心に10歳の自分を宿すとき、私はがんばってしまう
自分を見つめるとき、私はまだお化粧もダイエットも知らなかった、10歳の自分に今の自分を見てもらう。
これはセルフケアであり、自己分析であり、反省でもある。
童心を忘れない、ということとは少し違うかもしれない。
10歳の私は天真爛漫だ。
たくさん食べる子は良い子だと思っていたから、好き嫌いせずにお皿にあるものは残さず食べ、給食でもおかわりをしていた。
1人でいる友達がいたら声をかけていたし、学級委員に立候補もした。
それが良い子がやるべきことだと思っていたから。
母親は褒めて育ててくれた。父親は結構厳しかった。
おしゃれだとか、顔が可愛いとか、運動や勉強ができるということよりも、
思いやりがあってお家のお手伝いもやって宿題も毎日ちゃんとやって、
毎日学校に1番に到着することが10歳の私が大事にしていることだった。
そうすることでクリスマスにプレゼントがもらえるとも思っていた。
客観的に見ると、私は子どもっぽすぎたような気もするし、
大人になると人の世話焼なんて尻込みするし、
体脂肪率が45%超えのぽっちゃり小学生だったし、
もうちょっと健康を気にしていた方が良かっただろうけど、
基本的には愛嬌のある、良い子だったと思う。
大人になって、普段の仕事や考えごとについて、自分を見つめる時間を作った時、私は何度も10歳の自分に助けられている。
10歳の私は、とにかくまっすぐな目で、「大人ってこうでしょ」と自分の大人像を突きつけてくる。
私が向き合っていることが真剣かどうか、真面目にやってるかどうか、どういう気持ちでやっているか、責任があるか。
10歳の私は、自分よりちょっと先の未来を生きる、憧れのお姉さん像を映しながら、大人の私にそうあって欲しいと願う。
大人の私はそれにちょっとでも近づきたくて、近頃はお姉さんからもっとお姉さんになろうとしているけど、それも10歳の私はもっと大人らしく、と注文する。
私は10歳の私を裏切りたくない。
まっすぐな目で応援し、誠実な気持ちで、一生懸命社会活動に打ち込む私を求めている。
私もまた、そう在りたいのだ。
ずるや贔屓でなんとなくゲットしちゃうのではなく、
頑張った結果手に入れるということがしたいのだ。
10歳の私は今日も私を見ている。
だから私は日々を頑張ってしまう。
そしてたぶん、それは悪くないと思っている。
