
車椅子を『86』に変えた男と、峠と化したナースステーション前
シャーーーシャーーーシャーーー…
「………はぁ。またやってるじゃん」
その光景は見慣れたものだ。
「また必要ないのに車椅子使ってるじゃん……」
自分で普通に歩けるのに、
なぜか車椅子を使いたがる中年男性の患者さんだ。
今日もなぜだか分からないけど、
車椅子を使っている。
オレ
「○○さん。また使ってるんですか?本当に必要な人が使えなくなるんで、やめてください」
中年男性患者さん
「あー、ごめんね!」
と爽やかな笑顔で返答し、すんなりやめてくれる。
ものわかりはいいけど
今日で何回目の注意だろうか。
──別の日──
シャーーーッシャーーーッシャーーーッ
「(おいおいおいおいおい、またやってるやん….)」
オレ
「○○さん。前も言いましたけど、頼みますわ」
中年男性患者さん
「ごめんごめん。もうやめるね」
繰り返される不毛な注意。
別の日も乗って、また注意する。
それを繰り返す。
──ある日──
シャーッシャーッシャーッキキキッッスーーーン。
「おい、またやって………えっ……!?」
注意されるたびに、
彼の「車椅子さばき」が神業の域に達していく。
差し掛かるナースステーション前の直角カーブ。
彼は片方のブレーキを絶妙に引き、
もう片方のホイールを手で弾く。
鳴り響く(脳内で)ユーロビートッッ!!
キキキッッッシャー!!シャー!!
「……え?今、86走ってた??」
さながら『頭文字D』の如く
車椅子をさばき、
ナースステーション前の
“ヘアピンカーブ”をタイヤを滑らせる勢いで抜けていった。
静寂の病棟に刻まれた、見えないドリフト痕。僕は、あぜんと立ち尽くすしかなかった。
「……」
「…………」
「……………」
「いや、何してんすか。」
──その後──
結局、今日も彼は車椅子を返却し、自分の足でスタスタと部屋に戻っていく。
あの卓越したコーナリングの情熱を、
もっと別のベクトルに使えないものか。
彼の哀愁ただよう背中を見て思う。
「……本当に必要な人より上手くなるの、やめてもらっていいっすか。」
【他の“異質な世界”の記録はこちら↓↓↓】