日記 | 全てに「正解」を求めるな自分(2026.05.16)
「正解」が多すぎる世の中
非常に便利な世の中になったと思う。「分からない」と思ったことは、インターネットで調べれば答えが出てくる。おかげで急に動かなくなった電子機器の対処法、食材の保存方法、垢抜けする化粧まで、無料で大量の情報が手に入る。ありがたや。
それに加え、最近は「思考」の答えさえ、インターネットに転がっている気がする。仕事、家族、恋愛。「どうすればいいんだろう」と思った不安や悩みも、SNSを見れば、誰かしらの「答え」がのっている。
最近気になったのは質問箱への回答を投稿しているxのアカウントだ。不倫、発達障害、友人関係のトラブル。おそらくリアルでは相談しづらい悩みが、匿名で次々と投げ込まれている。
その投稿を見ながら、ふと思う。質問者はその回答を「正解」だと思っているのではないか。数学の問題のように、答えが一つしかない問いならいい。しかし、人間関係や人生についての悩み。そこには本来「正解」など存在しないはずだ。なのに、私たちは心のどこかで「最適解」を探してしまう。
なんだか、その状況に違和感を覚える。
質問はあくまで自分視点で書かれている。自分には見えていない事情や感情が、そこにはあるかもしれない。それなのに、他者からの回答を「正解」として受け取る。もし、その答えを信じて行動し、うまくいかなかった時。人は本当に、それを「自分で選んだ結果」だと受け入れられるのだろうか。
「正解」を求め続けた学生時代
振り返ってみると学生時代は「正解」を求められる場面が多かったように思う。それは一問一答だけではない。「思考」さえも、正解がある空気が漂っていた。
例えば、
「今日の授業で思ったこと・感じたことを書きなさい」
という問い。本来なら自由に考えを書けばいいはずなのに、私はいつも「先生が求めている回答(正解)」を探し、書いていた。
道徳の授業でさえ、自由に意見を述べる場というより、「模範解答」を答える時間だった気がする。
学校生活も同じだ。ルールを守ること、皆と仲良くすること、空気を乱さないこと。それが「正しい」とされ、そこから外れることが「間違い」とされる。もちろん、ルールや協調性は大切だ。しかし、私たちは自分の言動さえも「模範解答」を探していたように思える。
社会に出ると自分で考え、判断する場面が一気に増える。誰かが用意した正解ではなく、自分の思考故にした行動に責任を持たなければいけない。
18FESのテーマソングでもある、RADWIMPSの「正解」に、こんな歌詞がある。
あぁ 答えがある問いばかりを 教わってきたよ
だけど明日からは 僕だけの正解をいざ 探しにゆくんだ
学生時代、「答えがある問い」ばかりを教わってきた。だからこそ、私たちは大人になっても、無意識に「正解」を求めているのではないのだろうか。
自分自身に立ち返る。間違っててもいいじゃないか。
私にはあまり大きな悩みがない。それはすごく幸運なことだ。しかし、この一年ほど、「恋愛」や「結婚」について考えることが増えた。
30歳になり、仲のいい友人たちが結婚や出産を迎えていく中、自分だけが10年前と変わらず同じことをしている。今までは「夢中になれるものがあるっていいよね」、なんてのんきなことを思っていたけれど、この年になって急にパートナーも作らず、好きなことだけをしている自分に「焦燥感」を抱くようになった。
「私は自分の人生に何を求めているのだろうか」。そんなことを考えるようになった。
子どもが好きで、子どもと関わる仕事をしている。だからこそ、いつか大切な人が出来た時に、自然と「子どもが欲しい」と思うのではないだろうか。しかし、年齢を重ねれば、どうしてもさまざまな「リスク」が伴うのではないだろうか。
そう考えると、自分にはどこかタイムリミットがある気がして、焦りばかりが膨らんでいった。
恋愛初心者の自分。だからこそ、インターネットに答えを求めた。
「一か月に何人もの人と会った方がいい」
「もっと出会いの場に出向け」
「こういう質問をした方がいい」
婚活体験記は、インターネットに山ほど転がっている。それを読み漁りながら、自分の中での「最適解」を組み立てていた。
しかし、その「最適解」を実施しようとすればするほど、心が疲れていった。思うように動けない自分を責め、ダメな人間だと落ち込んだ。
そんな時、ある一つの言葉に出会った。
理想じゃなくて、今の自分にあった方法を見つけることが、結果的に一番頑張れる気がする。
目から鱗だった。私はずっと「婚活」というものに対して、「正しいやり方」を求めていた。「理想の方法」はあるかもしれない。しかし、「正解」などない。自分なりの方法を模索していけばいいのだ。
そう思えた時、心がすっと軽くなった。
これから先、
これから先も、きっと悩みや不安は尽きないであろう。
だけど、その度に誰かの「正解」をなぞろうとするのではなく、自分で考え、自分なりの答えを見つけ出していきたい。
うまくいくこともあれば、うまくいかないこともある。全てをひっくるめて、それが「人生」なのだろう。
この先、全てのことに「正解」を求めすぎず、自分らしく、のびのびと生きていきたい。
