくん、ほんとダメだってば……」
囁くような声で彼女が訴えるが、その目は潤み、明らかに抗う意思はなかった。
(結子……可愛い……)
欲情の波が押し寄せ、彼はたまらず彼女の身体を引き寄せた。
そのとき、ベッドの上のスマホが震えた。
「ん?」
画面を見ると、“時子”の名前が表示されていた。
——「パソコン使いたいからパスワード教えてー!」
その一文が目に入った瞬間、幸助の血の気が引いた。
(やばい……)
考えろ。落ち着け。
過去にも妻からPCを貸してと言われたことがあった。
今断ると、不自然だ。
(パスワード……Gmail……Googleドライブ……)
——結子との旅行の予約履歴、デートの写真、何より、あの動画……!
指先が震え、スマホを握る手に汗が滲む。
「どうしたの?」
不思議そうに結子が覗き込む。
「……いや、なんでもない。」
「なんでもなくないでしょ?スマホ見た瞬間、顔色悪くなってるよ。」
「いや、本当に……ただの仕事関係の連絡。ちょっとやらかしてさ」
幸助はなんとか笑顔を作る。
(どうする?教えないわけにはいかない。でも、教えたら——)
結子の前で動揺を悟られたくない。
どうか、何も見つからないでくれ。
それだけを祈りながら、震える指でパスワードを入力し、送信した。
だが、すでに取り返しのつかないことになっているかもしれない——。
⸻
「……コウくん、大丈夫?」
結子が幸助の顔を覗き込みながら、そっと頬を撫でた。
「無理しないで?」
彼女は優しく微笑み、胸元に抱き寄せてくる。
「ヨシヨシ、コウくんは賢いし、いつも頑張ってるから大丈夫。」
その言葉が、胸に突き刺さった。
大丈夫じゃない。
全然、大丈夫じゃない。
だが、そんなことを言えるはずもなかった。
幸助は衝動的に結子を抱きしめた。
「結子……」
唇を重ねる。
何度も、何度も。
「……俺のカタチ、覚えて。」
彼は何度もそう囁きながら、結子の身体を貪った。
一生、忘れられないように——。
まるで、“これが最後”と悟っているかのように。
(最後なんかじゃない。絶対に。)
本能の奥でそう叫びながら、彼は結子のすべてを刻み込むように求めた。
——結子の中に、自分を刻みつける。
一生、彼女が自分以外を受け入れられないように。
“最後の男”に、なりたかった。
⸻
夜。
ホテルを出て、駅までの道を、いつものように手を繋いで歩く。
「ねぇ、来週の鎌倉旅行、どこ行こうか?」
「うーん、鎌倉のあのカフェ、行きたいって言ってたよね?」
「あっ、そうそう!夜の花火はテラスで見るでしょ?あと、あの神社に行って……」
結子が楽しそうに話すのを、幸助はぼんやりと聞いていた。
(この会話が、“未来の約束”にならないかもしれないなんて——)
結子の笑顔が眩しい。
「……コウくん?」
「ん?」
「さっきから、なんか上の空じゃない?」
「……いや、そんなことないよ。」
彼は優しく微笑みながら、ただ結子を見つめた。
愛おしくて、たまらなかった。
本当は、このまま時が止まればいいのに。
⸻
だが、別れの時間が迫っていた。
「私、明日から出張なんだよね、荷造りあるからもう行かないと。」
「あ、もう少し…」
幸助は結子を引き止めた。
「終電ギリギリまで、お茶でも飲もう。」
結子は少し考えた様子で
「また来週会えるのに、そんなに寂しいんでしゅか〜仕方ないなぁ」
冗談めかして幸助の手を引いた。
お茶を飲みながらも結子の顔を思わずじっと見つめてしまう。
「コウくん?なに?」
「…や、今日もめちゃくちゃ可愛いなって。」
「またか。忖度あざす。」
忖度じゃない、結子は誰が見ても可愛いし綺麗だ。大人の色気もある。頭も良くて喋ると面白い。
本当に誰かのものでないのが今だに不思議なくらいだ。
「…結子ならどんな男でも思いのまま一本釣りできるよ」
自分でも何が言いたいのか分からなかった。
万が一…俺がいなくても大丈夫。
結子は傷つかない。
嘘をついていたこともバレない。
どこかでそう思いたかったのかもしれない。
「何言ってんの?私にはコウくんがいるんで」
結子は呆れた顔をしていた。
幸助は、幸せと罪悪感とこれから起こることへの不安に、押し潰されそうだった。
店を出た後も、駅へ向かう道をゆっくりと歩いた。
「いつもの遊び」で、
自分が既婚者だということに蓋をして過ごしてきた。
終わりも覚悟していたはずだった。
(離れたくない、失いたいくない)
身勝手なのはわかっていた。
繋いだ手をぎゅっと強く握ると、結子も
ニマニマしながら握り返してくれた。
改札の前で、彼は彼女の顔をまじまじと見つめた。
「もう本当にどうしたの?」
結子が小さく微笑む。
「…いや。」
言葉が出てこない。
——今なら、言える。
既婚者だってことも、
全部嘘だったことも、
ここで終わるかもしれないことも。
そしてー
それでも「俺を愛してる」と言ってくれるのか?
そうなったら俺は家庭を捨てられるのか。
喉まで出かかった。
「……結子、俺——」
一瞬だけ、彼女の目を見る。
変わらない、あの柔らかい表情。
「……なんでもない。」
結子がくすっと笑う。
「なにそれ。変なの」
最後まで言わないのも優しさではないのか。
——そう思いたかった。
⸻
彼は、最後にどうしても伝えたかった。
「またね。」
そう言って、優しく抱きしめた。
何度も何度も、名残惜しそうにキスを交わす。
さよならのキスのあと、結子の照れ臭くも満足そうな笑顔が、幸助の胸をいっそう締めつけた。
彼女が改札を通る。
振り返ると、まだ彼が立っている。
「まだいるの?」
「うん。」
「早く帰りなよ。」
「…うん。」
彼は、彼女の姿が見えなくなるまで、ずっとその場に立ち尽くしていた。
⸻
それでも名残惜しくて、別れたあとも結子に
「もう寝よう、また今度喋ろう。」と遮られる朝方まで、ラインでたわいもない話を続けた。
「おやすみ、夢の中でまたね」
これが、最後になると知りながら。